第4話 面倒くさい奴の友人は、やっぱり面倒くさい奴だった

「ごめんなさい。あの時、私があんな高圧的な問い詰め方をしなければ、佐藤君がプールに落ちておぼれる事がなかったのに」

 長い金色の髪の毛が垂れ下がり、頭を下げた美波の顔を隠す。

 各運動部の部活が開始される前、夏休み中の誰もいない教室に呼び出された佐藤翔太は現在、同級生の早川美波から一週間以上前の出来事に対しての謝罪をされている。どうして美波の謝罪までに一週間以上もの期間が空いたかといえば、それは、ただタイミングが合わなかっただけであった。その経緯は、あのプールでの出来事のあと寝込んでいた美波の体調自体は、綾瀬香菜が訪問した翌日には回復して部活にも復帰していた。しかし、その日には謝るきっかけを作る事ができずに、次の日から全部活動がお盆休みに突入してしまい、そして、実際に謝罪できたのがお盆休み明けの今日となってしまったのだった。

「うん、確かにあの時の早川さんは凄い剣幕ではあった」

 美波から頭を下げられた翔太ではあるが、その表情は謝罪を受ける側にしては少々ぎこちないものだった。

 あのプールサイドで詰め寄られた時の美波は迫力十分であり、その迫力に負けてプールに落ちたという事は翔太も同じ認識ではあった。しかし、溺れた原因はプールに落ちたからではない。その真相は、翔太が水中から見た日差しに照らされた美波の金色の髪の毛が揺らめいている姿に目を奪われ、美波の美人と評される容姿にボディーラインとも合わさり、人魚姫かと見間違えるくらいに美しくて、思わず水中だという事を忘れ、思いっきり溜め息をついてしまい、肺の中の空気を吐き出したという、なんとも間抜けな行動の結果ではあった。

「でも、こうして僕が元気でいられるのは早川さんが助けてくれたおかげなので。それにあの日に早川さんには謝ってもらってるから、これ以上気にしないで」

「だけど、今回の件は全面的に私が悪いから」

「早川さんの誠意は十分に伝わったから、もう頭を上げてください」

 あのプールでの出来事があったあと、翔太が美波に助けられた時の写真が出回り、翔太のクラスを震源として一年生を中心に、二人は付き合っているんじゃないかという噂が流れたが、翔太が人命救助だったと明かすと噂は沈静化した。だから、翔太はこんな場面を誰にも見られたくない。周囲が美談で落ち着いている話を、実はトラブルの上での出来事でしたなんて言えば、今度はどんな噂話をされるか分ったものではないからだ。

 頭を下げ続ける美波の対応に苦慮くりょしている翔太は、美波の一歩後ろに立つ綾瀬香菜に視線を送り、助けを求めた。

「美波、そろそろいいんじゃない? 佐藤君も許してくれているみたいだし、ねっ」

 今度は香菜が翔太に相づちを打つように視線を送る。

「そうだよ、僕はもう気にしていないし」

「佐藤君もこう言ってくれているんだから、お言葉に甘えちゃえなよ」

 二人の言葉にも美波は黙ったまま頑なに頭を下げ続ける。そんな美波を見ていた香菜は自分には手に負えないという顔をして、そのまま一歩二歩と美波と向き合えるところまで移動する。

「まったく、この子は相変わらず頑固なんだから。美波、あんたの佐藤君への負い目をどうにかしたいという気持ちは理解できない訳ではないけどさ、佐藤君がプールの件をもう気にしていないと言っている以上は、あとはどんなに苦しくても自分の中で消化しないといけないんだよ」

 香菜にそこまで言われて美波は顔を上げる。その美波の瞳は明らかに涙で潤んでいた。

「……だけど、私は人ひとりの命を奪ってしまうところだった。それなのに私が何の罰を受けないなんて間違っている」

「それはあんたの気持ちだよね。そこの美波を許そうとしている佐藤君に罰を求めるのは間違っているとは思わないの」

「……まだ嫌味や憎しみを向けられた方がいい。そう簡単に許してもらったら、あんな高圧的な態度を取った自分が惨め過ぎて……心が苦しくて壊れそうなの」

「ったく、それが自分勝手だって分らない美波ではないでしょ」

 そう言って香菜が微笑み掛けると、美波は暗い顔でうなずく。そんな二人のやり取りを翔太は黙って見ていた。昨晩、美波にプールの件を謝りたいからと突然SNS経由で教室に呼び出され、翔太はなんとも複雑な気持ちになった。翔太の美波に対する印象は、雨宿り時やプールの件を通して高圧的な美波と意気消沈した美波を見てしまい、それら両方のギャップある姿に接した事で、美波にどんな態度で向き合っていいものかと戸惑いを覚えていた。

「佐藤君、ごめんなさい。また気を遣わせちゃって」

 美波はまっすぐ翔太を見つめ言葉にする。美波の潤んだ瞳に見つめられた翔太は、何だか見てはいけないものを見てしまったような気がして、彼女から目を背けたい気分であった。

「別にいいよ。それに一週間前にも言ったけど、プールで溺れたのは僕に責任があるから、早川さんがそこまで責任を感じることはないんだよ」

「どういうこと?」

 香菜の疑問に対して、翔太はあまりに格好悪くて本当の事とは言えず、美波に言ったように事実の一部を伏せて説明した。

「ふーん、水面を見ていて溺れたの。佐藤君って以外とロマンチストなのね」

「僕がロマンチストかどうかは知らないけど、それで息をするのも忘れて溺れたら間抜けでしょ」

「たしかに間抜けだね。それじゃ、本当に美波が飛び込まなかったら危なかったんだ」

「水中で意識を失ったからね、かなり命の危機だったかな。だから、僕が溺れた事で早川さんにこれ以上謝られるのは、逆に心苦しかったりするのだけど」

 実際には水中から水面を眺めていた翔太は酸欠寸前ではあったけれど、水面に顔を出すだけの余力はあると思っていた。しかし、翔太にとって不運だったのは、そこに飛び込んできたのが美波であった事であろう。なにせ、水中に飛び込んできた際の泡が消えると、そこには物語に登場する人魚姫と見違えるほどの美しい美波が現われ、少なくとも翔太にとって心を奪われるほどに魅力的であったのだから。

 香菜の両手が美波の両手をつつむ。

「だってさ、美波。あんたの事だから佐藤君が溺れた原因を作ったのだから、助けるのは当然だと思っているのかもしれないけど、それはそう簡単にできる事ではないんだし、その事については少し自分を許してあげてもいいんじゃない? ねっ」

「……っぱりダメだよ、香菜。私、自分のことが許せそうにもない。私の勝手な思い込みで佐藤君に高圧的な態度を取って、その上、佐藤君を死なせそうにしちゃったんだよ。そんな私をどう許せっていうの」

 美波の力のない言葉。翔太は目の前の女子二人のやり取りにうんざりしてきた。昨日の夜、SNSで教室に呼び出された時には、自分が怒っていないことを示せば美波も納得してくれると思っていたのに、実際には納得するどころか彼女は自分を責めてしまっている。そんな彼女の姿を見ていると、美波のことを本当に面倒くさい奴だと再認識する。

「あのー、もうそろそろ部活に向かってもいいかな?」

 翔太は内心ではうんざりしつつも、できるだけ低姿勢で申し出た。それに対して反応したのは美波ではなく香菜だった。美波の手を放すと香菜はうしろに振り返り、翔太の目を見つめて口を開く。

「佐藤君さぁ、美波の煮え切らない態度に嫌気が差しているでしょ」

「いや、別に」

「そお。ちなみに私は、この美波のウジウジした態度に嫌気が差してきてるんだけど、君は違うのかぁ――だったら、私から一つお願いしたい事があるんだけど。聞いてくれるかな」

「お願い?」

 翔太は頭に疑問符を付けたような表情を浮かべると、香菜は楽しげな笑みを浮かべた。

「なーに、お願いとは言っても特に難しいことはないよ。だって君へのお願いは、うしろの美波と二人っきりでデートをしてほしいだけだから」

「――――デート!?」

 香菜の突拍子もないお願いには、落ち込んでいた美波もさすがに目を丸くして驚きを隠せず声を上げ、一方のお願いされた翔太は何を言っているんだコイツという目をする。

「なにを言ってるの、香菜。どおして私が佐藤君とデートしないといけないの?!」

「美波、あんたが今回の件で何かしらの罰を受けないと納得できないみたいだから、私なりの罰を考えたまで」

「考えたまでって……」

「悪いけど佐藤君、このトラブルの件をみんなにバラされたくなかったら、この茶番に付き合ってちょうだい。それにこんな美波のような美人とデートできる機会なんて滅多にないんだし、佐藤君にとっては悪い話ではないでしょ」

 なんとも脅し文句になっているのか分らない事を突きつけられて、翔太は反応に困った。

「うん、まあ……悪い話ではないかな」

「ちょっと佐藤君!? 私と佐藤君のこんな関係でデートしたって、絶対楽しくないんだからね!」

 さっきまで落ち込んでいたのが嘘かのように、言葉の端々に熱を帯びてくる美波の視線から、顔を背ける翔太。香菜の言葉を否定する事は、彼にとって大いにやまれるというのが本音ではあるが、気合いを入れて否定しようと思えば否定できた。しかし、自分が否定して話がこれ以上長引くのも面倒だからと、彼女たちの会話の流れに身を任せることにした。

「美波、ちょっといい」

 香菜はぶつぶつと文句を言う美波と共に、翔太から少し距離を置く。

「あんたが色々と納得いかない気持ちは分かる。でも、元々の原因は佐藤君への不信感があるからプールでの出来事が起こったし、佐藤君を信じられないから彼の言葉も受け入れない。だったら、デートでもしてみて佐藤君のことを少しでも知ってみるのも悪くないんじゃないの」

「あの佐藤君のことを知ったら何だって言うの」

「そうだなぁ、私と美波は時々ケンカするけどさ、よっぽどのケンカではない限りはその事を引きずらないでしょ。それは私と美波にある程度言いたいことは言い合えるだけの信頼関係があるからだと、私は思っている。でも、美波は佐藤君が何を考えているか分からないから、佐藤君への不信感に繋がっている。だったら少しでも彼の事を知って、美波が懸念している事をやる奴かどうかを自分で見極めないと」

「そんな事、見極める必要あるの?」

「あるでしょ。プールの件の罪悪感は長い人生では時間がゆっくり解決してくれると思う。でもさ、佐藤君への不信感を解決しないとこれからの高校生活で、佐藤君の顔を見かける度に今回の件を思い出してはバツが悪くなったりして引きずりかねないでしょ、あんたの場合。別にデートして仲良くなれとは言わない。ただ、自分の目で佐藤君を見極めないとどの道にも進めないよ」

「…………」

 引きずらないと香菜に言いたい美波ではあるが、今回の件でも自分の心のもろさを痛感し、自分の弱さを知ってしまった彼女には、自分のことをよく知る友人の言葉は、簡単に否定できるほど軽くはなかった。

「……ねぇ、香菜。そのデートに香菜はついて来てくれるの?」

「もちろん尾行させてもらうわよ。だって、こんな面白いイベント見逃せないでしょ」

 ありありとした好奇心を隠そうとしない香菜。

「本当に楽しそうだね、香菜」

「一度っきり人生、楽しめる時に楽しまないとね」

「人の一大事で楽しまないでくれる」

「人の一大事だから面白いんでしょ」

「ったく」

 おちゃらける友人の姿に美波は大きく溜め息を吐く。それでも彼女が翔太とのデート案を断らないのは、自分の目で見極めるという言葉に一理あるように思えているからだったりする。

「でも、そうね、香菜の言うとおり佐藤君がどんな奴か知らないと、佐藤君への不信感は拭えない。それに戦うにしても、相手のことを知らないと戦えないもんね。いいよ、そのお遊びに乗ってあげる」

 美波の言葉を聞いて、香菜は哀れみの目を翔太に向ける。

「かわいそうな、佐藤君。こんな気難しいお姫様に目を付けられちゃって。正直、同情するわ」

「悪かったわね、気難しくって」

 女子二人の話がまとまって、香菜が翔太に対して美波がおぼれた翔太を助けた理由に、そのお礼として美波と映画でも行くように提案(半ば強要)をする。一方、提案された翔太は溺れたところを助けられたのは事実である事や、美波にとって罰ゲームに等しい事だとしても、自分が学年トップクラスの美人とデートできるという下心も手伝い、香菜の提案を受けることにした。

「はぁ、いいのかねぇ。あんな相手の弱みにつけ込むような事をして」

 炎天下のテニスコート、翔太はカラーコーンに向けてラケットでボールを打ち込む。彼の中ではデートの件で気が引ける気持ちと、何か起こればいいのにという願望が巡る。

「――いい訳ないわな、普通」

 美波とのデートの当日まで理性と願望の狭間で思い悩むことになる翔太であるが、彼がデートの件を断ることはなかった。


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