[21]
諏訪は黒煙立ち込める交差点で目覚めた。
体は破片だらけの硬いコンクリートにうつ伏せに倒れている。意識を戻した途端、諏訪は咳き込みながらゆっくりと横向きに体勢を変えた。
出血しているのだろうか、口内で広がっていた鉄分を含む苦い味わいの紅い液体が、咳き込むと同時に地面へと飛び散った。
少々乱れた息を整え、ゆっくり上半身を起き上がらせた。その後目元を数回擦って、辺りに視線を向けると周りの状況が徐々に確認できた。
辺りは爆発の影響で車の部品などの破片が散乱しており、濃い煙も立ち込めている。散在していた事故車両は漏れた灯油にでも引火したのだろう、悉くが炎上し、吐き出された黒い煙は空へと立ち昇っている。
ドローンの音はしない。代わりに遠くから警察車両のサイレンらしき音が聞こえてきた。
諏訪は額から垂れてきた血を拭うと、上着のポケットからインカムを取り出した。しかし、出てきたインカムの状態は酷く、度重なる衝撃で割れて使い物にならなくなっていた。
「………新品だったのにな」
少しばかり残念そうに今日支給されたばかりのインカムを投げ捨てると、一呼吸置いて左手で脇腹を抑えながら片膝をついた。
インカムが無くなったいま、スマホも爆発で吹き飛ばされた際に紛失した諏訪の通信手段は、スマートウォッチのチャットのみとなった。
因みに護衛員のスマートウォッチは、インカムを介す無線通信モード以外での通話機能はない。それに不便を感じた諏訪は小さな舌打ちをし、所々擦り切れたスーツの上着を脱ぎ捨てると、ネクタイを緩めて口の中の血を唾と共に吐き飛ばした。
口を手で拭っていると、右横から誰かの呻き声が聞こえてきた。諏訪は咄嗟に警棒用ショルダー・ホルスターの左胸に収納した21インチの特殊警棒に手を掛け、呻き声がした右側へと顔を向けた。
視線の先では少年兵がうつ伏せで倒れており、その横で、黒いキャップを被った少女兵が起き上がろうとしていた。
少女兵は四つん這いになった後、上半身を起き上がらせて地面に座った。諏訪は少女兵の顔を見た瞬間、無意識のうちに目を見開いていた。
黒いキャップから飛び出た赤髪と凛とした顔立ちという特徴は、脳内に忘れもしない強烈な記憶とその少女兵の名前を湧き上がらせた。
赤髪の少女兵──α。
「……嘘だろ」
多摩第二収容所で完膚なきまでにした相手が、顔を顰めながら目線を向けてきている。顔じゅう傷だらけではあるが、五体満足で健在である。
「…やっと……見つけた」
額に刻まれた裂創から流れる鮮血で顔を一部赤く染めながら、αは低く唸る様な声でそう言った。
感動的な再会であるが、αがいる事は嬉しくない誤算であった。このまま枇代や董哉が逃げ込んだと思われる立体駐車場に向かえば、二人の命が危うくなるのは確実である。
αは立ち上がろうとするが、自身の予想以上にダメージを負っていたのか、片膝をついたところから立ち上がる事ができなかった。
しかしαはすぐにその事を悟り、装備ベストの右側に装着した縦長のポーチを開いて、長さ十センチほどのプラスチック製の注射装置を取り出した。
そうして、それを右の首筋へといきなり叩きつけて上部に付いた緑のボタンを押した。突然の行動に諏訪は僅かに困惑した。
「なにを……?」
αは注入を終えて注射装置を投げ捨てると深く息を吐いた。直後、眼球の虹彩が碧色に発光し、徐々に額に刻まれた裂創が塞がりだした。
諏訪は愕然とした表情でその光景を見ながら、彼女が回復するのに時間は掛からないと悟った。
現在の体の状態を考えて、たとえ仁藤紗奈に主導権を交代しても、完全回復したαとは満足に戦えないだろう。しかも武器は特殊警棒とテーザー銃しか持ち合わせがない。銃は吹き飛ばされた際、どこかに消えてしまった。
今は戦ってはならない。一度退避して身を隠さなければ、その先にあるのは死のみだ。そう考えて辺りに顔を向けていると、ある場所が目に入った。
───ビルの解体作業現場。
幸い作業は止まっている様で、重機の音は聞こえてこない。危険ではあるが、今は周りを囲っている解体作業現場しか隠れられる場所はない。
振り返ると、αは顔を伏せて未だ回復に専念している。諏訪は痛む体に鞭を打って立ち上がり、左手で脇腹を抑えながら走り始めた。
「待って、逃げるな!」
背後からαの焦っている様な声が聞こえ、直後、発砲音と共に足元に銃弾が着弾した。
諏訪は驚いて振り返ると、αが必死の形相で右手に握ったグロック22の銃口を向けていた。
「止まれ!」
諏訪は怒号を聞いても踵を返して走りだした。
背後から尚も複数の発砲音が轟き、一発の銃弾が背中に着弾する。40S&W弾の衝撃に諏訪は呻き声を上げ、うつ伏せに倒れた。
直後、視界のすぐ近くにもう一発が着弾した。コンクリートが抉られ、舞い上がった粉塵が顔に掛かる。諏訪は悪態を吐いて立ち上がり、横に停めてあった軽自動車へと飛び込んだ。
車の影で倒れた姿勢のまま呼吸を整え、タイミングを測ると再び立ち上がり、銃弾が周囲に飛来しながらも作業現場の入り口まで駆け抜ける。
そうして作業現場の入り口を見つけて強引にこじ開けると、そのまま作業現場へと飛び込んだ。
◆◆◆◆
αはグロック22の空になった弾倉を腰に装備した新たな弾倉と交換していた。あと少しで治癒が完了する。そう考えていると、後方から複数の足音が聞こえてきた。
「α!」
振り返ると、後方からARー15を抱えたφとチームで唯一森林迷彩服を着ているψ、そして生き残ったチーム2の隊長と隊員二人が駆け寄ってきた。
全員が所々を負傷しており、ψに限っては頬に刻まれた裂傷から鮮血が未だに垂れている。
「標的Bはどうした?」
「あの解体作業現場に逃げました。私の治癒が完了次第、標的Bを追います。φは私に続け、ψは負傷したχを連れて現場を離脱しろ」
T2Lからの質問に答え、二人の部下に指示を出すと、φは頷き、ψも命令には納得できていない様であるが渋々頷いた。その時、個人無線機から着信を告げるクリック音が鳴り響き、作戦司令部オペレーターの声が聞こえてきた。
『タイタスより襲撃部隊各員、カール1より周囲に警察と消防、国家警備局が展開しているとの情報が入った。誰か現在の状況を伝えろ』
タイタスからの呼びかけを聞き、αは個人無線機のボタンを押して応答した。
「こちらT1L、対象は逃走しました。複数の隊員に死傷者あり。1-3と1-5は戦闘不能、ドローンによる支援を要請します」
『タイタス了解、後方待機中のドローン24機を向かわせる。チーム1の動ける者で標的を追跡しろ』
「了解」
αが通信を終えると同時に、チーム2の隊員一人が近くに止まったパトカーから降りてきた警官へと発砲した。パトカーの近くで警察官が一人倒れるのを見てから、T2LはAKの銃口を持ち上げ手αに声を張る。
「よし、2-5を撤退するψ達の護衛に付けよう。俺と2-2は攻撃ドローンとここで撹乱を行う、お前らは今のうちに標的Bを追跡しろ」
「分かりました。行くぞ、φ」
「了解、後に続きます」
回復を終えたαはグロックをホルスターに収納して立ち上がると、近くに落ちていたUDP-9を拾い、φを従えて走り始めた。背後からAKがフルオートで放たれる発砲音が鳴り響いてきた。
αとφは発砲音を背に走り続け、解体作業現場に到着した。諏訪が強引に開けたと思われる入り口を見つけ、αはUDP-9を構えながら侵入する。
解体作業現場内のビルは多くが崩されており、鉄筋コンクリートが剥き出しにされ、積み上げられた瓦礫の上には、二台の重機が放置されていた。ビル内部へ入れる場所を探し出すと、α達は瓦礫を軽々と飛び越えながらビル内部へ侵入した。
◆◆◆◆◆
幾らレベルⅢ-Aに分類される防弾ベストを着ていて四十口径弾を防げても、それが薄手であるなら背中に被弾した時の痛みは酷いものだった。
窓から少し陽光の差す、唯一広くてまだ解体の進んでいない部屋。そこで鉄筋コンクリートの柱を背に座り、諏訪は背中を摩って息を整えていた。
逃げ込んできた時より体力は回復し、体の所々を蝕んでいた痛みもだいぶ和らいだ。しかし、今なお左脇腹の痛みは引かなかった。
諏訪は腰裏のホルスターに収納している黒色で小型テーザー銃、TASER Pulseを取り出した。今の所持している武器はテーザー銃と特殊警棒のみである。αとの戦闘では心許ないが、万が一特異体質者戦に発展したら、仁藤紗奈に体の主導権を交代せればいい。
諏訪はテーザー銃に目を落としながら覚悟を決めた。すると、コンクリートの部屋に誰かが踏み込んできたのを察知した。その直後のことであった。
「追い詰めたぞ、諏訪匡臣」
凛とした少女の声、諏訪は立ち上がるとテーザーを両手で握りながら僅かに顔を出し、声の聞こえた方向へと視線を向けた。
「無駄な抵抗はせず、早く出て来い」
黒いキャップを被ったαが、UDP-9を諏訪の方へと構えながら部屋へと踏み込んでいた。どうやら、本当に隠れている場所はバレている様だ。
「断る、お前の指示には従わない」
諏訪は声を張り上げた。コンクリートの部屋に低い声色が反響する。αは歩みを止め、フォアグリップを握る左手に力が加わるのを感じながらも、再び声を上げた。
「大人しく拘束されれば、お前に対して、これ以上の危害を加えない」
諏訪はαの言葉を聞き、自分でも無意識のうちに小さな苦笑いを浮かべていた。そうしてすぐに顔から一切の笑みを消し、眉を顰めると声を上げた。
「さっきまで攻撃を仕掛けて来ていた奴の言葉を誰が信用するんだ。自分には無理だ、お前のことを信じる事はできない」
「私の目的はお前の拘束だ、殺害じゃない」
「では、なぜ撃ってきたんだ」
「貴方は作戦上の不確定要素だ、殺害ではなく行動不能にする必要があったから発砲したんだ」
諏訪はαの言葉を聞きながら、自身に対する呼び方が変化した事に気がついた。〈お前〉という呼び方から〈貴方〉という呼び方に変化した事実に、諏訪の心には違和感が湧き上がった。
だが、今はそんな事を考えている暇は無い。諏訪はその違和感を心の奥底に押し込み、頭の中から違和感に基づく要素を排除した。そうして再び、声を上げる。
「自分を拘束してどうするつもりだ」
「貴方を在るべき場所へと連れ帰す。私の目的は、ただそれだけ」
「………在るべき場所?」
心の中の奥底から再び違和感が湧き始めてきた、その時であった。諏訪は左側から何者かの気配を感じ取ると、そちらへ顔を向けた。
視線の先、柱の影から垂らした紫色の髪で隠した少女兵が、手のひらサイズの鉄塊を右手に握りながら躍り出てきた。諏訪は素早くテーザー銃を向けたと同時、片目を隠した少女兵の右手に握られた鉄塊が投擲物へと変化した。
「……クソッ」
テーザーを使って牽制出来れば良いが、少女兵は射程外であった。これでは相手に対して効果を得ることは出来ない。自分でも不思議であるが、冷静にそう考えていると、少女は素早く投擲物のピンを外して投げつけて来た。
「フラッシュ投擲!」
少女兵はそう叫ぶと再び柱の裏に隠れ、諏訪は転がって来た投擲物を蹴り飛ばし、舌打ちをしてテーザー片手に両腕で耳と顔を隠して顔を背けた。
だが、数秒経過しても何も起こらない。諏訪は投擲物に顔を向けると思わず目を見開いた。よく見ると、投げられたのは本物の閃光手榴弾ではなく、精巧に作られたダミーだった。
──騙された。
諏訪はその言葉が脳裏に浮かばせていると、背後の柱の影からαが低姿勢で飛び出して来た。
諏訪は完全に反応が遅れた。気配を察知して防御姿勢に移行しつつ素早く振り返ると、赤髪の少女兵は固く握った右手を顔面に向けて繰り出していた。
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