第13話 あの夏の苦い記憶はチョコレ-ト風味
それは朝練を終えた早川美波が、佐藤翔太に命令したところから始まった。
「そうだ、佐藤君。今日、私と一緒にお昼を食べなさい。これは命令だから」
そうニコッと笑顔を浮かべる美波に対し、翔太は困惑の表情を隠さない。それは、いつも美波が昼食を学食で済ましている事は翔太の耳にも入ってきており、そんな彼女と昼食を一緒にするという事は、自ずと自分自身から衆目に
「はぁ、それはどういった
「しこう? 友達なんだから、お昼を一緒に食べることは普通でしょ」
「いや、友達とお昼を一緒にするのに命令はしないでしょ」
「だって君、私がお昼誘っても断りそうなんだもん」
「それは……そうかもしれないけどさ、僕はお弁当だから」
「学食で一緒に食べたらいいでしょ。別に学食でお弁当をたべちゃいけないなんてルールないんだし」
校舎に向かう足を止めて翔太は溜め息をつき、秋の香りがする朝の空を見上げた。
「食堂でお弁当を食べたら、さらに注目されそうだなぁ」
「大丈夫だって、たまにお弁当を食べている人はいるから」
「いやー、そういう問題ではないんだけどなぁ」
「じゃあ、どういう問題よ。こんな美人と一緒にお昼できるんだから、少しは喜んでもいいでしょ」
――そういう事を自分で冗談っぽく言ってしまっても、それが冗談に聞こえないくらい本当に美人なのだから、困る。
美波がヘアバンドを外して首を振り、まとまっていた金色の髪が広がっていく。そんな光景を眺めながら翔太はそんな事を思っていた。
「そうだね、美人からのお誘いを断るのも野暮かもしれない。分かりました、喜んでお昼をご一緒させていただきます」
「そうやって最初から素直に答えてくれればいいんだよ、君は。私は別に君のことを取って食おうとしている訳ではないんだからさ」
自然と笑みをこぼす美波に、翔太は若干困ったような表情を浮かべる。
この罰ゲームが始まってからというもの、美波と翔太の関係は朝練を通じてのものに限られてきた。だから、こんな風に美波が積極的に翔太に対して、何らかのアプローチを掛けてくるのはこれが初めてのことであり、彼が戸惑うのも仕方ない事であった。
そしてお昼となり、校内が一気に騒がしくなると、学食にも多くの生徒達が集まってくる。その中にあって、いつものように美波は注文した料理を持ってカウンターから離れる。いつもなら空いている席がないかと見回すところではあるが、今日は違う。幾重にテーブルが並ぶ学食内で、壁際の席に座り周りをキョロキョロと見回す翔太を見ながら、彼女は翔太の隣に座った。
「佐藤君、お待たせ。なんか落ち着きのない動きしてるけど、大丈夫?」
「お弁当組としては滅多に学食を利用しないから、どんなメニューがあるのか興味津々なだけ。それで早川さんは何を頼んだの?」
「ん、カツ丼にうどんが付いたセットメニューだけど」
美波がトレイ上の
「なかなか美味しそうだね」
「うん、値段の割にボリュームもあるし、それなりに美味しいかな」
「ふーん、そっか。機会があったら頼んでみようかな」
翔太は美波の頼んだ料理を眺めると、卓上に置いておいた
「なんとまあ、そっちもボリューム満点だね。っていうか、それ、佐藤君が作ったの?」
「うん。でもまあ、ご飯は冷凍ご飯を温めて、おかずは喫茶店の残りものをもらってきた物だから、朝に火を通すだけなんだけどね」
「ほー、それはお手軽そうだね。ところでさ、残りものをもらったという喫茶店というのは、この前、佐藤君が手伝っていたところ?」
「そうだよ。あそこは僕の親戚がやっているお店だから、もったいない精神で僕に賞味期限間近の食品をくれるんだ――いただきます」
翔太は手を合わせると、箸入れから箸を取り出す。そして、丼を持とうとしている美波を横目で見ながら、今まで興味があっても聞けなかった事を聞いてみることにした。
「興味本意で聞くけどさ、あのとき喫茶店に一緒に来た、あの大きい人とはどうなの?」
「別にどうにもならないよ、ただの部活の先輩だもん。それに、一回ぐらいデートしたくらいで、付き合うとかにはならないでしょ、普通」
美波は笑みをこぼして言うと、卵をまとったカツの切り身を大きな口を開けて頬張る。
「デートをするからは、相手に対して少しは気になるところがあるんじゃないの?」
「そお? 夏休みに君とデートしたけど、私、君のことは何とも思ってなかったし――どちらかと言えば、マイナスな印象でしかなかったけどね」
「例外中の例外じゃないの、あのデートは。普通、誰かにデートを申し込むからは、その相手に対して少なからず好意を懐いているものでしょ」
「好意かぁ、少なくとも君に対しては懐いていないものだよねぇ」
「それは重々承知しておりますので、ご心配なく」
美波は翔太をからかうように言い、翔太は翔太でそれを気に留める
「そういえば、もうすぐ中間テストだけど、佐藤君は勉強のほうはどうなの?」
いきなり話題を変更した美波に対して、翔太が横目で彼女の顔色を
「まあ、ぼちぼち習ったところを復習はしているかな」
「復習だけ? 塾とかには行ってないの?」
「塾には受験勉強で散々行ったし、あと一年くらいは行きたくないなぁ」
「ここの皆は、大体そんなもんだよねぇ」
「そう言う、早川さんはどうなの? 一学期の期末で学年トップテンには入っていたくらいだし、どこか塾とかには行ってるの?」
「いや、特に行っていないけど。試験勉強は君と同じで、私も復習や買った問題集やっているだけ」
食事を進めながら、もう数日に迫っている中間テストの話をしている二人の姿は、周りから見れば良い友達関係にも映り、それなりの視線を集めているのであった。
「そういえば、まだ伝えてなかったけど、中間テストの期間中も朝練やるから。そのつもりでお願いしますね」
「えっ?」
いきなり美波が思い出したかのように言うと、今度は翔太も驚いてしまい、箸を止めて彼女の顔をまじまじと見る。
「中間テスト期間中って、部活動は休止だよね」
「うん、そうだね。でも私たちがやっている朝練は、部活動ではなく個人的な自主練習だからね。それに、先生方には成績が落ちても自己責任ということで、テスト期間中に朝練をやることを承諾してもらってあるから問題ないの」
「えーと、まさか罰ゲームの為にそこまでしたの?」
翔太が真面目にそう訊くと、美波は瞬間的に目を丸くして、思わず翔太と向き合う。そして、その表情から翔太が冗談を言っている訳ではないと理解すると、何をバカなことを言っているのだろうという気持ちから、フッと笑いが込み上げてくるのであった。
「やだなぁ、佐藤君。いくら私が君のことを気に入らないからって、さすがにこの罰ゲームで先生方を利用しようだなんて思わないよ。勘違いさせて悪かったけど、今の朝練を承諾させたという話は、私が一学期の中間テストの時の話だから」
「ということは、もしかして一学期の期末テストの時も、早朝に校庭を走っていたの?」
「うん、そうだね。テスト前に軽く運動した方が、頭が働く気がするから。でもさ、佐藤君は知らなかったんだね、私が朝に走っていた事は」
「そうだね、初めて知った」
「そっか、意外と注目されていないもんだね、私」
美波が美人かどうかは置いておくにしても、自分の容姿がこの高校において目立つ存在であることを、彼女はちゃんと理解している。
「そうでもないよ。たまたま僕に記憶が無かっただけで、一学期でも君の噂話は聞こえてきたし、今でも噂話は聞こえてくるから、相変わらず注目の的だよ、早川さんは」
「他人ごとのように言ってくれるよね、もう。最近、聞きたくもない自分の噂話は耳に入ってくるようになって、本当はとってもウザったいんだからね。その原因の一端は佐藤君にもあるのだから、少しは責任を感じてよね」
「それはご愁傷様。まさか僕も、こんな風に何週間も噂話の当事者になるとは思ってもみなかったよ」
「まったく、これは誰のせいなのかしら?」
「さあ?」
我関せずといった翔太の返しに、なんとなく気が抜けてしまった美波なのであった。
そんな風に雑談をしながら食べ進めた昼食は、双方ともに綺麗に食べ終える。美波が使った食器をカウンターに返して、ふたり揃って学食から出ていく。そんな二人の行動を気に留めている傍観者も少なからずいた。
さて、お昼を済ました翔太はといえば、校庭の片隅にあるベンチで腰を掛けている。それは、いつもの食後のお昼寝タイムではなく、一度教室に何かを取りに戻っていった美波からの命令であった。
「ごめんなさい、こんなところに待たせちゃって」
シュシュでまとめた後ろ髪を揺らして、駆け足で翔太の元までやってきた美波は、そう言いながら翔太の隣に腰を掛ける。
「うん。早川さんの命令とあれば、予鈴が鳴るまで待ちますとも」
「そのセリフ、なんか微妙に格好が悪くない? せめて放課後まで待たない?」
「それは早川さんが、どんな理由で僕をここで待たせるか次第でしょ」
「じゃあ、佐藤君はどんな理由なら放課後まで待ってくれるの?」
「知らないよ。今だって、僕が何の為にこのベンチに座っているのか、分からないんだから。そんな仮定の質問には答えようがない」
「なんか政治家みたいな答えだなぁ。でもまあ、いいや」
美波は会話を断ち切ると、教室からぶら下げてきた紙袋を翔太の膝に置いた。
「はい。コレ、佐藤君にあげる」
「あげると言われても――なに、このデパートで売っていそうなオシャレな紙袋は?」
「中身は、ただの値段の高いチョコレート屋の、チョコレートだよ」
「貰えるものは貰うけど、本当に貰っちゃっていいの?」
翔太はオシャレな紙袋から黒い箱を取り出すと、和紙のような手触りのその箱を、自分の膝の上に載せる。
「うん、いいの。だって、それ、夏休みのデートの時に君から押しつけられた商品券で買ったものだから」
美波は翔太の驚いた顔を見ずに言葉を続ける。
「……でもね、悪く思わないでほしいの。あのプールの件は、やっぱり私に責任があると思うし、だから佐藤君からのお礼は貰えない。でも、私が君を助けたのは事実なわけで、そこの気持ちを考えると、商品券を商品券のままで返すのも失礼だと思ったりもして、色々と考えを巡らせているうちに、こんな形になったんだ」
「そうか、商品券が高級チョコレートに化けたか」
翔太がつまらない事を言ったところで、ようやく美波は翔太のほうに顔を向けられた。ちょうどその時、箱の蓋を取ろうとしている翔太の表情は、おもちゃを買ってもらえた子供のように無邪気な笑顔であった。
「あっ、いま開けちゃうんだ」
「学校の昼休みに高級チョコレートが味わえるチャンスなんて、今しかないでしょ」
翔太は膝のうえで箱を開くと、数個の可愛らしいチョコレートが気品高く並んでいた。そのチョコレートたちをスマホのカメラで撮ると、箱から一粒のチョコレートを
「んー、このチョコレートの香りは良いよね。」
「そりゃ、そのお店で一番高い物だからね」
「へー、そうなんだ。はい、早川さんも食べて」
翔太からチョコレートの箱を突き出されて、美波は戸惑う。
「でも……」
「数もちょうど偶数だし、このチョコを半分ずつ食べて、プールの件はチャラという事にしよう。僕らの罰ゲームもあと半月もないし、いつまでもプールの件を引きずられても困るよ」
「……わかった」
美波は一粒のチョコレートを摘まむと、翔太がチョコレートを口に入れるのを見てから、口に運ぶ。口に入れたチョコレートは舌の上でじんわりと溶けていき、口の中に優しい甘さを広げながら消えていった。美波は目を見開き、思わず翔太の顔を見た。
「なにコレ、めっちゃ美味しい!」
値段どおりの美味しさに翔太は声を弾ませ、美波の顔を見ると、思わず彼女と目が合った。すると、美波がなんとも自然な微笑みを浮かべたものだから、ドキッとしながらも、彼女も同じ気持ちなのだと思った。
「さすがに高級と冠することはあるわね」
翔太の言葉を聞いて彼も同じ気持ちなんだと思い、美波は友達と気持ちの共有ができた事が嬉しかった。すると、翔太が微笑んでくれて心がポカポカするのであった。
こうして予鈴が鳴るまでの間、二人が高級チョコレ-トに舌鼓を打つことになった昼休み。美波と翔太の関係は明らかに親しくなっていき、これから罰ゲームが終わる二週間あまりは、生徒達の噂話を盛り上げてくれる存在となったのは言うまでもない。しかし、この昼休みの出来事が、美波と翔太が思う二人の関係性に、小さくもないズレを生じさせていたと分かるのは、もう少し秋が深まる頃であった。
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