地球の聖女

 総統官邸の総統執務室。この部屋の主であるローエングリンは今、凱旋した突撃機甲艦隊ストライク・イーグルに同行して帝都に来ていたエディンバラ領総督ジュール・ベルナドット伯爵と会っていた。


「ローエングリン総統閣下、長きに渡り、皇帝陛下をお支え頂き感謝に堪えません」

 執務室に入ってすぐにベルナドットはそう言って一礼をした。


「何を言われますか。50年にも渡る任務に従事されてきた伯爵に比べれば大したことはありませんよ」


「連合を創設して以降はずっと椅子に座って悠々とした生活をしていただけです。今にして思うと、随分と楽をさせてもらったものですよ」


 ローエングリンはベルナドットをソファへと誘導して、自らはベルナドットと向かい合うように置かれたソファへと座る。

 部屋の脇に控えていたメイド姿の奴隷少女エルザが一流のティーセットを運んで、2人の前に香ばしい香りのする紅茶を用意した。

 エルザが下がったタイミングで、ベルナドットが口を開く。

「ところで、総統閣下はどこまでご存知なのですか?」


「どこまで、とは?」

 ベルナドットの聞きたい事を理解しているものの、ローエングリンはあえて即答を避けた。その行為に特別な意味は無い。単に50年間も忠義を貫いてみせた目の前の老人にローエングリンは細やかな興味を抱いたのだ。


「……陛下の正体。そして、なぜ陛下があなたを自分の代弁者に選んだのか」


「無論知っていますよ。我等が皇帝陛下が、実は誰なのか。そして私が一体誰なのか」


「知ってなお、あなたは陛下に忠義を尽くすと?」


「銀河帝国皇帝は全人類の支配者です。それに忠を尽くすのは人として当然でしょう」


 淡々と述べるローエングリンの言葉に嘘偽りはない。彼の4倍ほどの人生経験から培われた勘がベルナドットにそう告げていた。

 しかし、一方でそれ以外にも何か別の意図があるようにベルナドットには感じられた。

「……」


 しばしの沈黙が執務室を包み込む。そんな中、扉をノックして下級官吏が執務室へと入ってきた。

「失礼します。教皇聖下が、総統閣下に面会を求めてきておりますが如何致しましょうか?」


「教皇聖下だと?」


 教皇とは、正式には地球教皇という名称で、銀河帝国の国教・地球聖教を統べる宗教指導者である。政治的な権限で言えば、総統に遥かに劣るが、銀河中に信者を抱える地球聖教のトップともなればその影響力は場合によっては総統をも凌ぐほどの力を持つ。


 とはいえ、今はベルナドット伯爵との面会中。教皇には少し待ってもらうかで直してもらおうかとローエングリンが考え出したところで、ベルナドットはソファから立ち上がる。


「地球聖教の指導者を無碍にするものではありませんよ。私も一応は教徒ですしな」


「……では、また日を改めてお話をしましょう。ゆっくりと」


 ベルナドットは最後に挨拶をして退出する。

 そして少しした後、白い生地に金色の装飾が施された美しい祭服に身を包んだ白髪の老人が執務室に現れた。地球教皇ピウスである。

「お忙しい閣下には、急な事にも関わらず、面会をお許し頂き感謝に堪えません」


「教皇聖下であればいつでも大歓迎です。どうぞお掛け下さい」


 ローエングリンに促され、ピウスはソファに腰掛ける。

 そして、さっきのようにエルザはピウスの前に紅茶の入ったティーカップを置いた。


「それで、今日はどのようなご用件で?」


「以前からのお話。中々良いお返事が頂けなかったものですから、今日こそは色好いお返事を思い参上致しました。我が孫娘エフェミアとの婚礼をどうかご承諾頂きたい」


「そういえば、そんな話もありましたね」

 不敵な笑みを浮かべたままローエングリンは窓の方で歩いていき、窓から見える景色を眺める。


「総統閣下にもお分かりのはずです。貴族連合が倒れた今、臣民が望むのは平和な世の中だと。そのためには我等地球聖教とヘルの友好的な関係を目に見える形で示すのが一番です」


「デナリオンズの残党や逃げ込んだ連合貴族を受け入れるから、良からぬ噂を立てる者が現れるのですよ」


 教皇ピウスは、デナリオンズの残党や連合貴族など行き場を失い、教会に逃げ込んだ者を拒む事なく受け入れてきた。彼等が持ち込んだ莫大な資産と引き換えに。

 表向きには、教会は救いを求める者を拒んだりしないという崇高な建前を掲げているが、その様からヘルの敵対勢力を糾合して、地球聖教が政権奪取を図ろうと目論んでいるのでは、と噂する者が少なからず存在した。


「教会は誰に対しても平等であらねばならぬのです」


「まあ、私はそれを咎めるつもりはありません。それはそうと、お孫様は修道院で信仰生活を送っていると聞きましたが、本人は承知しているのですか?」


「無論です。教会と信者達のためであればと喜んで承諾してくれました。あとは総統閣下が承諾して頂くのみです」


「せっかくのお話ですが、今は国内の整備に尽力せねばならぬ時期です。とても結婚をして家庭を持つ余裕はありません」


「帝国総統と教皇の孫の婚礼ともなれば、国内は湧き立ちましょう。臣民はこれを祝福し、新時代の幕開けに大きな光を得る事となります。総統閣下にとって悪いお話ではないと思いますが」


「……」

 ピウスの言う事などローエングリンは百も承知である。教皇の孫娘ともなれば、政略結婚の相手としてこれほどの良縁は他にない。総統としての彼は、この婚礼を断る理由がないと告げている。

 しかし、その一方でコーネリアス・B・ローエングリン個人が、妻を娶るという事に強い拒絶反応のようなものを抱いていたのだ。


「……1度、エフェミア様と合わせて頂けますか? 結婚するかどうか本人に会った上で決めたいと思いますので」


「おお! 孫とお会い頂けますか! 分かりました。では後日、また孫を伴って参りましょう!」

 承諾の返事は貰えなかったものの、孫娘に会う気になったという事は、まったくその気が無いというわけではないらしいとピウスは考えた。

 そもそも今のところローエングリンは、1度もこの婚姻そのものをきっぱりと断ったりはしなかった。総統本人の意図はどうあれ、この婚姻にまったく乗り気でないという事でもないらしい。それが確認できただけでも今日の収穫としては充分だと前向きに考えて、ピウスは退出してヴィルヘルム宮を後にした。


 ピウスが去った執務室では、ローエングリンが何事も無かったかのように政務に勤しんでいる。

 しかし、そんな彼に何か言いたそうにしているエルザに気付いたローエングリンは仕事の手を止めた。

「言いたい事があるなら話したらどうだ?らしくもない」


「では遠慮なく。なぜ、教皇の申し出をお断りにならないんですか?どうせ受けるつもりなんて無いくせに」


「まだ受けないとは言っていない。何しろ相手は教皇の孫娘だからな。慎重に事を運んでいるだけだ」


 結婚云々は別にしても、相手が地球教皇である以上、軽々と物事を決するわけにはいかない。これも言わば政治上の駆け引きなのだから。


「では、最終的には受けるおつもりなのですか?」


「それは相手の出方次第だな」


 肝心なところで誤魔化してきた。そう捉えたエルザは大きく溜息を吐いた。

「情けない! 銀河帝国を支配する独裁者がそんな事でどうしますか! この世の美女は全て自分の物! と言うだけの気概は無いのですか!」


「お前は私を大昔の王様か何かと同じに見ているのか?そんな台詞、今時三流の映画でも使わないぞ」


「心構えの話です! くれるというのなら、貰っておけば良いんですよ!」


 エルザの言葉にローエングリンが小さく笑みを浮かべる。

「まあ、それも1つの考え方ではあるな」


「そうでしょう!」


「……ゲーリングやゲッベルスもこの縁談話にはだいぶ好意的でな。私も少し前向きに考えてみるか」



 ─────────────



 帝国総統ローエングリンと地球教皇ピウスが会談を行なった数日後、ピウスは再びローエングリンを訪ねて総統官邸ヴィルヘルム宮へとやって来た。今回は孫娘のエフェミアを伴ってである。


「エフェミア・キアラモンティと申します」

 修道女姿の17歳の美少女がローエングリンに挨拶をする。

 黒いベールから垂れて腰の辺りまで伸びる綺麗な金髪に、まるでサファイアのような青い瞳を持つエフェミアは、教皇の孫娘ではあるが、地球聖教で最も過酷と言われるアルプス修道院にて修道生活を送る敬虔な信徒だった。そしてその美しい美貌と温和な人柄から信者達から“地球の聖女様”と呼ばれて慕われている。


「なるほど。流石は教皇聖下のお孫様。実にお美しい方だ」


 軽い世辞を言うローエングリン。何の変哲もない台詞ではあったが、その声にはいつもとは少し違う雰囲気が潜んでいる事を、彼の後ろに控えているエルザは微かに感じ取った。

 そして察するのだった。今、目の前にいるこの聖女エフェミアの美貌にローエングリンが魅了されて、柄にもなく緊張しているのだと。それを必死に悟られまいとする彼の努力が実って、幸いピウスとエフェミアに気付かれた様子は無いが、それ等全てがエルザには楽しくて仕方が無く、しばらくは笑いを堪えるのに全力を注がねばならなくなった。


「総統閣下のお気に召したようで何よりです。この子は私の自慢の孫です」


「その自慢のお孫様を私のような者に嫁がせて良いと?」


「ご謙遜を。総統閣下を差し置いて、他に誰をと言われるおつもりですか?総統閣下の妻となる事こそこの銀河で最も幸福な女性と考えますが」


「地位のある男性に嫁ぐだけが、女性の幸せというわけでもないでしょう。それにエフェミア様は並大抵の覚悟では数日と持たないと言われるかのアルプス修道院に3年も身を置いているとか。このような方がいきなり俗世に戻されて、今日会ったばかりの男に嫁がされようとしている。エフェミア様はそれでも宜しいのですか?」


「この婚姻で、教会や信者の皆様、延いては帝国臣民の皆様のお役に立てるのでしたら、私は喜んでお受けしますわ」

 何の迷いも無い満面の笑みを浮かべてエフェミアが言う。


「ほお」

 その言葉遣いと表情から、彼女の言葉に嘘偽りが無い事をローエングリンは察する。そして視線をエフェミアから再度ピウスに戻す。

「良いお孫様をお持ちですね、教皇聖下」


「閣下にそう言って頂けるとは。では、エフェミアの婚姻をお受け頂けるのですかな?」


「良いでしょう。政府と教会の絆を帝国中に示す良い宣伝になる」


 結婚とはいえ、これは政治の一種だ。貴族連合が崩壊した今、全人類の統治者となったローエングリンが、宗教という新たな世界にその手を伸ばす。それによってヘル政権の支配体制をより盤石にする。地球聖教は旧貴族連合領でも広く信仰されており、大勢の信者達が存在する。その信者達の心を掴む事は、今後の占領政策にも少なからずプラスに働くだろう。そう考えて、ローエングリンはこの婚姻を受ける事にした。

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