[9]
収容施設が自爆措置を実行するまでの残り時間が十分を切った頃、第二ゲート前に設置されたヘリポートには、救助作戦に参加している国防陸軍所属機のUH-60JAブラックホークが一機、ローターを回転させながら待機していた。ヘリのキャビンには小隊長の野嶋少尉や衛生兵を含み、小隊から選抜された実戦経験豊富な優秀な四名の隊員が搭乗している。
「少佐、自爆処置まで残り時間がありません。これ以上の待機は危険です!」
ヘリの外で紗耶達が来るのを待っている赤渕に向けて、野嶋少尉は機体から降りて近づくと、ローター音に負けじと叫んだ。赤渕は制帽を風で飛ばされない様に抑えながら野嶋少尉に振り返ると、こちらも相手に聞こえるように声を張り上げた。
「彼女達をここに置いてはいけない、危険だがギリギリまで到着を待つしかない!」
その時、ブラックホークのキャビンから辺りを警戒していた曹長がゲートの入り口方向に指を差し、ローター音に掻き消されない様に声を張り上げた。
「少佐、一時方向に対象を確認!」
赤渕は曹長の指さす先に顔を向けると、ゲート脇に設置された職員用非常口から出て来た三人の人物が、ヘリに向けて走って来る姿を確認した。赤渕は紗耶と20式小銃を持つ奏の後ろを走る人物が見えなかったが、恐らくは収容所内にいた兵士の生き残りが同伴しているのかと考えていた。
しかし、赤渕は二人の後ろから走ってくる人物の姿が見えると同時に瞠目した。収容所の囚人服を着て無精髭が生えた少年、その人物は紛れもなく第三段階ブラックリストの諏訪匡臣であった。
「おい嘘だろ、あの子は何考えてんだ!」
野嶋少尉が声を上げながら慌てて赤渕少佐の横まで走ってくると、20式小銃を構え、光学照準器を覗くと諏訪匡臣の頭部に狙いを付けた。
◆◆◆◆
合流相手から構えられた小銃の銃口が諏訪に向けられ、その様子を見た紗耶は、一瞬目を見張ってから苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
「拙い…!」
紗耶は諏訪へと向けられた銃口の射線を塞ぐように彼の前へと飛び出すと、更に両手を広げて照準を合わさせない様にしてから声を張り上げた。
「銃口を下げて、彼は味方です!」
紗耶は諏訪にAKとSFP9を捨てるように促すと、諏訪は素直に指示に従い銃火器を捨て、しかも自主的に両手を上げて交戦の意思がないことを示した。その様子を見ていた野嶋少尉は小銃を向けながら赤渕少佐の方に視線を向けると、困惑したような顔つきになった。
「どうしますか?」
赤渕は紗耶を見つめていると、彼女の顔つきは拘束室に入る前に見た顔つきと同じ、年相応の真剣な顔つきであることに気付いた。それを見た赤渕は頷くと野嶋少尉の肩を掴んで指示を出した。
「少尉、銃を下ろしてください」
「彼はブラックリストですよ、危険です」
「今は脱出が最優先です。彼女が連れてきたのなら脱獄を考える様な野蛮な人間ではないでしょう。私は彼女を信じていますよ」
野嶋少尉は赤渕の意見に何故かと問いかける事はしなかった。彼も紗耶の人柄や有している能力等について把握はしているし、赤渕の最終的な判断はそれらを踏まえたのだろうと理解は出来ていた。
「……了解」
野嶋少尉はセレクターをセーフティに戻してから小銃を下げると、赤渕少佐は紗耶達に向けて手招きをして叫んだ。
「急いで、ヘリに乗って脱出します!」
紗耶達はヘリまで走り順々に搭乗していく。諏訪もヘリに搭乗しようとすると、紗耶が機内から諏訪に向けて真っ白な右手を差し伸べた。
「掴まって」
「ありがとう」
諏訪は紗耶の手を掴んでヘリのキャビンに乗り込んだ。そうして赤渕が機長に声を掛けると、ヘリは浮上を開始する。紗耶達は渡されたヘッドセットを被ると、機長の声が無線越しにクリアな音声で聞こえてきた。
『全員掴まれ、離脱する』
ヘリが浮上し始めると、右側に座る隊員の一人である軍曹が、地上に停車するトラックの物陰に二人の人影を発見した。一人はAKを持ち、もう一人はRPG-7の弾頭をヘリ向けようとしている。
軍曹は瞠目すると同時に20式小銃を構えながらパイロットに向けて声を上げた。
「3時方向トラックの影、RPG!」
『ガンナー、排除しろ』
機長の指示が終わる前に目標を視認したヘリガンナーはM2重機関銃を発砲し始め、連続した発砲音を響かせながら、トラックへと五十口径弾の雨を降らせ、影に隠れていた二名の民兵をRPGが発射される前に撃ち殺す事に成功した。しかし、今度は左側を警戒していた部隊の曹長がRPG-7の弾頭が撃ち上がり、飛来してくるのを確認するとパイロットに声を上げた。
「10時方向、RPG!」
『……ッ、揺れるぞ、全員掴まれ』
ヘリガンナーがMINIMI 5.56mm機関銃を弾頭が飛来してきたと思われる地点へ発砲し、パイロットはコックピット方向に飛来するRPGを回避するために機体を左横に傾けると、弾頭はギリギリでヘリの近くを通過した。諏訪はキャビンの中で摑まりながら揺れに耐えていると、偶然見下ろした地上に散在する瓦礫の陰に民兵が一人RPG-7を担ぎ、ヘリに狙いを定めようとしているのを発見した。
このままでは再び撃墜の危機に晒される。
諏訪は危機を報告する為に近くの曹長に顔を向けた瞬間、周りの音が突如として消え、隣で銃を構える音が聞こえてきた。諏訪は隣を見ると、灰色のパーカーにプレートキャリアを着込んだ三つ編みの少女が、20式小銃を構えており、RPG射手に向けて二発ほど発砲した。発砲時の5.56mm弾による衝撃やマズルフラッシュ及びマズルブラスト、薬室から排莢されるライフル弾の薬莢と排煙、一連の動作がスローモーションの様にゆっくりと過ぎていく。
諏訪は意識をヘリの外に戻すと、プロペラのローター音や環境音が、再び頭の中へ洪水の様に押し寄せて来た。正常な時空に戻った諏訪はRPG兵が仰向けに倒れる瞬間を見つめ、自分がいつの間にか両手で20式小銃を構えている事に気が付いた。
驚きを隠せない諏訪が思わず振り返ると、彼の背後では、尻餅をついて驚愕しながら動きが固まったままの奏が諏訪を凝視していた。
「お、お前……なにを」
諏訪は現在の状況を全てを理解した。常人では普通考えられない、超常現象の域を越え過ぎた出来事ではあるが、諏訪は急に内心で恐怖を覚え、小銃の安全装置を掛けると奏に押し付けた。
「すまない、だが脅威は排除した」
諏訪を見つめながら呆然としていた紗耶であったが、すぐに意識を戻すとヘッドセットのマイクを使って機長に呼びかけた。
「脅威を排除!」
『了解、このまま離脱するぞ』
ブラックホークは機首を多摩第二収容所から反対方向に向けると、最大出力で飛行し、凡そ三十秒ほどで危険エリアを離脱した。
『HIRYU-145、現在作戦地域を離脱中』
パイロットと避難先の基地との無線を聞きながら機内は先ほどまでの緊迫感から一転し、安堵感で包まれていた。紗耶自身も座席に身を委ねながら瞼を閉じて深く息を吐いた。
「これで、ひとまずは安全ですね」
赤渕がそう呟くと、収容所の方角から轟音を響かせる爆発音が連続して聞こえてきた。紗耶はヘリの座席から立ち上がって収容所の方角を見ると、収容所は施設を包むほどの土埃を立てながら、まるで浜辺で波に攫われる砂の塔の様に呆気なく簡単に崩れ落ちていった。
「まだあの中には、拘束した民兵達や置いて来てしまった曾根中尉などの遺体が残されてます」
赤渕は紗耶の隣で崩れ去る収容所を見つめ、悲しげな表情を浮かべた。紗耶は赤渕を一瞥すると軽く首を横に振った。
「生還の為には仕方がなかったんですよ」
紗耶はそう言うとヘリのキャビンの中に顔を向けた。キャビン内では奏が突然自身の銃を奪って使用した諏訪に顔を近付けて問い詰めていたが、本人は目を閉じて聞いている素振りはなかった。
紗耶は二人のやり取りから目線を外すと、赤渕少佐に頷き掛けてブラックホークのスライドドアを閉め、座席に背を預けて深く座席に腰を下ろした。短い時間の中で、多くの死の瞬間を目撃し、それらを整理するには少しばかり休息が必要であった。
◆◆◆◆
多摩第二収容所脱出から二時間後
──国防陸軍基地
ヘリの中で紗耶はある人物から連絡を受け、臨時避難場所として指定された陸軍基地に降り立ち、基地の兵士から面会室へ案内されていた。
面会室は向かい合って置かれた長机と椅子が二つだけ置かれている質素な部屋であり、防音処置もしてあるだろうと紗耶は予想を付けた。
疲れが溜まっていたこともあり、約十分ほど机に顔面を突っ伏していると突然ドアが三回ノックされた。紗耶は素早く顔を上げるとドアが開き、国防陸軍の第一種軍服を身に纏った壮年の男性が部屋に入って来た。紗耶はその姿をみた瞬間、素早く立ち上がると右手で敬礼を行った。
「お勤めご苦労様です、茂木大将」
「ああ、君も無事でよかった」
陸軍参謀総長を勤める茂木裕治大将は笑みを浮かべると、紗耶に席に座るように促した。
茂木大将は紗耶の祖父で二年前に死去した
彼も紗耶の能力と素性を完全に把握している数少ない人物であり、今回の多摩第二収容所訪問の相談も、紗耶から持ち掛けられ、赤渕少佐に手配を促した張本人でもある。茂木は紗耶と共に席に座り、両手を机の上で組むと話し始めた。
「赤渕少佐から報告を聞いた。過激派の特異体質者に命を狙われたようだね?」
「はい、αという名の少女兵です。新たに離反した過激派が襲撃を実行したのであれば、彼らの組織に属している特異体質者で間違いないでしょう」
「ふむ……まあ取り敢えず、君が無事で本当に安心した。もしかして、彼の協力を得られたのか?」
「諏訪匡臣は私と奏の命を救い、ブラックホークが撃墜されそうになった最中、ヘリと乗務員、特殊部隊員も救いました。彼は命の恩人です」
紗耶が問いに答えると茂木大将は小さく笑みを浮かべたが、すぐに笑みを排除して真剣な表情に戻ると紗耶の顔を見つめた。
「実は今回の収容所襲撃後、レジスタンスに潜入している諜報員から中隊規模で民兵が動員されていたと報告が入った。民兵達の所属は、君が予想した通り、新たに離反した過激派であると判明したよ」
自身が予想した通りの回答を受けた紗耶は驚きもせず、淡々と事実を理解して受け入れた。
レジスタンスの過激派は残虐で過激な思想に取り憑かれた者達が多い傾向にある。通常的に日本のレジスタンスの最終目標は、私設軍を全国危険区域及び準危険区域での戦闘停止と完全撤退、未だ残る特異体質者や危険区域出身者の差別を撤回し、安全区域の国民と同等に回復させると共に保障を受け入れさせる事である。
反対に過激派は安全区域の人間や政府を憎む人間が大多数である。一部の構成員は安全区域の住民と政府高官の粛清を行い、お抱えの議員で構成した新政府を樹立し、彼等の考える『より良い日本』を目指すことを最終目標にしている。つまるところ、紗耶は過激派とは相容れない存在なのだ。
「となると、私は事前に狙っていた施設に飛び込んできた恰好の餌だったと言うことですね」
「そういうことになるな。ただ襲撃が偶然に起きた事かは疑わしい所ではあるがね。さて、前置きが長くなった。それでは本題に入ろう」
茂木大将はそう言うと襟元を少しばかり直してから、紗耶を見つめながら僅かに身を乗り出した。
「君がこれまで申告してきた件だが、統合参謀本部総長が興味を示した。参謀本部の会議で解放するか否かを話し合うことが決まったよ」
紗耶は思わず小さな声を漏らした。
この要望自体、安全保証上完全に安全ではないとの理由が付けられて却下されると考えていた。そのため、統合参謀本部のトップが要望に興味を示したのは意外なことであった。
「……驚きました。松縄大将に興味を持っていただけるとは思ってもみませんでしたから」
「私も苦労した甲斐があったというものだ。今回君はブラックリストと共闘し、敵を退けた。この事実と現地にいた者の証言が有れば、余程変な事を言わない限り否決はされないだろう」
「そうですね、そうなると祈るばかりです」
紗耶はそう言って小さく息を吐いた。再び茂木の方に視線を向けると、彼は心配した様子であり、表情が露骨に感情を表していた。
「かなり疲れているな、大丈夫か?」
「お心遣いありがとうございます。ですが少しだけですので、お気になさらずに。それよりも、お聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」
「なんだい?」
「父の行方は、何か掴めましたか?」
その問いを聞いた瞬間、茂木大将は少しばかり顔を顰めて僅かに視線を逸らしたが、小さく唸ってから首を横に振った。
「いや、彼の足取りは巧妙に隠されている。陸軍情報部も彼の行方は未だ掴めていない。こう言っては悪いが、既に死亡している可能性も大いにある」
「……そうですか」
その後も紗耶は茂木大将と話を続け、諏訪の今後の扱いや襲撃事件で遭遇した国防軍も認知していない新たな特異体質者の民兵についても話し、全てが終わった頃には午後四時を回っていた。
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