第6話
歓迎会は思いのほか、人が集まっていた。それだけ宮城に対する好奇心を現しているのかもしれないが、昨日の今日でこれだけの人間が集まるとは意外だった。
「よくこれだけの人間を集めたわね……」
席の一番端でちびちびと飲んでいた矢嶋は感心したようにつぶやいた。
「そうですか? あー。なんか嬉しいなぁ。矢嶋さんに褒められると」
褒めたわけではないが、確かに感心はしていた。
営業部の出席できる課長はほとんど来ているし、女性の参加率も高い。果ては部長まで参加している。
本当ならば矢嶋は参加するつもりはなかったが、部長の強引な誘いに負けてこうしてこの場にいる。
その部長はというと、真逆の席で課長たちと仕事の話に熱がこもっている。
会が始まってからちょうど一時間を過ぎた頃で、喧騒も落ち着きつつあった。
矢嶋は社交辞令的な輪からそっと抜けて、端のほうで細々とアルコールを流し込んでいた。鳴宮もそんな矢嶋に習って、目の前でほっと一息ついている。
確かに一番隅の席ということもあるし、何より矢嶋はうるさく文句や注文をしない。一休みをする居場所としては最適だった。
先ほどまできびきびと立ち振る舞っていた鳴宮はすでになく、いつもののほほんとした鳴宮がそこにはいた。
「なんつーか。やっぱり宮城さんって注目の的だから、皆興味があったみたいで。意外と人集めは簡単でした」
確かに宮城に関しては皆、気になって仕方がないといったところだろう。海外での活躍ぶりは、有名なところだ。もともと人あたりのいいタイプだし、あの柔らかそうな人柄とそれなりに整った顔立ちは女性の目も引く。
宮城にとっても周囲との顔合わせとしてはいい機会だっただろう。酒の席のほうがくだけた交流をもてるし、そういう点ではもともと宮城はソツがないのだ。
それにしても鳴宮がここまで幹事として完璧にこなすとは意外であった。
「私はこの参加人数よりも鳴宮くんの意外な一面のほうが驚いたわ」
頼りないと思っていた新人のテキパキとした対応。
そりゃ意外だろう。
「あ。褒めてくれてます?」
「一応」
常の鳴宮では見られないような自信にあふれた様子を矢嶋は興味深げに見つめていた。
この子って、もしかして結構できるんじゃないの?
できないふりして結構いいところいっちゃうタイプ。
能ある鷹は爪かくす、というあれ。
「本来の仕事にもそれだけ力を入れてくれると俺としては助かるんだがね」
グラス片手に矢嶋の横に腰を下ろしたのは、先ほどまで部長らと談笑していた瀧原だった。
すっかり力の抜けていた鳴宮だったが、瀧原の出現に途端に身体を強張らせる。
「お前はやればできるタイプだが、好き嫌いの差が激しすぎるんだよ。興味のない企業相手となると途端に手抜きをしやがって」
どうやら瀧原は鳴宮を単なるダメ新人くんと見ていたわけではないらしい。
それなりに評価をし、それなりに買っているようだった。
「あははー。こーゆーお祭りは好きなんですけどねぇ」
瀧原の微妙な物言いに照れたのか、ちょっとごまかし気味に笑ってやり過ごす。
「ああ。俺も意外だったぞ。何だこの人数の多さは」
「女性の比率の高さが、ですかね?」
確かにこういう『有志』という形になると女性の参加率はぐっと下がるのが常だった。だが今回は様相が違う。それが華やかさを与え、いつにもまして盛り上がっている原因のひとつだった。
鳴宮はにんまりと笑い、ちょっと身体をかがめ、小声で話す。
「だってあれだけいい男で独身とくれば、やっぱり女性は放っておかないでしょう?」
さらりと言われた言葉に瀧原が少しばかり反応した。
本当にわずかで、鳴宮は気がつかなかっただろうが、矢嶋は当然変化に気がついている。
「確かに宮城の周りには女性がたむろしていたな」
「そりゃ皆狙ってますって。久々にあの世代で独身のいい男出現って状態なんですから」
「……鳴宮。俺も一応独身なんだが」
「えー。だって課長は上司さえも恐れるほど怖いし……あ」
素直な感想を述べた鳴宮をこれ以上ないくらいの迫力で威圧する。
でもその感想は正しいときっと誰もが賛同するだろう。
とはいえ焦った鳴宮はおろおろと何かフォローするべき言葉を考え、そしてついて出た言葉は。
「でもほら。課長には矢嶋さんがっ」
それがあの夜のオフィスでのやり取りが根底にあることは明らか。
火に油を注ぐとはまさにこのこと。今度は矢嶋が凄まじい勢いで睨みつけた。
今の矢嶋にとってあのときのことを持ち出すのは厳禁。
その隅の一角だけ、妙な緊迫感をかもし出していたことは言うまでもない。
「鳴宮くん? 綱川課長が呼んでいたよ。お酒足りないけど注文していいのかって」
二人からとてつもない厳しい視線を受け、逃げ場のなくなった鳴宮を救ったのは宮城だった。
その言葉に、まさに仏様の加護を受けたかのように嬉しそうな顔をし、そそくさと席を立った。
入れ替わりに宮城が矢嶋の前の席に腰を下ろす。
「あんまり新人を虐めるなよ」
先ほどの威圧感はどこへやら、矢嶋は途端に雰囲気を和ませ、目の前にあったピッチャーを宮城のグラスに注いだ。
「虐めていたわけじゃない。お前の噂話をしていただけだ」
宮城は注がれたグラスに軽く口をつけ、面白そうに返してくる。
「噂? 俺の噂って?」
「なんてことないわ。今も昔も憲一郎に関する噂は大体同じ。憲めあてで女の子が歓迎会に殺到し、それに比べて瀧原はあいかわらず女の子からはもてないって話よ」
確かに昔からその傾向はあった。人好きする宮城とは異なり、瀧原は上司さえ怖がるような迫力があった。ついでに付け加えておくなら、矢嶋は昔から無愛想で有名であった。
「物珍しいだけだろ。だって俺、もてたことないしなぁ。アメリカでもすばらしき禁欲生活だったし。そもそもアメリカからカナダだろ? それからイギリスに渡ってまたアメリカに戻ってようやく日本に戻ってこれたなんてどうだよこれ」
何でもないようにさらりとした発言だった。仕事に関する愚痴もかなり入っていた。でも微妙なニュアンスを聞き逃すことはなかった。
口火を切ったのは矢嶋だった。
「沙織さんと、結婚しなかったの?」
ストレートな質問に宮城は苦笑する。
「あいかわらず直球投げてくるなぁ、葵は」
沙織とは、宮城の学生時代からの彼女の名だった。矢嶋と瀧原も、1,2度ほど会ったことがある。宮城に負けず劣らず人当たりのいい女性だった。この二人なら、きっとCM出演依頼が来るくらい円満な家庭が築けるだろうなんていわれていた。それほどにほんわかとした組み合わせだった。
宮城はちょっと考え込み、それからタバコを吸っていいかと了承を得て一服した。
今まで我慢していたのか、ゆっくりと吸い、ゆっくりと吐き出すという行為を3回くりかえし、ようやく口を開いた。
「別れたよ。俺の異動が決まった直後に」
すでに宮城の中では決着のついたことなのだろうか。あっさりと、淡々と述べてくる。
「あの頃の俺は中途半端だったから。それって沙織に失礼だろ? やり直すとしても、俺はいつ帰ってこられるかわからない状態だったしな」
灰が落ちるのも気にせずに、宮城はちょっとだけ遠くを見つめていた。
決して引きずっているわけではないのだろう。ただ、そのときのことをちょっとした苦い思い出として回想しているようだった。
そしてそれ以上沙織とのことに関しては口を開こうとはしなかった。
三人の間には妙にしんみりとした雰囲気が流れていた。
矢嶋は宮城の方へと視線を向けながら、気持ちは隣に座っている瀧原のほうへと集中していた。
今の話を聞いて瀧原がどんな態度に出るのか、とても興味があった。それでも視線を向けることは憚られた。
「まぁ、俺のことはいいとして。二人は? そういう関係なの? さっき、ここにいた新人くんが意味深な発言をしていたじゃないか」
矢嶋は瀧原が、瀧原は矢嶋が何かを返すかと思って黙っていた。
互いに口を開こうとしない。
二人の雰囲気が異常に張り詰めていることに気づき、宮城は思わず二人を交互に見つめていた。
そりゃあこんな状況に置かれたら、何をどう切り出していいのかわからないのも道理。
結局まるで我慢比べのような沈黙に耐え切れなくなって口を開いたのは瀧原のほうだった。
「そういう関係じゃ、ない」
そっけなくそういいきった瀧原に対し、矢嶋は目を細めた。
瀧原の言っていることに間違いはない。まだ、二人はそういう関係ではない。矢嶋も返事をしていない。ここのところ瀧原は忙しく立ち回っており、時間をとることはできずにいた。電話で話そうかとも思ったが、そういう話は面と向かってしたほうがいいと思っていた。
時には、もしかしたら瀧原は自分を避けているのではないだろうか、と矢嶋は思うこともあった。
あんなことをしておいて、全くそのことに触れてこない瀧原の意図がわからなかったからだ。
振り回されている。
結婚の理由も最低だし、その後のフォローも最低だ。
では自分はどうしたいのだと問われれば、それはそれで答えられない。
最低は、自分もだ。
そのまま矢嶋は自分のグラスをあけ、ピッチャーに手をかけて、自ら注ごうとした。
その間に宮城が面白そうに二人の顔を見入っていたことに、矢嶋は気がつかなかった。
「葵、飲みすぎ」
「じゃあ、俺が立候補してもいい?」
矢嶋を止める瀧原の声と、矢嶋を誘う宮城の声とが重なった。
ピッチャーに手をかけていた矢嶋も、それを止めようと手を伸ばした瀧原も、宮城の突然の宣言に全ての動きが止まっていた。
宮城の顔にはからかいの意味合いは全く含まれていない。かといって真剣そのものというわけでもない。まるで時節の挨拶をするかのように自然な誘惑だった。
「いいか?」
突然すぎて反応できずにいた二人に、というよりなぜか瀧原のほうに向かって再度聞き返す。
どうしてそこで瀧原なのよ。当事者は私じゃないの。
そう言いたかったが、矢嶋も瀧原がどんな反応を示すか知りたいと思う気持ちが働いていた。
宮城に屈託のない顔で見つめられ、瀧原はその視線を無表情で受け止めていたが、やがて耐えられなくなったかのように視線を伏せた。
そしてとんでもないことを口にする。
「お前の好きにしたらいい。俺が口出しすることじゃないだろう?」
それはどうでもいいといった感のある、投げやりな口調だった。
「いいんだな」
念押しする宮城に、瀧原は即答する。
「ああ。俺には関係ない」
その言葉に矢嶋の目の色が変わった。
ピッチャーを掴む手に力がこもる。
関係ないですって?
自分が口出しすることじゃないですって?
そうはっきり言ったわね、この男は。
そのあとの行動はあっという間のことだった。
液体が激しくぶちまけられる音が響いたかと思うと、そのまま重いピッチャーがテーブルに叩きつけられるように置かれた。
ほんの一、二杯分しか減っていなかった。当然一リットル半ほどは残っていただろう。
ピッチャーの中身は、空だった。
そして。
すぐ横にいた瀧原は、水も滴るどころか、ビールも流れ落ちる情けない男となり果てていた。
凄まじい音に、全員が矢嶋たちのほうへと視線を走らせる。
先ほどまで盛り上がっていた座にはまさに水を打ったような静けさが訪れた。
皆の注目を集めた席の隅。
そこには仁王立ちして凄まじい形相で瀧原を見下ろす矢嶋と、ピッチャー内のビールを頭から全身に受け止めていた瀧原と、唖然とした顔でそれを見つめている宮城とがいた。
「一度こういうドラマみたいなこと、してみたかったのよね」
軽い調子の言葉も、何とか怒りをこらえて声を絞り出しているような矢嶋の現状とは余りにもギャップがありすぎた。
瀧原はというと、上から1リットル半ほどのビールをかけられたショックか、どう反応したらいいのかわからずじまいなのか、うつむき加減で垂れてくるビールのしずくを眺めていた。
「正直言って、中身ぶちまけて空になったピッチャーを頭に叩きつけてやりたいくらいだけど、それはやめておくわ。私もまだ警察の世話になるようなことしたくないから」
怒りを抑えた物言いはここまでだった。
「ふざけるんじゃないわよ祐介。関係ないですって? だったらなんであんなこと言ったのよ。あんなことしたのよ? 先に仕掛けてきたのはあんたよ? それが関係ないですって? どうやったらそんな言葉、平然と言えるのか理解できないわ」
矢嶋はそこでいったん言葉を区切り、瀧原の反応を待った。しかし瀧原は返答をするどころか、顔さえ上げてこない。
その態度に矢嶋はますます苛立った。と言うより、完全に鬼の形相だった。
そんな矢嶋にお目にかかったことがないため、誰もがどうしたらいいのか対処に困っていた。
皆の知っている矢嶋はどんなことがあっても表情を崩さず、淡々と事を運ぶ常に冷静な人間。こんな風に声を震わせて荒げた姿など一度として見たことはない。
実際長い付き合いである瀧原や宮城でさえ、お目にかかったことはないだろう。
静寂が、広がっていた。
これは仲裁に入ったほうがいいと思った宮城が立ち上がりかけたときだった。
矢嶋は大きく溜息をついて頭を垂れた。
宮城のほうからだけ見えるその顔は、今にも泣きそうなものだった。
そんな顔を見てしまっては、かける言葉も、仲裁に入るタイミングも失ってしまう。怒る矢嶋も初めてだが、泣きそうな矢嶋も初めてだった。
矢嶋はそれも一瞬で奥底に隠し、いつもの無表情を装った。
「本当、あんたって人間がわからないわ」
言い捨てるかのように言葉を吐くと、そのまま矢嶋はバッグを持って出て行ってしまった。
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