[8]

 紗耶達は赤渕少佐との連絡を取った後、紅く塗れて兵士の亡骸が無数に転がる廊下を駆け抜け、地下一階からエレベーターに乗り込んでいた。拘束室からエレベーターホールまで小走りで移動してきた事もあったか、三人は少しばかり息遣いが荒かった。


「あと三十分、ギリギリね」


 エレベーターの壁に寄り掛かりながら紗耶は自身の腕時計に目線を落として呟いた。地上のエレベーターホールから合流地点である第二ゲートは距離があるので、到着する頃にはギリギリな時刻となってしまう事は紗耶自身覚悟していた。


「確認なんだが、施設にはレジスタンスの民兵が徘徊しているかもしれないんだよな?」


 諏訪はエレベーターホールに来るまでに警備兵の亡骸から拝借したH&K SFP9の動作や、薬室に銃弾が装填されているかを確認しながら紗耶の方を見ずに問い掛けた。


「ええ、でも浄化処置までの時間がそんなに残されていないから戦闘行為より脱出を優先しないと。極力戦闘行為を避けないとね。ネズミの様にコソコソと行動しないといけないわ」


 諏訪はその言葉を聞いて鼻を鳴らすと、紗耶の方に顔を向けて小さな笑みを浮かべた。


「もし敵とコンタクトしても、自分達は未成年なんだから、見逃してもらいたいもんだけどね」

「武装してる限り、それは無理な話でしょうね」


 紗耶は苦笑いを浮かべて見せていると、彼の隣で万人が一目見て分る様な警戒心を諏訪に向けている自身の護衛が視界に入った。それを見た瞬間、紗耶は奏の警戒心の高さに呆れてしまい、小さく溜息を吐いてから諭し始めた。


「そんなに露骨な警戒心を向けなくても、彼は私たちを殺したりしないわよ」

「彼はさっきまで収監されていた第三段階ブラックリストの少年兵で作用。警戒するのは当然です」

「……この先命を預け合う関係になるかもしれないのに、こんなギスギスした関係で大丈夫かしら」


 紗耶は一抹の不安を抱き始めていると、エレベーターは到着音を鳴らして目的の階に到達した。諏訪は階の表示から銃に視線を落とすと、チャンバーチェックを行なって息を吐いた。


「行くぞ」


 エレベーターのドアがゆっくりと開き、諏訪と奏は殆ど同時に銃口をエレベーターの外へ向けた。地上の収容区は既に部隊の撤退を完了したのか足音は聞こえず、 代わりにエレベーターホールにはレジスタンスの民兵らしき遺体と、施設の警備部隊員の遺体が複数体転がっていた。


「ここで戦闘があった様だな」

「ええ、警戒は怠らないでね」


 諏訪は開くボタンを押しながら銃を構えた奏とその後方を歩く紗耶を先に出し、自身もエレベーターの外に出ると、左側に続く通路を見つめてから紗耶と奏に振り返った。


「武器を拾っておいた方がいい、この先戦闘になった時に必要になるかもしれない」


 奏は頷くと警備隊員の遺体に近づくと傍に落ちていた20式小銃を拾い、諏訪も民兵の死体の傍に放り投げられていたAKを拾い上げた。諏訪は弾倉を抜いて確認してから、亡骸が身に付けているチェストリグから予備弾倉を二つ抜き取ってスリングを体に掛けた。


「行きましょう、残り二十五分しかないわ。二人とも警戒だけは怠らないでね」


 紗耶が腕時計を確認しながらそう言うと、諏訪と奏が頷くのを確認してから先導して走り始めた。


◆◆◆◆


 αが意識を取り戻して最初に耳にしたのはサイレン音と避難を促すアナウンスであった。

 息を吸うと肺が痛み、咳き込むと口から空気と共に血も噴出する。両手両足が折られ、奇妙な方向へ折り曲がった手足の関節部分は圧迫感と肉を引き裂かれた様な激痛を纏っていた。

 しかし、αは右腕を持ち上げた。右腕は第一関節から先が元の関節から逆方向にだらりと折れ曲がっていたが、右腕に意識を集中して瞼を閉じた。

 すると、折れ曲がった腕がまるで動画の逆再生の様に元に戻り始めた。

 そうして戻った腕が元の位置に戻り、折れた骨も元通りに修復されると右腕はほんの数十秒で、先ほどまでの重傷が嘘の様に完治した。

 それに続き、左腕と両足もこれまた先ほどの右腕と同様に再生して修復された。先ほどまで全身を駆け巡っていた激痛と圧迫感は消え失せ、αは深く息を吐いて立ち上がった。

 周囲に視線を向けると、周りは物や自分が殺した者のむくろが散乱している。その他、アナウンス以外に物音は聞こえない。

 対象の冬島紗耶は護衛と収監していたブラックリストを脱獄させて逃走したのだろう。

 そう考えていると、右腕に装着したウォッチから通信を告げるクリック音が短く鳴った。αはウォッチの小さなボタンを押して右腕を持ち上げると顔に近づけた。


「こちらα」


 すると、ウォッチから司令部に詰めているオペレーター係である男性の声が聞こえてきた。


『こちらハーメルン、状況を報告しろ』

「対象の殺害は失敗、ブラックリストの反撃に遭い護衛共々取り逃しました。現在施設は自爆処置に入っています。ハーメルン、指示を願います」

『……了解、ビショップからの情報では一三五五時までに脱出しなければ、君はその施設と共に消し飛ぶ。任務を中止し早急に脱出しろ、避難通路をウォッチに送信する。ハーメルン通信終了』


 通信が終わった直後、脱出経路がウォッチを通じて送信されてきた。ビショップとは国家警備局の将校で、レジスタンス側の内通者でもある。彼からの情報なら安心できるだろう。

 αはそれを確認すると顔を下げたまま小さく表情が歪んだ。憎悪や憤怒によるものではない、内に秘めた彼女の本当の心。小さな悲しみが彼女の顔に表れていた。


◆◆◆◆


「ここを曲がって通路を進めば、すぐに着くわよ」


 紗耶達は警戒しながら通路を走っていた。

 残された時間は約十七分。

 三人はペースを上げて走っていたが紗耶は内ポケットに入れた携帯の振動を感じ取ると、立ち止まって携帯を取り出した。

 画面に表示された相手の名前を確認すると、赤渕少佐からであった。紗耶は奏と諏訪を側に寄らせてから通話ボタンをタップし、スピーカーモードにすると通話を始めた。


「はい、冬島です」


 電話口の向こうからはヘリのローター音と複数人の声が背後で聴こえながら、それに負けじとする赤渕の声が聞こえてきた。


『お嬢様、いまどちらに?』

「現在はAー5区にいます。特に弊害が無ければ、あと少しで第二ゲートに到着して合流できます」

『分かりました、私達はヘリでこちらに待機しています。ただ時間がありません、残り五分までに来られなければ我々は安全を優先して脱出します』

「分かり───」


 すると、諏訪が何かを察知した様に通路の先にある広場方向に顔を向け、紗耶に向けて口に人差し指を口に近づける仕草を示した。紗耶はそれを見てその意味を察すると、少し早口気味に電話越しの赤渕に伝える。


「すみません、弊害が発生しました。また後でかけ直します」


 紗耶は相手の返答を聞かずに電話を切ると諏訪と奏に頷きかける。諏訪と奏は顔を見合わせると互いに銃を構えながら広場の入り口に近づいた。足音を極力立てずに三人は入り口に到着すると、諏訪は壁際から広場の様子を確認する。

 民兵の服装や装備に身を包んだ男達が5名ほど右往左往して頭を抱えていた。


「畜生、駄目だ。瓦礫が持ち上がらない」

「ほかに脱出できる場所はないのか!」

「知らねぇよ、侵入した所はドローンの爆弾で瓦礫が崩落しちまったんだ、他を探すしかない」


 どうやら逃げ遅れたレジスタンス側の民兵隊の生き残りである様だ。五人は苛々と辺りを彷徨って出口を探している。彼らの奥には第一エントランスに続く扉があるが、爆発の影響でフレーム部分は暗く焦げ、辺りの窓の破片が散らばり、天井から崩落したであろう瓦礫で扉が塞がっている。


「こんな時に面倒な相手だ」


 奏が眉を寄せて険しい顔つきでそう呟いた。民兵達は全員がAKを装備している。いくら諏訪でも現在の状態で五丁のAKの火力に立ち向かう勇敢さは持ってはいないし、生き残れる自信もなかった。


「どうする?」


 諏訪の問いかけに紗耶は小さく唸った。体調が快調ならばあの人数はすぐに殺せるが、今の状態ではとてもAKと戦える状態ではない。紗耶は短く思案すると二人に指示を出した。


「無理に戦う必要はない、物陰に隠れながら先に進みましょう。一刻も早く脱出しないとだし、もう時間がないわ」


 三人は低く屈むと、素早く広場の中に置かれたオブジェクトやソファーの裏を進み始めた。ゆっくりと、こちらに向かってきそうな民兵がいる度に動きを止めて息を潜めた。そうして順調に次のオブジェクトの影に行こうとした、その時であった。

 紗耶の足元で何かが割れる音が聞こえてきた。諏訪と奏は、その音を聞いてほぼ同時に顔を紗耶の足元に向けた。


「あ、やば……」

「なんだ、何か聞こえ──」


 民兵の一人が振り返ると屈んだ姿勢のままの紗耶と目が合い、その視線が諏訪と奏に向けられる。

 段々と民兵の瞳が見開き、口がOの字に大きく開かれた瞬間、諏訪の持っていたAKが火を吹いた。

 フロア全体にAKの発砲音が轟き、民兵の頭の右半分を消し飛ばすと男は仰向けに倒れる。そうして残りの民兵達も慌てて振り返った。


「生き残りだ、殺れ!」


 誰が叫んだだろうか、それはAKが撃たれてから即座に隠れた三人には分からなかった。奏が紗耶を引っ張って物陰に転がり込んだ瞬間、残り四人が持っていたAKが一斉に火を吹いた。

 爆音と共に高速で放たれる7.62mm弾が、紗耶達が隠れている物陰や地面を削り始めた。


「うぉッ、畜生が!」


 諏訪が物陰に隠れながら苛立った声を上げ、紗耶も小さいオブジェクトに体を丸めて隠れていたが、頭のすぐ脇を高速で回転するライフル弾がオブジェクトの一部を抉って壁に弾痕を掲載した。


「うわっ、今のは危なかったわね」

「お嬢様、頭を下げていて下さい!」


 奏は20式小銃の銃口を物陰から突き出して反撃を開始する。奏の反撃に民兵は慌てて物陰に隠れようとするが、そこに諏訪のAKの発砲も加わる。

 奏と諏訪の反撃に逃げ遅れた一人が、奏に足を撃たれてから諏訪により蜂の巣にされ、地面に釘付けにされる。


「くそ、反撃させるな!」

「攻撃しろ!」


 民兵側からその様な怒号が聞こえ、セミオートで発砲していた一人がフルオートに設定したらしく連発した爆音が鳴り響き始めた。

 その音に堪らず隠れた諏訪の遮蔽物を徐々に銃弾が削り始めた。破片が飛び交い、諏訪は目を細めながらもズボンに差し込んだ弾倉を取り出して、紗耶に顔を向ける。


「おい、何か策はないか!」


 諏訪はAKの空の弾倉を新しい弾倉で弾き飛ばしてから交換すると、苛立たしげにそう叫んだ。

 紗耶は爆音の中でも冷静に頭を働かせていた。自身の所持するCSXは予備弾倉を持ち合わせていないので弾切れであるし、先ほどのαとの戦闘で安静にしていた体を酷使した為、腕や身体の一部などが痺れ始めていた。

 万策尽きたかに思えたが、紗耶はすぐに何かを思い出した様に上着の内ポケットに手を入れると、何かを探り始めた。


「うーん……あっ、あった!」


 紗耶は内ポケットから筒状の物体を取り出した。

 側面には青い線が縦に引かれ、筒状の物体の上部には白い文字で《D22CB》と小さく横に記載されていた。


「なんですか、それは?」

「見れば分かるわよ。二人とも、頭を下げて!」


 紗耶はD22CBのボタンを押し、物陰から起き上がると勢い良く民兵に向けて投げ飛ばした。

 円筒状の物体は半円を描きながら3人の民兵達をセンサーで捉え、円筒状から槍状の細長い形へ変化した。槍状の物体は徐々に速度を上げ、民兵達の丁度中心の地面に突き刺さると青白く発光し始める。


「ば、爆──……」


 民兵が上げた声を遮る様に物体は青白い炎を纏い爆発して民兵達を包み込み、更には爆発物の内部から小型の矢が無数に噴射した。

 全身に衝撃が響くほどの轟音がフロアを満たし、紗耶達が隠れていたオブジェクトや頭上を通り抜けて壁にも無数の矢が突き刺さった。

 数秒が経過する頃には、巻き上げられたコンクリート噴や爆風の中に紅い肉片と無数の矢が刺さりながら辛うじて残った遺体の一部が散らばっていた。

 まだ周囲に肉の焼け焦げた匂いや微かな熱風が残っているが、諏訪は咳き込みながらも顔を出して様子を伺う。しかし、動きは見られなかった。


「奴ら吹っ飛んだな、もう大丈夫みたいだぞ」

「爆発は結構危なかったわね」

「お嬢様……あれは一体何ですか?」


 物陰から立ち上がっていた奏は焼けこげて針地獄みたくなっている凄惨な現場を見ながら、何が起きたか理解出来ない様で呆然と紗耶に問いかけた。


「D22CBという名の広範囲制圧型手榴弾よ。私は今日銃を持ってきてないから、防衛手段と試験運用の為にプロトタイプを二日前に受け取ったの」

「それなら室内で扱うには危険すぎるという調査結果でも記入しておいてもらえないか」

「ええ、分かったわ」


 紗耶はそう答えながら目線を腕時計に向けて時間を確認し、施設の自爆まで残っている時間を確認した。余計な戦闘を挟んでしまったので、進めたであろう時間をかなり失ってしまった。このままでは本当にギリギリの脱出になってしまう。

 紗耶は一度深呼吸を行ってから気分を落ち着かせると、諏訪と奏に顔を向けた。


「浄化までの残り十分。急ぐよ」


 紗耶は諏訪と奏にそう言うと、三人は揃って第二ゲートに続く廊下を走り始めた

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