第10話 摩訶不思議な友達


 人が他者に懐く印象はそう簡単には変わる事はない。だからといって変わらないかといえば、そうでもない。他者の新たな一面を知り得たとき、人は良くも悪くも他者への印象が変わりうる。そして人は変化に応じて、その他者への接し方までも変化させる事がある。これ自体、ごく自然な普通なこと。誰もが知っている事。

 数日前、図書室で同じ部活のノッポ先輩からデートに誘われ、それを快諾かいだくした美波。そのデート当日、彼女はワンピースにカーディガンという抑え目な服装であるものの、目立つ髪の色や容姿の良さが周りの注目度を上げる。そんな彼女が昼下がりの商店街を歩けば、すれ違う多くの人々が無意識に視線を向けてしまうが、美波自身とって通りすれ違いざまに視線を向けられる事は日常茶飯事であり、もう慣れっこであった。

「早川、疲れてない? よかったら、そこの喫茶店で休憩しよう」

「はい。ちょうど喉が渇いていたんですよ」

 美波とノッポ先輩のデートは、市の総合公園で行われたイベントに遊びに行き、そこで数々の大道芸を見物したり、どこかの音楽隊の演奏を聞いたりと楽しい一時ひとときを過ごした。そして、その帰り道、二人は駅前通りに接した喫茶店に入っていく。

「いらっしゃいませ、何名様ですか?」

 美波が若い男性店員の決まり文句を聞きながら、古き良き喫茶店という感じの店内を見回すと、カウンター席に三人の中年男性達がビールを飲んでいるだけで、他のお客さんはいなかった。

「二名様ですね。カウンター席とテーブル席が空いていますが、どちらが良いですか?」

 ノッポ先輩の答えはもちろんテーブル席。そんなノッポ先輩と店員とのやり取りが一段落すると、美波は店内に向けていた視線を席まで案内してくれるであろう男性店員に移した――その店員の顔を見た途端、彼女はピクッと小さく身体を飛び上がらせた。

「では、こちらにどうぞ」

「えっ、佐藤君?! こんなところで何やってるの? バイト?」

 美波は黒いエプロンを身につけた店員が佐藤翔太だと認識すると、目を丸くして口早に言葉を投げつけていた。

「お手伝い。ここは親戚がやっているからね、人手が足りない時にこうやって手伝っているんだ」

「へー、そうなんだ」

 美波が納得したところで翔太は営業スマイルを浮かべ、デート中の二人をテーブル席に案内した。

「なあ、早川。さっきの彼とはどういう関係なのかは聞いてもいい?」

 メニュー表をひと通り眺めるとノッポ先輩は、向かいに座る美波にそう尋ねた。

「ええ、いいですよ。佐藤君は、ただの友達です。ほら、私の朝練に最近付き合ってくれているのがさっきの彼なんですけど、正直に言って変わり者ですね」

「へー、どんな風に変わってるの?」

「そうですねぇ、良く言えば自分の意見をちゃんと主張できると言えますし、悪く言えばワザと空気を読まないところがあります。それで先輩、普通ですよ、まだ交友関係が深くない相手に、何か言いたい事があってもストレートな物言いはしませんよね? 少しは気を使ってオブラートに包みますよね」

「まあな、普通は相手に自分のことを悪く思われたくないから、言葉を選ぶんじゃないか」

「ですよね。だけど佐藤君の場合、その悪く思われたくないという感情が薄いんだと思います。まったく変わってるんです」

 特定の相手以外の前で美波が誰かのことをけなすのは珍しく、何でもない顔で彼女の話しを聞いているノッポ先輩も内心ではかなり驚いていた。

「お水をお持ちしました」

 美波たちの会話がひと段落ついたタイミングを見計らったように、接客用の真面目ぶった顔で現われた翔太は、お盆で持ってきた氷水入りのコップと袋に入ったおしぼりを、二人の前にそれぞれ並べた。

「では、ご注文がお決まりでしたら、そこのベルでお呼びください」

「ねえ、佐藤君、ここのオススメを教えてよ」

 そこで翔太は気が抜けたように普段の表情に戻る。

「ん? オススメねぇ、おばさんからはブレンドコーヒーを勧めるように言われているけど、お昼がまだならパスタ系やパン系なんかも無難に美味しいから、よかったら頼んでみて」

「無難に、なんだ」

「うん、無難に。では、注文が決まったらベルを鳴らしてくださいな」

 翔太はそう言うと座っている二人に目をやり、それから軽く頭を下げるとその場から離れていった。そんな翔太の後ろ姿を目で追う、ノッポ先輩。

「あれが変わった友達かぁ――」

 美波はメニューを眺めて、カツサンドにしようか、カツカレーにしようかと迷っていた。しかし、仮にも同じ部活の上級生とのデートという事もあり、適当に女の子らしさを演出てあげるのも、デートに誘ってくれた人に対する一種の礼儀だと思ったりもするのでした。

「なあ、早川は何が食べたい?」

「そうですね、私はナポリタンとオレンジジュースがいいかな。先輩は何にします?」

「それじゃ、俺はカルボナーラとコーヒーにしようかな」

 二人の注文が決まり、ベルで呼び出した翔太に注文を伝える。そして、注文を取った翔太が立ち去ると、二人の間には少しの静寂が訪れた。美波は窓に薄らと映る自分の姿を眺めながら、カツサンドも頼みたかったなぁ、と見栄を張ったことを少し後悔していた。

「あのさ、早川、もう一つ聞いてもいいか?」

「はい、なんでしょ?」

「どうして最近、さっきの彼と一緒に朝練をやっているんだ?」

「あー、朝練の事は、ただの佐藤君への罰ゲームなんですよ。体育祭の時にですね、彼とある競技で“勝負に負けたら勝った方の言うことを聞く”みないなゲームをしたんですけど、それに私が勝ったので、罰ゲームとして佐藤君には朝練の練習相手をやってもらってます」

「そうか、そういうゲームができる程には仲が良いんだな、さっきの佐藤君とは」

 話し相手が、誰かと罰ゲームを賭けてゲームをしたと聞いた場合、イジメや上下関係がはっきりしている場合を除けば、その誰かとは話し相手にとって、罰ゲームを遊びや冗談で済ませられるような友人関係だと思うのが普通であろう。

「私の言うことを信じてくれるなんて、本当に先輩はいい人ですね」

 そんな事を美波に微笑んで言われたものだから、ノッポ先輩は戸惑うしかなかった。

「どういう意味だ、それ? 何か悩み事でもあるのか?」

「いいえ、先輩に心配を掛けるような事は何もないです。ただ、私と佐藤君が友達だと言うと、それを聞いた人達が微妙な顔色になるもので」

 美波の言葉に嘘はないが、本当は翔太と友人関係でいることに一番微妙な気持ちを懐いているのは、この彼女自身だったりする。今もなお、翔太との変な友人関係はなんだかんだと続いており、それでいて現在も翔太への疑念は消えることがなく懐き続けていている。それでも、罰ゲームとはいえ朝練を一緒にするなかで翔太の人柄をそれなりに見てきて、いきなり何を言われるのか分からない不安はあるものの、自分の言動で落ち込んだりするところもあったりして、それはそれで憎めない奴だとも思うようになっていた。

「彼――あの佐藤君の下の名前は何て言うの?」

「翔太ですけど、それがなにか?」

「佐藤翔太――たしか、夏休みに早川がプールで助けた奴だよな。あのテニス部の期待外れ一年の」

「なんです、そのテニス部の期待外れ一年って?」

 テニス部の期待外れ一年、それは運動部の大体の上級生が認識しているテニス部・一年、佐藤翔太の印象であった。なにせ翔太は昨年、中学生が競うテニス大会の全国大会まで出場した選手であり、そんな選手が入学してくるとあってテニス部だけでなく他の運動部までもが興味津々であった。しかしながら、先輩達の期待通りだったのなら翔太に残念な印象も付く訳もなく、残念ながら翔太の実力は先輩達が期待するようなものではなかったのだ。

「だから、テニス部の期待外れ一年。彼には気の毒だけど、入学時には有名だったわけ」

「それが理由なんですかね、佐藤君が友達だと聞いた人に微妙な顔色をされるのは――」

 そう喋った瞬間、美波はテーブルの横に翔太が立っているのに気付き、思わず翔太の顔を見上げてしまう。

「お待ちどう様です。ご注文の品をお持ちしました」

 翔太は何食わぬ顔をして美波と顔を合わせる。そして、料理を運んできたトレイをテーブルに置くと、二人の前に料理が盛られた皿に飲み物が入れられたコップ、野菜スープの入ったカップが並べていき、それにスプーンやフォークが入れられたカゴを置いた。

「えーと、私のミスで言い忘れてましたが、主食系にはこの野菜スープが付きます。特に別料金は掛かりませんから、ご安心してください」

 翔太は軽く頭を下げると、注文の確認をしてから注文票を置いて、すぐに二人の席から離れた。

「なんだかタイミングが悪かったけど、大丈夫?」

「ええ、問題ありません。ですから、冷めないうちに食べましょう――いただきます」

 ノッポ先輩の心配に対して美波は笑顔で返すも、頭の片隅では翔太にどう対応するかを思案していた。普通、相手が怒っているようなら釈明をしながら悪口を言う意図はなかったのだと分かってもらうのだが、彼女が認識している翔太はどこかひねくれている感じがして、普通に対応をするべきなのか分からない。

「うん、美味しい」

 現状、翔太が怒っているかどうかも分からないのに悩んでも仕方ないと気持ちを切り替えると、美波は目の前の食事を味わった。

「たしかに旨い。だけど、駅を挟んだ反対側に、こんな喫茶店があるとは知らなかった」

「私もです。学校とは反対側ですし、ここら辺は滅多に来ませんもんね」

 それからの美波とノッポ先輩は、この喫茶店に来る前の大道芸や音楽隊の演奏の感想を話しながら食事を進めていった。そんな二人を周りから見れば、ちょっと目立つ高校生カップルが、楽しくデートをしていると映っても不思議ではないくらい雰囲気は良かった。

「ごちそうさまでした」

 美波は残っていたオレンジジュースを飲み干すと、食後の挨拶とともに手を合わせる。

「デザートはいいの?」

「思った以上に量がありましたから、もう入りません」

 ノッポ先輩は美波が食べ終わってもすぐには席を立たずに、少しのあいだ美波と会話をしていた。それが自分に対して気を遣ってくれた行動だという事は美波も解っており、そんなノッポ先輩の優しさは素直に感心する。

「そろそろ出ようか。まだ外は明るいし、駅前のショッピングセンターにでも行く?」

「ええ、いいですよ」

「んじゃ、決まり」

 伝票を持って席を立つノッポ先輩に、美波は自分が注文した品の代金を渡した。それは、美波がデートを承諾した後にノッポ先輩へお願いしていた事だった。

「――おつりとレシートです。ありがとうございました」

 会計が済むと、翔太は若干ニコニコし過ぎなくらいの営業スマイルを浮かべて二人に対してお辞儀をした。

「佐藤君、明日もよろしくね」

「え、あ、うん、また明日」

 美波が店から出る際に笑顔で手を振ると、一息吐いていた翔太はぎこちない笑顔を返してきた。美波はそんな反応をした翔太に対して、やっぱりよく解らない奴だと思うのであった。

 美波とノッポ先輩は喫茶店を出ると、二人並んで最寄り駅に向けて歩き出す。

「おいしかったですね、先輩」

「それは良かった。もしよかったら、また二人で来ない?」

「先輩と後輩という関係でよろしければ、また誘ってください。前にも言いましたけど、私、今は誰とも付き合う気はありませんので」

「はぁ、やっぱりダメか」

 あからさまに残念そうに肩を落とすノッポ先輩ではあったが、瞬時に気を取り直して口を開いた。

「実際、さっきの佐藤君とはどんな感じなの?」

「佐藤君ですか。さっきも言いましたけど、ただの友達ですよ」

「だけど、早川が部活以外の男子と何かをやっているのは珍しいから、付き合っているんじゃないかという噂もあるし」

「噂は噂です。それに、私が、誰と、どこで、何をしようと、私の勝手です。まあ、ないとは思いますけど、例え私と佐藤君と付き合っていたとしても、周りの人にとやかく言われる筋合いはないと思いませんか、先輩」

 美波は柔らかい口調に出来るだけいきどおる気持ちを込めた。

「たしかに、そうだな」

 ノッポ先輩は苦笑いを浮かべながら続ける。

「けどさ、あの彼のほうは早川のことをどう思っているんだろうな」

「さあ、どう思っているんでしょうね、私のこと。さっぱり分かりません」

「友達なのに?」

「そうですよ。なにせ、私と佐藤君は友達に成り立てなものなので」

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