嵐の前夜
トラファルガー共和国では、帝国軍との対決が近いという考えが広まりつつあった。そこでジュリアスは兼ねてより整備を続いていた共和国軍の総仕上げに掛かり、連日連夜ろくに休息を取る暇も無い日々を過ごしている。
しかしそんなある日、このままでは過労で倒れかねないと感じたトーマスとクリスティーナによって午前中で仕事は強引に切り上げさせられ、大統領府の一角にあるジュリアスの居室へと押し込まれてしまった。
「良いですか、ジュリアス様! 今日はもうお仕事はさせませんからね!」
居室に戻ったジュリアスを待っていたのは、トーマスからジュリアスを休息させるという任務を任されたネーナだった。
「わ、分かった。分かったから、そうおっかない顔をするなって」
ネーナの気迫に圧倒されたジュリアスは、正装である軍服を脱いで気軽な部屋着へと着替える。
部屋に奥に設置されているベッドに腰掛けると、そのまま背中からベッドに寝転ぶ。このベッドはジュリアス、トーマス、クリスティーナの3人が並んで寝られるようにと特別に用意した特注品である。
これと同じ物がトーマスとクリスティーナの部屋にも用意されており、3人は日替わりで部屋を変えて、同じベッドでいつも寝ている。
横になった状態で右手を天井に向かって上げて、ネーナに自分の隣に来るよう促す。
ジュリアスの合図を目にしたネーナは何も言わずにジュリアスの横に腰掛けた。
「ネーナ、最近あまり構ってあげられなくてごめんな」
「お気になさらないで下さい。今はとても大変な時なのですから」
にっこりと笑いながら言うネーナの頭を、ジュリアスは優しい手付きで撫でる。
「ふふ。ネーナは本当に良い子だな。でも、あんまり一人で抱え込まないでくれよな」
ジュリアスの優しい言葉をネーナは嬉しく思うが、その一方で小さな不満を抱きもした。
「んん。その台詞は、ジュリアス様にはあまり言われたくはないですね」
「あはは! それもそうか。ネーナにはいつも気を遣ってもらってばかりだったからな」
そう言いながら、ジュリアスはネーナの頭に乗せている手を彼女の明るい茶色の髪に沿うように下へと下げる。ジュリアスの手はネーナの柔らかな頬に触れつつ、さらに下へと下り、彼女の首で手を止めた。
「やっぱりネーナは、首輪が無い方がずっと良いよ」
ネーナは顔を赤くして恥ずかしそうにする。
「ま、まだ、首元が軽くなって、少しすうすうするような感じがしますが、だいぶ慣れてきました」
「ふふふ。それは良かった」
2人はそのまましばらく様々な話をした。これまで中々2人でゆっくりする時間が取れなかった、その穴埋めをするかのように。
そして2人の話題は、次第に今のトラファルガー共和国が置かれている状況に関する話へと移っていく。
「この惑星トラファルガーを含むアンダルシア星系に至る航路は3つある。帝国軍はこの3つの航路全てに3個艦隊ずつが配備されて包囲網を敷いている。もしこれが一斉に攻め込んで来たら防ぐのは難しいと思う」
「しかし、ジュリアス様には何か策がお有りなのですよね?」
それは何の根拠も無く、ジュリアスへの絶対の信頼から出た言葉だった。
「……こっちの戦力は5個艦隊規模とはいえ、第4艦隊と第5艦隊は急ごしらえでどこまで機能するかって具合だ。だから実質3個艦隊。対して敵は合計9個艦隊。真面に戦えば、当然勝ち目は無い。でも、これは敵の総兵力を合計した場合の話だ。分かるか?」
「各航路に配備されている敵艦隊を順に叩けば、3個艦隊の敵と3回戦うという事で数だけは互角の勝負ができる。という事でしょうか?」
「ああ。そういう事だ。でも、これはリスクも大きい」
「どういう事ですか?」
ネーナが首を傾げながら問う。
「もし3つの敵艦隊が同時に侵攻してきたとしてだ。もし1つの敵艦隊を倒すのに手間取れば、残り2つの敵艦隊にトラファルガーを攻め落とされる危険があるって事さ。つまり敵だけじゃなく時間との勝負にもなる」
「なるほど」
「それに戦えば、犠牲は出る。最初の敵は万全の状態で戦えても、2つ目の敵、3つ目の敵と戦う頃にはどれだけ生き残っているか。だからこそ、こっちはどれだけリスクを負わずに敵を撃退するかを考えなきゃならないのさ」
「……」
ネーナは言葉が出なかった。自分にはあまりに難しい課題で、何と声を掛ければ良いのか分からなかったのだ。
「必要な物は全部トムとクリスが手配してくれた。本当に2人はよくやってくれたよ。だから今度は俺が頑張らないとな。それに、ネーナに、トムやクリス、そしてこのトラファルガーの住民達。多くの人を巻き込んだんだから」
「……ジュリアス様、あまり根を詰め過ぎないで下さいね」
ネーナが心配そうな眼差しをジュリアスに向ける。
「大丈夫だよ。ネーナのおかげでだいぶ楽になったから。ありがとうな」
「い、いえ! とんでもございません! 私にはお話を聞くくらいしかできません故!」
「ふふふ。そんな事ない。ネーナがいてくれて俺はいつも本当に助かってるんだからよ」
ジュリアスの言葉にネーナは頬を赤く染める。
「そ、そんな。私には勿体なさ過ぎるお言葉です」
「はは。もう奴隷じゃないんだから、そんなに謙遜しなくても良いんだぞ。そうだ。ネーナ、今の事が一通り終わって落ち着いたら、何かしたい事はあるか?」
「し、したい事、ですか? ……そうですね。先日なのですが、ウェルット中尉から料理のレシピをたくさん頂いたのでジュリアス様に美味しい物をたくさん食べて頂けるようお料理の勉強をしたいです」
「おお! 美味しい物か。それは楽しみだな!」
ネーナはジュリアスの身の回りの世話が一通りこなせるように、家事に関する基本的な技能はほぼ全て習得している。勿論、料理も例外ではない。
ネーナの料理の腕前を知っているジュリアスは、ネーナがどんな料理を作ってくれるのかを考えただけで涎が出そうになった。
そしてそんなジュリアスを見て、ネーナも幸せそうに笑い、絶対に彼の期待に応えてみせようと決意を新たにするのだった。
─────────────
後日、トラファルガー共和国を包囲する3つの艦隊がほぼ同時に動き出した。
アンダルシア星系に向けて侵攻を開始したのだ。
これを受けて大統領府では即座に
そうと決まると早速ジュリアスは
「トム、クリス、帝国軍の事は俺に任せておけ。だからこっちは任せたぞ」
いつも通り無邪気な笑みを浮かべつつも、意味深げな事を言うジュリアス。
敵は何も外から攻めてくる帝国軍だけとは限らない。これに乗じて内部から裏切り者が出る可能性は充分にある。
共和国建国に手を貸したネルソン子爵家家中の貴族達、共和国に合流した貴族連合やデナリオンズ、そして旧帝国貴族の残党など大人しくジュリアス等に従ってくれるとは言い難い者達は大勢いる。そんな彼等の協力が無ければ立ち行かないほどトラファルガー共和国は脆弱な勢力なのだ。
しかし、それは脆く危うい砂上の楼閣だった。
それを2人の親友に託して、命懸けの戦地へと赴くという事は、それだけその2人の事を信頼し、己の背中を預けているに他ならない。
「うん! ジュリーの留守は僕等に任せて!」
「ジュリーが全力で戦えるように、私も最善を尽くします!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます