[2]

 施設に入った紗耶達はエレベーターで地下の特殊収容区に着くと長い廊下を歩き、ブラックリストが収容されているエリアに入っていた。

 収容所に収監されているブラックリストは第三段階までであり、第四・第五段階のブラックリストは別の国防軍管轄の専用収容所に収監されている。

 紗耶の目的とするブラックリストは第三段で、民間仕様に偽装されたヘリの墜落現場で拘束された、十六歳の元少年兵である。寡黙かもくであるがゆえに危険かそうで無いかの判断が難しく、不確定要素の多い人物であると警戒されている。 

 勿論、紗耶はこの事実を事前に配送された資料で確認はしているし、先ほど赤渕少佐から対象についての留意点などを細かく説明されたばかりだ。

 しかし、紗耶の気持ちの中は目当てのブラックリストに対する恐怖や緊張よりも好奇心と未知への探究心で満ちており、その気持ちは拘束房の前に到着した時も変わらなかった。

 拘束房の入り口の横には私設軍警備部隊の駐在所と、ガラス張りの第三段階ブラックリスト用の研究室が廊下を挟んで左右に設置されていた。

 紗耶がそちらを一瞥すると、赤渕少佐が拘束室の入り口脇にあるタッチパネルに十三文字のコードを素早く打ち込む。すると、拘束室のスライドドアのロックが解除される短いアラートが鳴り、紗耶達は拘束房の中に足を踏み入れた。

 拘束房は二つの部屋に分けられている。入り口から入ってすぐの部屋は研究員達がブラックリストの観察や記録を取る観察室、奥の部屋が拘束室と分けられている。観察室には既に十数人程の研究員達がおり、マジックミラー越しに拘束室のブラックリストの観察や定期記録の記入を行っていた。


「紗耶さん!」


  紗耶に気づいた一人の研究員が紗耶の方に駆け寄って来た。黒髪に少し白髪が混じり始めた壮年の研究員である。紗耶は男性研究員の方に顔を向けると小さく笑みを浮かべた。


「伏見主任、お勤めご苦労様です」

「どうも。それにしても、随分とお早い到着でございましたね」


第三段階ブラックリスト研究主任の伏見は部屋に設置された時計を見ながらそう言った。確かに予定到着時刻よりも二十分ほど早い到着であった。

 紗耶は視線を伏見から拘束室に拘束されているブラックリストの少年兵に変えると、じっくりとその姿を見つめた。少年兵は可動式の拘束椅子に座りながら頭を垂れており、ここからでは、その表情は伺う事はできない。すると、伏見も紗耶の視線がブラックリストに向けられているのに気づき、同じ方向に視線を向けた。


「彼が気になりますか?」

「ええ、ここまで来たのは彼が目的ですからね』


 紗耶がそう答えると伏見は頷いた。紗耶の後ろで同じくブラックリストを見ていた赤渕少佐が、伏見に問いかけた。


「伏見主任、彼の状態はどの様な感じですか?」

「状態は良好ですが、やはり記憶障害を患っているので肝心の情報は聞き出せてはいません」


 赤渕の質問に伏見は申し訳なさそうに答えた。

伏見の言う通り、ブラックリストの少年兵は過去に強いストレスを受けて脳に負荷が掛かったか、またはヘリの墜落のせいか、記憶障害──解離性健忘かいりせいけんぼうを患っていた。

 彼は自身の名前以外の過去の記憶を失い、その長さは数年に及ぶと、彼を担当している医師は診断している。唯一、彼について特定できた情報は彼が確保された時に持っていた所持品から、彼がレジスタンスの二尉にい中尉ちゅういに相当)の階級についていた少年将校であるという事、58班なる数名程度の班の班長として属していたという事だけだった。

 更に彼の所属は東京都で戦闘を続けている部隊ではなく、私設軍とレジスタンスが二度の大規模な激戦を繰り広げた新潟県の部隊の所属である。なぜ新潟県の隊員が東京都にいたのかは未だ不明だが、恐らくは何らかの軍事作戦に従事する為だったと国家警備局情報部は推察すいさつしている。


「伏見さん」


紗耶はブラックリストから視線を外さずに伏見の名を呼び、伏見は紗耶に顔を向けた。


「なんでしょうか」

「彼は反抗的な態度を取った事はありますか?」

「いえ、ありませんよ。温厚な性格の少年です」

「暴れたり、情緒が不安定だった事は?」

「ありませんよ。彼は比較的に検査に対しても協力してくれます。注射を嫌がる事はありますがね」


 紗耶はその話を聞くと左手を腰に当てて、右手で顎をゆっくりと摩った。数秒間息も漏らさずに少年兵を見つめていた紗耶は伏見に顔を向けた。


「伏見さん。一つばかりお願いしたい事があるのですが、よろしいですか」

「はい、大丈夫ですよ。なんでしょうか?」

「私を拘束室の中に入れて下さい」


 紗耶の思い掛けない問いかけに、伏見や赤渕少佐と曾根中尉は一瞬で目を見張ったまま固まり、紗耶を見つめた。奏も、主人の言葉に正気を疑った。

 更に周りの研究員達からもざわめき声が聞こえてきて、中には正気を疑う呟きも聞こえてきた。それもその筈、ブラックリストとの接触は危険というどころの話では無いのだ。

 国から危険視されている者との接触は小銃とライフル型テーザー銃で武装した警備隊員を最低人数でも八、九人ほど同行させなければならない。

 ましてや相手は第三段階ブラックリストで、記憶を失っているだけで正確な危険度が未だに判別できていない人物だ。その様な人物を拘束している部屋に、装備を身に付けていない人間を入れる事は、ピンを抜いた破片手榴弾四つでお手玉をするほど非常に危険な所業である。

 だが、それはあくまで"一般人"を基準とした話である。紗耶はこれ以上ないほど真剣な顔つき、目力で伏見を見上げた。伏見は自分よりも四十歳以上年下の少女から放たれるオーラ、そしてあまりの迫力に唾を飲み込んだが、言わなければならない事は声に出した。


「紗耶さん。確かにあなたには彼に対抗できる力があるとはいえ、未だ素性も分からない者と単身接触するのは研究者の私から見ても危険過ぎます」

「大丈夫ですよ、私だけが彼と話すわけではありません。勿論、武装した護衛も同行させます」


 紗耶はそう言うと、自身の隣に立っていた護衛員の少女の肩に手を置いた。


「えっ、あ、ええ?」


奏は目を白黒させて紗耶を見つめた。紗耶は奏に顔を向けると、どうやら自身が厄介なことに巻き込まれた事を悟ったのだろう、露骨に嫌そうに顔を顰めていた。すると、これは流石に不味いと思ったのか曾根中尉も慌てた様子で紗耶を宥めようとした。


「紗耶お嬢様、こればかりは危険過ぎます。観察室には拘束室につながるスピーカーとマイクがありますので、それを使えば────」

「直接話さなければ、意味がないのです」


 紗耶はキッパリと言い切った。奏は横で自身の主人の眼を見た。ブラックリストの少年将校を見つめる眼は、いつにもなく真剣な眼差しであった。紗耶の後ろでその決意の言葉を聞いていた赤渕少佐は、鼻を鳴らすと頷いて口を開いた。


「私はお嬢様の意思を尊重します」

「少佐!」


 曾根中尉が赤渕少佐に厳しい目線を向けるが、その目線を向けられたと同時に彼の大きな手が彼女の顔の前に突き出され、思わず曾根は声を止めた。

赤渕の顔は普段の穏やかな顔つきではなく、少し険しい顔つきになっているが、どこか紗耶の決心に深く関心を抱いた様でもあった。


「お嬢様、再度確認しますが、本当に直に接触なさいますか?」


紗耶は赤渕少佐に顔を向けると、軽い調子で片目を瞑ってウインクをしてみせた。赤渕少佐は笑みを浮かべ、頷いてから伏見を見て指示を出し始めた。


「伏見主任、彼女に接触の際の注意点を。お嬢様には危機管理誓約書にサインをお願いします」


 赤渕少佐は脇に抱えた鞄から誓約書の紙を取り出すと紗耶に手渡した。紗耶と奏は伏見に連れられて観察室の隣の小部屋へと入っていった。

 それを見届けながら、曾根中尉は穏やかな表情の赤渕少佐に少し呆れた様な視線を向けた。


「いつもあの様な書類を持っているのですか?」

「お嬢様の突発的な考えは今に始まった事ではありませんからね。中尉は見ましたか、彼女が真剣な表情していたのを」

「ええ、まぁ………」


曾根中尉は紗耶の表情を思い出した。確かに、何かを決心した様な厳しい眼差しと、唇を固く閉めたあの表情は年相応以上の何かを感じた。

 それからたっぷり十秒、赤渕少佐は曾根中尉に時間を与えると口を開いた。


「お嬢様のあの様なお顔は、私はまだ二回程度しか見た事がありません。彼女は意図的にその様な顔を見せないのかも知れませんが……」

「ちなみに、その二回というのは?」

「一回目は、彼女に抑止力が宿って、特異性実験を行った時です。二回目は……いえ、これは彼女の家庭的な問題なので、私の口からは言えません」


曾根中尉はそこから先の事情を聞こうとはしなかった。他人の家庭的な事情に踏み入るのは非常識であるからと理解している為だ。すると小部屋から紗耶と奏とファイルを抱えた伏見主任が出てきた。

 赤渕少佐は部屋から出てきた紗耶に顔を向けると再度確認を取った。


「お嬢様、よろしいですか?」

「ええ、大丈夫です。奏は?」

「問題ありません」


確認が終わった紗耶と奏が拘束室の扉の前に立つと、伏見の指示で拘束室の扉が解除された。甲高いブザーが鳴り響き、扉上に付いている赤ランプが青色のランプへと切り替わる。扉はロックを解除されると、鉄製の扉は横へとスライドして開き始め、紗耶と奏は拘束室の中へゆっくりと足を踏み入れた。

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