別れの挨拶
「元帥、さっきからお元気が無いけど、総統閣下と一体何があったんだろう?」
ヴィルヘルム宮でエルザさんとたくさんの洋菓子に囲まれてお菓子パーティをしていると、総統閣下と一緒に帰ってきた元帥は何だかとても元気がありませんでした。私と目を合わせると、無理にでも笑顔を見せてくれるんですが、私に何かを隠しているのは明らかです。
私は元帥と一緒にヴィルヘルム宮を後にしてクリスさんのお邸に帰りましたけど、邸に着いても元帥の表情はずっと暗いまま。
元帥が心配な気持ちは勿論ありましたが、聞いてみても元帥はきっと何も答えてくれないでしょう。
そう思って、しばらく様子を見ていると、邸に戻っていたトムさんやクリスさんもやはり私と同じ疑問を感じたようです。
「ジュリー、どうかしたのかい?何だか暗い顔をしているけど」
トムさんが心配そうに元帥の顔を覗き込みました。
「大方、お腹が空いたんじゃありませんか。まだ夕食には少し早いですが、今日は早めの夕食といきますか?」
「あ、ああ。そうなんだ。総統閣下との会食も何だか緊張しちゃって。あんまり食べられなくてさ。腹が減っちまって」
元帥は少し大袈裟なくらいに右手でお腹を押さえています。
しかし、これは嘘です。明らかに嘘です。確かに元帥は少し緊張していた気はしますけど、お食事自体は最後まで完食していました。食事の量も元帥が満足できるだけの量はあったはずです。それにヴィルヘルム宮で一旦分かれて戻ってきた時にはもう元帥は暗いお顔をしていました。いくら食いしん坊の元帥でも、あの短時間にお腹が空くなんておかしいです。ですが、元帥がこんな嘘をつくという事は、何か事情があるはず。なら、それを無理に追求するわけにはいきません。
「……まったく、しょうがないな、ジュリーは。空腹くらいでそんな顔をしないでよね。何事かって心配になるじゃないか」
トムさんも元帥の嘘に気付いている様子ですが、特に触れずにいるようです。
「あはは。悪い悪い」
「……では、すぐに食事を用意させますので、少し待っていて下さい」
どうやらクリスさんも何か違和感は感じ取ってはいるようですが、トムさんと同じく深入りはしないつもりのようです。
もしかするとお二人とも私と同じようにまずは様子見という感じなのでしょうか。
それからしばらくして、3人は食堂で同じ食卓に着いて食事を始めます。私はエルザさんとのお菓子パーティでたくさんお菓子を頂いた事もあって、まだお腹がいっぱいだったので、使用人さん達の所へ行って家事のお手伝いをする事にしました。ひょっとしたら、私がいない状態の方が元帥も何かお二人に話すかもしれないですし。
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食堂で夕食を取るジュリアス、トーマス、クリスティーナの3人はいつになく静かだった。帰宅してから何かを思い詰めた様子のジュリアスに、トーマスとクリスティーナが注意の目を向けているために、自然と会話が減って静かな空間が出来上がっていたのだ。
「ジュリー、総統閣下との会食はどうでしたか?」
クリスティーナが探りを入れるように質問をした。
「え? あ、ああ。別に、普通だったよ」
「本当に? あの総統閣下との会食なんだから、何かすごいもてなしを受けたんじゃないの?」
明らかに様子がおかしい。そう思ったトーマスは、クリスティーナが作ったこのチャンスを逃すまいと更に探りを入れてみる。
ジュリアスは2人が自分の様子に不審を抱いているのだと察した。そして何とか誤魔化さねばと頭を悩ませる。
「……皇帝陛下が普段食べているような料理が出てきて、それはもうすごかったよ。でも、緊張してあんまり堪能できなかったんだよなぁ」
「あぁ、それで妙に元気が無かったんだね。まったく君らしいよ」
「そ、そうなんだよ。いや~。もっとじっくり味わいたかったな~」
「ジュリーも今や帝国元帥なんですから、これからも食べる機会はたくさんありますよ」
「そうだよ!」
「……これから、か。そ、そうだな!」
よくある何気ないやり取り。しかし、それが今のジュリアスの胸には深く突き刺さる。今にも涙が浮かびそうになるのをグッと堪えてジュリアスは笑顔を浮かべた。
「トム、クリス。いつも一緒にいてくれてありがとうな。俺、2人と一緒に過ごせて本当に幸せだったよ」
怪しまれるのは百も承知だが、やっぱり最後に感謝の言葉を伝えておきたかった。そう思ったジュリアスは深く頭を下げて礼を言う。
「じゅ、ジュリー、本当に何かあったんですか?」
耐え切れなくなってクリスティーナが遂に一歩踏み込んだ。
「い、いや。ただ、改めてこれまでの事を思い返してみると、急にお礼が言いたくなってさ」
結局、この夕食の間、ジュリアスは真実を何も語らなかった。トーマスもクリスティーナもジュリアスが何か隠している事は確信したものの、ジュリアスがここまで隠そうとするという事は余程の事があったのだろうと思い、それ以上踏み込もうとはしなかった。
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夕食の後、ジュリアスは自室に1人で籠っていた。ネーナすらも部屋に入れずに。
ジュリアスが心配なネーナは、家事などの仕事を終えた後はずっと自室の前でジュリアスが部屋から出てくるのを待ち続けていた。
夜遅くになって、ようやく扉が開きネーナの前にジュリアスが姿を現した。しかも、軍服姿で。
「元帥、こんな時間にどうされたんですか?」
「あ、ああ。実は総統閣下に夜にまた出頭するように言われててな」
「では、お供します」
「いや。1人で来るようにって命令だったからネーナはここで待っててほしい」
「そうですか。分かりました」
小姓(ペイジ)として一緒に付いていきたいという気持ちは強かったものの、総統閣下の命令なら仕方がない。そう自分に言い聞かせてネーナは大人しく引き下がる。
「それよりネーナに1つプレゼントがあるんだ。とりあえず入ってくれ」
「ぷ、プレゼント、ですか?」
急にどうしたんだろうと思いつつ、ネーナは言われるまま部屋に入り、部屋の中にある小さな椅子に座る。
「良いって言うまで目を閉じてて」
「は、はい」
奴隷が主人から物を受け取るなどあってはならない。本来であれば、きっぱり断るのが筋というものだと考えるネーナだが、ずっと様子がおかしかったジュリアスが急にプレゼントを渡したいと言い出した事から、これが原因を解き明かす糸口になるかもしれないと思い、とりあえず大人しく言う通りにする事にしたのだ。
ネーナは目を閉じると、何やらガチャガチャと金属同士が触れ合うような音がネーナの耳に入る。そしてネーナの首に嵌められている首輪が動く感触がした。
ジュリアスが首輪に触っている事は理解したネーナは、一体何をしてるんだろうと気になりながらも、ジュリアスの言い付け通りに律儀に目を固く閉じている。
「よし。ネーナ、目を開けて良いぞ」
ジュリアスがそう言った瞬間だった。ネーナは常に自分の首にあった物が外れて身体が軽くなったような感覚を覚えた。
「え?」
ネーナが目を開けると彼女の視界には、鍵が外れてネーナの首から解き放たれた鋼鉄の首輪を手にしたジュリアスの姿があった。
一体何がどうなっているのか分からず、ポカンッとしているネーナに満面の笑みを浮かべたジュリアスが声を掛ける。
「これでネーナは、もう奴隷なんかじゃない」
ジュリアスは心底嬉しそうな顔をしている。最後に1度だけで良いから、奴隷の身分から解放されたネーナの姿を見ておきたかったのだ。
「ど、どういう事ですか?だって、奴隷を解放するには、同じ主人に10年お仕えする必要があるはずです!私はまだ元帥の下に来て2年ですから、解放奴隷になれるはずがありません!」
「総統閣下が特別にって許してくれたんだよ。ネーナは自由の身だ」
「……じ、自由ですか?」
奴隷に自由は無い。身も心も全て主人に捧げなければならない。そう幼い頃から奴隷養成所で叩き込まれてきたネーナにとって、自由を得たというのは喜びよりも不安の方が大きかった。これまでの人生で築き上げてきた法則をひっくり返されたように思えたから。今のネーナは感謝の言葉よりもむしろ文句の言葉を口にしたい気分になりつつあったかもしれない。
しかし、口が開こうとしたその瞬間、ジュリアスはネーナの身体を両手で力いっぱい抱き締めた。
「げ、元帥?」
「俺はネーナが傍にいてくれて、とっても嬉しかった。本当だぞ。ネーナには心から感謝している」
「……では、これからも、これまで通りお傍に置いて頂けますか?」
「……ああ。勿論だ」
今のジュリアスにはそもそも“これから”というものが存在しない。最後の最後に嘘をつく事に抵抗を覚えつつも、この場を丸く収めるためにあえてジュリアスは罪悪感に苛まれながらネーナに嘘をついた。
「今夜はもう帰って来ないと思う。それから、明日の朝になったら、読んでおいてほしい手紙がある。デスクの上に置いておいたから、明日の朝になったら読んでくれ。それまでは絶対に読んじゃダメだぞ。これが俺からの最後の命令だ。良いな」
「は、はい! 分かりました!」
その手紙は、本当の別れの挨拶。そしてこれから自分がどうなるのかを断片的にだが記してあった。自分が皇帝のクローンで、これから皇帝が自分の身体に転生するため、ジュリアス・シザーランド個人はこの世から消えてしまうという事を。
これ等はローエングリンに無理を言って、親しい極一部の者にだけならと話す許可を得た内容だった。
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