戒厳令
帝国保安局の解体がなされた頃から、ディナール財団とデナリオンズへの世論の風当たりが冷たくなりつつあった。
ネルソン提督を拘束して死刑にするように唆したのはディナール財団だったという噂が密かに臣民の間で流布するようになったのだ。
それは元々ローエングリン公爵が国家保安本部に命じて臣民に徐々に広げた噂だった。しかし、ディナール財団は大貴族が己の我欲を満たすために国益をも食い潰す組織と化していた事もあり、臣民はあっさりとこの噂を信じて、あっという間に帝国中に広まっていく。
そして各地ではディナール財団への反対運動まで発生するようになった。とは言っても、この運動の参加者の何割かは圧政を布く大貴族への不満や憎悪から参加しており、運動の矛先はディナール財団から徐々に大貴族全般へと広がっていった。
「今や帝国中で暴動が起きかねない勢いですよ。本当に大丈夫なんですか?」
ジュリアスは、総統官邸の総統執務室にてそう問いを投げかける。
民衆を煽ってそれを自分の力に変えるのはある意味優れた政治家の資質の1つかもしれないとジュリアスは考えているが、それは大きなリスクを伴うという事も彼は理解していた。
彼の問いに対して、まず官邸の主人の脇に控える若い青年士官ボルマン大尉は不満そうな顔をし、それを見た主人の奴隷エルザはクスリと笑った。
そしてこの官邸の主人は、落ち着いた様子で優雅にティーカップを口に運び、カップに注がれた紅茶に1口付けた後、ジュリアスの問いに答える。
「心配は要らん。民衆が今すぐに暴動を起こすという事は無い。そして暴動を起こす前に事態は終息する。民衆には大貴族を精神的に追い詰めるために精々頑張ってもらうさ。だが安心しろ。犠牲は最小限に抑えるよう努力するつもりだ」
「あ、いえ。その事よりも寧ろ小官が不安に感じているのは貴族連合です。この機に乗じて奴等が進軍してくるのではないかと思いまして」
総統官邸とディナール財団の対立が激化し、帝国全体を巻き込む混乱が起きようとしている。今のこの状態は貴族連合にしてみたら、攻撃を仕掛ける絶好の機会だろう。
「グリマルディ銀行からの融資も得られず、ここ最近は貴官等の働きで作戦が失敗続きになっている。しばらくは身動きが取れないだろう。それに奴等に介入する時間を与えたりはしないさ」
ローエングリンが余裕そうな口調でそう言った時、それに最初に反応したのは部屋の脇にいた金髪の少女シャーロット・オルデルートだった。
「まったく簡単に言ってくれるわね」
不満げに言うその少女は、灰色の拘束衣を身に纏い、何本ものベルトで彼女を縛り付ける車椅子に座っていた。両腕は拘束衣によって完全に封じられているが、比較的自由の利く足を器用に使いながら、車椅子のフットサポートの所に取り付けられたPCのキーボードを操作し、彼女のすぐ正面に表示されている3Dディスプレイに文字を入力している。
キーボードは彼女の視界からは完全に死角になっている上、足の指を使ってという何とも難しい操作をしているのにも関わらず、シャーロットはまるで手で入力しているかのような早打ちを披露していた。
当初ジュリアスは、彼女の厳重な拘束ぶりだけでなく、その離れ業にも驚かされたものである。しかし、やはり彼女も不便を感じているのか、時折チッ!と舌打ちしながら、入力した所を消して打ち直す事があった。
「言っておきますけど、私だって忙しいのよ。あなたの滅茶苦茶な要求を、滅茶苦茶な短納期でこなさなきゃいけないんだからね!」
「これが片付いたら高級店のケーキを好きなだけ食わせてやる。だからもう少し頑張ってくれ」
“高級店のケーキ”と耳にした途端、シャーロットの目の色が変わった。
「ふふ。その言葉、忘れないでよ」
「無論だ。……とはいえ、もう新兵器は生産ラインに乗っているのだろう?」
「ええ。流石にあなたが集めた人達なだけあって、皆すごく仕事が早くて助かってるわ。これなら希望期日には揃うわよ」
「よし。……というわけだ。シザーランド少将、貴官の所属するヴァレンティア艦隊にはこの新兵器を装備して今後作戦行動を取ってもらう」
ジュリアスはローエングリンの政治結社の入るに当たり1つだけ条件を出していた。
それは自身とトーマス、クリスティーナの3人を昇進させる事だった。これによりジュリアスとトーマスは少将に、クリスティーナは中将へとそれぞれ昇進したのだ。そして旧ネルソン艦隊はそのままクリスティーナの指揮下に入り、ヴァレンティア艦隊と呼称されるようになった。
「分かりました。兵器の詳細は先日、資料で確認させてもらいましたが、些か信じがたい性能で、扱い切れるかどうか不安が残りますが」
「あら! 私の設計した兵器が信用できないって言うつもりなの!?」
開発主任でもあるシャーロットは唇を尖らせて不満そうにする。
「いや。そういうわけじゃない。ただ、これまで使ってきた兵器とは少し違うから、慣れるまで苦労するかもしれないって話さ」
ヴァレンティア艦隊は既にローエングリンの決戦戦力という位置付けがなされていた。しかし、これはあくまで彼等がそう考えているだけで公的なものではない。
ローエングリンをこれまで帝国軍の実戦面でサポートしてきたヘンリー・ガウェイン中将も今では大将の昇進しており、ヴァレンティア艦隊も彼の監督下で部隊編成を進めていた。
─────────────
数日後。事件は突然起きた。
哨戒任務に出ていた帝国軍所属のドレッドノート級宇宙戦艦バウンティにて、平民出身の兵士が反乱を起こしたのだ。バウンティ艦長モーガン男爵は、ディナール財団に席を置く帝国貴族で、日頃から兵士達をぞんざいに扱っていて人望が薄かった。そんな中で、帝国貴族への風当たりが強くなる情勢下となり、彼等の不満が爆発した事で発生したのだ。
モーガン男爵は反乱兵によって殺害され、戦艦バウンティは一時期反乱兵の掌握下にあったが、すぐにも討伐隊が派遣されてバウンティは撃沈。反乱事件そのものはこれで終息したのだが、平民が貴族に対して反乱を起こし、戦艦1隻を占拠したという事実は帝国中に衝撃をもたらした。
ディナール財団に席を置く貴族の多くはローエングリンの政治の失敗のツケが回ってきたのだと糾弾し、それ以外の貴族の多くは自分達もモーガン男爵の二の舞になる事を恐れて対応策を講じる事を総統官邸に要求した。
帝国中が閑散とした空気に覆われる中、ジュリアス達ヴァレンティア艦隊は、ルナポリス造兵工廠に駐屯していた。ここはローエングリンの息の掛かった施設で、シャーロットが開発主任となって新兵器の開発が大急ぎで進められている。
この工廠の指令室では、トーマスが黒髪の親友に声を掛けていた。
「今日は総統閣下がまた緊急会見を開くそうだね。ジュリーは何か聞いてる?」
「まあ、軽くはな。でも悪い。総統閣下からは機密事項だって言われてるんだ」
「ジュリーが謝る事じゃないよ。それにしてもネルソン提督が無くなったと思ったら、いきなり少将に昇進だなんて。何だか実感が湧かないな」
「トム……」
ジュリアスはあれからトーマスとクリスティーナに全ての事情を話した。その上で2人はジュリアスの決断を尊重して、ここまで付いてきている。それでも、上官を犠牲にして生き延びたばかりか地位を得たという不名誉な事に付き合わせてしまった事にジュリアスは時折罪悪感を感じずにはいられない。
「あ! ち、違うよ。ジュリーを責めてるわけじゃないよ!」
ジュリアスの考えを察したのか、トーマスは急に俺を気遣う言葉を掛けてきた。
「僕等は一心同体。どこまでも一緒だよ。例え悪行を重ねて地獄に落ちるのだとしてもね」
「お、おい。俺達はまだ17歳だぞ。もう地獄行き決定なのか?」
ジュリアスとトーマスがそんな会話を交わしていると、そこにクリスティーナも姿を現した。
「ジュリーが地獄行きなら私もついて行きますから」
「く、クリスまで、俺が地獄に落ちるの確定だって言うのか?」
「ふふふ。そういう話ではなく、ジュリーの罪は私達の罪です。ですから、あまり思い詰めないで下さいという事ですよ」
「そうそう。水臭いじゃないか。僕等は一心同体なんだからね」
そう言ってトーマスとクリスティーナはジュリアスに優しく微笑みかけた。
2人の気遣いにジュリアスも思わず笑みを零す。
「まったく俺は良い親友を持ったもんだな」
「ふふ。今頃気付いたのですか?」
「いいや。昔から分かってたよ。でも改めて実感したのさ」
ジュリアスが2人との友情を確かめ合ったその時、指令室の巨大な中央ディスプレイにローエングリン公爵の姿が映る。今日の会見は、帝国政府の役人及び帝国軍人の全てに事情が無い限りは視聴するようにとの総統命令が下されており、指令室の通信士官は会見の時刻になったのと同時に操作パネルに手を伸ばして、
「私、帝国総統コーネリアス・B・ローエングリンは、諸侯の要請を受け、皇帝陛下よりの
「か、戒厳令?」
トーマスが驚きの声を上げる。
その間にもローエングリンの演説は続く。
「今後、帝国全土における行政権及び司法権、そして軍事指揮権は総統官邸の完全掌握下に置くものとし、その妨げとなる法律の効力は停止となる」
「まさか戒厳令とは、思い切った手に出ましたね」
この強硬手段とも言えるやり方にはクリスティーナも動揺を隠せない様子だった。
「これで大貴族が独占していた権益を一気に奪い取ろうとしているのさ。以前からずっとやろうとしていた事だろう」
ジュリアスは事前に聞かされていた事もあり、トーマスやクリスティーナに比べると落ち着いたものだ。
「それはそうですが、幾ら戒厳令を発令したとはいえ、急に何かが変わるとも思えないのですが?」
「ここから先は俺もよくは聞かされていないが、あの総統閣下の事だ。何か手を打ってるんだろうよ」
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