[10]

 茂木大将と話を終えて別れた紗耶は、諏訪に同行していた奏と留置所で合流し、茂木大将の手配した都心のホテルへ訪れていた。諏訪が解放されるか否かが決定する四日後まで、紗耶の意思でホテルに泊まる事に決めていたからだ。そのため、奏は私邸に常駐している護衛員達に連絡し、四日分の着替えを持ってこさせる様に連絡していた。

 そこから約五十分後、派遣された護衛二名に衣服や生活用品を届けてもらい、受け取りを済ませた二人は一息ついていた。


「どうしてか、この景色が物足りなく感じるわ」


 二人の泊まっていた四階の一室、窓の横に置かれた椅子に頬杖をついて座りながら景色を見つめていた紗耶は小さく呟いた。外から見えるのは東京都の安全区域で目にする日常的な夜景であり、爆発や銃火器の発砲音、ましてや手榴弾の音などが轟くことはない。


「それだけ、いまの安全区域は平穏なのでしょう」


 主人の呟きに奏はそう返すと、穴の空いたスーツのジャケットを脱いで黒のネクタイを解いた。


「そうなんだけど……殺し合いを経験したら、この景色が平穏過ぎると思ってしまうのよね」

「収容所脱出からそんなに経っていませんし、そう考えるのも仕方ないのかも知れませんね」


 奏は穴の空いたシャツを脱いで自身の引き締まった身体を見渡し、部屋に備え付けの時計に目線を向けると、時計の針が指している時刻は七時半を少し過ぎていた。


「夕飯はどうしますか?」

「うーん、近くにコンビニはあったかしら?」

「はい、あります」

「じゃあ、コンビニのお弁当にしましょうか。レストランで食べれるほどの気力は無いしね」


 紗耶は着替えている奏に穏やかな顔付きでそう言うと椅子に背中を預けて天を仰いだ。奏も屋敷から送られてきた私服の紺色パーカーとジーンズに着替え終わると、疲れた印象の紗耶の方を見た。


「何か食べたい物のご要望はありますか?」

「いや、種類はなんでもいいわよ。お任せする」

「分かりました」


 奏はそう言うと部屋から出て行った。紗耶は奏の後ろ姿を見送ってから立ち上がると、いきなり足元がふらついた。突然の事で驚きはしたが、咄嗟に椅子を掴んだため転倒は避けられた。


「……疲れてるのかしら」


 紗耶はベットに歩み寄ると仰向けに寝転ぶと天井を見つめ、茂木大将と話し合った諏訪匡臣の解放の可否について思い返した。

 身柄解放が統合参謀本部で行われる会議で可決した場合、紗耶に引き取られ、冬島家護衛班の護衛員として迎え入れられる。否決した場合は直ちに国家警備局の特殊収容所へと送還され、収容されながら過酷な人体実験の道具として酷使される事となる。


「そんなこと、させてたまるかっての」


紗耶はそう呟いた瞬間、つい数時間前に起きた脱出劇の疲れが回ってきたのか、急激に眠気が襲ってきた。紗耶はあくびを出してから両目を擦ると、ゆっくりと両の瞼を閉じた。


◆◆◆◆


 諏訪は夢を見ていた。

記憶の同期主である少女の体を借り、視界を共有している。意識があるのに体の制御が効かない、この独特な感覚は未だに慣れるものではない。

 その様な事を考えていると、雪原を連想させる色素の抜けた細い純白の片腕が移り、小さな手には翡翠ひすい色の小さな宝石が握られていた。


「……綺麗」


そう嘆息した少女がかざしている翡翠色の宝石は、陽光に照らされて淡い光を発している。


「気に入ってくれた?」


 視界の外から大人びた印象な女性の声が聞こえてきた。少女が声の聞こえた方向へ顔を向けると、その女性は右隣に座っていた。宝石を眺める少女と同じくアルビノ肌で、艶やかな黒髪を靡かせる十代後半に見える若い女性。澄んだ青い瞳が、じっとこちらを見つめていた。

 そうして女性を見ていた諏訪は、ある事に気がつくと同時に僅かに息を呑んだ。ただ、彼女が美しいからではない、雰囲気や髪色は違っているが、その面影は非常に酷似していたからである。

 ────冬島紗耶に。

 では、この少女は。


「うん、とっても素敵!」

「貴女の左眼と同じで、本当に美しい輝きね」


 女性が表情を僅かに和らげて微笑み、少女の頭を優しく撫でてきた。少女は嬉しそうに笑っている。


「ありがとう、お姉ちゃん」


少女の嬉しそうな声を聞き、女性も頭を撫でながら朗らかな笑みが溢れ、


 ──突如、脳内映像が切り替わった。


 女性の頭を撫でていた腕は皮膚が裂け、黒く焦げた血肉が露わになっている。額からも鮮血が依然として垂れており、右脇腹に穿たれた穴からは赤黒い鮮血が、女性の呼吸に合わせて溢れ出していた。


「……泣かないで」


女性の声は腹に穴が開いて失血死レベルの鮮血が流れ出しているのに、痛みなど微塵も感じさせないほど穏やかな声色だった。少女も何かを言おうとするが、嗚咽で言葉が詰まってしまい、上手く声を出す事も話す事も出来ない。

 女性は背後を振り返ると、右腕を大型の鎌に似た刃物状に変化させた黒い人影達が、こちらにゆっくりと迫って来ていた。女性は少女の頭から手を離すと腹を抑えてゆっくり立ち上がり、背を向け、影達から少女を守る様に立ちはだかった。


「紗耶」


女性は少女の名前を呼ぶと、肩越しに振り返ると口から血を溢れ出しながらも笑みを浮かべた。


「強く生きなさい」


少女の姉はその一言を発し、再び相手に顔をつけると同時に右腕が青白く発光し、雪の結晶を帯びた冷気が腕を覆い始めた。右足を下げ、硬く握り締めた右手を体に引き寄せると上体を捻り、それを包み込む様に左手で右手を囲う。その行動を見た影達が一斉に相手を殺害する為に走り出し、数体が高々に跳躍した。

 影が迫る。

 女性は息を吐いていたが、呼吸を一瞬止めて素早く息を吸い込み、身体中に冷気を増幅させて淡い水色に発光して凍り始めていた右手を開くと、影達に向けてストレートを繰り出すかの如く、勢い良く突き出した。


「お姉ちゃん!」


少女は咄嗟に声を上げ、ブリザードに似た攻撃を繰り出した女性に手を伸ばした。

 その直後、諏訪の頭の中に鋭いノイズが響き渡ってきた。視界を通して共有されていた景色が急激に歪み始め、突然コードを抜かれて電源が落ちたテレビの様に視界が暗闇へと塗り潰された。

 それ以上の記憶を見るのを拒む彼女の意志が直接働いているかの様に、そこから先は諏訪が拘束室の簡易ベットの上で目覚めるまで、見ることはなかった。


◆◆◆◆


 紗耶が目を覚ますと既に八時を過ぎており、奏はまだコンビニから帰っていなかった。ベットから起き上がって身体を伸ばしていると、ドアが開き、奏が片手にビニール袋を持って部屋に入ってきた。


「すみません、遅くなりました」

「えぇ、大丈夫よ。お疲れ様」


奏はコンビニ袋から温められたお弁当を二つ、箸と共に部屋備え付けの机に取り出すと、そのまま夕飯を食べ始めた。紗耶がハンバーグを頬張り、微笑むのを見ていた奏はご飯を飲み込むと話し始めた。


「お嬢様に聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「どうしたの?」

「なぜ、諏訪匡臣を引き取るなんて危険な案を出したのですか。彼を引き取れば、今まで以上に我が身を危険に晒す事となるのですよ?」


紗耶はご飯を依然口に運びながら、何かを考えている様子であったが、呑み込むと同時に奏の問いに答え始めた。


「うーん……秘密かな」

「秘密?」


 奏はそう聞きながら僅かに眉を顰めた。それを見た紗耶は、笑みを浮かべてハンバーグを切り分けながら話を続ける。


「一つ言えるなら、私が彼を引き取ったのはとても重要な事だというべきかしら。まぁ、時が来たらちゃんと説明してあげるわ」

「……そうですか」


 奏はこれ以上、諏訪を引き取った訳を聞くのを止めた。ここまで言うのなら、口を割る事は決してないのだろうと悟ったからである。謎だけが残されたので心がモヤモヤしているが、もう一つの書きたい事があるため紗耶に尋ねた。


「──では、これだけは教えくれませんか?」

「ん?」

「諏訪匡臣は、信用できる男なのでしょうか?」


 その問いかけに紗耶の瞳が奏を見つめ始めた。

 紗耶の瞳を見た奏は、全てを見透かされるのではないかと錯覚しそうになっていたが、たっぷり数十秒ほど見つめた紗耶は、小さく息を吐くと短く笑って見せた。


「奏、それは愚問よ。これまで過ごしてきた大切な仲間達の下に、最悪班が全滅する様な脅威を、私達が連れて来る訳ないでしょう?」

「それは……まぁ、そうですが」


 紗耶の瞳から解放された奏は少しばかり肩の力が抜けると、思わず嘆息を漏らすほどに脱力した。


「その自信も、お嬢様が持つ能力からですか?」

「ええ、そうよ」


 紗耶は殆ど即答に近い形でそう答えた。その返答はどこか力強く、尚且つ彼女の能力でそう言えるのであれば、ほぼ問題ないだろう。


「それだけ聞ければ問題ないです」

「ふふ、それは良かった」


 そのまま二人はまた食事に戻った。だが、奏の疑問が全て解消された訳ではない。寧ろ少し疑問の数が増えた気もする。だが諏訪匡臣に関する不安は先ほどのやり取りで、ある程度は払拭出来ていた。

 但し、もしも諏訪が自身のパートナーなるのはあまり喜ばしいことではないと考えていた奏は、心中で複雑な思いを抱きながら、冷たくなったご飯を口に放り込んだ。


◆◆◆◆


三時間前・準危険区域


 準危険区域の住宅街はレジスタンスがゲリラ戦を行った事により、殆どが空軍の生き残っている航空機での空爆や対地攻撃で半壊または全壊している。

 その少女が身を潜めている廃屋も半壊しており、崩れた瓦礫に腰を下ろしていた。αは収容所の自爆範囲からは脱出できたが、途中で私設軍の部隊から無反動砲による攻撃を二発ほど受けていた。

 一発は回避できたが、二発目は相手側の使い手が優秀であったので片腕を吹き飛ばされた。なんとか片手で部隊を壊滅させたが、脱出を優先したので自らの腕を持って走るのは辛かった。

 回収に来る班との合流地点に到着してから二時間ほど経過したが、腕を修復させるまで人体に使う体力の殆どと半分の時間を費やした。能力を使うにも体力は消費するので、現在のαは殆どガス欠状態である。


「随分とお疲れの様ですね、α」


 αは反射的に敵から奪ったH&K. SFP9をヒップホルスターから引き抜くと、背後から声を掛けてきた相手に銃口を向けながら立ち上がった。


「ちょっと、俺ですよ」


 銃口の先には短髪の黒髪の中に青髪がメッシュの様に混じっている端正な顔つきの青年が、驚きながら両手を上げて立っていた。

 いかにも爽やかそうな印象の好青年だが、上半身に羽織った黒いポンチョの下に見えるプレートキャリアと腰に装着した拳銃用ホルスターが、彼を少年兵であるという現実に引き戻していく。


「β、背後に立つのはやめてくれ。お前の頭に銃弾を撃ち込んで殺していたかも知れないぞ」

「すみません、悪ふざけが過ぎました」


 青年──βは苦笑いを浮かべながら謝罪を口にすると、それを聞いたαは呆れた様にため息を吐いて銃口を下げ、ヒップホルスターに銃を戻した。


「回収班はお前だけか?」

「いえ、外にγとδもいますよ」


 αがβの背後を見ると、瓦礫の上に立ってこちらを見下ろしている二つの影が見えた。


「それは安心した」

「俺一人だと心細いんですか?」


 βはそう言って小さく息を吐くと、振り返って先ほど降りてきた瓦礫を登り始めた。


「早く帰りましょう、こんな所に長居したくない」


 βは振り返ると、瓦礫を登ろうと近づいたαに手を差し伸べてきた。


「必要ない」

「疲れているのでしょう、手ぐらい貸しますよ」

「ならその腕と私のを交換してくれないか?」

「それは無理です」


 軽いやり取りを済ませたαはβの手を掴んで瓦礫を登り始めた。瓦礫を登り終えるとβは満足した様子でαを振り返って、瓦礫の上を歩き始めた。


「さぁ、帰りましょう」


 αも家の側面に開いた大穴から、βの後を追って外に歩き出した。

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