[6]

 奏と紗耶が部屋に飛び込むと同時に拘束室の扉が閉まりロックが掛かった。紗耶は顔を上げると、拘束されている諏訪が目を見張りながら、飛び込んで来た二人を見つめていた。


「おい、大丈夫か。隣の部屋がとんでもないことになっているようだが」

「襲撃よ、特異体質者に襲われた。多分……いや確実に向こうにいる人達は今頃は殺されているわ」


 紗耶は冷酷な事実を告げると呻き声を上げながらも起きようとしている奏に手を貸し、壁を背にして座らせた。紗耶はシャツの下に装着した防弾ベストが防いだ銃弾以外、奏が被弾した箇所がないかを確認したが怪我は無かった。


「うん、流血は無し。他に怪我は無さそうね」


 紗耶は安堵した表情でそう呟いた。しかし、安心したのも束の間、拘束室の強化シャッターに強い衝撃が加わり、シャッターの表面が軋むと防弾ガラスにヒビが入った音が聞こえてきた。


「くそ、まずい……」


 奏が呻いた。先ほどのパワーを持ってすれば、特異体質者の少女は短時間のうちに強化シャッターを破ってくるだろう。何度も打撃音が響き、シャッターが更に内側に凹んできている。もう侵入されるのは時間の問題である事は誰の目にも明白である。

 諏訪はシャッターから紗耶達に視線を向けた。二人とも覚悟を決めた顔つきでシャッターを見つめ、奏に関しては片膝を付いて拳銃を構えている。

 助けたい、そう思っていても記憶がなく、戦い方や特異能力も忘れている自分は肉壁にしかならないだろう。諏訪はやりきれない視線を再度シャッターを向けようとした、その時であった。

 自身の左側から人の気配を感じた。諏訪は殆ど無意識の内に、そちらに視線を向ける。視線の先、部屋の隅に灰色のパーカーに黒いジーンズを履き、プレートキャリアを装着している髪を三つ編みにした少女が、こちらを見つめていた。

 諏訪がその少女と目が合うと、彼女は微笑むと口を小さく動かした。発音こそしなかったが、諏訪にはその口の動きで彼女がなんと口にしたか理解する事が出来た。


───私に任せて。


 その一言を理解した瞬間、諏訪の体がふわりと軽くなり、頭の中がビリビリと静電気の様な小さな衝撃が走り始め、諏訪は顔をしかめた。

 すると両瞼が急に重くなり、諏訪はほぼ抵抗なく瞼をゆっくりと閉じた。


「まずい、破られた!」


 奏の声が聞こえ、諏訪は再度目を開けると丁度強化シャッターを特異体質者の少女の握り締められた硬い拳が貫通していた。


「来るわよ」


 紗耶は息を呑んで身構えていると、貫通した穴が徐々に広げられ、その部分が勢いよく剥ぎ取られると人が通れるほどの大きさの穴が開かれた。

 穿たれた大きな穴の向こう側から、顔面が血まみれの曾根の襟首を掴んだ赤髪の少女が現れた。

 少女の背に見える観察室は薄暗いが、血溜まりや研究員の亡骸が多数地面に転がっているのが見え、凄惨な現場である事が伺えた。

 少女は紗耶と奏そして諏訪を見渡した。少女は拘束された諏訪と目が合うと僅かに目を見開いたが、すぐにまた元の目つきへと戻る。

 まだ辛うじて息のある曾根の首を掴んで僅かに持ち上げると、もう一方に持っているベレッタAPXを曾根の顔に突きつけた。


「冬島紗耶、私と一緒に来い」


 少女は紗耶に向けて機械の様な感情の無い声で自身の要求を提示した。


「来ないと言うのなら、こいつを殺す」

「ぅ"ぁ"!」


 赤髪の少女は意識が朦朧としている曾根の髪を握ると、強引に顔を上げて銃を突きつけた。


「やめなさい」


 その一声を聞いた少女は、両手をあげて奏の後ろから歩み出してきた紗耶に目を細めた。この状況下なら、冬島紗耶は能力を扱えない。


「曾根中尉をこちらに渡しなさい、交換条件よ」

「だめだ、まずはお前がこちらに来い」

「条件を飲めないのなら、私はそちらに行かない」

「そうか」


 少女は紗耶の言葉を聞くと一切の躊躇なく、曾根の左足を撃ち抜いた。曾根は声にならない悲鳴を上げて悶える。紗耶と奏が驚愕の視線を向けると、少女は紗耶に銃を向けて抑揚のない声で話す。


「次は左肩、その次はこめかみに撃つ」


 紗耶は悶えている曾根に視線を向けてから、もう一度少女に鋭い視線を向けた。その時、紗耶の後ろから僅かに気配を感じた。その独特な気配を察した紗耶は深呼吸を一度、それから少女に語りかけた。


「分かった、要求通りあなた達と一緒に行くわ。でも,その前に一つだけいいかしら?」

「なんだ?」

「貴女のコードネームはα、合ってる?」

「……なぜそれを」


 赤髪の少女──αは僅かに目を見開いた。そして気づいた、紗耶の翡翠色の左眼が僅かに発光していることに。これは彼女の能力であると。


「α」


 紗耶は全く笑みを浮かべず、自身に銃口を向ける少女に短く告げた。


「私を襲う場所を間違えたわね」


 その瞬間、紗耶は左手を銃の形に変えると小さめに生成した炎弾を二発、諏訪を拘束している機具に向けて発射した。そうして、拘束具は音を響かせて弾けた。

 拘束具のネジが飛わで椅子が衝撃で軋み、片手を上げた紗耶の隣を白い何かが高速で通過する。

 αはその音に目を見開いて曾根を突き飛ばし、APXを諏訪の拘束椅子に向けるが、すでに諏訪はαの間合いに入っていた。


「──ッ!」


 αは諏訪に視線を合わせた瞬間、僅かに身を引いて銃口を諏訪に向け、引き金に力を込める。

 しかし、諏訪は彼女が発砲する瞬間に両手で拳銃のスライドを握り、頭上に強引に銃口を晒した。

 諏訪は手に発砲時の熱さを僅かに感じながらも、驚愕しているαから拳銃を奪い取ると、高速で放たれた掌底で彼女の胸を突き飛ばした。

 αは自身に何が起きたかわからないまま、観察室側の入り口近くの壁まで突き飛ばされ、背中を強打した。肺から空気が押し出され、その場に崩れ落ちる。


「……速い」


 紗耶は血だらけの曾根を抱えて遮蔽物に隠れながら、そう呟いた。諏訪は咳き込むαから奪ったAPXに目線を落とすと、弾倉を抜き、スライドを取り外して分解すると後方に放り投げた。


「来い、相手になってやる」


 諏訪は裸足のまま血の海の観察室に降り立つ。αはゆっくり立ち上がり、そのまま拳を握りしめると地面が抉れるほど踏み込み、諏訪に跳躍する。

 αは右ストレートを繰り出すが、諏訪も体を捻り蹴りを繰り出して受け止めた。衝撃波が二人の周りで発生し、観察室に攻防の風が吹き荒れる。

 二人はそのまま距離を取ると、またも高速で間合いへと飛び込む。

 諏訪の勢いよく放った回し蹴りを躱してから、αも蹴りを繰り出すが、諏訪もすぐさま左腕でガードしてから、空間を切り裂く様に鋭い拳を放つ。αは咄嗟に顔を逸らしたが、左のこめかみを硬く握られた拳が擦り、皮膚が焼ける感覚に陥った。

 その瞬間、αも絶え間なく拳を繰り出すが、その全てを見透かされているかの如く防がれ、逆に放った拳を弾かれてしまい、αはバランスを崩した。

 その隙に諏訪の拳が相手の鳩尾みぞおちへとめり込む。圧迫されて息が詰まるのを感じ、αは僅かに反撃が遅れた。

 それを見逃さず、諏訪はαの両肩を掴むと膝蹴りを何度も腹部に蹴り込み、よろけたところにすかさず掌底しょうていを数発叩き込んだ。

 掌底の衝撃でαは吹き飛ばされ、後方の壁に激突すると、机を巻き込んで地面に崩れ落ちた。

 大きな落下音と共に地面に倒れ伏したαは、ゆっくりと起き上がると片膝を付いた。肩で息をするαに対して、諏訪は一切息を乱しておらず、平然を保ちながら彼女を見下ろした。


「どうした? もしかして、終わりか」


 αは諏訪の言葉を聞いて小さく、ほんの一瞬ばかりであるが口角が上がった。次の瞬間、αのオーラが、周りの空気が凍り始め、そして重く張り詰めてきた。彼女の雰囲気が一変したのは、誰の目にも明らかである。


「まだだ、まだ私は……」


 ゆっくりと顔を上げた時、両目は大きく見開かれており、漆黒の虹彩が黒から碧へと変化し、微弱打が鮮やかに発光した。


「──終わってない」


 そうしてαは右手のグローブを引きちぎる勢いで外すと、間髪入れずに諏訪に向けて掲げた指を弾いた。乾いた音が鳴り響くと同時に、およそ普通の人であるなら気づかないほど諏訪の周囲の景色が歪み始めた。それに気づいた諏訪は咄嗟にその場から飛び退くと、その場で四方を円で囲む様に空間を斬撃が切り刻んでいた。

 諏訪はその景色に目を奪われていたが、再びαに視線を戻した。しかし、その場に彼女がいない。諏訪は前方を見渡して舌打ちした。


「チッ、拙い」


 すると背後の拘束室で諏訪とαの死闘を見ていた紗耶が目を見開いた叫んだ。


「諏訪君、後ろ!!」


 諏訪は紗耶の叫び声が響く前に高速で近づく気配に気付いて、背後を振り返った。刹那、戦闘用グローブで手を覆い、悪魔の如く大きく開かれた左手が自分の頭を掴む為に顔先へと迫っていた。

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