束の間の平和

 ヘルによる新体制の構築後の宇宙は、少なくとも表面上は平和と言えた。

 時折デナリオンズやディナール財団の残党に関するニュースがネットを飛び交う事はあるが、その多くは新たな逮捕者が出たというもので民間人が害が及ぶようなものではない。


 ヘルの親衛隊が国家保安本部を介して帝国中の警察機構を一元統括しているために警察組織全体の治安維持能力の向上、運用効率の向上が実現し、それが犯罪率の低下をもたらした。


 また、このところは貴族連合軍も目立った軍事活動を控えており、大規模な艦隊戦が繰り広げられる事がほとんど無かった。あってもせいぜい小規模な国境紛争くらいだ。


 しかし、この平和な期間は決して休息時間などではない。次の戦いに備えての準備時間なのだ。

 ジュリアスは今、ヴァレンティア艦隊旗艦ヴィクトリーの自室にて艦隊所属の戦機兵ファイター師団の編成や訓練状況に関する資料を読んでいた。

 ヴァレンティア艦隊はヘルの中核を担う艦隊として軍の内外から注目されており、新型のラプターMk-IIを優先的に配備されることになっていた。しかし、従来の帝国軍の主力機だったセグメンタタとは勝手が大きく異なるラプターシリーズを効果的に運用するには新米パイロット向けの新カリキュラムの作成が不可欠だった。


「大将、紅茶を入れましたので一休みしてはどうですか?」

 そう言ってジュリアスの前に、小姓ペイジのネーナが紅茶を置いた。


「お。悪いな」

 ジュリアスは手にしていた書類をデスクの隅に置いてネーナが用意したティーカップに手を掛ける。


「すごい数ですね」

 デスクの上に積まれた書類の山を見てネーナが呟く。


「まったくだよ。新たに配属されるパイロットのプロフィール、新型機の詳細データ、部隊編成案に関する書類、機体の配備や武器弾薬の補充に関する書類。それにその他諸々。これ全部をチェックしないといけないんだからな。1枚1枚見るのも大変だけど、あと置き場にも困るんだよな」


「ふふ。大将は昔から整理整頓が苦手ですからね。宜しければ後で私が片付けておきましょうか?」


「ああ。宜しく頼む」

 ネーナの申し出に対してジュリアスは即答で返した。元よりネーナに頼むつもりでいたのは明白だ。


 ふとネーナは部屋の隅に置かれている段ボール箱に目をやった。

「あれも少しは整理してはどうです?」


「ん? あぁ」

 ジュリアスは険しい表情を浮かべる。


 ネーナとジュリアスの視線を集めるその段ボール箱には、ヴァレンティア艦隊に所属している女性軍人達がジュリアスに贈ったファンレターである。17歳という若さで歴戦の英雄として名声を欲しいままにするジュリアスは、その幼さを残しつつも整った顔立ちに加えて、部下に対して気さくに接する大らかな姿勢に、活発で無邪気な性格も相まって、艦隊将兵から絶大な人気を集めていた。女性軍人の間ではジュリアス本人も知らない非公式のファンクラブが設置されているほどだった。


「せっかく皆さんが送って下さったのに、段ボールの中に押し込んで部屋の片隅に放置して」


「そ、それは分かるけど。ファンレターなんてどう扱って良いのか分からないしな。これも置き場に困る。かと言って読み終わったから捨てるわけにもいかない。まったく、どうしたら良いのやら」


「そんなに嫌がらなくても良いではありませんか」


「……何だか妙に嬉しそうだな」


「ふふ。だってこれだけの女性を魅了するような方がご主人様だなんて、奴隷としては嬉しい限りです!」


「……」

 ジュリアスはネーナが自身を“奴隷”と呼び、自分を“ご主人様”と呼んだ事にやや不満を覚えた。彼はネーナに主人と奴隷という関係ではなく、家族のような関係を望んでいたのだから。

 とはいえ、喜んでくれている相手にわざわざ水を指すような真似をするのもどうかと思った結果、ただ沈黙するしかなくなったのだ。


「大将、どうかされましたか?」


「え?あ、いや。何でも無いよ」


 そう言ってジュリアスは気を逸らすためにネーナが用意してくれた紅茶を一口飲む。

 紅茶の味を噛み締めたジュリアスはふとある事を思い出した。


「そういえば、トムも女の子からファンレターをたくさん貰ったって話してたな」


「はい。さっき給湯室でご一緒したウェルット中尉とゴートン少尉も話していましたよ。トーマスさんは容姿もとてもお可愛らしく、まるでお人形さんみたいだと。それに誰に対しても優しく紳士的で、トーマスさんみたいな兄がいたら、さぞ鼻が高いだろうなと」


「へえ。俺の事は何か言ってたか?」


「え!? そ、そうですね。……大将もお可愛らしい容姿で、いつも元気いっぱいなわんぱく小僧みたいで、ぜひ弟にしたいって話してました」


 ネーナの話を聞いたジュリアスは一気に不満そうな顔をした。

「何でトムは紳士的で兄にしたいって言われてるのに、俺はわんぱく小僧で弟にしたい、何だ? ちょっと差があり過ぎないか?」


「そ、それは。……あ! あれじゃないですか。大将はいつも気さくに部下達に接しておられますし、それだけ部下達から親近感を抱かれているという事では?」


「……まあ。トムは真面目でちょっと堅苦しい所もあるからな」


 ネーナが必死になって絞り出した答えに、ジュリアスはとりあえずは納得した。その事にネーナは内心で安堵の息を漏らす。

 そしてジュリアスは再度、ティーカップを口へと運んで紅茶を飲む。


「いつもながらネーナが入れてくれた紅茶は美味いな。ただ、これに菓子の1つでもあるともっと良いんだけど」


 ジュリアスの言葉を聞いたネーナは、「そう言うと思いましたので」と言いながら、透かさずポケットに手を入れてクッキーの入った小包みを取り出し、ジュリアスに差し出した。


「おぉ、気が効くな! 流石、ネーナ!」

 ジュリアスは無邪気な子供のように小包みを手に取って中のクッキーを口に頬張った。


「そういえばネーナ、ここでの暮らしには慣れたか?」


「はい。皆さん、とても親切にしてくれますので」


「それは良かった。何か困った事があったら遠慮なく言ってくれていいからな。因みに何か困ってる事はあるか?」


「いいえ。特には無いです。……強いて言うなら、軍服に慣れるのに少し時間が掛かった事くらいですね」

 そう冗談めかしながらネーナが言う。

 奴隷の衣装については奴隷基本法にも特に規定は無いが、質素で貧相な物が良いという習慣が出来ている。ネーナもそれに沿って地味で簡単な作りの服ばかりを着ていた。それもあり、ビシッとした装いの軍服は初めて着るまともな服だった。


「あはは。確かにネーナはちゃんとした服を着る機会がなかったからな。言ってくれれば、もっと可愛い服とか買ってあげたのに」


 もっとネーナには女の子らしい服を着せてあげたい。そう思うジュリアスだったが、ネーナ本人が「奴隷の身には必要ありません」と拒否していた。

 こっそり買ってプレゼントしてみようかと考えた事もあったが、元々ファッションに疎いジュリアスは1人では何を買って良いのか分からなかった。女子に相談しようにもクリスティーナはジュリアスとは違った意味でファッションには興味のない堅物だ。


「私は今ある服で充分です。それより大将こそもっと服を買うべきです!ずっと同じ服を使い回して。この前、何年も使っているせいでついに穴が開いて捨てないといけなくなった服があったでしょう。流石に新しい服を買って下さい」


「あ、あぁ、でも、あんまり服を増やしちゃうとネーナが洗濯する時に大変にならないか?」


「私の事はどうぞお構いなく。大将の服は元々数が少ないので、少し増えた方がちょうどいいです」


「うぅ。……」


「ん? どうかされましたか?」


「いや。何だか大将って呼ばれるのに、やっぱりまだ違和感があってな。ついこの間までは大佐だったってのに」


「それだけ出世されたという事ですね」

 ネーナは自分の事のように嬉しそうにする。


「でも、ネーナも何度も呼び方が変わって面倒じゃないか?どうだ、これを機会に俺への呼び方を変えてみないか?」


 ネーナがジュリアスの下に来た当初、ネーナはジュリアスを“ご主人様”と呼んでいた。しかし、それをジュリアスが嫌がったために呼び方を変える事になり、幾つもの案が出された末に辿り着いたのが階級で呼ぶというものだった。


「……大将がそうお望みでしたら私は構いませんが、では今後は何とお呼びすれば良いでしょうか?」


「名前で呼んでくれても良いぞ」


「では、ジュリアス様で」


「いや。様付けじゃなくて呼び捨てで」


「それはダメです!主人を呼び捨てにするなど、奴隷の風上にも置けません!」


 2年前にも似たようなやり取りをした。まるであの時の再現のようだな。

 そう2人が同時に思った時、2人は思わずクスリと笑ってしまう。


 それからジュリアスとネーナは様々な呼び方の案を言い合うも、妥協点を見出せずに結局これまで通り階級で呼ぶことになるのだった。

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