第7話 たわいもない話

 体育祭が一日一日と近づいてくる今日この頃。それにともない各競技の練習が頻繁ひんぱんに行われ、日に日に体育祭への気運が高まっていく。その最中さなかにあって、今日は朝から雨が降り続け、体育祭の練習や室外の部活動が中止になり、少しだけ水を差される形になった。そんな秋雨がシトシトと降り続く放課後、早川美波と佐藤翔太は帰ろうとしていたところを体育教諭に捕まり、体育倉庫で備品の確認作業を任されていた。

「せっかく部活が休みになったのに、僕は何をやっているんだか」

 翔太はそう愚痴をこぼしながら、一つ一つのサッカーボールに傷が無いかを確かめて、元の入っていたカゴに放り込んでいく。

「嫌なら断ればよかったでしょ。別に強制ではなかったんだから」

「教師に頼まれたら断りにくいからねぇ。しかも、早川さんが承諾しているのに僕だけ断れないよ」

 最初に教諭が呼び止めたのは美波であったのだけど、美波一人に任せるのも大変だろうという教諭の配慮により、たまたま通りかかった翔太も捕まってしまったのだ。

「意外と空気を読むんだね。私、君は空気を読まない人なのかと思っていた」

「空気なら人並みに読んでいるつもりだよ」

「なら、私とのデートでは空気を読まなかったのは、なんで」

 美波がこうして翔太と話すのは、あの夏休みの変なデート以来で、彼女の心は気まずい気持ちでいっぱいであった。しかし、目の前の彼にそういう気持ちを悟られたくなくて、クリップボードに付けられた備品の種類と数が記載された用紙に、目を落としながら訊いた。

「サッカーボールが二十個、全部ありました――えーと、簡単な話。僕と早川さんとでは、どんな関係であろうと釣り合いが取れないだろうし、あのデート後には君とはふれ合う事はないと思ったから、少し無茶をやったんだけどね。でも、やっぱりデートの相手としては失礼な態度だったと思うので謝ります。ごめんなさい」

 ボールをカゴに片付け終えると、翔太は頭を下げる。

「うん、そうなんだ」

 翔太があまりに簡単に頭を下げるものだから、美波はちょっこと気が抜けてしまう。

「でさ、謝ってもらうのはいいけど、なんで私と佐藤君とで釣り合いが取れないわけ?」

「釣り合いが取れないと言えば容姿でしょ、普通。からかっているの、僕のこと」

「ふーん、容姿で釣り合わない、っか」

 美波はジッと翔太を見つめる。美波から見た翔太の容姿は、これと言って良くも悪くもないが、周りの男子と比べると若干の幼さを感じる。ただ、美波自身が翔太への疑念を懐いている為に印象は良くはない。

「自分が周りからどう見られているかって、君も周りの目が気になるの?」

「どうだろ、周りから自分自身がどう見られているかは、あまり気にはならないかな。ただ、誰かと絡んで面倒くさい事にならないようには気をつけているつもり……だったんだけどねぇ」

 翔太は重ねられたカラーコーンを数えながら美波の顔を見た。

「悪かったわね、面倒くさい奴で。私だって君に対して疑念を懐いている理不尽さは理解しているつもり。だけど、頭では解っていても恐怖心には勝てなくて、その……」

「別にいいんじゃない、僕に懐いている疑心を無理に打ち消さなくても」

「嫌じゃないわけ、こうやって疑われている事は」

「まあ、前にも言ったけど疑われるのは気分が悪いけどね。でも、そうやって君が僕のことを疑うのは、あの時ココで喋った内容が、君にとって隠しておきたい事であった訳だし、その秘密を知ったかもしれない僕に疑念を持つのは仕方ないのだと、そう思う事にしたよ」

 美波は得点板とかの大きい備品を確認して、リストにチェックを入れていく。

「それは物分かりがいいことで」

「今の希薄な関係だから割り切れるだけだよ。もしも僕らがもっと親しい関係なら、僕は自分のことを理解してほしいという思いは強いだろうし、たぶん、きっとこうは割り切れないだろうからね」

「そう。ところでさ、さっきの私と佐藤君が容姿で釣り合わないという話は、それは君なりに周囲の反応を気にしているの?」

「そりゃ、うちの学校での君はちょっとしたアイドルみたいなものだし、あのプールでの写真のように変な噂でも流されたら、僕がエラい目に遭うかもしれないからね」

「私がちょっとしたアイドル? そんな大げさな表現やめてよ」

 棚からソフトボールの入ったカゴを取り出す翔太は、それが当然であるかのように言う。しかし、その翔太の認識に不満だという表情を隠さない美波。

「大げさな表現ではないんだなぁ、これが。君に関心がある男子達が君のことを姫と呼んでいるのは確かだからね」

「私が姫とか勘弁してよ……。そういう周囲の目も私の面倒くささになるかな、君に言わせれば」

「それはちょっと違うかな。僕にとっての君の面倒くささは、僕に疑念を向けてくるところだから、周囲の目は関係ない――それでも、早川さんと仲良くなる男子には、少なからず面倒くさい環境だろうね。なにせ君を狙っている奴らや、狙っているとはいかないまでも好意を持つ奴らはそれなりにいるから、嫉妬や目の敵にされたり、色んな噂を流されたりして苦労するんじゃないのかな」

 歯に衣着きぬきせぬ翔太の言葉に、自分が悪く言われているようで、美波はなんとなくムカついた。でも、学校生活において現在進行形で猫を被っている彼女にとって、そのヅケヅケとものを言える彼の姿に、うらやましくも思うのであった。

「そんな面倒くさい私と、どうしてデートの時に連絡先を交換したの?」

「あの時は初めてのデートで舞い上がっていたからね。だから、どうして君と連絡先を交換したかと訊かれたら、その場の流れが大きな理由かな。ああ、もちろん君が美人である事も理由の一つである事は否定しないけど、あの話は早川さんから持ちかけてきたものだから、僕に断る理由はないでしょ」

「面倒くさい奴からの提案なのに? 私が逆の立場なら絶対断ってる」

「そうだろうね。でもね、君みたいな美人から連絡先を交換しようと言われたら大抵の男子は断れないよ、普通」

「それは下心があるからだよね」

「うん、それは否定しない。だけど、の僕にはそんな下心を思う余裕はなかったよ、誰かさんのせいで。それでもね、早川さんが僕に向ける疑いが少しは軽減するのであれば、それでいいかと思って連絡先を交換したから、これも下心と言えるのかもね」

 あの喫茶店で、美波の口から「私の彼氏にならない?」と飛び出した時には、翔太は意地で面に出さなかっただけで、本当は自分の耳を疑うほどに驚いていた。

「じゃあ……君は、私の連絡先をどうするつもりなのよ」

「どうする? そうだね、僕が早川さんにアプローチするのも悪くないかも」

 翔太は一度カゴから全て出したボールを傷がないかを確かめて、カゴに戻していく。

「どうしてそうなるの。さっき、私と君とでは釣り合わないと言っていたじゃない」

「別に容姿が釣り合わないからって、アプローチしてはいけないという訳ではないよね」

「それは私に気があるって事?」

「どうだろ。ただ、連絡先をどうするかと訊かれたから、その気になれば君にアプローチするのに使う選択肢もあるよなぁ、って思っただけ」

「本当に失礼な人だね、君は。ムカつく」

 美波は片手でクリップボードをギュッと抱きしめると、気分を落ち着けようと体育倉庫の出入り口付近に立つ。

「あーあ、私はどうしたらいいんだろう。一層のこと、勝ち負けで解決できたらいいのに」

「んじゃ、勝負してみる?」

「なに言ってるの? これはあくまでも私の気持ちの問題であって、何かの勝負をして解決できる問題じゃないんだから」

 翔太はソフトボールのカゴを棚に戻すと、手を叩(はた)きながら美波のもとにやってくる。

「まあ聞いて。勝負はクラス対抗リレーで、勝敗条件は相手のクラスより上位だったら勝ち。それでお約束だけど、負けたら相手の言う事を何でも一つ聞くで、どう?」

「私がそんな勝負を受ける理由がない。それに、君がそんな私に有利な条件を出すなんて、何が目的なの?」

「ただのお遊び。君に信用してもらえない友達からのアプローチだとでも思ってよ」

「そうは言うけど、断ったら私の秘密をみんなにバラすとか言う気でしょ!」

 ムスッとした表情で翔太をにらみつける美波。一方で彼女に睨みつけられた翔太はといえば、一瞬ポカーンとほうけた表情を見せると、次の瞬間には手を口に当てて笑いを殺していた。

「何が可笑しいの!」

「――ごめん、ごめん。いや、実際にそんな事を言われるとは思ってもみなかったから驚いちゃって。それに、同級生でも遠い存在だと思っていた君から、こんなにも不信感を買っているのが何だか可笑しくて」

「……佐藤君には私の気持ちなんて分からないでしょうね」

「うん、残念だけど僕には早川さんの気持ちなんて分からないよ」

 美波は意識的に大きく息を吐き出すと、笑っている翔太にケンカを売るようににらみ付ける。

「いいよ。佐藤君、さっきの条件で勝負をしてあげる。ただし私が勝ったら、一ヶ月間私に絶対服従してもらうんだからねっ! 覚悟しなさいよ」

「うーん、服従は嫌だなぁ。でもまあ、それはそれで面白そうだし、いいか」

「本当にいいの? これまでの練習で六組が私達のクラスに勝った事はないんだから、君が私の下僕になるのは確定したようなものだよ」

「そうかもしれない。でも、スポーツには何かとトラブルは付き物だからね、君らの実力が発揮されずに僕らが勝つ可能性だってあると思わない?」

 翔太は扉に立て掛けていた傘を手に取ると、気負っていない表情で雨雲が垂れ込めた空を見上げた。

「ない事はないんじゃないの。それで、君が勝ったら私に何をさせたいわけ?」

「僕が勝ったら、一ヶ月間、登下校時は僕に付き添ってもらおうか」

「それは私に、一ヶ月も君と一緒に登下校しろと言っているの」

「そうだよ。僕は早川さんに興味があるから」

 翔太が美波に向かって微笑んでみせると、美波はそれを無視して、そっけなく雨が降り続けるグラウンドに視線を移す

「さっきは私のことは気がないって言ったくせに」

「まあね。君みたいな美人と付き合ってみたいという願望はあっても、君と恋人関係になれるとは思えないもん」

「なら、君は私にどんな興味を持っているわけ」

「正直、早川さんに理不尽な不信感を向けられるのは気持ちが悪いんだけど、それでも僕に秘密を喋ってしまった事に対する君の姿勢はなかなかトンチンカンではあったからね。そういう変わった人という意味では気になる存在ではある」

 美波がトンチンカンになるのは無理もない話で、最初は強気に翔太と向き合おうとしたら危うく彼を殺してしまうところであった。その事は彼女に少なくないショックを与えてしまい、それ以降は翔太とどう向き合えばいいのか解らず、今現在も接し方に悩んで迷っている。

「君のせいだよ。自分でもこんな私をどうしたらいいのか分からないんだから」

「僕のせいと言われても困るよ」

 美波は傘を手に取ると、その傘を片手で開いて数歩前に歩いて雨のなかに出る

「そうだよね、困るよね――佐藤君、コレは私が持っていくから君は先に帰っていいよ」

「ん、そう。なら、お言葉に甘えさせていただきます。それでは――また今度?」

「うん、また今度」

 傘をさして校舎に向かっていく翔太の背中を見送ると、美波は大きく溜息を吐いて体育倉庫の扉を閉める。そして、水たまりに雨粒が落ちて作る幾重の波紋を眺めながら校舎に向かう。

「ホント、私はトンチンカンだ。あーあ、何やってるんだろう、私は」

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