コリントス軌道上の戦い・開戦

 アルビオン艦内の廊下をジュリアスは、肩を落としながら歩いている。


 やっちまった。皆の前で激昂して、あまつさえネーナにあんな事を。


 そんな事を考えている彼の後を追って、ネーナが駆け足で近付いた。

「准将、お待ち下さい!」


 その声を聞いた時、ジュリアスの身体はビクッと一瞬震えた。そして恐る恐る振り返る。

「ネーナ……」


 俺はすぐにネーナから目を逸らした。ネーナは何も悪くないのに、俺はネーナの事を叩いてしまった。だから一体どんな顔をして彼女を見れば良いのか分からなかったんだ。


「准将、さっきは出過ぎた真似をしてすみませんでした」


 ネーナがそう言って頭を下げてきた。その姿を見て、俺は心底自分が嫌になった。

 一方的に手を上げた俺の方が悪いに決まってるのに。全然悪くないネーナの方が先に謝ってくるなんて。

 俺は咄嗟に手を前に出してネーナの頭を撫でようとした。

 でもネーナは俺がまた叩くと思ったのか、反射的に瞼を固く閉ざしてしまう。だが、後退りに下がったりはせず、寧ろ顔を前に出して俺に頬を差し出してきた。

 主君の怒りの捌け口を務めるのは、奴隷として当然と考えての行動なのだろうが、俺はネーナにずっと奴隷らしさなんて求めないように、いやそれどころか奴隷らしくないようにしてほしいと思ってきた。なのに今、俺は奴隷らしい行動をさせてしまった。

 やっぱり下手に誤魔化そうとするのはダメだ。許してもらえるかは分からないけど、ちゃんと謝らないと。

「ネーナ」


「はい」

 目を閉じたまま小さく返事をするネーナ。


「さっきは叩いたりして、本当に悪かった!」

 ジュリアスはそう言いながら深く頭を下げた。


「え?」

 ネーナは目を開けて不思議そうな顔をして、頭を下げるジュリアスを見る。

「じゅ、准将、頭を上げて下さい!」


「ネーナは何も悪くないのに、俺はネーナの事を傷付けてしまった。本当に悪い事をしたと思ってる!」


「……准将は、理由も無く人を傷付けたり、声を荒げたりするような人でない事はよく分かっています。だからきっと、何か事情があるんですよね」


 暴力を振るわれてなお、今も俺の事を信じてくれてるネーナが、俺にはすごく眩しく見えた。

「……事情と言っても、俺の個人的な事だよ。皆には関係無い事だ」


「准将の個人的な事というと、やっぱり皆さんにも関係がある事じゃないですか」


「え? ど、どうしてそうなるんだ?」


「だって、准将とトーマスさん、クリスティーナさんは一心同体。辛い事も悲しい事も常に共にする。でしたよね。という事は、准将が何かで苦しんでいるなら、それはトーマスさんにもクリスティーナさんにも充分関係があると思います。そして私の身と心は准将の物です。ですから、私にとっても関係があります!」


「ネーナ……」

 ネーナの言葉を聞いたジュリアスの目には涙が浮かぶ。

 その涙を軍服の袖で拭うと、いつもの明るい笑顔を作り「ありがとう」と述べた。


「はい!」

 ジュリアスの笑顔を見て、ネーナはまるでご褒美を貰って喜ぶ子供のように笑う。



─────────────



 ジュリアスとネーナが廊下で仲直りをしていた頃、2人を見送った艦橋では、重たい空気に包まれていた。

「ジュリー、どうしちゃったんだろう?」

 そう心配そうにトーマスが呟く。


「……心配しても始まりません。とにかく今は、この戦いに勝つ事を考えましょう。皆もさっき事はひとまず忘れなさい!良いですね!」


「「了解!」」


 とりあえずクリスティーナが混乱を収拾した所で、ネルソン提督からの命令が通達された。

 その内容は、各艦は搭載されている戦機兵ファイター部隊を出撃させて正面の敵空母を制圧せよ、というものだった。


「やっぱり、不利と分かっていてもそう出るしかないか」

 トーマスは軽く溜息を吐きながら言う。


「仕方ありません。下手に空母を攻撃して撃沈しては、コリントスに住む民間人に危害が及ぶ恐れがあります。今は戦機兵ファイターによる攻撃しかありません」

 そうは言うものの、クリスティーナとしてはここは増援部隊を呼んで充分な兵力を整えてから制圧作戦に移るべきでは、と思わずにはいられなかった。


 ジュリーがいなくて正解だったかもしれません。彼がここにいたら、きっと機嫌を悪くしていた事でしょう。パイロット達を犬死させる気か、と言って。

 敢えてこの戦力で戦いを挑む理由は察しが着きます。総司令官フレイランド大将は尊大でプライドの高い人物。戦わずして退くような真似は、彼の自尊心が許さなかったのでしょう。



─────────────



 しばらくして後。帝国軍艦隊からセグメンタタ部隊が続々と出撃する。

 その様子は現在、帝国軍艦隊と対峙しているグラン・ガリア級宇宙空母ラヴァルの艦橋にいるジラード・モンモランシー提督もすぐに察知した。

「やはり帝国軍は戦機兵ファイターによる制圧戦を挑んできましたか。予定通りですね」

 宇宙要塞の指令室のような広さと設備を備えた艦橋の司令官席に座るモンモランシーはそう言ってほくそ笑む。


 惑星の低軌道上に空母を配置する事で、この空母は今や宇宙要塞として機能していると言っていい。空母は格納庫のスペースを確保するために巨体の割りには武装はほぼ皆無であり、艦隊戦では足手纏いにしかならない。モンモランシーはその弱点を空母を配置する場所によって帳消しにしてしまったのだ。

「敵はこの空母に対して要塞攻略戦を挑む事になります。艦隊は配置のまま、これを艦砲射撃でできるだけ排除し、接近してきた敵機はシュヴァリエ部隊で袋叩きにしてやりなさい」


 モンモランシーは防御に徹する戦術で帝国軍の攻撃に応えようとする。惑星包囲軍の排除が敵の目的である以上、多少の不利は承知の上でも敵は攻撃を仕掛けてくるだろう。ならば、下手に動いて敵に隙を晒してまで攻撃する必要は無い。近付いてきた敵を鉄壁の布陣で返り討ちにしてやればいい。


 そう考える彼に、若い幕僚は問いを投げる。

「閣下、惑星周辺に配置した巡洋艦を呼び集めますか?」


 現在、コリントスの周囲には、低軌道上に展開する4つの艦隊の他に、惑星からの脱出を図る宇宙船を撃沈するために多数の巡洋艦が惑星の周囲を巡回している。幕僚は一時的に封鎖網を緩めてでも巡洋艦を呼び集めて帝国軍の撃退に当たらせるべきでは、と考えたのだ。


「巡洋艦を所定の宙域に集結させて、いつでも動けるようにしなさい。ただし、あくまでも命令があるまで彼等の任務は惑星の封鎖です」


「つまり、予備兵力として温存しておくという事ですか?」


「そうです。敵の部隊があれで全部だという保障はどこにもありません。もしかすると、既に別動隊が動いているかもしれない。それに備える必要もあるでしょう。尤も今の帝国軍にそれだけ大規模な艦隊を動かすだけの余力があるとも思えませんが」


 モンモランシーと幕僚がそんな会話している間に戦端は開かれた。

 空母攻略のために出撃したセグメンタタ部隊に向けて連合軍戦艦マジェスティック級が発砲したのが最初の砲火である。

 セグメンタタ部隊が連合軍艦隊の砲火を突破するのに必死になる中、連合軍のシュヴァリエ部隊は艦隊の手前に展開し、防衛陣形を整えていた。

 やがて艦隊の砲火を抜けたセグメンタタ部隊とそれを食い止めようとするシュヴァリエ部隊による格闘戦ドッグファイトが始まる。


 艦隊同士の砲撃戦は終わり、代わりに両軍の戦機兵ファイターのビーム砲から放たれるエネルギービームが宇宙空間を飛び交う。数千機を超す戦機兵ファイターが入り乱れ、戦場のあちこちでは撃墜された機体が爆発する。帝国軍のセグメンタタと連合軍のシュヴァリエは、性能には多少の差はあるものの、それは設計者が何を重視して製作したかという違いであり、戦力としてはほぼ互角と言えた。そうなってくると、戦いを左右するのは個々のパイロットの腕の差。そしてそれ以上に機体の数の差に寄る所が大きい。


「このグラン・ガリア級は1隻で、ドレットノート級のおよそ12倍の960機の戦機兵ファイターを収容できる!数は圧倒的にこちらが有利なのです!」

 モンモランシーは上機嫌で高らかに宣言する。


 そもそもこの作戦自体、惑星コリントスの制圧は二の次でしかないのです。我々の目的は迎撃に出てきた帝国軍艦隊を完膚なきまでに叩き潰した上でコリントスを占領する事。それによって失墜しつつある貴族連合軍の権威を回復させるのだ。そしてそれを成した私を連合の大貴族達は大きく評価せざるを得ないでしょう。

 単にコリントスを制圧するだけなら、今回投入された艦隊は少々大仰過ぎると言われ、私の挙げた戦果はさほど評価されない恐れがあった。しかし、帝国軍艦隊を裕を以って撃退したとなれば話は変わる。私は最近失敗続きのウェルキン提督に代わって貴族連合の新たな英雄として、大貴族にも負けない地位と名声を手に入れるのです。


 戦況は連合軍のシュヴァリエ部隊に分があり、帝国軍のセグメンタタ部隊は数の差の前に押され気味になる。

 そんな中、帝国軍艦隊の一部が戦列を離れて前進を始める部隊が現れた。

「戦艦3、巡洋艦5。戦隊規模が、単独で前進してきます!」

 オペレーターがそう叫ぶ。その声には焦りや不安は無く、寧ろ余裕すら聞く者には感じられた。


 しかし、余裕というなら、今この艦橋にいる者全員が抱いていたので、特に問題視する者はいなかった。

 それはモンモランシーも同様である。

「ふん。あの動きから見て、司令部の意向を無視した戦隊指揮官の独断専行と言ったところでしょうか。愚かですね。この状況で艦隊戦力を、しかも一部だけ進めて何ができるというのですか」


「如何致しますか、提督?」


「放っておきなさい。どうせ戦機兵ファイター部隊が射線上で戦闘中です。発砲などできるはずもありません」

 モンモランシーは肘掛に自分の肘を載せて頬杖を着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る