故郷の成れの果て

 銀河歴717年。

 リヴァエル帝がコーネリアスを見出して12年の年月が流れた。かつて皇帝が宣言した通り、コーネリアスことローエングリン総統は銀河帝国の支配者となった。

 銀河帝国を統べるローエングリン総統はシュタウフェンベルクの爆弾テロによる負傷から宮廷病院で療養生活を送っていた。政務は副総統兼大蔵大臣であるロタール・ゲーリング男爵が代行し、治安維持やトラファルガー共和国への対処などは国家保安本部長官ヒムラー上級大将が陣頭指揮を執っている。


 しかし療養中のはずのローエングリン総統の姿は、帝都の宮廷病院ではなく、惑星フィッシュハルムにあった。

 副官ボルマン少佐を含む僅かな衛兵のみを連れてローエングリンはかつての故郷を訪れていた。勿論、周囲には告げずにお忍びで。


「ここが閣下の故郷なのですか?」

 そう言うのはローエングリンの妻であるエフェミアだった。彼女も同行する事をローエングリン自身が望んだのだ。エフェミアは今、とても悲痛な表情を浮かべている。それも無理はない。なぜなら、彼女の視界に広がるのは戦争によって無残にも破壊尽くされたのであろう都市の廃墟だったからだ。

 廃墟となってから何年も放置されたのであろうこの都市のあちこちには瓦礫の中から植物が生え出し、自然が文明の名残を呑み込もうとしつつある。


「そうだ。ここも元から栄えた場所ではなかったが、それでも今の惨状よりはずっとマシだった」

 ローエングリンはエフェミア以上に辛そうな表情をしながら、かつて住んでいた教会のある方をじっと見つめる。


 ローエングリンとエフェミアは、しばらく2人きりで瓦礫の中を歩いた。


「一体ここで何があったのですか?」


「12年前だ。ちょうど私が帝都で皇帝陛下に仕えるようになったばかり頃、この町の宇宙港に設置されていた太陽反応炉アポロンリアクターを暴走事故を起こして町は消し飛んだと聞いている」


「そ、それでは、閣下のご両親も……」


「いいや。元々私に両親などいない。教会の孤児だったからな。だが、親代わりをしてくれていた教会のシスターも教会で共に過ごした者達も皆、その時の爆発で死んだそうだ」


「そ、それは、」

 ローエングリンは幼い頃の家族と友を一瞬にして全て失い、ずっと孤独の中で生きてきたのか。そう思った時、エフェミアは自分の胸が引き裂かれるような感覚に陥り、目から涙が零れる。


「流石にあの時は子供ながらに思い知らされた。私はもう陛下の下で生きるしかないのだと」


 ローエングリンの言葉を聞いた時、エフェミアは悪寒のようなものを感じた。

「ま、まさか、その、暴走事故とは、」


「ここ数百年の記録を漁っても、太陽反応炉アポロンリアクターの暴走事故などこの一件のみ。私が帝都に発ってからすぐに事故を起こしたとなれば、不審に思わない方が妙だ。あなたも知っているだろう?私の経歴は驚くほど謎に包まれている、と」


「え、ええ。父上からそう窺っています」


「私の経歴を公式記録などから抹消するようにお命じになったのは他ならぬ陛下なのだ。陛下は私を見出して以降、教会の孤児であったという汚点を悉く抹消した上で、私にローエングリン公爵家の家名を下賜された。要するに陛下は、私の過去を知る者を町ごと消し去った」


「……」

 俄かには信じがたい。そうエフェミアは思った。

 元々ローエングリンは皇帝の寵愛を受けた臣下で、皇帝の後ろ盾を得て総統の地位を得たという。しかしいくらその寵臣を取り立てるために、町一つを消すような真似をするだろうか。

 そんな疑問が脳裏を過るエフェミアだが、ローエングリンの怒り噛み締めながら故郷を眺める顔の顔が全てを物語っていると彼女は思う。彼が根拠も無くそんな事を言い出すような人間でない事は理解している。


 エフェミアの疑問と思考を察してか、ローエングリンは「根拠ならある」とおもむろに呟く。

「当時の事故の調査資料を徹底的に調べたが、穴だらけで明らかに虚偽の調査をしていた。本当なら調査をした職員も問い詰めてやりたい所だったが、その時には彼等はどういうわけか一人残らず事故死してこの世にいなかった」


「……では閣下は、どうして仇である皇帝陛下の下に留まったのですか?」


「私は幼い頃、私を育ててくれたシスターに聞いた事がある。かつて銀河連邦の民衆はなぜ自分達の権利を捨てて、アドルフ大帝を皇帝にしたのか、と。それに対してシスターはこう言った。銀河連邦の民衆は権利に伴う責任が面倒になってそれをアドルフ大帝に押し付けたのだ、と」


「……」


「銀河連邦の民衆が全てをアドルフ大帝に託して出来上がった銀河帝国とは一体何なのか。私は考えに考えた。皇帝一人の一存で、こんな真似ができてしまう社会になると、なぜ彼等は気付かなかったのか。責任を負うのがそんなに嫌だったのか。自分さえ良ければ、他の誰かが核の炎で焼き殺されたとしても構わないと思ったのか」


「閣下、お気持ちは分かりますが、それは」

 ローエングリンの考えはやや危険な方向に向かっている。そう思ったエフェミアは彼を止めようと試みる。


「分かっている。我ながら捻くれた考え方だ。しかし、私は決めたのです。銀河連邦8000億人の民衆が築き上げた帝国が子孫達にどんな惨めな仕打ちを与えているのかをあの世にいる奴等に見せてやろう、と。だから私は皇帝陛下に忠節を尽くし、帝国の繁栄のために行動してきた。アドルフ大帝の目指す理想の帝国を取り戻すために政治結社ヘルを作り、帝国の国益を貪るだけの存在になり果てた帝国貴族を片付け、かつてのような独裁体制へと戻したのだ」


「閣下……」

 この時、エフェミアは理解した。ローエングリンは大切なものを全て奪われた憎しみを皇帝一人にではなく、人類社会そのものに向けているのだ、と。しかし相手はあまりに途方もなく巨大で実体の無い物。どれだけ憎しみをぶつけてもぶつけてもそれが治まる事は無いだろう。仮に世界の全てを破壊し尽くしたとしても、得るのは達成感ではなく、ただの虚しさだけ。


「この話はエルザにも聞かせた事が無い。あなたに話すのが初めてだ」


「え? そ、それでは、なぜ私に?」

 エルザはローエングリンの全てを知り尽くしている。そう勝手に思い込んでいたエフェミアは少々意外に思った。そして彼女にすら話した事のないものをなぜ自分には話してくれたのかが気になった。


「エルザが死んで、私の事を最もよく知る者がいなくなって、1人で抱えるのに疲れたのかもしれん。あなたにとっては迷惑な話かもしれんが、私は、」


 ローエングリンが何かを言い掛けた時、エフェミアは彼を優しい手付きで抱き締めた。彼よりも背が低いエフェミアの頭はローエングリンの胸に埋まる。

「私はあなたの妻なのです。夫の事を知って妻が迷惑に思う事などありえません。それに言ったではありませんか。エルザさんの代わりを務められるよう努力しますからと」


「い、いや! あなたはエルザの代わりではない!」

 ローエングリンは両手で彼女の両腕の上腕を掴んで自分から引き離す。


 一瞬、突き放された、と思ったエフェミアだが、それが自分の誤解である事はすぐに分かった。ローエングリンは頬を赤くして恥ずかしそうにし初心な若者という様相を見せる。それは銀河帝国を統べる独裁者とは微塵も思えない風だった。


「エルザは、エルザだ。代わりなど存在しない! そして、あ、あなたは、私の、つ、妻なのだ。紛れもなく。だから、あなたには妻として私の傍にいてもらいたい。こんな醜く歪んだ男だから、苦労を掛けるだろうが」


 地球の聖女と呼ばれたエフェミアは聖職者として、ローエングリンの心を救いたいと思った。しかし一方で聖職者としてではなく、妻として彼を支え、その心を救いたいとも思うようになっていた。夫婦として共に生き、彼に幸せを感じさせてあげたいと。

「私は生涯、あなたの妻ですわ。例えあなたがどんなに醜く歪んでいたとしてもです。ですから、あなたの成し遂げたいと思う事を私に見せて下さい。私だけはあなたの味方です」

 そう言ってエフェミアはにっこりと笑う。


 ローエングリンは両目から涙を滲ませ、彼女の身体を両手で抱き寄せて力一杯抱き締めた。

 エフェミアもそれに応えて再びローエングリンの身体を抱き締める。


 涙で視界が揺れて歪む中、ローエングリンがふと視線をエフェミアの後ろの方に向けると、そこにはメイド服に身を包み、首には奴隷の首輪を嵌めた桃色の髪をした少女の姿があった。

「もう! ご主人様ったら、やっと夫らしい振る舞いができましたね! ご主人様は性格が悪い上にチキンさんだから、心配でおちおち死んでもいられないじゃないですか! ですがこれで安心しました! ……良いですか、ご主人様! 男としてエフェミア様をちゃんと幸せにしてあげなきゃいけませんよ! 結局、私の身体で練習をしてないから、夜の営みには不安が残りますが、そちらの方も頑張って下さい!」


 死んでからも口喧しい奴だ。さっさと成仏してしまえ。

 ローエングリンは心の中でそう呟いた。しかしその表情は微笑ましく、むしろローエングリンの方が成仏してしまいそうな風だった。


 ローエングリンの心の声が届いたのか、エルザはクスリと無邪気に笑う。

「まったく。ご主人様は相変わらず口が悪いですね! ですが、それでこそご主人様です!」


 エルザの身体は足の方から光の粒となって消えていき、ローエングリンが瞬きをして再びを目を開けた時には完全に姿を消していた。

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