地球市国

 銀河歴717年現在、人類発祥の地である惑星・地球は、銀河帝国においては軍事的経済的には大した価値を持たない田舎と成り果てていた。しかし今、地球はある1点において異常な価値を持ち、それは時に政治的影響力を持つ事もある。それは宗教だ。

 銀河帝国が国教と定める“地球聖教ちきゅうせいきょう”が聖地とし、総本山を構えている場所が地球だった。

 地球聖教の主神アースは地球を神格化した神であり、それだけも銀河中の人々が地球に憧れと信仰を抱いた。


 現在、地球を含む太陽系は、全ての地球聖教会を率いる地球教皇庁によって統治される半独立国家・地球市国ちきゅうしこくとなっていた。政教一致の政治体制が取られており、地球の現在の総人口は約3000万人程度だが、その全てが信者である。

 このような状況が生じたのは、第9代皇帝コンスタンティン帝が年々勢力を広げる地球聖教を取り込む事で、専横を極める大貴族勢力を抑える手駒としようとした事に端を発する。コンスタンティン帝はそのために地球聖教を帝国の国教に定め、地球聖教に太陽系の統治権を認めたのだ。


 地球教皇庁が設置されている聖都アース・シティは、イタリア半島のかつてバチカンと呼ばれていた地の上に建設されている。

 そのアース・シティの中央に建つ聖アース大聖堂の荘厳な廊下を、赤い祭服に身を包んだ壮年の男が、大聖堂の奥へと歩みを進めた。

 その最奥にある、アヴァロン宮殿の金剛の間にも負けず劣らずんの広さと豪華さを持つ広間へと入る。そこには白い生地に金色の装飾が施された美しい祭服に身を包んだ80歳くらいの老人がいた。


「教皇聖下」

 そう言いながら、赤い祭服の男はその場に跪く。


「コンサルヴィ枢機卿、首尾はどうじゃ?」

 教皇と呼ばれた老人が言う。彼の名は地球教皇ピウスである。


「上々です。ヘルはディナール財団を滅ぼし、帝国を掌握致しました。ディナール財団への資金援助を打ち切り、ヘルに全面協力したのはやはり正解でした」


 地球聖教は、純粋な宗教団体とは言い難い。彼等は銀河帝国と貴族連合の垣根を越えて銀河系全域に多くの信者を抱え、彼等から納められる奉納金によって莫大な富を手にしていた。

 教会はその富を利用して、帝国の権力争いにも介入し、対立勢力の片方、時には両方を資金面からバックアップすることで様々な便宜を引き出していたのだ。

 そして今回のヘルとディナール財団の対立では、これまでの大貴族達との縁を断ち切ってヘルに味方した。

 その判断は結果として正解であり、ヘルは帝国の支配権を確立。協力への見返りとして、地球聖教は帝国内で保有する様々な権益の維持、帝国の各地に更なる教会・修道院を建設する許可を得る事に成功していた。


「ヘルによって地位を追われた貴族の何人かが保護を求めて地球に来ておりますが、如何致しましょうか?」


「我等は救いを求める者を拒んだりはせぬよ。無論、受け入れよ。ただし、財産は全て免罪符に変えてもらわねばならぬがな」


 それは宗教指導者としての慈悲と策略家としての辛辣さの双方を兼ね備えた発言だった。救いを求める者を拒んだりしないのが聖職者の務めであるが、その一方で彼等が逃げる傍ら詰めるだけ宇宙船に詰め込んだ財産は全て没収する事で教皇庁の懐を少しでも潤そうとする。


 教皇ピウスは、このやり口でディナール財団の富のおよそ7%を掌握したと言われる。とはいえ、ヘルと地球聖教が手を組んでいる事は周知の事であり、地球に庇護を求める者の多くは財団の末端か財団に直接属していたわけではない者がローエングリンの報復を恐れて避難したというのがほとんどだった。


「貴族連合への出資は抑えているのだろうな」


「勿論です。尤も貴族連合領にも大勢の信者達がいますので、彼等の安全のためにも凍結とは行きませんが、出資額はあれこれと理由を付けて引き下げております」


 “信者達の安全”というコンサルヴィ枢機卿だが、彼等にとって大事なのは信者ではなく、信者が教会に収める奉納金に他ならない。


「宜しい。遠からずヘルが銀河系を支配するだろう。滅びると分かった勢力を支援しても何の意味も無いからな」


「しかし、ローエングリン公は頭が切れる上に何を考えているか分からぬ輩。大貴族という重石が無くなった今、何をしでかすかが些か懸念も残ります」


「ふふ。案ずるな。手は既に打っておる」


「は、はぁ?」


 しばしの沈黙が広間を包み込むが、それも長くは続かなかった。

 2人の下へ近付く足音がその沈黙を破ったのだ。


 現れたのは修道女の姿をした少女だった。17歳くらいの外見をした彼女は大聖堂の神秘的な空間による助勢も相まってか、まるで女神かのような美しさである。黒いベールから垂れて腰の辺りまで伸びる金髪は装飾品のような輝きを放ち、青い瞳はまるでサファイアのような美しさだ。

 そして年齢にはやや不釣り合いなほど胸に膨らみがあり、本来謙虚さの証であるはずの修道服がその胸の豊かさを抑え切れないほどである。


 その少女の存在に気付いた教皇ピウスは、先ほどまでの策士のような悪人面が一変し、優しい笑みを浮かべて温厚なお爺ちゃんという風になった。

「おお。エフェミアか。一体どうしたのだ?このような場所へ」


「お爺様、そろそろお薬の時間ですよ」


「何? もうそんな時間だったか? いやはや、ついうっかりしていたよ」


 この少女は教皇ピウスの孫娘である。地球聖教にも当然、大昔に栄えた宗教と同じく厳しい戒律が存在するが、その戒律に縛られるのは修道士や修道院で生活する者のみで、それ以外の聖職者は比較的緩い戒律の上で生活をしていた。無論、愛人や奴隷を持つ事は禁じられるが、家庭を持つ事はできる。

 銀河系の影で教会の発展を目指し暗躍する教皇ピウスも家庭に戻れば、持病に悩む老人であり、可愛らしい孫娘を溺愛する祖父であったのだ。


「エフェミア様、長らく教皇聖下をお引止めしてしまい申し訳ありませんでした。私はこれにて退散致しますので、聖下はお返し致します」


「あら。これはコンサルヴィ枢機卿、ごきげんよう。様などと呼ぶのはお止め下さいといつも言っているでしょう」


「いえいえ。エフェミア様はそのお若さで、あのアルプス修道院にて修行を積む修道女なのです。我等枢機卿団は皆、流石は教皇聖下のお孫様だと思っております」


「そ、そのような」

 エフェミアは頬を赤くして恥ずかしそうにする。


 アルプス修道院は地球聖教に数ある修道院の中でも最も過酷な修行を修道士に課す所だった。エフェミアは教皇の孫の名に恥じない立派な聖職者になりたいと自らこのアルプス修道院に入ったのだ。しかし、あまりの過酷さに死者を出す事すらあるこの修道院にエフェミアが入る事を誰よりも反対しているのは教皇ピウスに他ならなかった。今も理由を付けて3日間だけという条件で彼女をおよそ1年ぶりに自分の下へ呼び戻し、このままアース・シティに留まるようにと交渉を進めていた。


「エフェミア、すまないが、あと5分だけ待ってくれぬか」


「……分かりましたわ、お爺様。薬を用意してお待ちしていますので、後5分だけですよ」

 そう言い残しエフェミアは広間から去っていった。


 孫娘と片時も離れたくない教皇は、彼女の後ろ姿を名残惜しそうに見送る。

 その一方、コンサルヴィ枢機卿は何か違和感のようなものを覚えた。

「少し痩せられましたか?」


「やはりそう思うか。あれは私が用意させた食事も華美が過ぎると言ってほとんど手を付けなくてな。向こうでの暮らしぶりが窺える」


 エフェミアがアルプス修道院に入りたいと言い出した時、反対こそしたが、教皇はそこまで強くは言わなかった。どうせすぐに音を上げて帰ってくるだろうという甘い考えが彼の脳裏にあったからだ。

 しかし彼女は今年で4年間、あの修道院で過酷な修行の日々を送っている。本来なら18歳以上でなれば入れない修道院に、可愛い孫の頼みを断り切れずに教皇の権限を利用して無理やり入れさせた事を彼は強く後悔していた。

 だが今の教皇には孫を引き戻すための策があった。


「コンサルヴィ枢機卿、先ほどローエングリン公に対して打った手だがな。私はエフェミアとローエングリン公を結婚させようと考えている」


「な、何ですと!? し、しかし、宜しいのですか?大切なお孫様を」


「年々会う度に痩せ衰えていくエフェミアを見るのは辛いのだ。であれば、帝国の支配権を握る独裁者の妻となる事の方がエフェミアにとっては幸せであろう。それにエフェミアも教会と大勢の信者達の未来が掛かっている婚姻だと言えばきっと分かってくれるはずだ」


 自分の孫と帝国総統との婚姻。それは孫の幸せを願う祖父としても、教会の繁栄を目論む教皇としても有益な、正に一石二鳥の策だったのだ。

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