政治結社ヘル
戒厳令を発令後、帝国総統ローエングリン公爵は、皇帝にも並ぶ巨大な権力を掌握した。この権力でローエングリンはまず帝国政府の組織機構の再編を図った。
公権力を濫用して私腹を肥やしていた大貴族の多くは政府の中枢から一掃される。
そして彼等に代わって政府の中核を担うようになったのはローエングリンが集めて編成した政治結社のメンバー達だった。皆、優秀だが身分の低さから出世ができずにいた者達である。
このローエングリンが創設した政治結社は、その名を《ヘル》と呼称する。この名を聞いた者はまず地獄を連想するだろう。しかし、名の由来は別にあった。かつて人類が地球という1つの星のみを生存圏としていた地球時代に、ある地域で信仰された宗教に登場する、老衰や病気による死者の国を支配する女神の名だ。
ローエングリンは混沌を極める銀河をその死者の国に例え、自分達こそこの銀河を支配する存在になるのだという思いが込められていた。
ヘルは皇帝官房という組織の内に隠れながら、人材を集めて計画を練り、歴史の表舞台に立つ日を待ち続けてきた。
そして遂に帝国政府そのものを掌握する日がやってきたのだ。
しかし、このような強引なやり口に大貴族が何の反発もしないはずがない。中には抗議をする貴族も多数いたが、これに対してローエングリンは国家保安本部を掌握する親衛隊に一斉拘束を命じた。銀河帝国の警察権力は帝国保安局の解体によって国家保安本部にほぼ全てが集約されており、戒厳令によって無原則にも近い強権を得たローエングリンの勢いを止められるのはもはや軍事力以外には存在しなかった。
ローエングリンの構築した新体制は、いわゆるヘルによる一党独裁制だった。ヘルの隠れ蓑だった皇帝官房は、ヘルの台頭に伴ってその役目を終えて解体。その組織はヘルの中核へと名実ともに取り込まれる。
ヘルの党首は当然ローエングリン自身であり、役職名はヘル総統と呼称される。
そして総統に次ぐ地位に就いたのは旧皇帝官房副長官ロタール・ゲーリング男爵。彼はヘル副総統の地位、さらに帝国政府の大蔵大臣という要職が与えられた。大蔵大臣は帝国の財政全般を所轄する事から内閣においては帝国宰相を除くとトップの権勢を誇る地位だった。
このように、ローエングリンは自らが見出した才有る人材を次々と閣僚、そして政府の要職へと据えていき、政府中枢は完全にヘル党員が占める事となった。
この者達は全員がヘル党員であり、後に彼等は帝国貴族からその座を奪い取った《
今や帝国に名実ともに独裁者として君臨するローエングリンに、ピンク色の髪をしたメイド姿の少女が総統執務室にて話し掛ける。
「ご主人様は新しい皇帝になられるおつもりですか?」
「ふん。面白い冗談だ」
「ですが、そう噂する貴族は多く御座いますよ。それに今のご主人様は事実上の皇帝です」
「私は全て皇帝陛下の勅命に従っているに過ぎん」
「ふふ。ご主人様はいつもそう仰います。ですが、誰もあなた様をそうは見ないでしょう。皆があなた様を陛下を唆して帝国の覇権を握ろうとしている野心家としか思っていません」
エルザは椅子に座るローエングリンの後ろへ周り、両手を広げて彼の身体を抱き締める。
「そうだろうな」
「そうまでして、ご主人様は何を目指しておられるのですか?」
「……エルザ、私を試すような言い方は止めろ」
「ですが、このままではご主人様の理解者は誰もいないままですよ」
「理解者ときたか。奴隷の分際で生意気な」
そうは言いつつもローエングリンはクスリと小さく笑みを浮かべた。
「ふふ。だって私はご主人様の奴隷ですから。このくらいでないと務まらないでしょう?」
ローエングリンはばつが悪そうな顔をし、そして観念したかのように口を開く。
「……エルザは、この銀河帝国がどのようにして誕生したか知っているか?」
「どうってアドルフ大帝が腐敗し切った銀河連邦を解体して作ったんですよね」
「間違いではないが、表現に少し問題があるな」
「え?ですが、歴史書にはそう書いてありましたよ」
腐敗した衆愚政治を憂いたアドルフ大帝が、人類の永遠の繁栄のためにと、後に帝国貴族となる同志達と共に立ち上がって政権を掌握。遂には共和政を停止して帝政へと移行。こうして銀河帝国は誕生した。
帝国の最も簡単な歴史書でもこのような書き方がされている。学校の教科書などではアドルフ大帝の偉業を称えるべく、大仰な文章で彩られていた。
「だから間違いでは無いと言った。だがな。銀河連邦は民主国家だった。帝国と違って主権は皇帝や貴族ではなく、民衆が握っているのだ。如何にアドルフ大帝陛下が偉大な指導者だったとしても、民衆がそれを受け入れなければ意味が無い。つまりは、アドルフ大帝陛下を皇帝にし、帝国を築いたのはアドルフ大帝陛下ではなく、当時の銀河連邦市民そのものだという事だ。銀河連邦市民8000億人が国民投票の末に、アドルフ大帝陛下は皇帝となられ、銀河帝国が誕生した」
「……」
もうエルザには、ローエングリンが何を言いたいのかよく分からなくなっていた。しかし、ローエングリンがここまで自分に何かを熱く語る事はそうそうない。エルザは彼の微かな表情の変化から如何に真剣なのかを感じ取っていたため、特に口を挟んだりはせずにちゃんと話を聞いている。
「私がヘルを作ったのは、8000億もの人々が帝国に託した思いを体現するためだ。皇帝の下に挙国一致体制を築く事が帝国の存在意義だったはずだというのに、今では大貴族が特権に胡坐をかいて好き放題やっている。だから私は大貴族どもを一掃して、帝国をあるべき姿に戻したいのだ」
「ご主人様って意外とロマンチストなんですね。300年前の人々の思いを受け継ぐなんて」
「ロマンチストなんて言い方は止めろ。そんなものではない。私はただ正論を言っているだけだ。もし仮に皇帝が帝国を滅ぼすような愚行を行なったとしても、皇帝にはそれを行う権利がある。なぜなら、その権利は銀河連邦時代に主権を持つ市民の総意で、正当な手続きを踏んで与えられた物なのだからな。だが、大貴族どもの持つ特権は奴等が奴等に都合が良いように長い年月を掛けて不当に拡大させていったものだ」
「だから大貴族を滅ぼすのですか?」
「滅ぼしはしないさ。ただ、あるべき姿に戻すだけだ」
「ですが、1度舐めた甘い蜜を手放せるほど人間は賢い生き物ではありません」
「その通りだ。だからこそ我々ヘルが奴等に賢い生き方というものを教えてやるのさ」
2人が話し込んでいるその時、執務室の扉をノックする音がした。それに対してローエングリンが「入れ」を上げると、扉が開いてその奥から坊主頭に丸眼鏡を掛けた40歳くらいの男性が険しい表情を浮かべながら現れる。しかし、それはその男性に何かがあったわけではなく、元々そういう顔付きの人間なのだ。
彼は親衛隊長官兼国家保安本部長官エアハルト・ヒムラー。帝国保安局が解体されて国家保安本部に吸収された今、保安局長官の地位も消滅した。これにより、
ヒムラーは皇帝に仕える
「総統閣下、ご報告申し上げます。全ては閣下の計画通りに進んでおります。実行は予定日通りで問題ないかと」
「宜しい。流石はヒムラー長官だ。手際が良いな」
「は! 光栄であります!」
ヒムラーはその厳つい顔に似合わず、嬉しそうに笑みを浮かべた。彼はローエングリンへの忠実ぶりから“忠犬ヒムラー”と周囲から呼ばれている。これを命名した者達はヒムラーを小馬鹿にしたつもりだったのだが、当の本人はこのあだ名を気に入っていた。
「ただ、些か気掛かりなのは大貴族どもの動きです。ここ数日で帝都を離れる貴族が増えつつございます」
「奴等とて遊んでいるわけではない。放っておけ。下手に手を出して、奴等の警戒心を強める事もない」
「了解致しました!」
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