第11話 私の価値観、彼の価値観
月曜日の朝、準備運動をする早川美波と佐藤翔太の姿は、いつもの様に校庭の片隅にあった。
昨日、美波が部活の先輩であるノッポ先輩とのデートの途中で、偶然にも佐藤翔太に出くわした。そこで美波は翔太に対する
「ねえ、佐藤君。昨日の話なんだけど」
「来る時、妙におとなしいと思ったら、そういう事か。大丈夫、昨日のデートの事は誰にも言わないから」
「いや、そうじゃなくて」
「ん、違うの? じゃあ、昨日の話というと何かな?」
美波が話しづらそうに翔太の顔をのぞき込むと、翔太は不思議そうな表情で美波を見返した。美波は正面を向き直すと一度強く目をつむり、大きく息を吐くと、目を開き、翔太を横目で見ながら話し出す。
「あのね、昨日、私が佐藤君のことを友達だと言うと、みんなが微妙な顔をするって先輩に話していたじゃない。あれは、そのー、別に佐藤君の悪口ではなくて、ただ私がみんなの反応を不思議だと思って話しただけなの」
「ふーん、デート中にそんな事を話していたんだ」
「え、あれ、あの時聞こえてなかった? なに、私、勝手に墓穴を掘った?!」
美波は目の焦点が揺れ出し、両手で口を
「……どうして笑ってるの?」
「だって、あんまりにも早川さんが分かりやすく動揺しているから、なんだか可笑しくて」
翔太に笑われていると気がついた瞬間、美波の心の中で、翔太が本当はあの会話を聞いていてワザと聞いていないフリをし、自分をからかったのではないかと思った。しかし、すぐにプールの件が頭をよぎり、後悔の味と共に理性が強く働いて、目の前の彼を問い詰めたい気持ちを抑え込んだ。
「それで、その僕の話題はいつ話していたの?」
「それは、君が料理を運んできた時。私たちが話しをしていたら、いつの間にか佐藤君がテーブルの横にいて、てっきり話しを聞かれたものだと」
「あー、あの時。あの時は野菜スープの事を言い忘れたり、珍しく高校の知り合いを接客したりするんで少しテンパっていたから、盗み聞きをする余裕はなかったんだよね」
「……うー、完全に私の自爆じゃん」
美波は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまう。
「それでさ、早川さん。さっきの本題としては僕の悪口は言っていなかったという事でいいんだよね」
「そうですよー。一応、友達として佐藤君に変な誤解はされたくなかったからー」
いじけた口調でも美波が翔太のことを友達と認めてくれた事は、素直に嬉しく思う翔太なのでした。
「それは、それは、変に気を遣わせちゃったみたいで、どうもすみませんでした」
翔太が準備運動を終えてもなお、その横で小さくなっていた美波は折りたたんだ両脚を両腕で抱え込み、
「それで、分かった? みんなが僕と友達だと言うと、微妙な顔をする理由」
「別に先輩には質問をするつもりで言った訳ではなかったから、それは謎のまま」
「案外、その理由は簡単なものだと思うけど」
「なによ、私に分からない事が佐藤君に分かるって言うの? じゃあ、なんだって言うの、あの困ったような薄ら笑いの正体は」
「答えは簡単。僕と早川さんとでは外見的に釣り合っていないのが原因」
「前にも言っていたね、そんな事。だけどさ、私の友達が見た目で釣り合おうと、釣り合うまいと、周りには関係ないでしょ」
それが至極当然の答えだと言わんばかりの口調の翔太に、しゃがんだままの美波が納得いかないという顔を向ける。
「それが、そうでもないんだなぁ。早川さんみたいな美人になると、自然と君の容姿と釣り合うような美男子に隣に立っていてほしくなるんだよ、傍観者としては。それが早川さんの友達であれ、恋人であれね」
「そんなの変。私がイケメンを求めるならまだ分かるけど、どうして周りの人に私と付き合ってほしい人の願望を持たれなきゃいけないの。意味分からない」
「まあ、誰しも見るなら調和の取れていないアンバランスなものより、調和の取れた美しいものを見たいもんでしょ」
「そうやって他人事のように言っているけどさ、そのアンバランスだと思われているかもしれないのは佐藤君なんだよ。よくそうやって自分のことを悪く言えるよね」
美波がそう指摘すると、翔太が意表を突かれたような顔を向けてきた。
「なによ、その顔は」
「いや、こうやって並んでいる僕らの姿を周りから見たら、ほとんどの人にアンバランスだと思われているだろうと、僕は思っているから。早川さんにそう言われて、少しビックリした」
「それこそ自意識過剰なんじゃないの? それに佐藤君は私のことを過大評価し過ぎだよ。周りだって君が言うほど、私が誰と行動してようと関心なんかないはずだよ」
「そんなもんかねぇ?」
「意外とそんなもんだよ。だって、私くらいの顔立ちの人なんて世間にごまんといるもの――はいっ、この話はこの辺でおしまい。そんなわけで佐藤君、ちょっと手を貸してくれない」
「はい、どうぞ」
差し出された翔太の手を美波はしっかりと
「よいしょ――ありがと」
引っ張り上げられて立ち上がった美波は翔太の顔をマジマジと見てしまう。
「僕の顔に何か付いてる?」
「ううん、違う。ただ、その手、無意識に握っちゃったけど、その指、痛くないの?」
「ああ、このテーピングね。指にまめが出来かけちゃって、こすれると少し痛いから巻いているだけ。だから、君を引っ張りあげるくらい問題ないよ」
「そう」
翔太があっけらかんとした笑顔で手を振ると、ケガをしていたら申し訳ないと思っていた美波はひと安心して、グラウンドに歩き出す。
「それで、その指はどうしたの?」
「テニスの練習で。夕方に壁打ちしていたら、いつの間にかね」
「遊びでやっているのに練習はするんだ」
美波が思わず吐いてしまったトゲトゲしい言葉。そんな彼女の心情は、陸上競技を真剣に取り組んでいる美波には、遊びでテニスをやっているという翔太が不真面目に感じられ、そんな軽い感じでスポーツをやっている姿勢がやっぱり気に入らなかった。
「そりゃ、ちゃんと遊ぶなら、ある程度練習をやらないと面白くないでしょ」
翔太は美波の言葉なんて気にする素振りは見せずに言った。しかし美波には、そんな翔太の言う『遊ぶ』という言葉の意図が分からなかった。
「ごめん、私には君の言っている事が全然理解できない。なに、テニス部はふざけて遊んでもいいの?」
美波が怪訝な表情を浮かべると、立ち止まった翔太はニコッと笑顔を向けて応じた。
「違うよ、早川さん。僕の言っている遊ぶというのは、別にふざけて何かをやるという事ではなくて――んー、こう言えば分かるかな? 例えるなら、市民マラソンみたいな楽しむ事を重視した競技スタイルみたいな感じ。あー、だからと言って、手を抜いて練習をしたりはしないよ。僕だってケガをしたくはないし、試合で勝つのは嬉しいんだから。だけど、高見を目指す人のように一つの事だけに情熱と時間を注げるかと言えば、僕の場合、テニスは遊びの範囲内でいいと思っているんだ」
「それは全国大会で通用しなかったから、それから逃げる理由ではないの?」
「ああ、知ってるんだ、僕が全国大会に出たこと。でもね、残念ながらテニスで挫折をした事は何回かあったけど、そこまで大きく挫折する程にはのめり込んではなかったよ。まあ、全国に行けたのだって、有力選手がかなり調子を崩してくれていたおかげだしね。実力が伴っていない事は自分が一番分かっていたし、だから初戦敗退しても悔しさはあんまり感じなかった」
美波は翔太が話しをしているうちに改めて思う、目の前にいる彼が自分とは価値観の違う人間だと。しかし、翔太の言うことが本当なら、彼のテーピングされた指は幾度もラケットを振り抜いた証であり、そんな彼のテニスへの想いを自分とは考え方が違うからといって否定するのも、また違うような気がした。
「ふーん、そうか。ごめん、突っかかるような言い方をしちゃって」
「よかった、誤解が解けたみたいで」
二人の会話がひと段落したところで、どことなくバツが悪そうな美波と、愉快そうな翔太は、グラウンドを走り始めるのであった。
朝にそんな事があった日の部活終わり、部室で制服に着替えた美波と綾瀬香菜は校門を出ていく。そんな帰路に就く二人の会話は、今朝の美波と翔太に関するものだった。
「真面目だからねぇ、美波は。佐藤君のその考えとは相容れない部分もあるでしょ」
「そうね、真面目に練習している割には結果に繋がっていないからね」
「おー、なんか今日は卑屈だね。今朝の佐藤君とのやり取りで気に障ることでもあった?」
「べつにぃ。ただ、佐藤君が中学の時にテニスで全国に行ったと聞いたから、当時は真面目にやっていたのかと思ったら、実際はそうじゃなくてさ……いや、だからって、私が朝練まで練習して結果が伴わないからって、イジけてたりしてないから」
「その顔でイジけてないねぇ、
香菜の表情は見るからに美波を
「ううん、イジけていないのは本当。ただ、よく分からない気持ちなの」
「なにが?」
「だって、佐藤君はテニスを遊びの範囲だと割り切っているけど、全国大会に行けたんだよ。なのに、私は県大会止まり。自分で言うのも何だけど、これでも零コンマ一秒を縮めたくて一生懸命練習しているつもりだよ。なのに、どうして私は全然結果が出せないんだろう……競技が違うし、佐藤君と比べても意味が無いってことは頭では分かっているのに、でも、そう思っちゃうの。ねえ、これって私、佐藤君に嫉妬してるのかな?」
「うん、嫉妬だね。しかも、一生懸命頑張っている自分より頑張っていないと見下している奴に上に行かれた様な気がして、
「そうやって的確に私の心を見透かさないでよ。そんな風に言葉にされると、私、自分のダメさ加減に泣けてくるから」
半分真剣なトーンで香菜にキツい指摘をされ、美波はガクンと肩を落としてしまう。
「友達だからね、ちゃんと言ってあげるのも優しさかと思いまして」
キツーい指摘した時とは違い香菜の声は柔らかかった。
「そんな愛のムチはいらないよぉ」
「なに、そんなに佐藤君が全国大会に出場していた事が気に入らない?」
「そうじゃないけどさ、朝練で感じる佐藤君のイメージからは想像できないから――」
二人が信号で立ち止まると、美波は喋るのを止めた。そして彼女は目をつむり、ゆっくり深呼吸をすると、目を見開いた。
「ううん。そうね、気に入らない。絶対、佐藤君より私の方が練習頑張ってるもん。自分でもこの気持ちが理不尽だって分かってるけど、でも、納得いかないものは納得いかないの」
「その気持ちはよーく分かる。美波と初めて出会った頃の私も、イジめてやりたい程にあんたのことを
当時は当時として、現在における香菜の美波に対する想いはといえば、美波のそういう他人を悪く思わないようにしている生真面目なところは彼女の良さだと思う反面、彼女が自身を精錬潔白であろうとする姿は、自分が諦めた理想を追い掛けているような感じがして、無性にじれったく思う時があるのだった。
「そうかぁ、あの頃は香菜に美人のくせに~とか言われて、よく突っかかられたもんね。あーあ、私が弟のこと以外で嫉妬心を懐く時がくるなんて思ってもみなかった」
「美波もやっと、身近な男子に興味を持ち始めたのかな?」
「やっとって、なによ。それじゃ、今まで興味がなかったみたいじゃない」
「興味があったら誰とでもデートはしないでしょうが」
「えー、最近は誘われてもちゃんと選ぶようにしているよ」
香菜はからかう様な口調なのに対し、美波は至って平然と返すのであった。
こうして、いつの間にか二人の話題は逸れていき、これ以降の帰り道で翔太のことが話題に上がる事はなかった、
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