月夜の襲撃

 月明かりを白刃が照り返す。青白い光は弧を描き、俺の肩口へ斬り込んできた。


「――っ」


 速い。

 俺はとっさに背後へ飛び退くと、前方へスラスターを吹かせた。それだけでは刃から逃れきれず、右手に柄を握りしめ、腰をよじって大太刀を抜き放つ。

澄んだ音を響かせて、二振りの刃が交錯した。火花が散り、ぶつかり合った衝撃が俺の手元を震わせる。

 その勢いのまま俺は突き飛ばされた。肩部のスラスターを放出し、体を無理やり地べたに押し付ける。着地した先を踏みしめると大太刀の柄を握り直した。


『そこですッ!』


 すかさず放たれた追い打ちに、自ら踏み込み、真上から自身の体重を押し当てるように刃を振り回す。

 再び刃が重ね合わされ、青白い火の粉が乱れ散った。

 俺たちは鍔迫り合いにもつれ込む。


「今のはヒヤッとしたぞ。ずいぶん鋭く打ち込むようになったな」

『必殺のつもりだったのですがっ』


 必死な声の主は、機械化された甲冑を纏う少女であった。

流線的なフォルムの“キビツヒコ”をベースに、鎧武者のごとき増加装甲が施された魔導鎧装。“ミカゲ”分隊の創設にあたって配備された、新式の魔導鎧装“ヰサセリヒコ”である。

その纏い手の一人たるエレナは、ジリジリと体重をかけ、俺を抑え込もうとしてくる。


『今日こそは一太刀でも入れてみせます!!』

「熱烈すぎて火傷しちまいそうだな!」

『軽口を叩いてられるのもここまでですッ!!』


 そう“ヰサセリヒコ”の纏い手――エレナが叫んだ途端、背後から殺気が突き立てられる。それをなぞるように刃が空を切り裂き、俺の首元に振り下ろされた。


『隊長殿の首、もらったりぃ!!』

『お願いしますマキナさんッ!』

「マジかよお前ら!?」


 もはや余裕ぶってなどいられない。

俺は片腕に力を込め、エレナと切り結んでいた大太刀を押し込んだ。同時にもう一本の大太刀の柄を握りしめ、裂帛と同時に抜き放つ。


「――うひゃあ!?」


 宙を薙いだ刃先が、硬質な感触を捉える。マキナの振るう刃だった。

そいつを半ば力任せに打ち払った瞬間、エレナが動き出す。


『この瞬間を待っていたんです!』


エレナの“ヰサセリヒコ”が跳び上がり、そのスラスターが炎を噴いて頭上から大太刀を振り下ろしてくる。

迎撃は間に合わない。捨て身で立ち回るしかなかった。

背部と脚部のブースターを全開にして、敢えてエレナの懐に飛び込む。その推力だけを頼りに彼女を鎧ごと突き飛ばした。


『――っ、そんな!?』

「これで終わりだ!」


 俺は両手の太刀を手放し、エレナの“ヰサセリヒコ”にのしかかる。その両腕を抑え込んだものの――俺の首元へ刃が添えられた。


『本日は隊長殿の負けですな!』

「……らしいな」


 マキナに刃を突きつけられたまま、俺は両手を上げる。それに満足したってわけでもないのだろうが、ヤツは刃を納めると高らかに雄叫びを上げた。


『ついに隊長殿に勝ったぁあああああああああ!!』

「お、おう」


 事実であるんだけどさ。そんなに喜ぶほどのことなんだろうか?


『勝った? こんなのが? マキナさん、お気持ちはわかりますが……』

『エレナよ。隊長殿の事情がどうであれ、我々はルールの中で勝利を勝ち取ったのだ。今はその勝利を喜ぶべきではないかね?』

『おっしゃることはわかりますが……いえ、そうですね。エレナさんの言う通りなのかもしれません』


 抑え役のエレナが珍しくマキナに丸め込まれる。

こいつは日頃の態度から言葉遣いまで、何一つ隙のない少女なのである。言い換えれば、誰一人としてあいつの本音には触れられていない。

そんなヤツが少しでも内面を見せてくれたのだと思えば、負けても悪い気はしない――なんてことないよな。俺だって男だし。


「そこまで喜ばれると無性に腹が立つんだが」

『おやおや~? 隊長殿にも“悔しい”だなんて感情があったんですね! ま、たまにはそんなときもありますよ!』

「こいつ……あとで評定を引き下げてやらないと」

『ワハハ大人げないですよ隊長殿! 今のはほんの冗談ですからホントやめてください! 研究費が削られるんです!! 部隊全体にとって大損害ですよ!?』

「冗談だから落ち着けよ」


 かつて見たことがない必死さで、思わず吹き出しそうになる。

いつもはさながら軽薄に馬鹿な口ばかり叩いている彼女だが、当然見た目通りの性分ではない。そもそもの能力が高いのはもちろんだが、あいつは譲れない何かを腹の底に抱えている。だからこんな僻地にまで流れ着いてくるのである。


『本当ですか? 信じてもいいんですか? 嘘だったら分かってますよね?』

「上司を脅すな馬鹿野郎」


 俺たちが馬鹿な話を続けていると、新たに四基の霊脈炉の反応が近づいてきた。


『どうや三人とも、“試合”は一段落ついたか?』

『ええ社長殿! 本日はとうとう隊長殿の首を落としました!!』

『……そいつの首はわたしが撃ち抜くはずだったのに』


 何やら物騒な会話が交わされているが、一応友軍機である。というか上司と同僚である。


『ずいぶんと手加減したんやなぁソウハ?』

「本気だったよ。訓練の範囲でな」

『ものは言いようやなぁ?』


 この関西弁が腹立たしい腹黒女こそが、我らが社長“百瀬タマキ”である。

 彼女の経営する百瀬民間軍事会社は、盾速国際警備という世界的なPMCの子会社に当たる。

 盾速は世界で初めて霊脈炉を軍事転用し、魔導鎧装が生産した企業である。その圧倒的な軍事力は中国やロシアといった脅威から日本を守り抜き、世界中にその名を轟かせていた。

そして、その中の問題児たちがこの百瀬民間軍事会社に送り込まれているのである。つまり百瀬は、実質的な盾速の左遷先ということになるのだが、それだけでは説明しきれない事情と戦力が、この零細企業には集っていた。


「言っとくが、俺は本当に手加減したわけじゃないぞ」

『分かっとるから安心し。あんたはそれでええねん。だいたい、あんたの本気なんてあたしやって相手したくないし』

「俺だってあんたの相手なんかしたくねぇよ」


 何やらしおらしいことを言っているが、タマキがその気になれば俺だって無事じゃ済まない。

彼女が纏った魔導鎧装“キビツヒコ”は、盾速国際警備の主力兵装である。盾速は“キビツヒコ”を含めて二種の魔導鎧装を採用していた。しかしもう片方のクセが強すぎるせいで、こちらばかりが量産されている。

結果として“キビツヒコ”は最も出回っている鎧なのだが、社長の纏うそいつは事情が異なっていた。彼女向けに、近接戦を意識した武装と改造が施された専用機なのである。そのの制圧力は、およそあらゆる同型を上回っていた。


『あんたに褒められるとこそばゆいなぁ』

「褒めてねぇし」

『そんなことよりも!』


 俺とタマキの会話に、無愛想な少女の声が割り込んでくる。


『お前はいったい、なんで負けたの?』

「なんでって言われても……単に背中を取られただけだが」

『お前なら取り返せたはず!』


 “キビツヒコ”よりも大柄な魔導鎧装が詰め寄ってくる。

その鎧の名は“ニギハヤヒ”。主動力の他にサブの霊脈炉を一基搭載した、大出力の魔導鎧装である。盾速国際警備はこいつと“キビツヒコ”を正式採用している。

戦場では、その二基の霊脈炉で全身の重火器を展開し、一面を焼き払う。“キビツヒコ”とは桁違いの火力を誇るのだが、扱いの難しい鎧でもあり、乗りこなせるのはごく一部の腕利きに限られた。

俺の首根っこを掴んで揺さぶってくるのは、そんな腕利きの一人である。


『ねぇ! どうして負けたの!?』

「そういう成り行きだったんだよ」

『わたしのときは、全然隙なんか見せなかったのに!』

「そりゃあ、お前は殺意が剥き出しだったからな! てか、どうしてお前が怒ってるんだ!?」

『別に! ただ、お前が負けるのは腹が立つ!』


 この理不尽な物言いの少女が“ニギハヤヒ”の纏い手にして、我が隊唯一の狙撃手、朱子織ハルカだった。

彼女は前々から俺を敵視していたのだが……今日は、いつにも増してめんどくさい。


「そんなに睨むなって」

『睨んでない! だいたい、わたしの顔なんか見えてないはず!』


 ま、その通りなんだが。

一応、去年は色々とあってそれなりに打ち解けた。何ならラブホにまで一緒に泊まった仲なのだが。和解まで道のりはまだまだ遠そうだった。


『ハルカさん、そろそろ勘弁してあげてください』


 全身を迷彩色に包み込んだ“キビツヒコ”が追いついてくる。

そいつは武装の大半と引き換えに、レーダードームを初めとした電子戦装備で全身を固めていた。彼女こそが、百瀬民間軍事会社の目であり耳である。


「見てたのかミーナ?」

『えぇ、まぁ。この一帯の霊脈炉は全て観測していますから』


 それは誇張でも、ましてやハッタリでもない。

 この“キビツヒコ”の纏い手、ミーナは傭兵業なんか誰よりも似合わない少女だった。けれど彼女に備わる並外れた感応率は、レーダーと組み合わさることであらゆる霊脈炉の存在を感知してみせる。その能力が、どこにも居場所のない彼女を、こんな救えない戦場に繋ぎ止めた。


『それよりも皆さん、実は注意してもらいたいことがありまして』

「注意だと?」

『はい。この付近で、光素の密度が増しています。どうやら私たち以外に、稼働している霊脈炉搭載機が存在しているようです』


 俺たちが模擬戦を実施していたのは北海道の内陸部である。

三年前、この北海道はロシアからの侵攻を受けた。二度に渡る防衛戦を経て、北海道本島からは追い出したものの、現在、ロシアの勢力は国後島で防衛戦力を整えている。

当然ながらそこに近づくほど危険度や警戒度も増していった。

言い換えれば、こんな南部にまでロシアの勢力が入り込むことはありえない。


「近くに友軍でもいるのか?」

『いえ、そんな連絡は聞いておりませんが……』


 言い合う俺たちの傍らで爆音が砂埃を巻き上げた。

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