それぞれの譲れないものB①

 ハルカが寝静まったあと、俺もしばらく居眠りしてしまったらしい。気がついたときには、時計の針が零時を差して重なり合おうとしていた。

 やむなく彼女を自室まで運んでいる間に夜は更けていく。


「もうじき丑三つ時か」


 つまりは、これからが夜の盛りだった。こんな僻地なのに、夜間だけはどの店も威勢が良いのである。

 このまま帰っても構わなかったが、どうにもこのままでは飲み足らない。

 近場の店……というと一件、穴場に思い当たりがあった。

 人混みに紛れたい気分でもない。表通りを避けて目的地に向かう。

 そして俺が入ったのは、打ち捨てられた民家を改築したバーだった。。

 まるで一般家庭のような玄関を上がり、廊下を進むと居間を作り変えたカウンターにたどり着く。


「いらっしゃいませ」


 私服にエプロンを纏っただけの、なんだかまるでらしくない店主がうやうやしく頭を垂れる。

 その姿からして、もっとフランクな態度でも違和感はなかったが、今はその距離感がありがたい。

 誰かと親しく語り合えるような気分ではなかった。

 そのはずなのに。


「おおっと! ここを知っとるとは、あんたも中々の酒好きやな!」


 ひらひらと片手を振るメガネが印象的な女性。

 いや、ほんとなんであんたがここにいるんだよ?


「なんでこの店にいるだよ、社長?」

「決まってるやん。ここらやと、ここが一番いい店やねん」


 だから、どうしてそれを知っているのかと聞いているのだが。

 この女の情報源は底知れないので、驚くべきことではないのかもしれない。


「ともかくなんか頼みぃや。奢るで」

「どういうつもりだよ」


 金にがめつい我らが社長が見返りもなく奢るだなんて考えがたい。


「狙いがあるのはその通りやけどな。今回はあんたにも損はない話や」


 その前置き自体が、胡散臭いわけだが。

 ま、ここで逆らっても仕方があるまい。この店で巡り合わせたのもなにかの運命なのだろう。今はそうした偶然に身を委ねたい気分だった。


「まぁまぁ座りぃや」


 そうしてタマキに誘われるがまま、隣のスツールに腰を落ち着ける。

 さて、何にしようか?

 あまり明るい気分ではない。こういうときは、強くて香りの甘い酒に限る。俺はフレーバード・ウォッカを使ったマティーニを頼んだ。

 注文が来るのを待って、タマキと向き合う。


「……お、準備ができたか。さて、どっから話そうかな」

「任せるよ。……と言いたいところだが、今は気になることがあるんだ」

「なんやか長引きそうやな。まぁえぇよ、言ってみ?」

「ハルカのことだ。あいつに昔、何があったんだ?」


 正直、こんな質問に答えが返ってくるとは思ってなかった。プライベートな内容だし、たぶんあいつが抱える闇に直接触れることなる。

 けれどタマキの口は鈍らなかった。


「なるほどな。本人からはどこまで聞いてるんや?」

「何かの実験部隊にいたとだけ」

「そんなら、ほとんど終いまで聞いとるようなもんやな。……あんた、魔導鎧装の纏い手になるとき、おかしな手術をされたやろ?」


 タマキは自分のこめかみを指先でこつこつと叩きながら問い掛けてくる。

 確かに俺の頭には手術痕があって、それは鎧を纏う全ての兵隊に施されているものである。

 そのちょっとした肉体改造のおかげで、纏い手は人並みよりも高い感応率を獲得したのだ。 


「あの施術を完成させるためのモルモットが、ハルカの実験部隊やったって話や」

「……人体実験じゃねぇか」

「ま、四の五の言ってられる状況でもあらへんかったしなぁ。すぐにでも米軍の代わりが必要やった」


 今のアメリカに、世界の警察を務められるだけの余力は残っていない。

 二十年とほんの少し前、かの国の東海岸部は巨大な爆発事故に見舞われた。巨大な実験施設から溢れ出した爆炎がアメリカの東部一帯を呑み込んだのだ。

 主要な都市を焼き尽くされ、連邦政府は機能停止。その指揮下にあった米軍は、世界から少しずつ部隊を退けていった。


「あいつらはどこに派遣されたんだ?」


 撤退した米軍に代わって、日本に雇われた傭兵も紛争地帯に派遣された。米国の弱体化によって、抑えつけられていた争乱の種が一斉に芽吹いたせいだ。

 そこに住まう人々や、避難する国連職員らを守るため、傭兵たちは凄絶な撤退戦を繰り広げることになった。


「各地を転戦してたみたいやで。紛争なんか、どこにでも起きてたからな。おっと、そのへんのことはあんたのほうが詳しかったやろか?」

「ま、確かに俺の古巣もそこで戦ってはいたが」


 俺の所属していた“ミカゲ”実証部隊も、一時期は紛争地帯に駐留していた。

 魔導鎧装に限らず、兵器としての霊脈炉関連技術は過酷な戦いの中で成熟していったのだ。それがのちに日本自身を救ったのは皮肉と呼ぶほかない。


「かなり活躍したって話やで。けど、露製の光素化兵器が出てきてからは形勢逆転。最後はウクライナで壊滅したそうや」

「……やりきれない話だな」


 似たような話なら何度も聞いたことがある。というか、俺自身も身をもって体験させられた。

 けれど、だからこそ分かるんだ。何も守れず、ただひとり生き残ってしまった結末の虚しさが。


「ま、あの頃はマジで洒落にならん実験を繰り返しとったからな。ハルカみたいな子は珍しくなかったわけや」

「だけど、あいつの存在自体が機密みたいなものだろう? 社長はどうしてハルカを仲間に引き入れたんだ?」


 なにせ、人体実験の生きた証拠である。ハルカを消そうとする輩は少なくなかったはず。

 そんなリスクの塊を、なぜ仲間に?

 そう問いかけると、タマキは柄にもなく唇に指を当てて「んー」と考え込んだ。


「きっとあれや。あの子は飯の種になるって、そう思ったからやねん」

「現金なヤツだな」


 せっかく考え込んだんだから、もう少しマシな答えを寄越せよ。


「もうちょっと、ないのか? 人間らしい感情とか情けみたいなのは」

「そんなん、あたしもあの子も望んでへんで。ハルカはな、ずっと探してるねん。生きる理由を。自分が守るべきものを」


 そんなの、探したって見つかるわけがない。

 だってそれは自分で“作る”ものだから。

 そうした背景さえも織り込み済みで、きっとタマキはこう告げたのだろう。


「自分の行き先もわからんのなら、動き回っといたほうがええ。些細なきっかけのおかげで気づくこともある」

「それは経験論か?」

「さぁて、どうやろなぁ?」


 質問をしたつもりが質問で返される。

 はぐらかされたわけだが、強いて突っ込む気にもなれなかった。

 どうせ、この女だってろくでもない事情を抱えて、それでも必死に今を生き延びているのだ。


「ま、なんとなく事情はわかったよ。だからはあいつはあんなことを言ったわけだ」

「あんなことって何やねん?」

「いや、大したことじゃないんだけどさ。あいつが、俺とあいつは似た者同士だって」


 タマキは、当然ながら俺の経歴や戦歴を余すところなく把握している。

 だから俺が言いたいことはすぐに掴めたはずだった。


「なるほどな。確かにあの子もあんたも、仲間のほとんどを喪ってる……」


 そこで言葉を区切ったタマキの前に、新たなグラスが差し出される。

 彼女はそれを持ち上げると、中身を一気に煽って言葉を続けた。


「でもな、あんたとあの子が似てるって? そんなわけあらへんやろ」

「なんでだよ」


 俺だって仲間を喪った。俺が弱かったせいで、戦況を読みきれなかったせいで、手が届かなかったせいで。

 それなのに、タマキは構わずこう言い切る。


「あんたとあの子は違う。あの子はな、ただただ必死に、本当に必死になって生き延びようとしてただけやねん。それだけで精一杯やった」


 そんなの、誰だって一緒だろう?

 目の前に辛く苦しい“死”が迫っていたら、どんな人間だって必死になる。

 押し迫る死の恐怖は、理屈なんかじゃなく人間を突き動かす。


「何か言いたげな顔やな。でもな、あんたはあの子にこう言われたはずやで。“なんで、最後まで戦い抜けたのか”って」


 俺が戦い抜けた理由。戦い抜かなければならなかった理由。

 今はもう亡き部下たちの顔がよぎる。


「…………」

「図星って顔やな。いいか? 自覚はないみたいやけど、あんたにはあの子にないものがあったねん。それがあの子を苛立たせとる。自分にはどうやっても手に入らんもんやったから」


 俺にしかなかったもの、か。


「そんなの――」


 そんなの、仲間から願われたからに決まっている。あいつらに託されたものを果たすために、俺は刃を振るい続けたのだ。


「けれど、仲間ならハルカにだって……」

「あの子は、自分が仲間のために戦えたなんて思っとらんよ」


 そうだ。俺はつい先ほど、そのことについて相談を受けたばかりじゃないか。

 だからあいつは、俺を似たもの同士ではないと。だからこそ好きになれないと、そう言ったのだ。

 ……俺は、恵まれていたのだろうか?


「……他になにか、聞きたいことはあるか?」

「いいや。それよりら悪い、ちょっと風に当たりたい気分なんだ」


 手の中でグラスを回す。まだ手はつけていないけれど、素直に酒を楽しめる気分でもなかった。


「安心しとき。あんたの分もきっちり私が飲んどいたる」


 勝手にしろ。普段ならそんなふうに悪態をつくところだが。


「悪い。この埋め合わせは、またどこかで」

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