総統の過去・前篇
シスターの腕に抱かれるなど、果たして何年ぶりだろうか。
エフェミアの胸の中で眠りにつこうとしているローエングリンは、夢へと旅立つ前にそのような事を考えていた。
そして、思い出していた。自分が帝国総統として宮廷に足を踏み入れる前の事を。
─────────────
12年前の銀河歴705年。
当時、まだ10歳だったローエングリンは、惑星キャメロットから宇宙船で数時間で行ける距離の惑星フィッシュハルムに築かれた町に住んでいた。
フィッシュハルムは帝都キャメロットの郊外とも言える惑星ではあるが、高層建築物や豪華な宮殿などは1つも存在しない、単なる田舎惑星だった。
帝都キャメロットに近いという立地条件もあり、かつては大都市を構えて栄えた時期もあったのだが、貴族の私利私欲によって富は食い潰され、戦争の影響で経済は崩壊し、今では辺境の田舎惑星と違わぬ水準にまで荒廃していた。
そんな星に唯一残った町で最も立派な建築物は宇宙港を除けば、地球聖教の教会だった。この教会では貴族連合との戦争によって発生した戦争孤児を中心に身寄りの無い子供達を大勢引き取っていた。
ローエングリンもこの教会で育った孤児の1人。しかしこの時は勿論、“ローエングリン公爵”の家名は無く、ただコーネリアスという名を持つだけの少年だった。
「シスター・クララ。今日、学校の授業でちょっと気になった事があってちょっと良い?」
夜遅く。教会で預かっている、まだ小さな子達を寝かしつけた頃を見計らってコーネリアスは分厚い書籍を片手に、シスター・クララの前へと姿を現した。
「コニー君が授業の事を私に聞きに来るなんて珍しいわね。って、コニー君、その怪我はどうしたの!?」
黒い修道服に身を包む、長い金髪をした修道女クララ・ビスマルクは、長い時間を掛けて寝かせた子供達がすぐ横にいるにも関わらず、つい声を上げてしまう。
今の声でせっかく寝てくれた子供達が起きてしまわないかと不安に思った彼女は、子供達1人1人に目を向けるが、幸いな事に目を開けている子は1人もいない。
それを確認した金髪の修道女は安堵の息を漏らした。そして、視線を銀髪の少年に向け、コーネリアスの頬に貼られている絆創膏に触れた。
「それでコニー君、この怪我はどうしたの?また学校で虐められたの?」
「違う。これは転んでできた傷だよ」
コーネリアスの言葉を聞いたクララは、それが嘘だと瞬時に見抜いていた。コーネリアスは赤と青の異なる色の瞳を持つ子という事で学校では気味悪がられて、同じ学校の生徒達から陰湿な虐めを受けている。
「もう。コニー君は本当に強がりさんね」
そう言ってクララは絆創膏に触れていた手を、コーネリアスの頭へと持っていき、彼の頭を優しく撫でる。
「う、嘘じゃないぞ」
嘘がバレた、と思ったコーネリアスは頬を赤く染める。しかし、その一方で自分の頭に触れているクララの手をとても心地よく感じてもおり、コーネリアスは無意識の内に前屈みになって頭をクララの方へと向けた。
「ふふふ。さて。私に聞きたい事があったのよね。じゃあ場所を変えましょうか」
クララはコーネリアスの手を引いて、子供達を起こさないように静かな足取りで部屋を後にした。
そして2人がやって来たのは礼拝堂だった。
照明はついておらず、灯りと言えば窓ガラスから差し込む月明かりくらいだが、それでも視界は最低限確保されている。朝になればシスター・クララを含む教会の聖職者や孤児達が集まって、礼拝堂の奥に安置されている、十字架に向かって朝の祈りを捧げる。しかし、こんな夜遅くに礼拝堂へ足を運ぶ者はまずいない。ここであればゆっくりコーネリアスの話を聞いてあげられるとクララは考えた。
因みにこの十字架は、地球聖教において神として神格化されて祀られる人類の故郷・太陽系の星々が十字上に並んだグランドクロスを模した物だ。
「それじゃあ一体何の話を聞きたいのかしら? 頭の良いコニー君が分からない事なんて私が教えてあげられるかちょっと不安だけどね」
コーネリアスは学校では学年主席の天才児で、その容姿と相まってちょっとした有名人だった。そのため、これまでにコーネリアスが学校で分からない事があったと言い出す事は無かったし、そもそもなぜ学校の教師ではなく自分に聞いてきたのだろう、とクララは疑問に思った。
クララはシスターではあるが、子供達の養育係として勉強面での面倒も見てあげられるように教員免許も取得している。しかしそれでも実際に学校で教鞭を取る本職の教師には能力も経験も遥かに劣るのだが。
そんなクララに、コーネリアスは手にしていた分厚い書籍を見せた。
「それは建国史の本ね」
「うん。そうだよ」
銀河帝国の義務教育では当然“歴史”の教科が存在する。しかし、歴史の教科とは別に、銀河連邦時代末期から帝国時代初期は“建国史”という別枠の教科が設けられている。そこでは如何にして銀河連邦が崩壊し、銀河帝国が誕生したのか。そしてそれを成したアドルフ大帝が如何に偉大だったかという内容を学ぶ。
愛国心の低い者であれば歴史の授業と何が違うんだ、と冷笑するところだが、それを公の場で言えばアドルフ大帝の名誉に傷を付けたとして不敬罪が適用される恐れがあるので、この件については誰もが口を閉ざしている。
「アドルフ大帝は人類社会の永遠の繁栄を願って銀河連邦を解体して銀河帝国を作ったんだよね?」
それは学校で誰も習い、全人類が知る常識と言っても良い知識だった。
「ええ。その通りよ」
「でも、アドルフ大帝は国民投票で皇帝になったってこの本には書いてある。という事は連邦を潰して帝国にしたのはアドルフ大帝じゃなくて銀河連邦の民衆って事になるんじゃないの?」
「んん。確かにそう言えるかもね。当時の民衆達は欠陥だらけの民主政治よりも優れた指導者による独裁政治の方が良いと思って、その独裁者に相応しかったのがアドルフ大帝だったという事じゃないかしら」
「……」
まだ納得がいかない様子のコーネリアス。
本当なら納得が行くまで話してあげたいと思うクララだが、“建国史”の教科は言わば帝国の支配思想の根幹にも繋がるもので、妙な疑問を持ったりするだけでも不敬罪に抵触する恐れがある危険なもの。本来なら、こうしてコーネリアスが疑問を抱く事もあまり良くはないのだ。
おそらくコーネリアスは、それを察して学校の教師ではなく、自分に聞きに来たのだろうとクララは察する。
「何か思う事があるなら、私に話してみて。誰にも言わないって約束するから」
「当時の民衆達はどうして自分から奴隷になる道を選んだのかな?」
「ど、奴隷?」
「そうだよ。帝国貴族は自分達の地位とか特権を守るために躍起になって戦争まで始めてる。なのに銀河連邦の民衆は、持っていた権利を捨てて皇帝の奴隷になった。何でそんな真似をしたんだろう?もし銀河連邦の民衆達がアドルフ大帝を皇帝にしなければ、今の戦争だって起きなかったのに」
コーネリアスがそう言った時、クララは両手でコーネリアスの肩を力強く掴んだ。
「コニー君、今の話みたい事は、私以外の前では決してしてはいけないわよ。もし誰かに聞かれたら、あなたの身が危険だから。良いわね!」
アドルフ大帝が皇帝にならなければ。そんな発言がもし帝国保安局なり警察機関の耳に届けば不敬罪の容疑を掛けられるリスクは充分にあると考えたクララは、ついうっかり自分以外の者に話してしまわないように念を押す。
「う、うん。分かった」
「宜しい。じゃあ今の質問の答えだけど、貴族が持ってる地位や特権と銀河連邦の民衆が持っていた権利はちょっと意味合いが違うのよ。貴族の地位や特権は、貴族が裕福になるためにあるものなの。でも銀河連邦の民衆の権利っていうのは責任を伴うの。だから彼等は権利よりも責任の方が面倒になって、それをアドルフ大帝に押し付けたのよ」
「馬鹿な連中だね」
「ふふふ。確かにそう見えるかもしれないけど、人間というのは皆そういうものなのよ。現に貴族達だって
「ふ~ん。じゃあ権利の存在が悪いって事なの?」
「そういうわけではないわ。権利と義務は人類社会には必要不可欠なものだと私は思う。でもね。重要なのはそれを扱う人間なのよ」
クララの言葉にコーネリアスは首を傾げる。
いくら頭が良いと言っても、まだ10歳の子供に、この話は少し難しかったか、と思うクララ。
「ふふ。また今度詳しくお話してあげるから、今日はもう寝なさい」
「え~。まだ良いでしょ。俺はもう子供じゃないよ。んん、ふぁああ~」
大きな欠伸の音が礼拝堂に木霊する。
いつもなら、もう寝ている時間なのだから当然だろう。
「ほら。そんなに大きな欠伸をして。明日、寝坊でもしたら学校に遅刻してしまいますよ」
「は~い。それじゃあシスター、お休みなさい」
「はい。お休みなさい」
この頃のコーネリアスは、他の子供達なら気にも掛けないような事に興味を持つちょっと変わった子。と言っても、銀河中を探せば、似たような子は他にも大勢いそうな、という程度だった。
まさかこの子が、後に銀河帝国を支配する独裁者になると一体誰に予想できただろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます