上司と部下

 惑星コリントスから帝都キャメロットに帰還したネルソン提督は、皇帝騎士団ナイツ・オブ・エンペラーよりインペリアル十字勲章の授与された。前線指揮官に与えられる勲章の中では最も受章が難しいとされる勲章であり、ネルソンの功績を皇帝騎士団ナイツ・オブ・エンペラーが如何に評価しているかを示していた。


 しかしその一方で、艦隊の将兵達が期待していた上級大将への昇進は見送られる事となった。

 その裏には、彼女の功績を称えて政治宣伝に利用しようとする政府及び軍部の意図と短期間の内に少将から一気に大将まで昇進した彼女が更に上級大将へと登り詰める事を妬む軍上層部の横槍が絡み合った結果の措置だった。

 だがネルソンはこれを不満には感じなかった。生粋の武人である彼女にとっては勇敢に敵と戦った者に贈られるインペリアル十字勲章の受章は他の何よりも名誉に思えたためだ。


 そんなネルソンは今、軍事地区ミリタリー・エリアの一角にある訓練施設にて、訓練剣トレーニングサーベルを右手に握り、訓練試合をしている。相手はジュリアスである。

 今日2人は朝から訓練場で訓練に励んでいた。共に将官クラスとなり、剣を手にして戦う機会は少なくなったが、それでも鍛錬を怠る事はなかった。本当ならトーマスとクリスティーナも参加したいと話していたのだが、今日は生憎クリスティーナの実家のヴァレンティア伯爵家の用で故郷の惑星ケリーランドに帰郷していた。


 2人が手にしている訓練剣トレーニングサーベルは、実戦で使用される光子剣フォトンサーベルに最も近い形状と重量になるように作られたタイプの物で、極力実戦に近い形式で試合は行われている。


「どうしたジュリアス? もうお終いなのか?」

 涼し気な声が訓練場に響く。

 後ろで纏めてポニーテールにした長い茶髪を左手で優雅に払い、右手に握られた剣の先をジュリアスに向ける。


「はぁ、はぁ、い、いいえ! まだまだですッ!」

 そうは言ってみせたけど、実のところ俺はもうバテバテだった。両膝を床に付いた状態で、訓練剣トレーニングサーベルを杖にして立ち上がる。時間無制限で行われたこの試合は、気付けば1時間も経過していた。最前線での戦いを思えば、1時間戦い続けるのはどうという事はない。だが、朝からずっと訓練漬けでもうすぐ夕方だ。流石の俺でもバテてきた。

 だけどネルソン提督は息1つ切らさずに、その蒼い瞳は俺の身体の些細な動き1つ逃さずに捉えていた。あの集中力にはいつも驚かされる。提督のネルソン子爵家は代々軍人家系の家柄で、物心つく頃から軍人としての教養と武術の鍛錬を積んできた賜物なのだろう。幼い頃から経験を積んできたという点では、ある意味俺も負けない気がするのだが、やはり戦場で生き残るためだけの付け焼刃では、本物のプロには通用しないか。


「いや。今日はここまでにしようか。訓練のし過ぎは良くないからな。それではそろそろおやつの時間といこうか。今日はアップルパイを焼いてきたんだ」


「やったー! ありがとうございますッ!」

 ネルソン提督の訓練は正直、軍の演習よりもずっと過酷で厳しい。トムとクリスがいてくれれば気も紛れるが、俺1人だけだと流石に心が折れそうになる。だけど、そんな俺のモチベーションを上げてくれるのが、訓練の後に提督が振舞ってくれる、提督の手作り菓子だ。


 ジュリアスとネルソンは、訓練場の一角に設けられている休憩スペースへと移動する。食堂のように多くのテーブルと椅子が並べられているこの休憩スペースは、100人は裕に入る位の広さを誇るものの、もうじき夕食時なためか利用者はジュリアスとネルソンしかいない。

 その事を確認して、ジュリアスは咄嗟にふぅ、と安堵の息を漏らす。


「ん? どうかしたか?」


「え? あぁ、いえ。ネルソン提督は皆の憧れの的ですから、そんな提督と2人だけの姿を誰かに見られると後が怖いな、と思いまして」


「あはは。その時は、自分と一緒に私の訓練に付き合うか、と言ってやれ。私の訓練にここまで付いてこられたのは貴官とトーマス、クリスティーナの3人だけだからな」


「そ、それは確かに効果はありそうですね」


「ふふ。では早速、食べるとしようか。考えてみれば、昼食も軽く済ませてしまったからな。流石の私も空腹だ」


「はい。俺も腹が減り過ぎて、気がおかしくなってしまいそうです!」

 ネルソンの作った菓子がよほど楽しみなのか、ジュリアスは楽し気に言う。


「そ、そこまで深刻なら早く言わんか! 途中で倒れられでもしたら、私が困る!」


「いいえ。空腹に耐えに耐えた末のパイは格別ですからね! それを思えば、頑張って耐えた甲斐があるってものです」


「ほお。では、次は1週間断食してもらおうか。そうすれば、貴官はまるで天国にも昇る心地を味わえるだろう」


「え!? そ、そんな事をしたら、本当に天国に登っちゃいます!」


「ふふ。冗談だ。さ。早く食べるとしようか」


 ジュリアスとネルソンは向かい合うように椅子に座り、ネルソンはバスケットから手作りアップルパイをテーブルの上に披露した。


「良い香りですね! 提督、食べても良いですか?」


「ああ。構わないぞ。遠慮せずに食べろ」


「それでは、いただきますッ!」

 ジュリアスは上官であるネルソンの目も気にせずに、目の前のアップルパイにかぶりつき、パイをどんどん胃の中へと押し込んでいった。


「お、おい。そんなに一気に食べると喉を詰まらせるぞ」


「モグモグッ!いや~提督の作ったパイがあんまり美味しいもので!」

 それは紛れもない本音だ。提督本人は自分はあくまで軍人であり料理は不得手だ、と言っているが、提督の作る料理は本当に美味しいと思う。


「ふふ。まあそう言ってもらえると私も嬉しい。何ならこれも食べて構わんぞ」


 そう言って提督は自分の分まで俺に差し出してきた。無意識の内に手を伸ばしてしまいそうになった俺だが、このまま行為に甘えるのは流石に図々しい。そう思い、俺は必死に食べたいという衝動を抑え付けた。

「ありがたい事ですが、提督も空腹だってさっき仰っていましたし、流石に悪いですよ」


「いや何。貴官があまりにも美味しそうに食べてくれるものだから、何だか私までお腹が満たされた気分になる。だから遠慮するな」


 ネルソンの言葉を受けて、ジュリアスはついに己の食欲に屈する。

 もう迷わずにネルソンのパイに手を付けて口へと運んだ。


 少しして、ジュリアスが2人分のパイを平らげてお腹を満たした所で、ネルソンは先ほどの訓練についての話を始めた。

「それにしても以前から思っていたが、貴官の戦い方は少々独特だな」


「え? そ、そうですか?」

 それもそのはずだ。俺の剣術は昔、惑星ロドスでゲリラ活動をしていた頃に身に付けた物で、本来剣術なんて行儀の良い物じゃないのだから。


「何というか。貴官の剣からは強い意思を感じるのだ。それも負けたくない。勝ちたい。というものではなく、絶対に生き抜くのだという強い執念のようなものを。だから貴官の戦意と剣は決して折れない。最後の瞬間までしぶとく戦い抜くのだという思いに溢れているのだから」


「か、買い被りですよ。自分はただ今できる事を精一杯やってるだけです。尤も自分は提督に一太刀も与えられていませんが」

 これまでネルソン提督と剣術試合をする機会は幾度もあった。でも、俺は1度も提督から1本を取れた事が無かったんだ。俺自身、不本意だったとはいえ、あの地獄のようなロドスの戦場を奇跡的にでも生き抜いたという自負がある。でも、提督の言うように勝つためではなく、生き残るために戦っているんじゃ本当に強い相手には通用しないかもしれない。現に俺よりもトムの方が強いからな。


「心配しなくても貴官は強くなる。鍛錬をサボったりしなければな。そうすれば、いずれ私から1本を取る事もできよう」


「提督がそう言うなら、頑張ってみます!」


「ふふふ。やはり貴官のような部下を持てて私は幸せ者だ」


「それを言うなら、自分こそ提督のような上司に巡り合えて幸せ者ですよ」


「美味しいパイが食べられるからか?」


「って俺の頭の中は食べる事だけとお思いですか?まあ、それもありますけど」


「まったく貴官は正直だな。そこが気に入っているわけだが。ただ、やや正直過ぎる。眠くなれば会議中でも平気で寝るし、空腹になれば腹の虫を鳴らす。もう少し時と場合を考えてくれ」


「うぅ! そ、それは理解しているつもりなのですが、中々」


「貴官が私の部下で良かったと心から思うよ。もし他の提督の下に配属されていたら、きっと袋叩きにされているはずだ」


 ネルソン子爵家は銀河連邦時代から代々多数の軍人を輩出してきた家柄で、銀河帝国初代皇帝アドルフ大帝からもその能力を買われて宇宙海賊討伐でその勇名を馳せ、やがて時の当主ホワイト・ネルソンはアドルフ大帝より子爵の爵位を賜り、ネルソン家は帝国貴族の一員となった。しかし、ホワイトは“軍務に忠実たれ”という家訓を残したため、他の帝国貴族と違って政財界には一切関わらずにひたすら軍務に精励していた。それもあってネルソン子爵家は他の貴族のように身分で人を区別したりする習慣は薄く、むしろ人格や能力を重視する家風となっていった。

 それはマーガレット・ネルソンにも大きく受け継がれており、彼女がジュリアスを高く評価する基盤となっている。

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