処刑の舞台裏

 時は少し遡る。

 バスティーユ監獄に収監されているネルソン提督にローエングリン公爵が面会を求めた時。

「……それで総統閣下がわざわざ変装をしてまで、なぜここへ?」


「状況はあまり芳しくない。私にとっても、貴官にとってもな。そこで1つ、私から提案があって足を運んだのだ」

 ローエングリンは不敵な笑みを浮かべて赤と青の瞳でネルソンの顔を見つめる。


「提案、ですか」


「ああ。まずはこれを見てくれ」


 ローエングリンがそう言って横に控えているボルマン大尉に手で合図を送る。それを見たボルマンは自身の左手首に巻いているブレスレット端末を起動して2枚の3Dディスプレイを表示し、それをネルソンに見せた。

 その2枚の3Dディスプレイにはそれぞれ異なる画像が表示されており、それを目にしたネルソンは絶句する。

「ジュリアスに、トーマス?」


 そこに映し出されていたのは、現在コンシェル監獄に幽閉されている独房にて苦悶の表情を浮かべるジュリアスと拷問を受けるトーマスの姿だった。


「私の手の者には情報通がいてな。そいつが入手したものだ。見ての通り、2人はあのコンシェル監獄に幽閉され、コリンウッド准将は拷問を受けている。貴官が反逆の意思を持っているという自白をさせるためにな」


「なッ! そ、そんな!」


「保安局の常套手段の1つだ。容疑者に親しい者を拷問に掛けて自白を取り、それを証拠にして裁判を行うというな」


「……ジュリ、シザーランド准将も拷問を受けているのですか?」


「いや。今の所は大丈夫らしい。しかし今回の一件はどうやら根が深いらしい。保安局も是が非でも貴官を反逆者に仕立て上げるために躍起になるだろう。時が経てば、シザーランド准将も危うい」


「このような横暴を総統閣下の御力で鎮める事はできないのですか?」

 自身も拘束されている身である以上、ネルソンとしてはなぜか自分の前に現れた総統に望みを託す他なかった。


「残念ながら、いくら私でも無理だ。私はあくまで皇帝陛下の代理人として帝国の表面上の権力を掌握しているに過ぎん。根っこの方は今だに大貴族の手の中だ。私はこの一件にディナール財団も絡んでいると見ている」


「でぃ、ディナール財団がですか?」


「ああ。このままでは、連中は貴官を反逆者を仕立て上げるためにどんな手でも尽くすだろう。今の所拘束されているのはシザーランド准将とコリンウッド准将、そしてヴァレンティア少将の3名だけだが、いずれは貴官の親類縁者やネルソン艦隊の他の将校にも手が及ぶだろう」


「……」


「コリンウッド准将はどんなに拷問を受けても、貴官を売ったりはしていないようだが、このままでは拷問の末に衰弱死するやもしれん」


「……それで、総統閣下はなぜここへ来られたのですか?」

 大切な部下達が自分のために傷付くのは我慢ならない。しかし今の自分にはどうにもできない。だが、ではなぜ総統自らがここへ足を運んだのか。ネルソンはそこに希望を見出す。


「この事態を解決するために貴官に協力をしてもらいたくてな」


「解決の方法があるんですか!?」


「ああ。1つだけな。……マーガレット・ネルソン子爵、国家反逆罪の容疑を認めて死刑になってくれ」


「はい?」

 一体何の冗談だとネルソンは思った。しかし、ローエングリンが冗談を言うような人間でない事、ここまで冗談を言いに来たとは考えにくい事などから、彼が本気でいるというのは容易に想像できた。

「……理由をお聞かせ願えますか?」


「保安局とディナール財団が結託して貴官を反逆者としようとしている以上、奴等は貴官を追い落とすまで暴走を続けるだろう。大貴族達が各部署に多少の無理を押し通せるよう根回しをした上でな。こうなっては私の力ではどうにもならん。かと言って放置もできん。奴等がこれを口実に、無実の者を次々と拘束するようになっては帝国の支配体制が崩壊しかねんからな」


「つまり私とは直接関係の無い者までも、拘束の対象になるかもしれないとお考えですか?」


「可能性は充分にある。ディナール財団がデナリオンズなる武装集団を組織したのも、多少の無理を押し通すための武力に違いないのだからな。だが、私は皇帝陛下より帝国の秩序を守り、臣民の暮らしを守るようにとの勅命を賜っているのだ。奴等の横暴に対抗する責務がある。しかし、情けない話だが、今の私の権限だけでは事態を収拾するのは困難を極める」


 ローエングリンは何かと黒い噂が絶えないが、私利私欲で動くような人でない事はこれまでの行動が証明している事をネルソンは知っていた。

「もし私が容疑を認めたとして、シザーランド准将達は本当に助かるのですか?」


「貴官が容疑を認めて死刑となれば、彼等を拘束して拷問する理由も無くなる。仮に保安局が釈放を渋ったとしても、それならば私の国家保安本部が介入して救い出す事ができる。だが、これは貴官が生きていては実行が不可能なのだ。事情聴取だと言い張られるのがオチだからな」


 私が死ねばジュリアス達は助かる。逆に私が生きている限り彼等の身が危うい。

「……分かりました。私は軍人です。死を恐れたりはしません。罪なき臣民を、まして大切な部下達を守って死ねるなら本望です」

 ネルソンは清々しいほど爽快な笑みを浮かべて言い放った。


「本当に構わないのか? これは命令では無いのだぞ。貴官にはこれを拒否する権利がある」

 この話を持ち掛けたローエングリンも、彼女の潔さには流石に驚いた様子である。


「はい。彼等は命を懸けて私を庇ってくれたのです。それで彼等を死なせて私だけが生き残ったとあってはご先祖様にも顔向けできませんから」


「分かった。貴官の協力に感謝する。貴官に付いた反逆者の汚名は事態が収束した後、必ず私が払拭すると約束しよう。それから、何か望みがあれば私にできる事なら何でも叶えるが?」


「……私には14歳になる妹がいます。その妹の、婚約の斡旋をお願いしたいのです」


「妹君のか。そのくらいお安い御用だ。で、相手に目星は付いているのか?」


「はい。現在、コンシェル監獄に収監されているジュリアス・シザーランド准将を」


 ジュリアスを指名した事に、ローエングリンとボルマンは驚いた。

「シザーランド准将をか? しかし彼は騎士ナイトだろう。ネルソン子爵家とはまったく釣り合わないと思うが?」


 貴族同士の結婚というのは一種の政略である事が常であり、結婚相手の身分は高ければ高い程良いと言われている。そのため、貴族同士の結婚は両家の爵位がだいたい同じくらいになるように行うのが習慣化していた。

 しかし、子爵であるネルソンと準貴族の騎士ナイトであるジュリアスではまったく身分が釣り合っていない。ネルソン家としては何とも悲惨な結婚相手と言わざるを得ないだろう。

 なぜそのような人選を自ら行なったのか、ローエングリンは興味を抱く。


「確かにシザーランド准将の身分は低く、当家とは家柄が釣り合わないでしょう。ですが、彼は私にとって特別な存在なのです。なぜなら私が自分の貞操を捧げたいと思った最初で最後の殿方ですから。きっと妹とも仲良くしてくれるでしょう」

 胸に手を当て、脳裏にジュリアスの笑顔を思い浮かべながら、ネルソンは穏やかな表情を浮かべている。それはこれから死に行く者の顔とはとても思えないほど清々しいものだった。


 この後の尋問で、ネルソンは反逆罪の容疑を認める旨を尋問官に伝えた。

 これには流石の尋問官も驚いたが、これ幸いと尋問官はすぐに調書を作成して保安局長官フーヴァー上級大将に提出した。

 帝国保安局長官には軍規などの法に背いた帝国軍人の所属を問わず軍法会議を開いて司法権を行使する権限が与えられている。この権限が行使された場合、被疑者は保安局が用意したメンバーのみで行われる、極めて不利な裁判を強いられる事になる。

 ネルソンはこの軍法会議に掛けられ、自らした自白を証拠として、即刻死刑判決を受けた。この判決をネルソンはただ静かに受け入れ、彼女はその日の内に保安局庁舎の地下に設けられている処刑場にて銃殺刑に処され、24年の短い生涯を閉じた。



─────────────



 マーガレット・ネルソンの刑死。この事実は帝国保安局の手によって大々的に公表された。これにより保安局の権勢を帝国中に示したのだ。

 そして保安局にネルソンを罪人に仕立て上げるように促したウェストミンスター公爵とネルソンを毛嫌いしていたモルドレッド子爵は、この知らせに歓喜の声を上げる。

 ウェストミンスター公はこの勢いに乗じて、すぐにも帝国保安局の所属を皇帝騎士団ナイツ・オブ・エンペラーからデナリオンズに移すべきと主張した。ローエングリン総統の横槍で指揮系統が混乱し、運用効率が低下した現状の帝国保安局を立て直し、ネルソンのような反逆者を即座に拘束・処刑できるシステムを構築すべき、というのが主な理由だった。ディナール財団に席を置く貴族のほとんどはこれに賛成の意を示し、皇帝騎士団ナイツ・オブ・エンペラーや帝国政府も大貴族の巨大な影響力の前に逆らえず、実施は時間の問題と思われた。


 しかし、この状況を一変する事態が巻き起こた。それは帝国全土に向けて報道されたローエングリン公爵の緊急会見に端を発する。

「先日、国家反逆罪の容疑で刑死したマーガレット・ネルソン子爵について新たな事実が、国家保安本部の調査により判明した! ネルソン子爵を国家反逆罪の容疑者とした証拠は全て帝国保安局が捏造した真っ赤な偽物であるという衝撃の事実である! しかも保安局は、無罪の者を有罪とするためにネルソン子爵を拷問に掛けて自白を強要したのだッ! それも大貴族どもの下らぬ覇権争いのために!帝国の危機を幾度も救った英雄であるネルソン子爵にこのような惨い仕打ちが行われるのを止められなかった私の非は認めよう。しかし、真に責任を追及されるべきが誰なのかは誰の目にも明らかであろう! そう!帝国保安局だ! このような蛮行を行う保安局に失望の念を抱いているのは私だけではない! これを見よッ!」


 そう言ってTV画面は会見を行うローエングリンの姿から1枚の書類へと変わった。それは勅書ちょくしょ。皇帝が制定を指示した公的な命令書。つまりは勅命を明文化した公文書である。

 そこには帝国保安局を解体して皇帝官房第3課・国家保安本部に統合する事を命じるという内容の勅命が記されていた。


「私、帝国総統ローエングリンは、皇帝陛下より与えられた権限に基づき、この皇帝陛下の勅命を速やかに実行する! 帝国保安局は解体し、その組織は全て国家保安本部に集約させる。そして今回の陰謀を企てた保安局の幹部は全員拘束して尋問を行なった後に適切な処罰を下す!」


 若く類稀なる美貌の持ち主である事に加えて身分で人を区別しない大らかな人柄と有能な前線指揮官という事から、ネルソンは臣民の間ではとても人気のある提督だった。そんな彼女の冤罪事件は保安局の名誉を失墜させるのに大きな効果をもたらす。


「今回の犠牲者であるネルソン子爵には特例として二階級特進させ、帝国元帥に叙する事をここに宣言する。また国家反逆罪の有罪判決によって不当に剥奪された彼女の地位や栄典は全て返却するものとする」


 ネルソンの名誉を回復させたローエングリンへの臣民の反応は非常に好意的であり、ローエングリンに対する臣民の心情を高めるのに充分な効果を発揮した。しかし、ローエングリンの打った手はこれだけではない。


「ネルソン子爵のように、保安局によって不当に逮捕された者の存在も考慮し、今後保安局により拘束された罪人の再調査を国家保安本部において実施する」


 後の事だが、この再調査によって約157万5000人の逮捕者が調査の対象となり、その内の約8割が証拠不十分で釈放が言い渡される事となった。

 その一方で、このような不当な逮捕を行なった保安局員は一斉拘束が決まり、取り締まる側が逆に取り締まられる側へと回った。

 こうした事態も臣民には非常に好意的に受け止められ、帝国中がローエングリンに喝采の声を上げるのだった。

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