誰が為に

 雪が作り出した丘陵地帯。そこを満たしていた夜闇が少しずつ薄まっていく。それでも吹雪は未だ鳴り止まず、分厚い暗雲が空を閉ざしていた。

そして、そんな状況でも敵の追跡は途切れない。


「伏せろ!」


 けたたましい砲声が沈黙を切り裂き、頭上を弾頭が飛び交う。雪の塊がいくつも弾け飛んで、小さな雪崩を引き起こした。

 飛び散った雪の飛沫に打たれながら、じっと身を固める。


「しばらくは隠れてたほうがいいかもな」

『そうですね』


 俺の隣で、息を潜めていたエレナがぽつりと尋ねかけてくる。


『どうして私を助けたんですか?』

「答えなきゃいけないのか、それ?」

『当たり前ですよ。こんな裏切り者、見捨ててくればよかったのに』

「そうは言われてもな」


 俺はもう何度もこいつに伝えてきたはずだ。彼女は俺にとって――


『――仲間だって言うんですか? あなたを殺そうとしたのに!』

「そうだよ。それが分かってるから、お前だって俺に挑んできたんだろ?」


 エレナの言ってることは正しい。

 俺は仲間が相手だと、たとえ訓練であっても全力が出せない。決して相手が傷つくことはないと、そう確信できる攻撃しかできない。


『分かりません。私には、分かりません。せめて恨んでくれれば、私も納得できたのに』

「俺に言わせれば、お前のほうが訳わかんねぇよ。東欧出身なんだろ? なのになんでロシアの味方をする?」


 現在の東ヨーロッパ地域はロシアの脅威にさらされている。その多くが侵攻に見舞われ、悲惨な戦場と化しているのである。

 年齢から推測するに、エレナもその惨状を目の当たりにしているはずだ。


「俺が見てきた場所はどこも悲惨だったけど、お前の故郷は違ったのか?」

『私がいたところも一緒ですよ。みんなロシアに奪われて、家族もバラバラになりました』


 やはり、エレナは故郷や家族をロシアに奪われていたのだ。

 そんな彼女が、どうしてロシアのスパイなんかをやってるのだろう?


『最初はゴミを漁りながら日々をしのいでたんですよ。けれどそれだけじゃ足りなくて、盗みを働くようになって……』

「よくそんな生活が続けられたな」

『それほど長くは続きませんでした。捕まっちゃいましたからね、ロシア兵に』


 わざと、おどけてみせて言う。たぶん冗談めかしていないと話す気にもなれないんだろう。

 だって兵隊に捕まったのだとしたら、彼女は。


『そんなに不安がらないでください。捕まった当初は少し乱暴もされましたけどね。すぐに助けてくれる人が現れたんです』

「助けてくれる人?」


 この世の中はそう悪い人間ばかりでもない。けれど危険を冒してまで他人に手を差し伸べられる人間は少なかった。


『露軍に雇われた研究者だったんですけどね。私を連れ出して、住む場所も、食べるものも、親の愛情みたいなものまで、なかったものを全て授けてくださいました』

「いったい、どういうヤツなんだ?」

『優しい人ですよ。私と同じくらいの娘さんがいたそうで、その子のことを思い出したら放っておけないって』


 それだけで見ず知らずの人間を助けられるものなんだろうか?

 子供なんていたことのない俺には想像もつかない感情である。


『もちろん、百パーセントの善意だったと思いません。あの人には、何か目的があるようでした。私がこの部隊に潜入してきたのも、あの人に命じられたからで……』

「……そいつは」


 利用されてるんじゃないのか?

 そんな誰のためにならない言葉を呑み込む。そんな可能性は誰よりもエレナ自身が何度も思い悩んできたはずだ。その上で、彼女はここにいる。

きっとそれが答えなのだろう。


「それがお前の戦う理由なんだな」

『なんですか? それ』

「さっきのお前からは尋常じゃない気迫を感じた。その理由がお前の言ってる人なんだろ?」

『分かったふうな口をきかないで下さい』


 ふてくされたようにエレナは口をつぐむ。


「分かるよ。俺にも譲れないものがあるから」

『隊長にとっての譲れないものって……いえ、聞くまでもありませんよね。なんでそこまで仲間にこだわるんですか?』

「なんでって言われてもな」


 実のところ、俺だって最初から仲間に執着していたわけではない。

 少なくとも、旧“ミカゲ”隊に入るまでは誰かが死ぬのだって、どこか仕方のないことだと割り切っていた。

そうだ、あいつらに出会うまでは。


「昔な、鬱陶しいくらいお節介なヤツらが部下になったことがあったんだ」

『それは、もしかして……』


 俺がいつの話をしているのか、すぐに思い当たったらしい。けれどエレナはそれ以上言及することなく口をつぐんだ。

だから、淀みなく先を続けられた。


「散々纏わりつかれて、世話を焼かれて……でもある戦いで、そいつらを全員喪った」


 今でも、あの日のことを思い返して、自分を恨む。

なんで俺にはこんなにも力がないんだ。俺にもっと力があれば、あいつらを全員守りきれたかもしれない。今でも一緒にいられたのかもしれない、なんて。


『では、隊長は同じ悲劇を繰り返さないように、今も戦いを……?』

「それもまるっきりの間違いじゃないんだけどな」


 俺は確かに全てを喪った。きっと同じことが起きたら、もう俺は立ち上がれないと思う。

 でも少し違うんだ。


「仲間も、立場も、全部を喪った。それから腐りきっていたところを今の会社に拾われたんだ。そこで……俺は、生きる理由を与えられた」

『生きる理由ですか……?』

「そうだ。ここで死ぬわけにはいかないって、そんなふうに思えるような理屈やこじつけだ」


 あの頃の俺はずっと死に場所を求めていた。全力で戦い抜いた末に死ねば、あいつらと同じ場所に行けるんじゃないかって、そんな馬鹿げた妄想に囚われていた。

 そんな俺の目を、あいつらが覚まさせてくれたのだ。


「俺が死んだら周りが悲しむって、そんな当たり前のことをあいつらに教えられたんだ。けれどそのおかげで、俺は生きていてもいいんだって、そう思えて……」


 ……そうか、ようやく気づけた。

これが、俺が仲間を大切にする理由なんだ。

俺は他人思いなんかじゃない。あくまでも自分のことしか頭にない。ただ俺が生きるのに必要だから、あいつらを守るんだ。

俺のための戦いだからこそ、何があっても引き下がれない。


「やっぱり、ミーナは取り戻さなきゃならない」

『そのことなのですが……』


 言いづらそうにエレナがつぶやいた。直後、見知らぬ座標が俺のレーダーマップに表示される。


『ミーナさんは殺されていません。私たちの基地に連行されたはずです』


 新たに表示されたその座標には、ロシア語で見知らぬ基地の名前が記されていた。

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