第5話 信頼度ゼロな、お友達

「あんな風に迫られたら男は冗談では済まなくなる。あそこで主人公がヒロインを押し倒したのは仕方がないんだよ」

「それは佐藤君みたいな人は欲望に囚われてしまうかもしれないけど、ちゃんと理性を働かせられる人なら、あそこで押し倒したりしません」

 とある喫茶店の窓際の席、早川美波と佐藤翔太は向かい合って座り、二人の間のテーブルにはイチゴパフェとコーヒーが一組ずつ美波と翔太の前に置かれている。

「そうかなぁ。あそこまで煽られたら理性だけで欲望を押さえられるとは思えないけどな、僕は。映画では押し倒されたヒロインが涙を見せて主人公が理性を取り戻さないとお話にならないけどさ、あれが現実だったらあのまま襲われていてもおかしくない」

「それは君みたいに性欲の強い人に限ったらそうかもしれないけど、あのシーンでヒロインはスキンシップの一環として主人公をからかっただけでしょ。ヒロインが涙を見せているのにそのまま続けるのはひどいでしょ」

 二人が何を話しているかといえば、今日観てきた恋愛映画のワンシーンについてだったりする。それは、恋愛ものによくある主人公がヒロインを押し倒すというシーンは実際にやったらどうなるのかというものであった。ちなみに、この話を振ったのは美波からであったのだが、それに対する翔太の返しはといえば、思ったままを恥ずかしげもなく答えていた。

「うん、酷い。でもね、男の性欲は時に理性を吹き飛ばすことがあるのは事実なわけで」

「じゃあさ、佐藤君があの主人公を同じ立場だったらヒロインを襲っちゃうんだ」

「どうだろ、僕は付き合う前に肉体関係を持ちたくないとは思っているけど、あれだけ可愛いヒロインに迫られたら我慢できる自信はないなぁ、正直。まあ、あのシーンと同じ状況に置かれたら思春期の男子なら誰だって理性を保つのは苦労するでしょ」

「……最低、信じられない」

「最低と言われても、これが僕の偽りのない見解なのだから仕方ない。それに、この話題を振ってきたのは早川さんだっていう事もお忘れなく」

 翔太はイチゴとクリームをスプーンですくって口に頬張ると、なんとも嬉しそうな表情を浮かべる。それに対して美波はといえば、デリカシーのない話を聞かされた上に美味しそうに笑顔まで向けてきた翔太に、この上なく不愉快な気持ちにさせられていた。

「ちょっと質問していい?」

「なに?」

「そうやってデリカシーのない事を喋って、それってワザとやっているの?」

「そうだね、意識的に本音で話しているから、それをワザとと言うのならワザとだね」

「そうやって私のことをからかって、楽しんでいるの?」

 美波の冷めた声に対して、翔太はコーヒーをひと口飲むと美波の目を見る。

「からかってはいない。ただ、よくカップルなんかが相手に嘘を吐かないでほしいという意見を見聞きするから、実際にやってみたらどうなるのか興味があって、だから今日、早川さんで試させてもらいました。気分を悪くしたなら謝ります――ごめんなさい」

 すんなりと頭を下げる翔太。一方、美波はといえば翔太に文句の一つでも言ってやろうと口を開きかける。しかし、数日前の教室での出来事を思い返し、自分の翔太に対する気持ちの整理がつかない事が原因で今日この時があるのだと思うと、プールの時のようには責め立てる事ができなかった。

「どうして私で試したの?」

「今日のこのデート――まあ、デートとは言っても、僕も早川さんもお互いがお互いに好意なんか持っていないんだけど。それで、僕は女子とこういうデートをした経験がないから、実際のデートがどういうものかは知らない。でも、この話を引き受けたからは、今後のために女子との接し方の参考として、どこまで自分の本心で話して大丈夫なのか、その許容範囲きょようはんいさぐっておきたかったんだ。それに、好意を持っている相手にこういう試すマネはできないからね」

 このデートは誰かの好意から始まっていない。というより、美波の友人である綾瀬香菜の好奇心やお節介から始まっていると言っていい。翔太の言葉でその事を思い返すと、美波はこれまでのデート同様の対応を翔太に期待していた自分が馬鹿らしく思えてきた。誰もが美波の外見だけで好意を懐いてくれる訳ではない。それなのに、デートという事でいつの間にか、美波は心のどこかで好意を向けてくれた男子同様に翔太も自分を優先してくれるはずという過信が生まれていたのだった。

「そう、君は私を練習相手にしたんだ」

「んー、端的にはそういう事になるのかな。このデートの話を受けた理由に早川さんみたいな美人と仲良くなれるかもという下心がなかった訳ではないから、おべっかでもを使って取り繕ってみようかとも事も考えてみたけど、でも、どう考えても僕と早川さんとでは釣り合わないからね。だったら失敗覚悟で試してみるのも悪くないかなぁ、っと」

 悪びれる様子も見せずに翔太はパフェの溶けかけのアイスが絡まったコーンフレークを口に運ぶと、その表情が瞬間的にパッと明るくなる。

「佐藤君、少なくとも相手に嘘をつかない事と、デリカシーなく本心を喋ることはまるで違うと思うけど」

 本当は翔太に対して罵詈雑言ばりぞうごんをぶつけてやりたかった美波ではあるけど、翔太の人柄を見極めるという本来の目的を思い出し、頭を切り換えて冷静に目の前の彼を観察するように務めることに意識を集中させた。

「そうだね、たしかに女子相手にする話しではなかったと思う。でも言い訳をさせてもらえるなら、さっきのような話題をまさか振られるとは思っていなかったから慌てちゃって、とっさに無難な返答をする事も考えてみたけど、すぐには無難な返しが思い付かなかったんだ」

「だからといって、あんな赤裸々に君の願望を語られても困るんだけど」

「僕の願望ねぇ――あんな積極的に可愛いヒロインが迫ってくるのはいいよなぁ」

 翔太は美波から視線を外して、窓の外を眺めてボソッと呟いた。

「本当に最低だね、君は」

 美波が思いっきり軽蔑けいべつする目を向けるなか、翔太はパフェグラスを持ち上げると残りのパフェを口の中に流し込んだ。そして、残っていたコーヒーも飲み干すと、脇に置いてあったショルダーバッグの中から白い一枚の封筒を取り出す。

「これ以上空気が険悪にならない内に、この封筒を渡しておきます」

「空気を険悪にしているのは君だけどね。で、これは何?」

 翔太から差し出された封筒、美波はそれを受け取らずに指を差す。

「商品券。プールで溺れた時に助けてもらったお礼です。本当は教室で会った時に渡せたらよかったんだけど、あの時は何をあげていいのか分からなかったから――という訳で、少額で悪いけど、感謝の気持ちなので受け取ってください」

「佐藤君、こういうお礼の時に商品券だけを渡さないでしょ、普通。それに、佐藤君が溺れた原因は私にあるのだから、そういうのは受け取れない」

 翔太の行動に色々面食らいながらも、美波は封筒の受け取りを断った。

「商品券、ダメかなぁ。いらない物より好きな物を選べた方が良くない? それに僕が早川さんに助けてもらったのは事実なんだし、そんな堅く考えなくていいと思うけど」

「受け取れないものは受け取れないし、お礼が金券って、気持ちがこもってないじゃない。お礼だったら気持ちがこもっている物の方がいいでしょ」

「友人や恋人なら気持ちがこもった物がいいんだろうけど、そんなに親しくない相手から気持ちをこめられた物をもらっても迷惑だと思うけど――まっ、いいや」

 翔太は封筒を美波の前に置くと、バッグを持って立ち上がった。

「渡す物も渡せたので僕は帰らせてもらいます」

「こんなのを置いていかれても困るんだけど」

 美波は封筒を手に取り、ジッと翔太の顔を見つめて封筒を突き返す。

「それに話しはまだ終わってない。君が私に対して試していたという、嘘を吐かないというヤツはいつから試していたの?」

「それは待ち合わせ場所で会った時からだね」

 てっきり美波は翔太の企みは映画を観たあと、この喫茶店に入ってからだと思っていた。だから、このデートの最初から翔太の企みが始まっていたことには本当に驚いてしまい、その感情の変化がありありと表情に出てしまう。

「最初から……でも、この髪留めが似合っていると言ったり、私と同じ映画を観たかったと言ったりしたのは社交辞令じゃないの」

「観たい映画が一致したのは偶然だけど、デートの相手を褒めるのは社交辞令でしょ。まあでも、ここまで本音の部分で言葉選びしているから嘘は吐いてないつもりだよ」

 嘘か誠か、翔太の言葉を信用していいのか美波は判断がつかない。

「佐藤君」

「はい?」

「本当にこのデートでは嘘は吐かないんだよね? だったら、体育倉庫での私たちの会話は本当に誰にも言ってないという事でいいんだよね? もしも誰かに言ったら絶対に許さないんだから」

「その件だったら誰にも言っていないし、これからも誰かに言う気もない」

 翔太は立ったまま両手をテーブルに着き、若干身を乗り出して美波に真剣な表情を向ける。

「でもね、早川さん。君が僕の事を信じられないのは残念だけど仕方ないと思いますが、僕自身の行い以外で、こんな風にあからさまな疑念を懐かれるのは本当に気分が悪い。まだ自分が過ちで不信を買うのなら納得いくけど、勝手に弱みを晒したのは君なんだから、そこら辺はいいんじゃない?」

 翔太は感情的にはなっていないものの、はっきりとした口調で言った。それを受けての美波は少し伏し目がちになったかと思ったら、瞬時に顔を上げて黒い瞳に翔太を捉える。

「……私もそう思うけど、でも仕方ないじゃないっ。佐藤君の言うことは正しい、けど、私のクラスでハブられたくないという不安が君への疑心に変わっていっちゃうんだから。その感情は自分でも押さえられない」

 美波の身もふたもない答えに、翔太はうつむいて力なく溜め息を吐く。

「……はぁ、うわさのクラスでは特定のグループには属さないでいるのは、クラスメイトとのSNSが面倒だからだし、それでいて今もなおも、周りから故意こいにハブられていないか。ずいぶんと器用な事をやっているみたいだね、君は。それなのに、変わり者だというレッテルを貼られるのは構わないの?」

「ん、私のこと心配してくれてるの?」

「ただの興味本位。どうしてそんな面倒くさい事をやっているのかと思って」

「前にも言ったけど、そっちの方が楽だから。ただそれだけ。それに私、変わり者だと思われるのは別にいいの。表面上、クラスの女子たちとは挨拶や世間話をするような関係ではあるけど、裏で付き合いが悪いと思われているのは承知しているから。でも付き合いが悪くてもハブられていないのは、そこにちゃんと理由があるからであって、嘘を吐いてまでワザと遠ざけているなんて知られたら周りの反感を買うのは必至。私はそれが怖い」

「あのさ、僕にそんな事を喋っていいの?」

「わきまえろと言ったのはそっちでしょ。だから、こうやって私の胸の内を話しているの」

「いや、わきまえろと言うのは……まあ、それはいいや。でもさ、今の話をしたら、さらに僕への疑心が強くなるんじゃないの?」

 翔太が困り顔で指摘すると、瞬間的に美波の目が見開いたかと思ったら、すぐさま顔を伏せてしまう。そんな二人の間で何とも微妙な空気が漂うなか、美波が口を開いた。

「――んー、私のバカさ加減にも、疑い深さにも嫌になっちゃう。ねえ、佐藤君」

「なんですか」

「私の彼氏にならない?」

 突然の発言に、つい立を挟んだ美波の後ろの客が思わず紅茶を吹き出しそうになるなか、翔太の反応は冷淡といっていいものだった。

「君みたいな面倒くさい人が彼女なんて御免だね」

「そう。だったら――」

 美波は上着のポケットからスマホを取り出すとテーブルの上に置く、満面の作り笑顔を浮かべながら。

「お友達にでもなりましょうか。このまま君への疑心を懐き続けるのも疲れるし、だったら登録し合って少しでも信頼を築いた方が良いでしょ、お互い為に」

「その前に訊いておきたいんだけど、もしも僕が君の弱みを誰かに喋ったらどうなるの?」

「その場合、私は佐藤君を殺して自殺をします」

 もちろん、そんなのは美波のハッタリでしかない訳だけど、翔太は何とも複雑そうな表情を浮かべながらスマホを取り出した。

「その言葉が本当でも嘘だとしても、君の僕に対する信頼度の低さは理解したよ。でも、いいよ。早川さんみたいな美人とお友達になるのは光栄な事だからね」

 そんな奇妙な理由で美波と翔太は、お互いの連絡先を登録する事になった。

「ああ言っておくけど、私のスマホ、親に時々見せないといけない事になっているから、さっきみたいな卑猥ひわいな事を書き込んだら、そっちの親に連絡行くかもしれないから気をつけてね」

「んじゃ、僕からも友達として一言。その男の理性を過信し過ぎたままいると、いつか痛い目に遭っても知らないよ。さっきの話は僕だけが特別という訳ではないのだから」

「君にご助言いただなくても、男がオオカミなのは十分承知しております。あれはただ君に私の話に共感してほしかっただけ。そんな女心も理解できないようじゃ、到底彼女なんてできないよ」

「左様ですか」

 翔太はどことなく疲れたような顔をしてスマホを仕舞うと、テーブルに置かれた伝票を掴んで通路に出る。

「僕はこれで帰らせてもらいます。ここは僕が払っておくから、お友達としていつかケーキでもおごってくださいな。それではお二人さん、今日はお疲れ様でした」

「え、あ、うん――お疲れ様……」

 若干の明るい表情を向けて去って行った翔太に対して、美波は戸惑いの感情を隠せなかった。

 美波がこのデートを通じて懐いた翔太の印象は、「なんて不躾で失礼な奴」だった。そんな訳で美波は翔太との間で交友関係を築く気は全くなかったりするけど、それでも何の繋がりを持たないよりかは、ある程度の関係性を保っていた方が自分の弱みを言いふらされる可能性を低くできるのはないかという目論見であった。

「バレていたのか――あ、商品券返しそびれた……」


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