喪われた日々⑥

 実家での暮らしはもうよく覚えていない。

 確か俺が小学校を卒業した頃、親父が職を失った。最初は慌てていた。そりゃそうなるだろう。けれど三日も経った頃には逞しく次の仕事を探そうとしていた。その意思が折れるまで、三か月もかからなかった。

 なんてことはない。

 当時の世界には、金も仕事もまるで足りていなかったのだ。

 最初は献身的だったお袋もいつの間にか姿を消して、残されたのは俺一人。家を出るしかなくなっていた。

 そうして流れ着いたのが、当時でも唯一上向きだった民間軍事会社”盾速国際警備”である。

 法制度の改革もあり、この国には傭兵稼業が浸透しつつあったのだった。

 それこそ、ずぶの素人でも歓迎されるくらいに。

 そして一ヶ月後、俺は紛争地帯を駆け抜けていた。


「なるほど。つまりそこからタイチョーの武勇伝が始まるわけですね!」


 黒髪を肩口ほどで揃えた少女が溌剌と言い放つ。

 名前はチヒロと言っただろうか。なんでこいつはこんなに脳天気なんだろう? 

 いや、こんな話で深刻がられても困るが。


「あれ、違いましたか?」

「どうだかな」


 怪訝そうな視線を振り払うように、当時の戦いを少しだけ振り返る。

 世界は米軍という後ろ盾を失い、その不在を見計らうように各地で紛争が頻発していた。民間警備会社はその穴埋めをするように勢力を伸ばし、新造の防弾衣と部隊を派遣したのである。

 小型の霊脈炉を搭載したその防弾衣は、起動すると小規模の力場を展開する。おかげであらゆる実弾を受け付けず、そこらの装甲車よりも頑丈な歩兵が生まれるというわけだ。

 その一員となった俺は幸いにも霊脈炉との感応率が高く、期待されている以上のポテンシャルを引き出すことに成功した。

 そして、そこでいくつもの戦果を上げて。

 その結果、送り込まれたのがこの実験部隊というわけである。


「おいおい、そんなに落ち込んだ顔しなさんな」


 白髪の混じり始めた壮年の男性に励まされる。


「別に落ち込んでは……というかタトミさん、俺なんかが隊長で本当にいいんですか?」

「もちろんさ。口だけは立派なベテランが来たら、どうしようかと思っていたが……若いし、何より実力がある」

「買いかぶりですよ。そんなに期待しないで下さい」


 俺が訴えても彼は高笑いするばかりだ。

 失笑する俺に、もう一人の部下は――チヒロは、こんなことを言ってきた。


「いいじゃないですかタイチョー。そんなに気負わなくても」

「隊長が気負わないのはまずいだろ」


 俺が気張らなきゃ、どうなると思ってる?


「なにも、がんばるなって言ってるんじゃありません」

「なら、なにが言いたいんだ?」

「一人で背負い過ぎなんですよ。あたしたちは同じ部隊で、チームで、仲間なんですよ? 辛いことや苦しいことがあれは分け合えばいいんです!」

「お前の言いたいことは分かったよ。分かったけど、これは俺に与えられた責任なんだ。投げ出すわけにはいかない」


 けれどチヒロが俺の抗議なんかで止まることなんかない。あいつがそういう少女だと学ぶのは、ずっと後になってのことだった。


「ねぇタイチョー。もしかしてあなたも、家族から追い出されて入社したクチですか?」


 大きなお世話だった。


「あ、やっぱり! その顔は図星ですね!?」


 そろそろぶっ飛ばしてやろうか?

 そう悩み始めたときだった。


「隠さなくたって、いいですよ! だってあたしも一緒ですから!」


 なんだと?


「あたしの場合は、追い出されたというか死んじゃったんですけどね。他の家族が、みんな。だから居場所がなくなって、ここに入社したんです!」

「そいつは何というか……」


 どうやって声をかければいいか分からない。だってその辛さは、本人にしか分からないだろうから。


「そんな顔しないで下さいって!」


 それから言葉を句切って、チヒロは猫のような大きな目を少しだけ細める。


「きっとタイチョーだって、寂しくて苦しくて、本当に大変だったんですよね? それなのに頑張れるのは、本当に凄いって思います」

「…………」


 何も、言い返せなかった。


「だけど、そんなふうにずっと気張ってたら疲れちゃいますよ! なのでせめて、この部隊の中だけでも、もう少しだけ肩の力を抜きましょうよ!」

「……本当に、大きなお世話だ」


 ぶっきらぼうな口しかきけない。言いながら死にたくなってくる。


「そうですか? というかタイチョー、ほんと頑固ですね!」

「うるせぇな、お前!」


 自覚はあるが、人に言われると腹が立つ。


「いえ、いいんですよ? むしろ燃えてきました! 絶対に、あたしがタイチョーを陥落させてみせます!」

「えー……」


 これから先、本当にやって行けるんだろうか?

 正直に言って、このときは思いもしていなかった。

 まさか、こんな部隊が掛け替えのない居場所になるだなんて。

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