第7話
矢嶋が去っても相変わらず緊迫感が漂っており、これをどうしたものか誰もが対処に困っていたが、そこは鳴宮が機転を利かせた。
「あー。とりあえず今日は歓迎会ですからっ。はいっ。皆さんグラス持ってー。仕切り直しで、はいっ。カンパーイ!」
勢いを注がれて、そしてあえてとその勢いに乗り、皆一斉にグラスを合わせた。
このときほど鳴宮が頼りになったこはないんじゃないかというくらい、上手い対応だった。
宮城は黙って瀧原を見つめていた。何も言わなかった。
周囲はあえて宴会雰囲気を演出していたが、さすがに瀧原と宮城の一角だけはそうも行かなかった。
剣呑な雰囲気はなかった。それこそ宮城はさきほどの騒ぎなんてなかったかのように、淡々と酒を注ぎ、淡々と飲んでいた。目の前のビールまみれの男は完全無視。
瀧原はというと、あいかわらず俯いて、流れ落ちるビールの雫を眺めていた。
「グラスの中身を引っ掛けるならともかく、ピッチャー引っ掛けるドラマなんかねぇよ」
ようやく言葉が発せられたころには、瀧原の目の前のテーブルは雫でべたべたになっていた。
宮城はというと、そこでようやく瀧原に目を向けた。
無表情に見えて内心動揺しているだろうことを宮城は感じ取っている。
「そうだな」
それに反応したように瀧原は首を一振りした。ビールが振り払われる。
「何で追わないんだ?」
宮城のその突っ込みに瀧原は答えようとしない。
こういうところはなんら変わらない。
瀧原はとにかくみっともない姿を見せたがらない男だった。
いや、訂正。
みっともない姿を、というより、自分の弱みを見せることを殊更に嫌がる男だった。
まるで野生の獣そのものだなと思う。だいたい瀧原がこれと決めたときの強引さは並じゃない。そうしていくつもの仕事を成功させた姿を目の当たりにしている。
なのにどうして矢嶋のこととなると、自分のペースを保つことができないのだろうか。
今も、宮城の前にはふてくされたような瀧原がいる。
やり込められて、歯噛みする姿を見るのは不謹慎だが面白かった。
だから宮城は笑って応えた。
瀧原を翻弄するのは面白い。
こんな機会は滅多なことでは回ってこない。だからこそ、ますます宮城はからかいの調子を強める。
「俺がその役目をもらっていいのか、祐介」
宮城のからかうような言葉に瀧原は下から舐めるように睨みつけた。
「ダメだ。譲らない」
先ほどまで冷静で、それでいて矢嶋の件に関しては遠まわしにしか答えなかった瀧原の、はっきりとした主張をようやく耳にすることができた。
まるで子どもが駄々をこねるかのように言い切る。
まったく。人には莫迦だ莫迦だと連呼するくせに、大莫迦はお前のほうだろーが。いい年した30過ぎの男のやることじゃないだろ?
宮城は心の中で悪態をつき、完全にあきれ返っていた。
「だったら最初からそう言えよ。葵を泣かせるまで追い詰めてお前何が楽しいわけ?」
追い詰めたかったわけじゃないとそう言いかけて、それから宮城の言葉を反芻した。
「泣かせる?」
その自問ともいえる声には宮城は何も答えなかった。
さあどうする瀧原祐介。
宮城が口を挟む隙はほとんどなかった。
その前に瀧原はたちあがって走り出した。
あたりのグラスをなぎ倒し、走り出した瀧原の姿はまったく瀧原らしくなく、さらに宮城の笑いを誘った。
会に参加していた者は何気ないそぶりで様子を観察していたが、瀧原が走ってこの場を去ったことにより、一気に話題は先ほどの劇的な騒ぎに集中した。
「宮城さん! あれっ。あれ一体なんだったんですか!」
皆の質問攻めにあいそうになるところを制し、携帯を片手に宮城は立ち上がった。それでも上司や先輩からしつこい追及を受ける。さすがにむげに扱うわけにも行かず、それなりの対応をしていたが、結局宮城は詳細について一切口を割らなかった。
「一応俺はノーコメント。明日本人たちに聞いてみてよ」
仕事大好き人間の二人のこと。何があっても明日会社にはくるだろうから。
そう付け加えて電話をするためにようやく席を外す。
ちょっとした喪失感はあった。
ただ、悔しいという感情はわいてこなかった。帰ってきて、二人の様子を見て、多分こうなるだろうと予測もしていた。
もしかしたらアメリカに行くときから予感はしていたのかもしれない。
自分という障壁がなくなれば、パズルのピースを合わせるようにぴったりと二人は納まるだろうということを。
でもやはり癪だから。
宮城はゆっくりと携帯を開き、コールする。
長いこと鳴らし続け、相手は観念したかのようにようやく出た。
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