[3]

 少年は夢を見ていた。何処かにいる誰かの視線を借りた夢であり、不思議と体が軽かった。


「お父さま!」


まだ声変わり前の年頃であろう少女の父を呼ぶ高い声が響くと同時に、体の内から毛が逆立つ程の喜びの感情が湧き上がってきた。

 視線の先には粉々に砕け散って黒く焦げたヒューマノイドが横たわっている。視線を落とし、アルビノ質である小さな右手を見ると、手からは灰色の煙が微弱に放出している。

 その視線が後ろを振り向くと、視線の主よりも大きな背丈を持つ白衣の男性が二人程立っていた。そのうちの一人、顔を"モザイクで覆われた"男性が少女に駆け寄ると思いっきり抱きしめた。


「よくやった、それでこそ僕の娘だ!」


 モザイクの男性の後ろでは黒髪を短く刈り込み、目つきの悪い強面の男性が無表情で記録用紙に何かを記入していた。視線を共有しているためか他の作用があるのか不明であるが、段々と気分も高揚していくのを感じる。


「お父さま、わたしやりました。しっかりと、お父さま達が授けて下さった力に順応できました!」

「ああ、これなら世界で初めてブラックリストと同等の力を持つ抑止力になることが出来るぞ」


 何かの実験が成功したようで二人は大はしゃぎである。しかしモザイクで顔を隠された彼の後ろにいる男の顔を視界を借りて見た瞬間、少年の頭にその表情が張り付いた。彼は喜ぶどころか表情ひとつ変えようとしていなかった。視線をモザイクの男性に向けていたが、その視線は人を殺すことをいとわない人間とそう変わらない様に思えた。

そのような事を考えていると場面が変わった。今度は、荷物をまとめたモザイクの男性がスーツを着て建物の入り口で、黒い兎のぬいぐるみを抱えた自分──少女の前に屈み、頭を優しくでている。自身の同調主は少しばかり悲しい雰囲気で声を発した。


「お父さま、行ってしまわれるのですか?」

「ごめんな。でも、僕が責任を持って彼を止めなければならないんだ。だから……いいかい、僕はもう戻れないかもしれないけど、お姉ちゃんの言う事はしっかりと守るんだよ?」

「……はい」


 少年も先程の嬉しさとは打って変わって胸が圧迫される様な感覚に陥り、何処までも広がる闇を感じ取った。突如として一変した雰囲気に、流石の少年も困惑した。しかしその様な深層の感情を読み取った瞬間、甲高いブザー音が鳴り響き、少年の意識は徐々に覚醒を始めた。


◆◆◆◆◆


紗耶と奏は拘束室に踏み込むと、ゆっくりと部屋の中央に設置された可動式の椅子に拘束されたブラックリストの少年兵に歩み寄った。

 奏は万が一の為に腰裏のホルスターに差し込んでいた非殺傷武器のテーザー銃を両手で構えていた。


「お嬢様、伏見さんが先ほど言っていたこと、絶対に守ってくださいよ?」

「大丈夫よ、必ず守るから」


 奏はテーザー銃を構えながら、自身の主人に釘を刺したが、この程度で彼女がいう事を聞くとは思っていない。事実、受け答えた紗耶の顔は真剣な顔ではなく、少し笑みを浮かべていた。この顔で受け応えたら奏は一層警戒を強めないといけない。

 紗耶は臆する事なく、ブラックリストの少年兵の前までゆっくりと歩み寄った。そうして彼の前に立つと暫く立ち尽くし、首を垂れた彼を見下ろした。

 少年は黒髪が伸び、手が荒れており、右側の手の甲は火傷の跡が残っていた。目当ての人物を間近で観察している紗耶は、ゆっくりと彼の顔を覗き込もうとした。丁度その時であった。


「ゔぅ……」


 およそ少年の出すものとは思えない低い唸り声が聞こえてきた。紗耶は反射的に体を仰け反らせて飛び退いた。


「お嬢様、下がってください」


 今まで紗耶の後ろにいた奏は、覚醒しようとしているブラックリストにテーザー銃を構えながら足早に紗耶の隣に歩み寄った。

 観察室で待機している伏見や赤渕達も固唾を呑んでその様子を見守っている。少年はゆっくりと頭を上げ、ようやくその顔を拝める程度には上がりきると紗耶と奏に顔を向けた。彫りの深い顔で目元は鋭く、眉毛は髭を剃っていないので太くて無精髭も伸びている。

 紗耶が事前に貰い受けた資料に添付された顔写真とは別人なのではないか、そう思われるほどに疲れた様な顔つきで印象も違っていた。

年齢は同い年だが、その見た目も相まって紗耶が抱いた印象は「おじさん」、その一言だった。少年は紗耶と奏に鋭い視線を向けてから、ゆっくりと口を開いた。


「初めましてかな?」


 びっくりするほど低音なハスキーボイスで問われた紗耶は、思わず笑みを浮かべて応答した。


「ええ、初めまして。よく眠れたかしら?」

「ぼちぼちかな」


少年も受け応えると、紗耶の隣で警戒しながらテーザー銃を構えている奏に少々困った様な視線を向けた。


「あー……それは下げてくれないか。そんな物を向けられてたら、落ち着けないのだが」

「だめだ、これは下げられない」


奏はテーザーを構えながら応えると少年は諦めた様に顔を下に向けて小さく嘆息し、頭上から降り注ぐライトに目を細めて再び紗耶に顔を向けた。


「君たちは何が目的で、ここへ来たんだ?」

「私達は貴方とお話がしたくて、はるばる会いに来たのよ、諏訪すわ匡臣まさおみ君」

「自分の名前は既に知られている訳か」


ブラックリストの少年──諏訪匡臣は、そう言うとなおも厳しい目線のまま、いやそう見えるだけであって少し笑みを浮かべた。


「それじゃあ、君の名前も教えて欲しい。名前も知らない相手と面と向かって話をするのは、落ち着かないものだからね」

「そうね。でも少し待って、椅子を持ってくるわ」


紗耶は諏訪を担当する医者が使っていたであろうパイプ椅子を壁際から持ってくると、諏訪の前に置いてそのまま静かに座った。


「それでは自己紹介をしようかしら。私の名前は冬島紗耶、特異体質を研究する冬島家の代理当主を務めてるわ。テーザーを構えている子は廣瀬奏、私の護衛班の班長を務めてくれているわ」


紗耶の自己紹介で、諏訪は紗耶と奏を交互に見て顔を覚えると、数回小さく頷いた。


「名前は覚えた、よろしく。それで何を話しに来たんだ。世間話をしに来たんじゃないだろ?」

「ええそうよ、貴方にはいくつか聞きたいことがあるの。でも残念よね、貴方は記憶を失っている」

「ああ」

「これを見てほしい」


 すると、紗耶は自身が羽織っているコートの内ポケットから革の手帳を取り出すと、中から二つの写真を取り出して、左右の手で持つと諏訪の前に突き出した。

 諏訪はその写真を見ると、二人の人物が写っていた。右手の写真は眼鏡をかけた黒髪のクールカットの知的な風貌ふうぼうな男性、左手の写真は黒髪を刈り込んだ強面の男性である。

 諏訪はその写真を見た時、左手の写真に写る男が先ほど見た夢の中に出てきた人物と同一であると、

すぐに分かった。紗耶は諏訪を見ながら穏やかな声で話し始めた。


「記憶を失っていても、この二人の内どちらかは知っている筈よね」


諏訪は知っているが、夢の中で似た様な人物を見たと言われて馬鹿にされるのは御免ごめんなので、わざとしらを切ろうとした。


「何を言っているんだ。自分は記憶が──」

「いいえ、記憶が同期した時に貴方は確かにこの2人のうちのどちらかを見たはずよ」


諏訪は知らず知らずのうちに、自然と目を見張っていた。紗耶はそれを見逃さなかった。


「記憶の同期?」

「貴方はこの数日間、数十日、または一ヶ月以内の間に"他人の記憶"を見たことはあるかしら?」


 ああ、なるほど。諏訪は思った──この少女は知っている。経験したことがあるのだと。


「……見た事はあるよ」


 なら、嘘をつく必要もない。

 確かな真実を言えば良いのだ。


「信じてもらえないと思うが、さっきまで眠っていた時に左の写真の人物は見たことがある。自分が見た時は実験中で、その男は何かを記入していた」


それを聞いた瞬間、紗耶と奏の表情が少しだけ変わった。どこか緊迫した時に見せる顔をしかめた様な表情である。


「貴方が見た記憶の中で、その男は何回か見たことがあるかしら?」

「いや、見たのは一回限りだ。ただ少し気になったのは、あの男の目は──」


その時だった、諏訪が続けて話そうとした時に、まるで遮る様に地下の特殊収容区にも響く轟音が鳴り響いた。その直後、いくつかの爆発音も連発して鳴り響いてきた。


◆◆◆◆


 多摩第二収容所上空を飛行する国防軍輸送機で、

旧自衛隊時代から使われてきたCー2輸送機の後継機であるCー3輸送機の貨物室から、約六十機ほどの爆弾を装着した誘導型ゆうどうがたドローンが続々と後部ハッチから投下されていった。

その様子を眺めていたロードマスターの男性は後部ハッチから下を眺め、後方に待機している兵士に人差し指を少し折った形を掲げた。

 すると、二人の補助要員が貨物室の真ん中に配置されていた鉄製の楕円型の箱を後部ハッチに向けてゆっくりと押し出して来た。

 そして三十秒が経過した瞬間、ジャンプマスターの男性が勢いよく右手を後部ハッチに向けて振ると補助要員達は楕円形だえんけいの箱を後部ハッチに向けて押し出し、そのまま楕円形の箱は外へと真っ逆さまに勢いよく落ちていった。


αアルファ投下完了、フェーズ2開始」

『こちらタイタス、フェーズ2開始了解。64は作戦領域から離脱しろ』

『了解、64離脱します』


ロードマスターの男性が通信機に向けて報告すると、通信機からは作戦司令部のオペレーターの声と、輸送機パイロットの声が返って来た。

 その通信後、地上から対空砲火に晒されてしまったが、パイロットの技量で対空砲火をかわしきると、輸送機はそのまま逃げる様に作戦領域から撤退していった。

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