婚約者

 皇帝陛下への謁見から数日後、総統閣下の手配により俺ジュリアス・シザーランドは、婚約者になるというパトリシア・ネルソン嬢との初めての対面の場を設ける事になった。

 しかも場所は総統官邸ヴィルヘルム宮の客間の1つ。部屋には俺とパトリシア嬢以外誰もいない。


 正直、トムやクリスにも同席してもらいたかった。2人がいれば、少しは気も楽になるはずだから。でも、2人とも来てはくれなかった。トムからは「ここは婚約者同士1対1で会うべきだよ」と言われ、クリスからは「戦場での勇猛果敢さはどこへ行ってしまったのです!」と突き放されてしまった。

 一時はネーナが同席すると言ってくれたのだが、貴族の婚約者との対面に、奴隷の少女を連れて行くのはマナー違反であり、ネーナには申し訳なかったが、ここは遠慮させてもらった。


 客間で、俺はパトリシア嬢と向かい合うように高級ソファーに座った。最初の数分間は俺もパトリシア嬢も一言も発さずに、ただ相手を見つめ続けた。なぜ婚約者との対面の場で何も会話をしないのかと言えば緊張のあまり言葉が出なかったのだ。

 何しろこの人が俺の妻になるのか、と思うと何を話して良いのか分からない。それにあのネルソン提督の妹となると余計にだ。パトリシア嬢は姉の死の一因を作った俺の事を恨んでいるのだろうか?


 ふと意識をパトリシア嬢に向けると、それは堂々としたものだった。まだ14歳の少女だというのに年上なはずの俺よりずっと落ち着いている。いや、精確には足を組んで頬杖をつき、尊大な態度を取っているという方が正しいだろうか。

 パトリシア嬢も沈黙を守っているけど、この態度からして理由は俺のような何を話したらいいのか分からないなんて類の物ではなさそうだ。

 腰くらいの高さまである、癖のない艶やかな銀髪。透明感のある白い肌。そして亡きネルソン提督と同じ綺麗な蒼い瞳をしている。容姿もとても整っていて、まるでお人形さんみたいだ。


 しばらくして使用人が部屋に入り、俺とパトリシア嬢の前に紅茶を用意した。そして使用人が退室したのと同時に、紅茶を優雅な手付きで一口飲んだ後、ようやくパトリシア嬢はこの沈黙を破る。

「それで君が私に子種を提供する男か?」


「ブーー!!」

 俺は口に入れた紅茶を思わず吐き出してしまった。

「ゴホッ! ゴホッ! な、何をいきなり?」


「おや? 間違った事は言っていないはずだが? 我が姉上はよく、男というのは女の身体に自分の欲求を吐き出す事しか頭にない野獣だと話していたが」


 て、提督。一体何て話を妹にしてたんですか。

 パトリシア嬢の瞳は純粋無垢な子供ではなく、悪戯っ子のような悪意に満ちた物だった。明らかにこの子は俺を揶揄っている。少なくとも俺を試しているんだろう。流石はあの提督の妹。まだ14歳だってのに強かな子だ。とはいえ、この質問はどう返したら良いんだ?


「そ、それは、その、あのですね。跡継ぎを設けるためには避けては通れない道でして、」


「ふふ。案ずるな。私も無知ではない。夫婦の営みについては無論経験は無いが、知識ならある」


「は、はぁ」


「私が君に要求する事は1つだ。それは私に子種を授け、ネルソン家を継ぐ跡継ぎを設ける事。ただそれだけだ。既に張りぼてと化した旧貴族の家ではあるが、先祖代々続く家を私の代で断絶させたとあっては目覚めが悪いからな」


 要は俺に種馬になれって事か。何て横暴な。やっぱりこの子もこの婚約には不満があるのだろうか?


「……夫としての務めは果たさせて頂きます。ですが、そのような考え方はお止め頂きたい!」


「ほお」


「突然夫婦になれと言われて不満に御思いなのかもしれませんが、夫婦以前に私にはあなたを幸せにする責任がある。なぜなら、あなたの姉君が亡くなる原因の一端が私にもあるからです!その責任を果たすためにも、そして夫としての務めを果たすためにも、私は最善の努力をさせてもらうつもりです!どうかその事はご理解頂きたい」


「……プッ!ふはははははは!あはははははは!」


 パトリシア嬢はなぜか大声を上げて笑い出した。それはもう豪快でお腹を抱えて崩れ落ちそうな勢いだ。さっきまでの優雅な令嬢らしい振る舞いはどこへやらである。


「いや。これは失敬。姉上からは不真面目な男と聞いていたが、責任を果たすと言うか」


「……」


「なるほど。言っておくが、私は君に興味があったのだ。あの堅物だった姉上が愛した男というのがどのような人物なのかを。だから私はこの婚約に不満は無い。というわけで、今日から夫として宜しく頼むぞ、ジュリアス様。いや。それよりもこう呼ぶべきかな? 我が親愛なる旦那様、と」


 突然パトリシア嬢は俺に年相応の満面の笑みを向けてきた。

 その笑顔に俺はつい見惚れてしまい、言葉を失った。

 その様が面白かったのか、パトリシア嬢はクスリと楽しそうに笑う。


「ふふ。まあ、婚約と言っても私はまだ14歳の子供だ。正式に結婚するのは少なくとも後3年くらいは先になるだろうな」


「……そうでしょうな。自分も、」


「おい!」


 俺の言葉を遮って、パトリシア嬢は突然不満げな声を上げた。

 何かマズい事を言ってしまっただろうか?

「な、何か?」


「君は私の夫となる男なのだぞ。だというのになぜそのような他人行儀な言葉遣いなのだ? 本気で夫になるつもりがあるのなら、それなりの対応をせぬか!」


 あぁ、そういう事か。確かにそれもそうだ。夫婦になるというのに、俺の方から距離を作ってどうする!

「失礼しました。では。……俺もしばらくは軍務が忙しいだろうから、少し待ってもらえると助かる」


「宜しい。……時に、1つ質問をしても良いかね?」


「何だ?」


「君から見て、我が姉は、マーガレット・ネルソンはどのようなお人であった?」


「え?」


「私と姉上は姉妹と言っても、あまり面識が無くてな。何しろ私達は腹違いの姉妹だからな」


 その事を俺は既に知っていた。今回の対面に先立ってネルソン子爵家から送られてきたパトリシア嬢の簡単なプロフィールを拝見させてもらった際にそのような記述があったからだ。

 “腹違い”

 要するに父親は一緒だが、母親が違うというわけだ。

 亡きネルソン提督は正妻の娘だったが、パトリシア嬢は愛人との間に生まれた子だったらしい。改めて考えると、瞳の色は同じだが、髪の色がまったく違うのは母親が違う事を物語っているようにも思えた。

 旧貴族の間では、正妻との間だけでなく、愛人との間に子供を儲ける事は決して珍しくは無かった。子供は多ければ多いほど良いという風潮が旧貴族にはあったから。

 子が多ければ、跡継ぎ候補が満を持して確保されるし、政略結婚の手駒も増える。という理由からである。なので、愛人との間に生まれたパトリシア嬢がネルソン家の中で極端に冷遇されていたという事は無いだろうが、それでも愛人との間に生まれた子を正妻が快く受け入れるとは限らないだろう。


「私はネルソン家の家督を継ぐまでずっと領地暮らしで、帝都に住んでいた父上や姉上とはほとんど会う機会が無かった。幼い頃に何度か会った事はあるが、うろ覚えでな。だから教えて欲しい。姉上はどのような人であった?」


「……提督は、とても美しく、とても気高く、皆の憧れの的だった。正に武人の鑑という感じの人で。ただ、あの人は怒るとすっごく怖いんだ。文字通り鬼の形相で説教が始まると数時間は拘束された。それに訓練は超スパルタで、兵士が何人も倒れて病院送りになってたな。あ、でも、その訓練を終えた後に振舞ってくれた手作りのお菓子はとても美味しくて、あんなに美味しい物が食べられるなら、どんなに辛い訓練でも頑張って耐えようと思えたほどだった」


 それから俺は話すのに夢中になってしまって、パトリシア嬢の事は何も考えずに、ネルソン提督との思い出話を話し続けた。

 話し始めてどのくらい経ったかは分からないが、しばらくして俺はふとパトリシア嬢の様子を窺った。すると、パトリシア嬢は最初と変わらず、じっとこちらを見て話を聞いていた。


「ん? どうした? それで、命令を待たずに敵に突撃した君を姉上はどうしたのだ?」


「本来なら軍法会議ものなんだけど、結果的に勝利に大きく貢献したって事で上への報告は見逃してもらえたよ。でも、無罪放免じゃあ艦隊の皆に示しが着かないって事で鞭打ち3回の処分を受けたんだ」


「鞭打ちとは、また前時代的な」


「帝国軍は貴族の指揮官が平民の兵士を率いるって図式だったからな。こういう処罰の方が見せしめにもなるし、都合が良かったんだ」


「なるほど。まあ、奴隷に鞭打ちを加える主人も多い事だしな」


「貴族のご令嬢には縁の無い話だろうけど、あれは痛いぞ。1発打たれる度に皮膚がスパッと裂けて血が噴き出して、もう頭が真っ白になる感じだ。……あ! す、すまん。令嬢に聞かせるような話じゃなかったな」


「ふふ。構わんよ。だが、そんな酷い目に会いながらも、君は懲りずに何度も軍規違反を犯していたのか?」


「そ、それは、その。物覚えが悪くてな。あはは」


「ほほう。姉上もさぞ手を焼いた事だろうな」


「うぅ。そ、そこを突かれるともう俺は何も言い返せないな」


「あはは!面白い方だな~!姉上がなぜ君を好きになったのか分かった気がするよ」


 そう言って笑った後、パトリシア嬢はソファーから立ち上がった。


「今日からは君の婚約者として、未来の妻として、宜しく頼むよ」


「ええ。こちらこそ」

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