銀河系の支配者

 トラファルガー共和国侵攻作戦の失敗。

 これにトラファルガー共和国が喜び沸き返る一方で、帝都キャメロットは衝撃の渦中へと叩き落されていた。

 ヘル始まって以来初と言える大敗北は、作戦を強行した国家保安本部長官ヒムラー上級大将の権威は失墜させるのに充分な威力を発揮した。そして相対的に、ヒムラーと対立関係にあった副総統ゲーリングはその勢力を持ち直す事となる。


 ゲーリング派は、内々にヒムラー派を追い落としてヘル政権を掌握しようと画策するようになるが、警察機構を掌握するヒムラーは断片的にだがその情報を事前に掴み、双方共に武力行使も止むを得ないという状況に陥りつつあった。


 そんな時に、ヘル総統ローエングリン公爵が表舞台に復帰する。

 総統官邸ヴィルヘルム宮に足を運んだローエングリンは直ちに、大広間にヒムラーとゲーリング、そしてヘルの主要幹部を呼び集めた。

 この大広間はヴィルヘルム宮ではもっと広い部屋で、これまでも集会場や宴会場として用いられているここでは、ヒムラーとゲーリングが険しい表情を浮かべてローエングリンの登場を待っていた。

 ヒムラーは今回の敗戦の責任を取らされて粛清されるのではという噂がヘル内部には流れていたのだ。尤もその噂には願望も一部には混じっているが。


 やがてローエングリンが大広間に姿を現す。皇帝暗殺未遂事件以後、初めて姿を目にする者も多く、大広間は僅かに騒めき出す。

 そんな中、ローエングリンの赤と青の瞳はゆっくりとヒムラーを見据える。

「忠犬ヒムラーも狂犬にはなり得なかったな、ヒムラー長官。この度の騒動の責任は一体どこにあると貴公は考えるか?」


「全ては私1人に御座います。このヒムラー、如何な処罰もお受けする覚悟。どうぞ総統閣下のお気に召すままに」

 首を垂れながら力の無い声で言うヒムラー。


 そんな彼を見て、ローエングリンはクスリと笑う。

「ヒムラー長官、貴公の国家保安本部長官の職を解く。ただし、これまでの功績を考慮して親衛隊長官の地位はそのままにする。今後は私のためだけにその手腕を振るう事で償いとせよ」


「ははッ! 総統閣下の御恩情には感謝の言葉もありません! 必ずや総統閣下の御信頼を取り戻せるよう誠心誠意務めさせて頂きます!!」

 ヒムラーは今にも泣き崩れそうな勢いでそう叫ぶ。


「ゲーリング、私の留守をよく守ってくれた。礼を言うぞ」


「滅相もありません。私はただ己の成すべき事をしたまでに御座います」

 対立派閥のトップだったヒムラーへの処罰が思いの外、軽かった事にやや不満を抱いたゲーリングではあったが、自分にだけ労いの言葉があった事が彼の自尊心を満たした。


「国家保安本部は些か警察権力を集中させ過ぎた。ゲーリングには警察機構の再編を命じる。混乱の火種とならぬ新しい仕組みを作れ」


「御意のままに」


 これはヒムラーの勢力基盤であった警察機構の解体作業をゲーリングに命じたも同然であった。

 さらにローエングリンはヒムラーの大粛清によって監獄星アルカトラズに収監されている20万の囚人の釈放を命じた。然したる証拠も無しに市民を拘束するのは愚策だと言い、ヒムラーの大粛清を真っ向から否定した。

 これにより、ゲーリングとヒムラーの派閥争いでこれでほぼ終息したと言えるだろう。


 そんな中、ローエングリンの視線はゲーリングから情報大臣ゲッペルスに向けられた。ゲッペルスは元々ゲーリング派に属していながら、先のトラファルガー共和国侵攻作戦では賛成の意を示してヒムラーの味方する行動を起こた経緯もって、ゲッペルスのヘル内部での立場は危うい事になっている。

「ゲッペルス、敗戦の報を隠す必要は無い。却って女々しく臣民には映るだけだ」

 ローエングリンはゲッペルスの責任の有無については触れずに今後の指示を出す事で、ゲッペルスを罪に問うつもりは無い事を示した。


「承知致しました。ですが、情報省としては民心を安定させるために何らかの吉報を出したいところなのですが」


「分かっている。ニヴルヘイム要塞を動かす。貴族連合のウェルキン艦隊も炙り出せた事だ。ちょうど良い頃合いであろう」


 ニヴルヘイム要塞を動かす。それはつまりローエングリン自らがトラファルガー共和国に引導を渡すという意味に他ならない。

 復帰して早々に戦場に赴くと主張するローエングリンに、皆は動揺して騒めき出す。そんな彼等の意思を代弁して、第一提督ファースト・アドミラルヘンリー・ガウェイン上級大将が1歩前に進み出る。

「帝都は今だ混乱しており、総統閣下の御力無しには鎮まりそうにありません。トラファルガー共和国の一件はどうか我等軍部にお任せあって総統閣下はどうかこの帝都にて吉報をお待ち頂きたく存じます」


「ふん。トラファルガー共和国を討ってしまえば、諸々の混乱も自然に治まるというものだ。違うか?」


「……仰せの通りかと」


「では決まりだ。ニヴルヘイム要塞と艦隊の準備が整い次第、トラファルガー共和国に向かう。要塞のギガンテス・ドーラで全て終わらせてくれるわ」


 こうしてヘル党内部の派閥争いは終結し、トラファルガー共和国への再侵攻作戦が決定した。

 一触即発の状態にまで陥ったヘル党は、党首ローエングリンの手によってあっという間に建て直しが図られた。その手腕には誰もが舌を巻き、ヘル党にとってローエングリンの存在が如何に大きなものであるかを内外に示した。しかしその一方で、ヘルそのものがローエングリンという巨大な指導者に大きく依存しているのだという事実を浮き彫りにもしたのだった。



 ─────────────



 大広間を後にしたローエングリンは、普段政務を執り行う総統執務室へと戻る。そこではエフェミアがローエングリンの帰りを待っていた。


「御首尾は如何に御座いましたか?」

 穏やかな笑みを浮かべて主人を迎え入れつつ、強かな口調で問い掛けるエフェミア。


「全て予定通りだ。膨れ上がったヒムラーの権力はゲーリングの手によって解体された。これでゲーリングの面目も保たれよう。しかし、ヒムラーを私の手元に残した事で、ヒムラー派だった面々も今後の身の上を不安がる事もない」


「ヘル党は以前のようにあなた様の手に収まるようになった。というわけに御座いますね?」


「そうだ。これで銀河帝国はかつてアドルフ大帝が目指された独裁制へと今一歩近付いた」


「では今後はどのようになさいますか?」


「政界はこれで完全に私が掌握したと言って良い。次は財界だ。そこであなたの御父上の御力を借りたいところだが、例の件は相談してもらえただろうか?」


「はい。父は総統閣下のお役に立てるのでしたら喜んで、と。地球教皇庁が保有する大企業の株式の一切を総統閣下に売却致します」


 地球聖教の総本山にして半独立国家・地球市国の政庁である地球教皇庁には銀河中からお布施を集めて巨大な財力を形成している。旧帝国貴族や貴族連合が消滅した今、銀河で最大の資産家は地球聖教と言っても過言ではないだろう。

 歴代の地球教皇は、その豊富な財力を駆使して大企業の株式を保有し、それを経営する大貴族達との癒着を深めていた。

 宗教界と財界を結び付ける事で強力な権威と力を身に付け、帝国政府も用意に手出しできない存在へと登り詰める。そうする事で地球聖教はこの戦乱の時代にあっても公権力に屈する事無く今日の繁栄を維持してきたのだ。


 現地球教皇ピウスは、長い年月を掛けて築き上げてきた地球教皇庁の力そのものを全てローエングリンに売り払う事を決断した。

 しかし、それはローエングリンに脅迫されたわけでも孫娘の懇願に屈したわけでもない。ピウスはローエングリンが銀河に新たな統一政権を打ち立て、新しい秩序を築こうとしている事をよく理解している。このままでは既存の経済システムもどうなるか分からない。であれば、それをさっさと売り払い、そこで得た資金を元手に新たな生き方を模索する。それがピウスの激動の時代を生き延びる知恵であった。


「ただ。教皇聖下は1つ条件があると申しております」


「……伺おう」

 こちらの言われるがまま売り渡してくるとは思っていなかったローエングリンは、特に驚きはしなかった。しかし自身よりも4倍近く生き、この時代を生き抜いてきたピウスがどんな要求をしてくるのか一抹の不安を感じてもいた。


「あなた様には“最高司祭さいこうしさい”の地位に御就き頂きたく御座います」


「最高司祭? 地球聖教に、そんな役職があったか?」

 元々教会育ちのローエングリンは幼い頃には、その賢さから将来は地球聖教の聖職者になるという話が持ち上がった事もあった。そのためローエングリンは地球聖教の役職は一通り把握しているが、最高司祭などという役職は聞いた事もなかった。


「この度、教皇聖下があなた様のためにご用意された地位だそうです。全ての枢機卿の上に立ち、教皇に次ぐナンバー2との事ですわ」


「ほお。この私に聖職者になれ、と?」


「あくまで名目上の事です」


「名目とはいえ、ナンバー2になるという事は私を下に置こうという教皇聖下の意図が見て取れるな」

 尤もらしい事を言っているが、ローエングリンの口元は緩んでおり、どこか冗談めかしていた。

 そんな彼の心中を察してかエフェミアも笑みを浮かべる。

「ふふ。教皇聖下は義理とはいえ、あなた様の祖父ではありませんか。孫が祖父を敬う事に何の障りがありましょう」


「祖父、か。なるほど。こちらの要求は呑んでくれるという事だし、少しは祖父の顔を立てるとするか」


 ローエングリンはエフェミアを妻に迎えた事で、地球聖教の宗教的権威、そしてそれに付随する経済力を味方に引き込む事に成功していた。

 その2つを活用して、ローエングリンは未だに旧帝国貴族勢力が幅を効かせている経済界をヘルの統制下に引きずり込もうと画策しているのだ。


「かつてアドルフ大帝の築いた世を、必ずや私も作り上げてみせるぞ」

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