戦う理由
「ソウハさんって最近変わりましたよね」
白金色の長髪が揺れる。暖色の照明が彼女を照らし出す。
湯気を立てるカップを掲げながら、俺の同僚はたずねかけてきた。
「なんだ、出し抜けに」
「ええと、何となくですけど、少し雰囲気が柔らかくなったような気がして」
「つまり何が言いたいんだミーナ?」
彼女は仲間内からミーナと呼ばれていた。
ロシア系のハーフであり、その見かけに反して日本を出たことすらない。
それでもログハウス風の室内で鼻先を赤くしていると、フォークロアの一説でも切り出してきたかのように様になる。
「はい。もしかしたらソウハさんにも、新しい戦う理由ができたんじゃないかって」
「戦う理由だ?」
「そうです。ピンチのときに思い出す顔とか、生きて帰りたくなるような場所とか、そういうやつですよ」
思わず口をつぐむ。
この場合の“ピンチ”ってのは比喩なんかじゃなく命の危機を意味する。俺たちは、報酬金と引き換えに武力を売りさばく仕事を、平たく言えば傭兵業を営んでいた。
その職業柄、いざってときにすがれる心の柱が思いがけない意味を持つ。
だからこそミーナはそんなことを聞いてきたのだろうが。
「……変えたのは、お前なんだけど」
今からちょうど一年と少しばかり前、俺はこの北の地で絶望的な戦場に巡り会った。かつての仲間を全滅させた、絶対の機動要塞にただ一人で立ち向かったのだ。
単なる勝利への執着以上に、昔の仲間たちへの追慕に駆り立てられていた。そのまま、全てを失っても構わないと思っていたのだ。
そんな俺をギリギリのところで引き留めたのがミーナだった。
「私が、何を変えたんですか?」
「いや、わからないならいい」
口で言って、説明できるようなことではないし、伝えられるようなことでもない。
「そんなことより、俺が戦う理由だったよな?」
「あ、はい! それです! 今のソウハさんの戦う原動力って何なんですか?」
「当然金だが」
「そうじゃなくてですね!」
「わかってるよ。ただの冗談だ」
しかし傭兵に、金以外の動機を求められてもな。
「やっぱり、昔のお仲間たちですか?」
「否定はしきれん」
今はもういない、かつての部下たち。以前の俺が戦う理由はそれだけで、俺が守りたいものもそれだけだった。
「やっぱり忘れられませんよね」
「当然だ。けれど他にもできたんだ。俺には大切なものが」
これをミーナの前で口にするのはこっ恥ずかしいが。
「お前たちだよ。今の俺が戦う理由は」
「私たち……?」
彼女の灰色の瞳がまん丸に見開かれた。
「タマキさんとハルカさんのことですか?」
「それとお前だ、ミーナ」
俺には元々、自分が生き延びること、居場所を得ることにしか興味がなかった。というよりも他の何かを求めるような余裕がなかったのだ。
そんなはずの俺に、彼女たちが熱を灯した。
「気づけたんだ。俺の命は簡単に捨てられるものじゃないって」
俺は背負い続けなくちゃならない。昔と今の、仲間たちの願いを。
「ふふっ。ソウハさん、やっぱり変わりましたね?」
唐突にミーナがころりと笑い出す。
そんな顔って、どんな顔だ?
俺が頬を引きつらせると、ミーナは楽しげに「ごめんなさい」と目尻を拭う。
「えへへ……ソウハさんって、ここに来てからずっと暗いものを引きずっていましたから。それが最近ようやく晴れたような気がするんです」
「暗いもの? 俺はどんな顔をしてたんだ?」
近頃はむしろ仕事が増えて、くたびれてるくらいなんだが。
「えぇっと、やっぱり自分じゃ分かりませんよね。けれど今なら、あなたのことをタイチョーと慕っていた方の気持ちも分かるような気がします」
“タイチョー”ね
「そんなもんは分からなくていい」
俺のことをそう呼んでいたのはろくでもないじゃじゃ馬娘だった。ミーナにまでああなって欲しくはない。
「あははっ、やっぱりあの人は特別だったんですね?」
「なんのことだか。つーかお前、あいつと面識があったのか?」
「えへへ、どうでしょう?」
いたずらっぽく小首をかしげて微笑む。
素直な少女だとばかり思っていたが、まさかこんな顔をするようになるとは。
「変わったな、お前も」
「変えたんですよ、皆さんが。それよりもやっぱり、ソウハさんは他の誰かのために戦うんですね」
「そんなにご立派なもんでもないさ」
「そういうと思ってました。でもあなたのそばにいた方なら、みんな知ってますよ。ソウハさんの剣はいつも誰かを守ってきた。私自身だって何度も救われました。あなたにはどれだけお礼を言っても足りません。けれども、だからこそ……」
そこでミーナは少しばかり言いよどむ。けれど意を決したように口を開いた。
「……だからこそ、ソウハさんにはもっと、ワガママになって欲しいんです。もう少し、あなた自身の願いを押し付けてほしい。自分のための戦いを始めたっていいんじゃないかって」
「俺のための戦い、ねぇ」
正直に言って、俺にはこれ以上欲しいものなんてない。もし他に願うものがあるとすれば、それは喪われた仲間たちとの日々くらいで。
叶うはずがない。
それに何より、俺が過去に囚われるのをあいつらが望んでるはずもなかった。
「ミーナ。気持ちはありがたいが、俺はとっくに……」
「それならそれで構いません。けれどもし、あなたにやりたいことができたなら……そのときはぜひとも、私を頼ってくださいませんか?」
ミーナは灰色の瞳を細めてにっこりと微笑む。こういう邪気のない笑顔はどんな脅迫よりも抗いがたい。
「そんなに困った顔をしないでくださいよ」
「困ってない」
と言えば嘘になるが。
返答にも困ったところだし、そろそろ構ってやろうか。
「ミーナ。早速でなんだが、実は一つ困りごとがあるんだ」
「はい? 何でしょうか」
「それがな、どうにもさっきから視線を感じていて……この俺がストーカー被害なんて、いやいやまさかな――」
言った途端、ドタドタと背後で椅子が蹴倒されれ、誰かが歩み寄ってきた。
「隊長殿! それは杞憂です!」
現れたのは、盾速国際警備の制服の上にヨレヨレの白衣を纏った眼鏡の少女。
今年度に入って新設された“ミカゲ”分隊、そこにおける俺の部下の一人。
「今朝から見張っていましたが、それらしき人影は見当たりません!」
「だろうな!」
そんなヤツは鏡でも覗かなきゃ見つからないだろうよ。
この頭のネジがまとめて吹き飛んでいる少女こそが、“ミカゲ”分隊の頭脳を担当するマキナである。
彼女は、分隊の創設と同時に配備された新型魔導外装の情報収集も行っており、その整備を主導している。
その技術と頭脳だけ、間違いなく正真正銘の天才なのである。繰り返すが、技術と頭脳だけならば。
「もし不安なようなら、自分が全力で探査にあたりますが」
「勘弁してくれ! お前が本気になったら何が起きるか分からん!」
こいつは優秀なのだが、その頭にはブレーキもセーフティもついていない。一度走り出したら最後まで駆け抜けてしまうのである。そんなヤツが天才そのものの頭脳を持ち合わせているのだから手に負えない。
親会社からうちに送り込まれて以来、かれこれ半年ほどになるが、すでに数え切れないほど問題を引き起こしていた。
「遠慮せずとも、自分はかの英雄のためなら、火の中水の中――」
「――いい加減に自重してください、マキナさん!」
手をワキワキさせていたマキナの首根っこを、細い腕が捉える。
そのままぎゅっと彼女を引きずり戻したのは、亜麻色の髪に瞳という風貌の少女だった。
「まったく、なんでそうやって飛び出しちゃうんですか?」
「えぇ……だって隊長殿が不安がっていたから……」
「頭はいいくせに、なんで時々馬鹿になるんですか!?」
「私は目的に一途なだけだ! だいたい君は馬鹿だといったが、私に言わせれば君たちこそ、いつも余計で無駄の多い「話ならあとで伺います!」最後まで言わせろ!」
わめくマキナを取り押さえ、そのまま少女は立ち退こうとする。
「待ってくれエレナ」
それが新たに加わったもうひとりの仲間の名前だった。
軍服をかっちりと着こなした彼女は、疑問符を浮かべ振り返る。
「なんですか?」
「いや、どうしてお前もここにいたんだろうなって」
「偶然です」
「つまりお前は、たまたまマキナと一緒に俺たちのことを観察していたと?」
「はい、偶然です」
……いや、もう何も言うまい。
そしてエレナたちと別れた俺に、ミーナが言った。
「不思議な偶然もあるんですねぇ」
「そいつは皮肉で言ってるんだよな?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます