ヒムラーの大粛清

 惑星トラファルガーにもたらされた2つの情報。1つ目はローエングリン総統が暗殺されたという知らせだった。それはトラファルガー共和政府に少ならず希望と可能性を感じさせた。

 しかし、およそ1時間後にもたらされた2つ目の知らせで、それは潰えてしまう。


 “ローエングリンの死は誤報”


 半日も経たぬうちに微かに生じた希望は打ち砕かれた。しかし、全てが水泡に帰したわけではない。

 この2つの情報がトラファルガーに送られた翌日。

 帝都に残る仲間から、そして帝国政府の公式発表がそれを証明する事になった。


「まったく。爆弾テロがあったもののローエングリン総統は無事って本当に悪運の強い奴だぜ」

 ジュリアスが吐き捨てるように言う。


「確かにそうだけど、帝国軍の上層部でも数人死者が出てるらしいから、しばらくはその穴を埋める作業で時間を取られるだろうし、僕等にとっては好都合じゃないかな」

 そう前向きな考えを述べるトーマス。


「そうですね。それにヒムラーのこの所業は、うまく行けば却ってヘルの支配体制に綻びを生じさせる事になるかもしれません。ぼやくのはまだ早いかもしれませんよ」

 ニュースの記事を見ながら、クリスティーナが呟く。



 ─────────────



 2日前。シュタウフェンベルクの爆弾テロにより、最高幕僚会議に出席していた軍上層部およそ30名の内、死者7名、意識不明者3名、重傷者5名という甚大な被害をもたらした。

 帝国軍の中核を担う軍人に多くの犠牲者が出た事は大きな痛手には違いない。

 しかし不幸中の幸いだったのは、皇帝騎士団ナイツ・オブ・エンペラーの面々はほとんどが軽傷で済んでいた事だった。特に国内の治安維持を司るヒムラー上級大将が無事だった事は大きく、事件後すぐに陣頭指揮を執って混乱の終息を図った。


 親衛隊と国家保安本部を総動員して、シュタウフェンベルクを真っ先に拘束。さらに爆弾テロに連動してクーデターを起こす算段だった貴族の存在を知ると、ヒムラーはシュタウフェンベルク伯爵家と縁のある貴族や不穏な動きを見せた貴族を問答無用で逮捕していった。


 しかし、逮捕者はこれに留まらず、取調の中で名前の挙がった人物、その親類縁者などにも及び、1日でおよそ3000人の容疑者が貴族・平民問わず浮上して逮捕された。

 その勢いは留まるところを知らず、翌日には更におよそ5000人、さらに次の日には1万人が逮捕されるに至る。

 しかも、その逮捕理由は、シュタウフェンベルクのクーデター計画とは関係無く、単純にヘル政権を批判した者やトラファルガー共和国や元三元帥マーシャル・ロードを称賛したり、擁護したりした者など対象範囲は拡大する一方。

 クリスティーナの実家にもその影響は及び、一族郎党は皆、逮捕され、ヴァレンティア伯爵家は取り潰しになる事が決定した。


 ヒムラーは元々ローエングリンの元三元帥マーシャル・ロードへの対応はぬる過ぎると考えており、シュタウフェンベルクの反乱計画がヒムラーの強硬策実行を後押しする結果となる。

 だがこれは、ローエングリンが民衆に保障した言論の自由を否定する事にも繋がり、ヘル党内部でも「総統の意に反する」と異議を唱える者が少なからず存在した。


 しかし、身内の中から批判を受けようともヒムラーは止まらなかった。その意志の強さは、彼が親衛隊員達の前で行なった演説にも表れている。

「旧貴族共は、50年に渡って銀河を戦乱の世へと叩き落し、帝国を衰退させ、臣民を戦火で苦しめてきた! 我等が総統閣下はそんな奴等にも温情を掛けられたが、旧貴族どもはその恩をテロという暴挙で裏切ったのだ! この銀河から戦争を無くし、平和と秩序を回復させようと日々努力されている総統閣下の御力になる事こそが我等ヘルの役割! 我等の喜び! 総統閣下の進む道を阻む者は、我等が全て排除するのだ! 我が総統万歳グローリー・マイ・ルーラー!」


「「我が総統万歳グローリー・マイ・ルーラー! 我が総統万歳グローリー・マイ・ルーラー!」」


 後に“ヒムラーの大粛清”と呼ばれる、国家保安本部による政治弾圧は、結果的に逮捕者が20万人に達し、そのほとんどが監獄星アルカトラズへと送られた。

 この事態に対して、ローエングリンはほぼ無干渉だった。

 爆弾テロでの負傷から宮廷病院に入院していたため、という事もあるが、最大の要因はテロで失ったものの喪失感から、やや放心気味になっていたのだ。

 と言っても、食事も喉を通らないというほど深刻な状態ではない。そもそも入院自体、念のためにという程度で、大きな怪我を負ったわけではなかった。


 ローエングリンは、妻にして地球の聖女と称されるエフェミア・キアラモンティの見舞いを受けている。

 しかしその間も彼は、ベッドの上で総統官邸の官吏が運んできた書類に目を通しており、為政者としての職務を全うしていた。

「少しはお休みになっては如何ですか? それではお身体を壊してしまいますよ」


「そうもいかないさ。政務を滞らせるわけにはいかないからな」


「……」


「ん? どうかしたか?」


「エルザさんを亡くされた事を引きずらないで下さい、というのは難しい事かもしれませんが、あまり思い詰めないで下さいな」


「思い詰めてなんかいない。エルザが死んだ事は、確かに大きな痛手だ。あいつに任せっきりにしていた仕事が数多くあるからな。ひとまずボルマン達に分散させて対応させているが、やはりエルザの代わりは務まらないだろう。しかし、貴族どもの力を奪った後だったのは幸いというものだ。エルザには貴族どもに近付いて情報を引っ張り出せる諜報活動もさせていたからな。その役目が終わった今、エルザを失った損失は幾分か軽減される」


「……」

 エフェミアは憐みの視線をローエングリンに向けていた。

 2人は夫婦として同じ邸に住み、幾度も顔を合わせているが、無口なローエングリンと慎み深いエフェミアでは共に食卓を囲んでいても、一言の会話も生まれないまま食事が終わる事も多々ある。

 だが、今のローエングリンは違う。彼女が今まで見た事もないくらい饒舌だった。

 そして“エルザ”と口にする度に、ローエングリンの口元が僅かに震えて、彼の赤と青の異なる色をした瞳には動揺の影が映り込む。


 それに気付いた時、エフェミアはそっとローエングリンの銀色の髪を撫でる。


「な、何をする!?」

 突然の事にローエングリンは思わず声を上げて頬を赤く染める。


「とても大切に思われていたのですね、エルザさんの事を」

 サファイアのように輝く青い瞳がローエングリンを見つめた。


「そ、そんな事はッ!」

 口では否定できず、そっぽを向く事で対抗しようとするローエングリン。


 しかし、エフェミアも負けじと今度は両手を彼の頬に添えて、グイッと強引にローエングリンの顔の向きを自分の方へと向けた。

「ご自分を偽るのはお止め下さい。私達は夫婦なのですから。エルザさんのように、とはいかないかもしれませんが、少しでもエルザさんの代わりを務められるように私も努力しますから」

 そう言ってエフェミアは、ローエングリンの頭を自分の胸へと寄せて優しく抱き締めた。


「……」

 最初こそ戸惑っていたローエングリンだったが、エフェミアの胸の柔らかさと温かさを感じると、これまで抑えてきた感情が噴き出したかのように涙を流す。


 しばらく泣き続けたローエングリンを黙って受け止めていたエフェミアは、やがてある違和感を覚える。

「公爵閣下?」

 ふとローエングリンの顔に目をやると、彼は泣き疲れた子供のようにエフェミアの胸の中で眠っていた。

 それを見たエフェミアはクスッと笑う。

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