それぞれの譲れないものB③

 地下通路はどこまでも深く、地の底へと伸びている。そんなふうに思わせるのは、およそ光源らしきものが一つも見当たらないせいだ。

 足音に耳を澄ませていれば、それほど底が深くはないと察せられる。

 事実、ほんの一分足らずで何やら色とりどりの光が通路まで漏れ出してきた。ライトが照らす左右の壁が大きく開ける。


「到着しました。ここが目的地です」


 そこは明かりのない部屋だった。

 過去に何があったがは不明だが、長机が壁際に押しのけられて、いくつもの研究機材が片隅に固められている。

 そして確保された部屋のスペースを占めるのは飾り気のないスチールラックだった。その上に並べられた無数の物体から光が漏れ出し、薄ぼんやりと室内を照らし出していた。


「あれは……もしかして、霊脈炉か?」

「はい。わたしのコレクションです」


 明るい声でミーナが言い切る。無理をしているのが見え見えだった。


「説明しろよ。お前の親が霊脈炉を開発したことと、この状況がどう繋がるんだ?」

「やっぱり、気になりますよね。いえ、そのためにここに招いたんです。わたしの話を聞いていただけますか?」


 そんな前振りをされると、こちらまで身構えてしまう。シリアスなのは勘弁したいところだが、たぶんそういうわけにもいかないのだろう。


「手早く頼むよ」

「善処します」


 つまりは長い話になるわけだ。


「ソウハさん。二十年前の事故のことはご存じですよね?」

「当たり前だ。アメリカで起きたアレだろ? 知らないやつなんかいねぇよ」


 研究所を爆心とする大規模な爆発事故。米国の主要な都市が焼き払われ、世界は未曾有の恐慌に呑み込まれた。


「では、それと同時に拡散された、人工の粒子についても?」

「一般常識ぐらいにはな」


 あの事故に際して、未確認の粒子が世界中にばらまかれた。それこそが人工光素である。


「よかったです。実は当時、まだ正体不明だった光素の調査チームが作られたらしいんです。私の父は、そのチームのリーダーでした」


 少し、話が読めてきた。


「なるほど。お前の父は誰よりも光素に近い立場だったわけだ」

「えぇ。そして調査チームはこの北海道の地に、光素の異常な集束を観測しました。だから彼らは、ここに拠点を設けたそうです」


 俺たちが必死に守る旭川には、核霊が大量に算出するパワースポットが存在している。

 そのせいでこの地域はいつまでも標的とされ、おびただしい血が流されてきたのだ。


「父たちは国から期待され、多額の補助を得て次々と研究に着手しました。そして、その期待に応えるように、大きな成果を上げていった」

「政治家たちは泣いて喜んだろうな」


 日本は資源という生命線を海外に握られ続けてきた。なればこそ、核霊とそこからエネルギーを取り出す研究は、この国の弱点を克服するための手がかりなのだ。期待せずにはいられなかったはずだ。


「そうですね。けれど父は、そんな情勢にも栄誉にも、興味はないようでした。あの人の中にあったのは、ただの純粋な好奇心。それから抑えきれない想像力だけ」


 あの人、という呼び方はひどく他人行儀に聞こえた。

 もしかしたら、彼女にとって父親は、どこまでも遠い存在だったのかもしれない。


「苦手だったのか? 親父さんのこと」

「どうでしょう? あの人は、口を開けば研究のことばかりで、娘の私にまで、自慢そうに核霊を見せびらかして……」

「大丈夫なのか、それ?」


 いくら身内とはいえ、情報の保全とか安全上、問題があるんじゃなかろうか。


「そういう人だったんです。だからというか、この地に軟禁されてもまるで気にしてなくて、それどころかどんどん研究に熱中していって……その成果を、わたしに見せてくれることもありました」


 その状況を想像してみる。

 よれた白衣をまとう男が、身を屈めて娘に何かを自慢する姿を。

 俺が親父さんの人となりを知らないせいなのかもしれない。

 それでも二人が寄り添う姿は、どちらかと言えば微笑ましいものに思えた。


「その話だけを聞くと、悪い人のようには思えないけれどな」

「分かりません。けれどあの人が、たくさんのものを裏切ったの事実です。この国も、信じていた人たちも、それから……家族までも」


 ミーナが、苦々しげに呟く。


「裏切ったっていうのはどういうことだ?」

「売ったんですよ。霊脈炉と、その製造法をロシアに」


 なるほどね。

 霊脈炉は現在、世界中に出回っていた。しかしその製造技術を所有しているのは日本とロシアに限られる。

 開発元の日本はともかく、ロシアにまで製法が広がっているのは疑問だったが、どうやら開発陣にいざこざがあったらしい。


「お前の親父さんは、なぜそんなことを?」

「……それは」


 一瞬言いよどんだミーナは、僅かな逡巡を挟んで意を決したようだった。


「お母様のせいですよ」

「お母様だと?」


 それはつまり、母親が何を策を弄したということだろうか? それにしたって――


「お母様は、ロシアのスパイでした」

「お前の、母親が?」


 飛び出してきたのは予想外の真実、というほどでもなかった。

 だってミーナの容貌は誰が見たって日本人離れてしている。どちらかの親が国外出身なのは目に見えていた。

 そして実際には、母親のほうがロシアから遣わされた諜報員だったらしい。


「ってことは、お前の母親は親父さんに取り入るために近づいてきたってわけか?」

「はい、おそらくは」


 ミーナの母親はターゲットとの間に、娘をさえもうけている。

 並々ならぬ愛情と、信頼と、数え切れないくらいの機密を引き出してきたのだろう。


「私も、あまり経緯はわかってないんです。ただ、お父様はお母様にそそのかされて、霊脈炉の技術を売りました。そのせいで、いくつもの命が失われた。私たち家族が、この国をめちゃくちゃにしたんです」


 そんな彼女の言葉を、俺はどうしても打ち消すことができなかった。

 だって俺は、この地を奪い返すために戦った。その最中で何度目も目にしてきたのだから。

 容赦のない略奪と虐殺に晒された人々を。

 俺が駆けつけてきたときには、何もかもが手遅れだった。


「わたしは裏切り者です。そう呼ばれても、反論することなんてできません」

「お前には、どうすることもできなかった」

「関係ありません。許せないんですよ! 私が、私自身を!」


 その気持ちは少しだけ、俺にも理解できるような気がした。

 他人がどうだとか関係ない。自分自身が自分を認められないのだ。

 それはちょうど、今の俺のように。


「……だよな」


 自分で自分を許すことは難しい。

 だって知っているから。

 誰よりも、己自身の罪深さを。


「ソウハさん……?」

「俺も、一緒なんだ」


 思い起こされるのは一年半前の決戦。

 大切なものを、俺は俺自身の手で壊してしまった。


「俺も自分が憎い。他の誰かなんて関係ない、俺自身が憎くて仕方がないんだ」


 なんで、あのとき無理にでも引き留めなかったのだろう?

 なんで、あのとき体が動かなかったのだろう?

 なんで、なんで――


「――未だに自分が許せない。もっと強く仲間を想えていれば、誰も死なずに済んだ気がして」


 こんなのは傲慢でしかない。それは分かっているけれど。


「たぶん、この罪の意識は、死ぬまで消えることはない。それでもな……」


 今のミーナと話していて、わかったことがある。


「ミーナ。あまり自分を傷つけるような真似はするな。見てるこっちのほうがたまらなくなる」


 どの口が言ってるんだって、話ではある。

 けれどどういったわけか、人間は、人の痛みを自分のもののように感じるらしい。

 俺みたいな人でなしでも、今のミーナは見るに忍びなかった。


「お前の気持ちはよく分かるよ。それでも、やっぱり、そんなふうに言うお前を見ていられない」

「ソウハさん、それは……」


 ミーナが、はっとしたように顔を上げ、それから悪戯っぽく表情を弛める。


「今の言葉、忘れないでくださいね?」

「……どういう意味だ?」


 なんだか今の表情は、ミーナにしては珍しく、何か悪巧みしている様子だった。どうせろくでもないお節介なんだろうが。


「ソウハさんは、自分を責める私のことを見ていられないんですよね?」

「だから、そうだと言っている」

「私だって同じなんですよ! あなたが傷ついてくのを黙って見てることなんてできません! 放っておけないんです! きっとハルカさんやタマキさんだって! だから……!」


 ……あぁ、なるほど。こいつはこれが言いたかったわけか。

 たぶん、俺の出身がバレて針のむしろになったときのことを、未だに引きずってるのだろう。


「分かったよ。この間は俺が悪かった」

「ホントに、本当に心配したんですからね! 他の方がみんなあなたを責めるのに、ソウハさんはずっと黙ったままで……ッ!!」


 涙ぐんだ顔で、ぐいぐいと押し迫ってくる。大人しそうに見えて意外と強引なヤツなのである。


「……俺の周りは、どうしてお節介焼きばかりなんだか」


 どいつもこいつも、頼んでもいないのに手を差し伸べようとしやがる。


「どうかされましたか?」

「いや、何でもない」


 分かってる。これは俺のワガママで、ただの強がりだ。けれど痩せ我慢でも、意地を張らなきゃ自分を見失っちまいそうになるんだ。


「本当にどうされたんですか?」

「だから何でもないっての。さぁ、とっとと帰るぞ」

「すみません、こんな時間まで付き合わせてしまって」

「別に時間のことはどうでもいいが……確かに、今日はちょっと遠出し過ぎだ」


 今はどこもかしも緊張状態にあるってのに。

 正直、今こうして俺たちが自由に出歩けてることのほうが不思議なくらいだった。

いつでも出撃できるように待機させられそうなもんだが……いや、そいつは俺が負傷したせいか。


「帰ろう、ミーナ。俺たちの基地へ」


 今だけは、あの部隊を、俺の居場所を、そんなふうに呼んでみたい気分だった。

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