釈放

 俺とトムがこのコンシェル監獄に幽閉されてから今日3日目。独房で寝ていた俺は通路の方から聞こえた物音で目を覚ます。

 嫌な予感がして咄嗟に顔を通路に向けると、トムが数人の尋問官によって独房から出されていた。俺はすぐに起き上がって鉄格子まで駆け寄る。

「おい!昨日も散々拷問しておいて、今日もやるつもりなのか!?」


「朝から煩い奴だな。当然だろう」


「これ以上やったらトムが死んじまう!拷問なら俺が代わりに受けるから、トムは休ませてやってくれ!」


 身代わりになると言った俺に対して最初に反応したのは尋問官ではなくトムだった。

「ジュリー、僕は本当に大丈夫だから心配しないで」


「……で、でも、俺は、」


「ジュリーが近くにいてくれるなら、僕はどんなに辛い事でも頑張れるから」

 トムはそう言って自分から拷問部屋へと入って行ってしまった。


 これからトムへの拷問が始まる。そう思った時、俺はベッドにうずくまり、両手で耳を塞いだ。トムの悲鳴を聞くのが恐ろしかったから。


 それからはもう生きた心地がしなかった。尋問とは口だけで、聞こえてくるのは質疑応答の声ではなく、苦痛を与えるためだけに発せられる音と苦痛に喘ぐ声。それが容赦なく俺の耳に入り込もうとするだ。


 親友がどれだけ酷い目にあっても何もしてあげられない無力感にジュリアスはただひたすら胸を引き裂かれるような思いに苛まれ続けるのだった。



─────────────



 バスティーユ監獄には現在、クリスティーナだけでなく、今回の事件の容疑者であるマーガレット・ネルソン自身も収容されていた。

 ネルソンは当然、自身に掛けられている反逆罪の容疑については否認を続けていたが、元より物的証拠に寄らない逮捕だったため、尋問官は強引に自供を得ようと執拗な尋問を行なっている。

「私としても国民的英雄である提督の見苦しい様を見ているのは非常に胸が痛いのですよ。どうか本当の事を言ってくれませんかな?」


「だから! 答えは簡単だ。私は無実だ!」

 数日間に及ぶ尋問に少なからず疲労を感じているネルソンだが、それを一切感じさせない強い意志を秘めた眼差しを尋問官に放ち続ける。

 しかし、ネルソンがどれだけ無実を主張しても、尋問官はそれを真面目に聞く事はなかった。

 そんな無意味な誘導尋問が何時間にも渡って繰り広げられる後、ネルソンに面会者が現れたとの知らせが尋問室にやって来た若い看守によりもたらされた。


「面会だと? 馬鹿な。反逆罪の容疑者に面会など許可されるはずが、」


「で、ですが、これは上からの命令です」


「……分かった。通せ」

 また貴族のボンボンの我儘か。と尋問官は内心で舌打ちをした。犯罪の捜査現場というのはだ大貴族の特に若い世代の興味を引くらしく、こうした事は稀にあった。


 少しして、その面会者が尋問室に現れた。面会者は2人おり、1人はサングラスを掛けた黒髪の若い青年で、もう1人はその男よりも更に若い青髪の青年だった。

 尋問室に入るなり、青髪の青年は尋問官達には退出してほしいと要求した。これを聞いた尋問官は不服そうな顔をするも、これを二つ返事で了解した。この尋問室には監視カメラが設置されており、何かあればすぐに察知できるため、張り付いて監視する必要性を感じなかったためだ。


「では何かあれば呼んで下さい。外で待機しておりますので」

 そう言い残して尋問官や看守達は部屋から出ていった。


 こうして3人だけになると、サングラスの青年が先ほどまで尋問官が座っていた、ネルソンと向かい合う位置の椅子に座る。


「あなたは一体何者だ?」

 初めて見る顔の面会者にネルソンは警戒心を強める。


 ネルソンの問いに対して、サングラスの青年は「少し待て」と告げた後、右手の袖を捲り、右手首に巻かれているブレスレット端末を起動する。そして端末を少し操作すると、青年の前に『Sound Only』と書かれた小さな円形の3Dディスプレイが映し出された。

「シャーロット、そろそろ良いか?」

 3Dディスプレイに向かって青年が話し掛ける。


「問題無いわ。監視カメラの映像は、こっちで用意した偽物にすり替え完了よ」

 ブレスレット端末の通信機能を介して若い少女の声が聞こえてくる。


 その言葉を聞いた青年は、サングラスを外し、隠されていた青と赤の異なる色をした2つの瞳が露わになる。そして頭に被っていた黒髪、いや鬘を取り外し美しい銀髪が姿を晒す。


「な、あ、あなたは!総統閣下!?」


 ネルソンの目の前に現れたのは紛れも無くローエングリン公爵だった。オッドアイの瞳に銀髪の髪。こんな人物はそうそういない。逆に言えば、瞳と髪を隠されるだけで、正体がバレる事はまずないくらいのインパクトがあるという事だ。


「貴様! 総統閣下に向かって何だその態度は!?」

 青髪の青年が声を荒げ、今にも掴み掛らんという勢いを見せた。

 ローエングリンは右手を軽く上げてそれを制止する。

「止せ、ボルマン大尉。あまり声を上げると、外に聞こえるぞ」

 ボルマンも簡単な変装をしてローエングリンの護衛としてここへやって来たのだ。

 防音仕様のこの尋問室なら、どんなに大声を上げても外に聞こえる心配は無いが、あまりのんびりはしていられない。


 ネルソンは先ほどとはやや異なる警戒心を抱きながらローエングリンの青と赤の瞳を見据える。

「……それで総統閣下がわざわざ変装をしてまで、なぜここへ?」


「状況はあまり芳しくない。私にとっても、貴官にとってもな。そこで1つ、私から提案があって足を運んだのだ」


「提案、ですか」


 何かと黒い噂が絶えないローエングリン総統が、一体何をしにここまで来たのか。ネルソンは強い興味と警戒心を抱くのだった。



─────────────



 過酷な拷問が行われるコンシェル監獄にある通達が届けられた。

「ジュリアス・シザーランド准将及びトーマス・コリンウッド准将への容疑は晴れた。これ以上の拘束の必要は無いものと判断し釈放する」という内容だった。

 現場の尋問官の間では急な方針変更に動揺が隠せない様であったが、上からの命令であれば仕方が無い。すぐに釈放の手続きをし、2人は軍病院へと搬送された。

 数日間の拘束だったとはいえ、心身の消耗は激しく数日間は入院をする事となった。連日拷問漬けにされたトーマスは身体中に外傷を負わされており、一方のジュリアスは外傷は皆無だったが精神的な消耗が激しいと医師に診断されたのだ。


 誰が手配してくれたのか、軍病院の中では最も広く快適で待遇が良い病室が用意されており、ジュリアスとトーマスは横に並ぶ2つのベッドにそれぞれ入って休んでいた。

「何だか。変な気分だよ」

 急にトーマスがそう呟いた。


「そうだな。ついさっきまで独房の中にいたのにな」


「あぁ、それもだけど。同じ部屋なのに、別々のベッドで寝てるっていうのが何だか新鮮で」


「言われてみれば確かにな。何だトム、一緒のベッドじゃないと心細いのか?」


「な、何言ってるんだよ! 1人で心細いのはジュリーの方じゃないの!?」


 2人は普段通りの何気ない会話を交わす。それはつい数時間前までの悪夢のような時間を少しでも早く忘れようとしての事だった。


「それにしても、あれから時間はどうなったんだろう?」


「んん。何の説明も無いままここまで来たからな」


 いくら早く忘れようとしていると言っても、知りたい事もある。元々この一件はネルソン提督の国家反逆罪容疑に端を発している。自分達が解放されたという事は状況に何等かの変化が生じたに違いない。


 2人がそんな会話をしていると、病室の扉が勢いよく開いた。

 突然の事に2人はほぼ同時に身体をビクッとさせて扉の方に視線を向ける。そこにいたのはクリスティーナだった。ここまで駆け足で来たのだろう、肩で荒い息をして表情もとても険しい。


「く、クリス?」


「良かった! 無事だったんだねッ!」


 クリスティーナの無事な姿を見て喜ぶジュリアスとトーマスだが、クリスティーナ本人に2人の言葉は届いていない。

「ジュリー、トム。良かった。本当に無事で良かったです!」

 喜びからか、僅かに震えた声を漏らしながら、2人が寝ているベッドの間まで駆け寄り、そのままそこにしゃがみ込む。

 そして両手で2人の手をそれぞれ取り、2人の体温を感じながら再会を肌で実感した。


「クリス、ごめんね。心配掛けて」

 トーマスが弱々しい声で詫びを入れた。


「いいえ。トムが謝る事ではありません。それに2人の顔を見られて安心しました」


 互いに相手の無事を確認し合って喜ぶ3人だが、その中でジュリアスはある違和感を覚える。

「クリス、少し痩せたんじゃないか? ちゃんと飯は食ってたのか?」


「2人が辛い目に会っているというのに、私だけ安穏としているわけにはいきません!無論、この数日は水も口にしてはいません!」

 ガバッと立ち上がり、両手を腰に当てて、さも当然のようにクリスティーナは言い放つ。

 しかし、それを聞いたジュリアスとトーマスは想定外の発言に口を揃えて声を漏らす。

「「え?」」


 その時だった。クリスティーナのお腹が、グウウウウ~、と豪快に音を鳴らしたのだ。2人の無事な姿を見て気が抜けたのか、クリスティーナを空腹と喉の渇きが一気に襲い掛かる。

 しかし、彼女にとって目下の問題は耐えがたい程の空腹と喉の渇きよりも、今の音を聞いた2人の存在であった。

 ジュリアスとトーマスは思わず笑いそうになってしまい、それを堪えようと必死になっている。

 それに気付いたクリスティーナは恥ずかしさから顔が真っ赤になり、両手を握り拳を作って上へと振り上げる。このまま振り下ろせば、2人の頭を直撃できる構えだ。


「う、うわッ! ま、待て! 笑ったりして悪かったよ! せめて今は勘弁してくれ!」

 ジュリアスが必至にクリスティーナの説得を試みる。


「……冗談です。本気ではありません」

 そう言って静かに握り拳を解いて両手を下ろす。


 本当に冗談だったのか、と疑問に思う2人だが、そんな事よりも2人には聞きたい事が山のようにあった。

「あれから事件はどうなったんだ?ネルソン提督は今どうしてる?」


「……」

 ネルソンの名を出した途端、クリスティーナは表情が一気に暗くなる。


「ど、どうしんだい、クリス?」

 その重苦しい表情から、単に事件が解決したというわけではない事をトーマスは理解した。


「ネルソン提督は、国家反逆罪の容疑を認めて昨日、処刑されました」


「な!」


「認めたって、どういう事だよ!」


「私に分かるはずがないでしょう!」

 クリスティーナは声を荒げた。尊敬する上官の死に彼女も冷静ではいられなかった。


「そ、そうだよな。ごめん、クリス」

 ジュリアスは申し訳なさそうに謝罪する。


「い、いえ。私こそ急にすみません」


 ネルソン提督の死という訃報、そしてネルソンが反逆罪の容疑を認めたという不可解な事実。無事に監獄から釈放されはしたものの、3人はそれを素直に喜べるような状況ではなくなった。

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