アームストロング社
ジュリアスの提案により、トラファルガー共和国はアームストロング社との兵器購入の取引を行う事を決定した。
幸いにもトラファルガーに逃げ込んだ貴族の中に、アームストロング社ペンバートン工場所長を務めていたトレッドウェル子爵という人物がおり、彼を介してアームストロング社の重役への接触を図る事にした。
因みにペンバートン工場とは、かつて
トレッドウェル子爵の呼びかけに答えて、早速アームストロング社の重役1人であるロベール・ヴェルジェンヌ伯爵が惑星トラファルガーへと訪れた。
旧帝国貴族の名門家系の出である彼は、ディナール財団にも在籍していた過去を持つ。ローエングリンが旧帝国貴族から名実ともに政権を奪い取ったオペレーション・ロングナイフの折には、アームストロング社の株とヘルへの出資を条件に難を逃れたが、ヒムラーの大粛清でいよいよ自分の立場に危機感を覚えていた事から、自らトラファルガーまで足を運ぶという危険を冒したのだ。
トラファルガーへとやって来た彼は、クリスティーナ付きの大統領補佐官チェンバレン准将に案内されて共和国大統領府の応接室へと通される。
「ようこそお越し下さいました、ヴェルジェンヌ伯爵」
クリスティーナが貴族の令嬢らしくお淑やかで優雅な笑みを浮かべて出迎える。
応接室にいるのはクリスティーナのみで、ジュリアスとトーマスの姿は無かった。
「この私がここまで赴いた。それがどれほどのリスクを伴うかは言うまでも無いでしょうな?」
40代後半の長い紫色の髪をしたヴェルジェンヌ伯爵は、高圧的というほどではなかったが、強気な姿勢でクリスティーナと相対する。
「勿論、承知しておりますわ。この度は遠路遥々ご足労を頂きありがとうございます」
クリスティーナがそう言うと、両者は互いの手を取って握手を交わす。
そして互いにソファに座り、早速ヴェルジェンヌが口を開く。
「しかし、トラファルガーの元首は3名おられると聞いていましたが、なぜ他の2名はこの場におられないのですかな?」
まずヴェルジェンヌは相手の非礼を責め立てた。しかし実際のところ、彼はそれを本気で不服に思っているわけではない。敢えて相手の非礼を責める事で自分の立場を優位にし、交渉の主導権を握るのが目的だ。
「申し訳ありません。シザーランドとコリンウッドは只今席を外しておりまして。ただし、この取引に関する一切は、私に一任されていますのでご安心を」
ヴェルジェンヌの意図を理解したクリスティーナは、動揺を見せたりせずに落ち着いた口調で返す。
今回の交渉は、クリスティーナが自ら引き受けると買って出ていた。当初は相手に失礼が無いように3人全員で交渉に臨むべきだとトーマスが主張していたのだが、クリスティーナは敢えて自分1人で交渉を行うと決めたのだ。
頭は良いのだがその場の閃きに流されがちなジュリアスや温厚で相手の意見に流されやすいトーマスでは、このような交渉は不向きだとクリスティーナは考えたからである。
「ふん。まあ良いでしょう。それで当社から兵器のご購入を検討されているとの事ですが、あなた方の立場を考えますと、こちらとしてもそう簡単に首を縦に振るわけにはいかない。その事はご理解しておいでですな?」
「勿論ですわ。ですが、あなたもその首を縦に振る用意は充分お有りなのでしょう?」
「何だと?」
「でなければ、そもそもこんな危険を冒してここまで来る事はしないでしょう。成立する見込みのない交渉に挑んで、もしヘルに見つかればあなたは反逆者の共犯の疑いに問われるのですから」
「……」
クリスティーナの言葉に、ヴェルジェンヌは険しい表情を浮かべて言葉を詰まらせる。なぜなら、彼女の言う事は尤もだからだ。ヴェルジェンヌはトラファルガーに足を踏み入れた時点で、既に共犯の烙印を押されたも同然である。
「そもそもヘルによる支配は、アームストロング社のような大企業にとっては脅威なのではありませんか?」
「……確かに。ヘルの支配体制がこのまま続けば、当社の資産は国家社会主義の名の下にヘルによって接収される可能性すらありましょう。いや、それどころか旧帝国貴族の財産を全て接収する事すらあるやもしれん。そうなれば、もはや我等に生き残る術は無い」
現にローエングリン総統は、ディナール財団に在籍していた旧帝国貴族の多くから財産を接収して国庫に納めるという行動を起こしていた。その当時はまだデナリオンズも貴族連合も健在であり、新体制を構築するには旧帝国貴族の助力も少なからず必要だったろう。しかし今、ヘルの権勢に対抗できる勢力はこの銀河には存在しない。
「このトラファルガー共和国はあなた方にとっては生命線のような存在と言える。そういう事ですね?」
クリスティーナの言葉を聞いたヴェルジェンヌは一笑する。
「ふふふ。こんなか細く脆い糸が、我々の生命線であると?思い上がりは関心しませんよ。まあ若さの成せる業とも言えるかもしれませんがね」
「私達がいなくなれば、ヘルの支配がなくともアームストロング社は瘦せ衰えていくのではありませんか?」
「どういう意味だ?」
「貴族連合が崩壊した今、この銀河から戦争は無くなり、帝国軍も軍縮の時代を迎えるでしょう。そうなれば軍事費は大幅に削減され、アームストロング社への兵器発注も大きく減るのは誰の目にも明らかです。ですが、私達が健在であれば、そうはならないでしょう」
先日、ジュリアスが話していた内容をそのまま持ち出して、ヴェルジェンヌに揺さぶりをかけるクリスティーナ。
しばらく思案した後、ヴェルジェンヌは小さく笑みを浮かべた。
「……ふふ。下らない詮索はお互い止めにしましょう。時間の無駄のようだ。確かに取引に応じる準備はある。しかし、当社としても慈善事業ではありませんので、そちらにちゃんとした準備があるのかを確認したいのです」
「資金であれば、デナリオンズや貴族連合の残党から徴収したものがあります。心配には及びません。因みにアームストロング社は一体お幾らをご所望なのですか?」
強気の姿勢で出るクリスティーナ。しかしこれは半分ははったりである。トラファルガーに逃れてきたデナリオンズや貴族連合の残党から資金を徴収したのは事実だが、潤沢な資金が得られたとは残念ながら言い難い。
クリスティーナは必死に平静を装うが、一体どれほどの額が提示されるのかと思うと心臓の鼓動が早くなり、額からは汗が流れる。
「……事前に送って頂いた発注書通りにいきますと、120億インペルと言ったところですな。こちらもあなた方の状況を考慮してかなりの譲歩をさせて頂きました。これ以上の値下げは不可能とお考え頂きたい」
これは嘘である。120億インペルという金額は、定価より安いどころか寧ろ高く設定されていたのだ。アームストロング社としては交渉に応じる用意はあるが、貧乏人相手に商売をして赤字になっては元も子もない、危険な橋を渡るのだからこのくらいは必須だ、という意見もあり、この価格設定になったという経緯がある。
「良いでしょう。120億インペルで手を打ちましょう」
提示された金額は、予想の範囲に収まっていたものだったためにクリスティーナは即決で了承した。
即答された事にヴェルジェンヌはやや驚くが、商談が成立した事を素直に喜ぶ。
「これが互いに取って実りある取引となる事を祈りましょう。……時に、これはあくまで興味で聞くのですが、なぜあなた方は史上最年少の
「総統は私達の大切な物を奪おうとしました。だからそれを取り返したまでです」
「ほお。ですが、今の戦力で本当に帝国に勝てるとお思いですか?」
「まともに正面から戦っていては当然不可能でしょうね。しかし問題はありません。私の親友には搦手から攻める小狡い手を考える事に長けた者がいますから」
そう言ってクリスティーナはにこやかな笑みを浮かべる。そこにはその親友への絶対の信頼が垣間見えた。
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