終わらない戦いの狭間で③
じっとりとまとわりつく熱気は、夜になっても収まりはしない。
立ち込める人いきれを嫌うように宵の雑踏をかき分けていく。
そこは急ごしらえの違法建築が軒を連ねる一画だった。
元々が繁華街とはいえ、軍が出入りするこの一帯は本来なら治安がいい。
それが乱れたのは俺たちみたいな民間の兵士が闊歩し始めたからだ。
「ま、この国もなりふり構ってられる状況じゃないもんな」
日本国では十数年前までPMC、つまり傭兵の活動は認められていなかった。この国の銃規制は厳格であり、ましてや戦争を仕事にする傭兵が許容されるはずもなかったのだ。
しかし例の爆発事故が日本の安全保障を激変させてしまった。
米軍からの助力が見込めなくなり、日本国は急かされるように関連法律を改正させた。俺たちは特別司法警察職員という肩書きを与えられ、北海道や九州を始めとした一部地域でのみ武力が行使できるようになったのである。
平たく言えば臨時職の公務員だった。
だからといって全員がお行儀よく日本の司法に従ったわけではない。裏で小遣いを稼ぐ連中も続発した。
その利益にあずかろうとして形成されたのがこの闇市であり、故に集まる人間もろくな素性の持ち主ではない。
だというのに、どうしてか俺の相棒はこんな肥溜めに足しげく通う。
――いや、あいつの求めるものには心当たりがあるのだが。
「もっと、まともな趣味があるだろうに」
ミーナは十代中頃の少女で、うちの隊には珍しく真っ当な性格の持ち主である。
となれば可愛らしい趣味を追いかけていそうなものだが、やはりあいつも変わり者部隊の一員に違いなかった。
あいつが熱を上げているのは闇市に流通する軍用品なのである。法規制は追いついていないものの簡単に見つけられる代物ではない。
すると行き先も自ずと限られる。最寄りの店からめぼしいところを潰していこう。
そう思って踏み出した矢先――
「おい! てめぇ、そんなナリしてよくをここを出歩けるな!?」
そんな声が耳に飛び込んできた。
知らぬ存ぜぬを突き通すつもりだったが、続けてこんなだみ声が飛び交う。
「ここじゃロシア野郎に居場所なんかねぇんだよ!」
耳障りな声は、酒場の近くに積み上げられたコンテナの陰から。
「女だからって見逃すと思うなよ!」
「いや、ちょっと待て! こいつ、顔だけは悪かねぇ! 少し遊んでかねぇか?」
苦々しい思いを奥歯ですり潰す。
ロシア系に見えるような美形。それも恐らく女の子。
悲しいことに捜索対象の外見と特徴が一致する。
「や、違います! わたしは日本生まれの日本育ちで……」
「っるせぇ! 似てるってだけで腹が立つんだよ!」
「てめぇは黙って嬲られてりゃいいんだ!」
「むちゃくちゃ言わないでください! わたしなんかより、あなたたちのほうがずっとこの街を……!」
何やら必死の抗弁が続いているようだが、世の中は事実だけでは動かせない。
そんなことを知らない彼女でもなかったが、今はあんなふうに訴えるしかないのだろう。
戦場でもない場所でいきなり誰かを殴れる性分でもないしな。
俺は違うけど。
「様子だけ見に行ってやるか」
声がしたコンテナの後ろに回り込むと大柄な男たちの背中が見えた。
人数は四人。それだけなら問題なかったが、うち二人の背中には鉄鋼製の平べったいバックパックが張り付いている。
――面倒だな。
あれは小型の霊脈炉だった。あそこから全身に伸びた霊脈が、人間離れした力を装着者にもたらす。
言ってしまえば魔導鎧装の前身にあたる装備なのだが、それがどうして出回ってるんだろうか。
何にせよ、これでいよいよ見過ごせなくなった。
「おーい……いや」
ここは少し下出に出よう。
「あのぅ。そこで何をなされてるんですか?」
柄にもなく丁寧な言葉で声をかける。
たまには平和的解決を試みるのも悪くない、なんて気まぐれに駆られたわけではなく。
「なんだァお前は?」
案の定というべきか、特に警戒することもなく男たちがこちらに向き直った。
「こっちは忙しいんだがなぁ?」
「いえ、私が用があるのはそちらのお子さんでして」
男の背中越しに、場違いな佇まいの少女を目で示す。
暗がりでは分かりづらいが、プラチナブロンドの長髪や背格好からして間違いない。
ミーナだ。
「あれは俺たちの獲物だ。関係ねぇヤツが割り込んでくんな!」
獲物って……俺は笑えばいいのか? それとも怒るべきなのか?
なんにせよ、今はミーナの回収が最優先だ。
「いえ、そうは言われましてもそちらのお子さんは私共で保護しておりまして」
試しに公権力を装ってみる。傭兵は公務員に準ずる立場なので、丸っきりの嘘でもない。
「バカ抜かすな! こんなところまで追いかけてくる役人サマがいるかよ!」
暇をしている役人ばかりでもないだろうに、ひどい言われようだった。
「そうですよ! わたしは子供じゃありません!」
続けて男たちの後ろからよく通る声が響く。
どこが子供じゃないんだ? まだ十代も半ばのくせに。
俺は極めて弱気な善人を装いつつも間合いを詰めていく。
すると何を勘違いしたのか、男どもはニタリと不気味な笑みを浮かべた。
「おカミの命令か? お前も運が悪かったな。けど俺たちにたてついた落とし前はきっちり落とさせるぞ」
今どき、チンピラでもこんな口がきけるらしい。
相手の間合いに入り込んだ途端、男がおもむろに構えを取った。
「くたばれッ!!」
男が地べたを踏み締めると、蜘蛛の巣のようなひび割れが広がる。霊脈炉への感応率は悪くないらしい。
だが、あまりにも――
「――クソっ! 何で当たらねぇ!?」
拳が、唸りを上げながら目と鼻の先を通り抜けていく。
けれど、それだけだ。
「足りねぇンだよ!」
覚悟も、技能も、何もかもが。
強化服はあらゆる人間の挙動を力強く補強する。なればこそ装着者の技量が如実に反映されるのである。
どれだけ速くても、単調で隙の大きな拳になんて当たるわけがない。
俺は倒れ込むように男の拳をかいくぐると、その懐に潜り込んだ。
「な……っ!?」
何をする気だ? とでも問いたいのだろう。或いはただ驚いているだけか。
怖がらなくたって殺しはしないさ。
というか、霊脈炉の使用者には拳どころか銃弾さえ通じはしない。振りまかれる光素があらゆる衝撃や変化を遮断してしまうのである。
けれどそれ無敵じゃない。その対処法の一つが――
「――そこだ」
俺は霊脈炉にほど近い、大動脈とでも言うべき霊脈に触れた。そこに手のひらを押し当て、ありったけの思念を流し込む。
霊脈炉から溢れ出す力は、人の想いに形を与えたものだ。そこから汲み出した力はより強い想いに惹きつけられる。
とくに未調整の霊脈炉であれば、そこに見境いはない。
「か……っ、体が動かねぇ……!?」
男が、俺を捕まえようとした姿勢のままガタガタと体を震わせる。その表情は恐怖に引き攣っていた。
当然だろう、身を守るはずの強化服が逆に体を締め上げてきたのだから。
「な、何をした!?」
「霊脈炉の制御を奪ったんだよ」
「そんなことできるわけ……!?」
「できるし、俺たちはやってきたんだよ」
一々こんなことで驚かれていては説明が追いつかない。
霊脈炉との感応率、つまり支配権の強さについては先天的な個人差がある。
僅かな願いで思うがままに光素を操るものもいれば、どれだけの想いを賭けても霊脈炉を起動できないやつだっている。
かくいう俺は感応率の高さになら自信があった。かつてはそれを買われて実験部隊の隊長に任じられたのだから。
「そんなおもちゃが通じると思うなよ?」
俺も、俺の仲間たちも、もっと救いのない戦場を駆け抜けてきたんだ。
こんな程度で俺たちを圧倒できるだなんて、思われるだけでも腹立たしい。
「ク、クソ! こんなことしてタダで済むと思ってンのか!?」
「当たり前だろ」
あくまでも法の目をかいくぐり続けてきただけの彼らと、そんなものが存在しない場所で戦い続けてきた俺たちの間には、超えられない、超えてはならない壁があった。
「お前だけじゃねぇ! 早く放さねぇと、あっちの女が……!!」
あっちの女?
男の視線を追って振り返る。きょとんとした灰色の瞳と目があった。
あぁ、ミーナのことか。
「いいのか? お前が動けばあの子が!」
「どうなるって?」
「そりゃあ、もちろん――」
――その直後、金属板を引き裂いたような甲高い音が鳴り響いた。
同時に溢れ出した閃光が男たちの目を灼き、その足をよろめかせる。
突然の事態に恐慌を起こした男たちに紛れて、一人が悲鳴を上げながら地べたに倒れ伏した。
もうひとりの、強化服を着込んでいた男である。
ヤツは、ただの重りと化した強化服から逃れようと必死に身を捩っていた。
「今度はいったい何をやった!?」
「俺じゃねぇよ」
見栄を張っても仕方が無いので、犯人のほうに目をくれてやった。
「ごめんなさいごめんなさいっ」
一連の事態を引き起こした少女は、ミーナはペコペコと倒れた男に頭を下げている。
「あんな奴にそんなことできるわけないだろ!?」
「俺もそう思うんだけどな……あいつは俺以上なんだよ」
あの冴えないハーフの美少女、ミーナを傭兵部隊が迎い入れたのには理由がある。
あいつは俺どころか、他の誰と比べても官能率がずば抜けて高い。霊脈炉や、その中に秘められた真の動力源に対して絶対的な支配権を有している。
その力を以て、ミーナは霊脈炉の“核”を潰したわけである。
「おいミーナ! 謝るのはもういいからさっさと引き上げるぞ!」
「で、でもわたし、この人の霊脈炉を……」
「闇市に出回っていた商品だぞ! 見過ごすほうがどうかしてる!」
ついでにもう一基片付けてくれ、と俺が動きを止めていた強化服の男を一瞥する。
ミーナは端正な顔に苦々しい微笑みを浮かべながら嘆息した。
「不本意ですが……仕方ありません」
そうして深夜の通りを再び、真昼の太陽より明るい閃光が照らし出したのだった。
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