ジェノヴァの女王

 コンウォール公の邸にて開かれた仮装舞踏会から数日後の事。

 総統官邸ヴィルヘルム宮に来客が訪れた。

 総統官邸に勤務する若い下級官吏に案内されてその客人は応接室へと通される。


「よく来てくれた。急に呼び立ててすまないな」

 ローエングリンはそう言ってソファーに座る。


 それに合わせて客人もローエングリンと向かい合うように置かれたもう1つのソファーに腰掛けた。

「いいえ。総統閣下のお招きとあればいつでも喜んで」

 そう社交辞令を述べるのは長身と端整な顔立ちをした50歳の女性。実年齢よりもずっと若い印象を与える綺麗な金色の長髪に、ハイエナの如き強欲さを感じさせる紫色の瞳を有するこの人物の名はイヴァンカ・グリマルディ・クリントン伯爵夫人。

 グリマルディ銀行総裁にして、名門貴族クリントン伯爵の妻。そしてグリマルディ財閥総帥ロナルド・グリマルディを兄に持つが、その兄は最近病気がちなため、現在は総帥代理も務めている。

 グリマルディ銀行本店が置かれる惑星ジェノヴァに居を構え、そこから銀河中の金融業界を支配している事から「ジェノヴァの女王」とも称されている女傑である。


「それで、今日はどのようなご用件でしょうか?」


「単刀直入に行こう。貴行の貴族連合への融資を合法化を行う用意がこちらにはある」


「え?」


 これまで帝国政府は、貴族連合を反逆者集団を認定してきたため、当然その貴族連合へのあらゆる協力行為は表向きには禁止されていた。そのため、いくら帝国政府と大貴族との癒着があるとはいえ、あまり大々的な投資が行なえずにいたのだが、仮にこれが合法化すれば融資額はこれまでの数倍にも増やす事ができ、得られる利益は膨大なものとなるだろう。


 しかし、それはこの内戦を貴族連合側に優位にしかねない話であり、狡猾で知られるローエングリンが何の対価も無しにそんな事を言い出すはずがない。

 そう考えたイヴァンカは思わず表情が強張る。

「一体、何をお考えなのかしら?」


「無論、それ相応の見返りは貰うつもりだ。条件は幾つかある。まず1つ目は帝国政府のグリマルディ銀行の株の所有率を10%にしてもらいたい」


「10%? 今の帝国政府の保有率は確か3%だったはず」


「ああ。手段は問わん。残り7%を政府に献上せよ」


「簡単に言ってくれますわね」


 グリマルディ銀行の株はそのほとんどは大貴族達の手によって細分化され所有している。イヴァンカは筆頭株主として27%を保有しているが、ここから7%も譲渡するわけにはいかない。こうなれば、大貴族に売った株を買い戻すしかない。イヴァンカはすぐにそう考えた。少々面倒な要求ではあるが、貴族連合への融資が合法化した際に得られる利益を考えれば安い代償だ。


「それで他の条件は?」


「私も個人的に貴行の株が欲しい」


「ッ!! ……で、どれほどの量をお望みで?」


「10%だ。決して難しい数字では無かろう?」


「……恐れながら総統閣下。それは難しいお話です。計17%もの数を買い集めるとなれば膨大な資金が必要となります。また、そのような行為に出れば他の株主達にも不審がられます。下手をすると株価の低下を招きますよ」

 イヴァンカははっきり明言はしないまでも、拒否する姿勢を示す。このままではリスクが大き過ぎると考えたのだろう。しかし、かと言って諦めるのは惜しい話なので、イヴァンカは何とか総統の譲歩を引き出そうと必死になる。


 しかしローエングリンは悩む素振りすら見せずにノーを突き付ける。

「クリントン伯爵夫人。これを見てくれ」


 ローエングリンが数枚の書類をイヴァンカに差し出す。

 それを受け取ったイヴァンカは中身を確認し、次第に背筋が凍るような思いがした。その表情は徐々に強張っていき、心臓の鼓動が早くなる。


 彼女の焦り様が手に取るように分かるローエングリンは内心でほくそ笑む。

「それは貴行から不正に金を受け取っているとの密告があった貴族のリストだ。人数は57人。既に調査を始めさせているが、すぐにも貴行への直接調査の手も伸びるだろう」


「……それで、何か証拠が出るとでも?」

 イヴァンカは冷や汗を流しつつも、辛うじて平静を装う。自分の後ろには大勢の大貴族がいる。彼等の手に掛かれば、不正の証拠など簡単に揉み消してくれるのは明白だったからだ。


「因みに私にこの情報を流したのは大貴族の中にいる。大貴族と一言で言っても奴等は複数の派閥に別れて覇権争いに明け暮れているのは知っているだろう。この情報が公になれば、この情報を流した貴族は挙ってリストに載っている貴族を叩き潰そうと躍起になるだろう。そうなれば、貴族間の争いに熱が入って、貴行を守るどころではなくなるだろうな」


「くぅ。……そうなるように、あなたが火に油を注いで回るのではなくて?」


「さあて。どうだろうな。それと、そのリストに載っている貴族達が所有している貴行の株の合計は全体の10%だったよ。偶然にも、な」


 イヴァンカはローエングリンが言いたい事を察した。

「私にこの者達の所有する株を全て買収せよ、と?」


「それが良いと私は思うがね。貴行は経営拡大が叶い、そのリストに載っている貴族達は罪を問われるどころか株を売却して大金が手に入る。そして私は貴行の株を手に入れて、合法的に配当の恩恵を受けられる。皆が得をする方策だろう?」


「しかし、彼等が私の売却要請に応じるとは限らないのでは?」


「応じざるを得ない程の額を用意すれば良かろう」


「本当に、簡単に言ってくれますわ」


「貴族連合への融資が合法化すれば、損失はすぐにも取り戻せる。違うか?」


「確かに仰る通りです。……では、1つご提案があります。閣下にお渡しする株は10%ではなく15%にしましょう。その代わりに政府には私が近い将来、正式に財閥総帥となる際にそのサポートをお願いしたいのです」


 イヴァンカの提案を耳にしたローエングリンは表情にこそ出さないが、内心ではニヤリと悪意に満ちた笑みを作る。

「現総帥はあなたの兄君だったな。確か病を患っているとか」


「ええ。ですから私が総帥代理を務めていますが、そろそろ兄上には総帥の座を降りてもらい、本格的な療養に入ってもらうつもりです」


「その事を兄君は了承しているのか?」


「了承など無用です。ベッドの上で横になっているだけの男に、総帥たる資格はありませんわ」


 イヴァンカのこの少々危険な発言と言わざるを得ないだろう。

 実の兄を実力行使で蹴落として、総帥の座を奪い取ろうというのだから。そしてその後ろ盾にイヴァンカはローエングリン総統を選んだのだ。彼のバックアップがあれば、総帥の座の引き継ぎは円滑に行われるだろう。しかし一歩間違えれば、骨肉の争いへと発展して財閥は真っ二つに割れるかもしれない。


「……なるほど。どうやら噂に違わず、野心的な女性のようだ」


「褒め言葉として受け取っておきましょう。それで如何ですか?」


「……まあ、良かろう。その提案を受け入れよう」


 こうして帝国総統とジェノヴァの女王との間で話は纏まった。


 イヴァンカは早速、グリマルディ男爵家の財力を挙げて株主達から銀行の株の買収を水面下で開始し、ローエングリンと帝国政府に譲渡する。

 それに合わせて、ローエングリンはグリマルディ銀行に貴族連合への融資を合法化するという特別法令を総統命令として布告した。

 貴族連合への融資を合法化。これを不当だと反論を唱える貴族も少なからず存在するが、そのほとんどはグリマルディ財閥がその財力で黙らせてしまったため、表立って混乱が発生する事はなかった。


 ローエングリンはグリマルディ銀行の株の15%を取得して、帝国政府は10%を取得する事になり、これ等の事実は総統とグリマルディ財閥の癒着を大きく深めている事を銀河中に見せ付ける事となった。



─────────────



 貴族連合への融資が合法化されたわずか数日後の事。

 ローエングリン及び帝国政府は、突然、グリマルディ銀行の株を売却し出したのだ。

 急にどうしたのかと貴族等は不審がりつつも、その株を挙って奪い合うが、事態は更に急展開を迎える。

 貴族連合への融資が合法化されるより前から、貴族連合にグリマルディ銀行が不正融資を行っていたという情報が帝国政府より発表されたのだ。


 この発表を受けた時、銀行の株主である貴族達は揃ってこう考えた。

「総統はこの事を知って株を手放したのか」


「つまり総統はグリマルディ財閥に何らかの制裁を加える気なのだ」


「銀行が叩き潰されれば、この株は単なる紙切れに成り下がってしまう。さっさと売ってしまおう!」


 そう言って、株主の貴族達は次々と所有する株を売りに出し、グリマルディ銀行の株券は彼等が言う通り紙切れと化してしまった。


 だがその時だった。

 ローエングリンはその紙切れ同然の株券を今度は急に買い集め出した。その結果、市場に流通している株券のほぼ全てを掌握する事に成功した。その総量は全体の65%にも及ぶ。


 この事態にイヴァンカはヴィルヘルム宮を訪れてローエングリンに面会を求めた。

 突然の来訪にも関わらず、若い下級官吏は二つ返事でこれを了承し、先日と同じ応接室へと案内される。

 少しして、ローエングリンが姿を現すと、イヴァンカは鬼の形相で迫って彼の真意を問い質す。

「一体どういうつもりですか!総統閣下は我が銀行を崩壊させるおつもりですか!?そんな真似をすれば、帝国の経済はただでは済まないですよ!」


 イヴァンカの激しい気迫にローエングリンは一切動じず、その端整な容姿はいつも通り余裕に満ちた笑みを浮かべたままである。そしてソファーに腰掛けると、ローエングリンはイヴァンカとは対照的に落ち着いた口調で話し始めた。

「あなたはそんな心配をしている場合じゃないだろう」


「は?」


「貴族連合への不正融資の容疑により、あなたを逮捕する」


 その時、応接室の扉が開いてそこから4人の黒い制服の警官が現れ、イヴァンカをあっという間に取り囲んだ。


「ッ! し、親衛隊!?」


 親衛隊しんえいたい。それはローエングリンの私兵とも言える純軍事組織で、皇帝官房第3課・国家保安本部を掌握する総統直属の警察組織である。保安警察や秩序警察なども傘下に収め、帝国の警察機関及び諜報機関のほぼ全てを掌握していると言っていい。尤も、彼等の警察権はよほどの事が無い限りは平民など低い階級の者達へと行使されており、大貴族の不正を暴くような実績はほとんど築けてはいない。しかし、大貴族にとってはある程度の抑止力とはなっているため、まったくの無力というわけでもないが。


「こ、こんな事をして、ただで済むと思っているの!? 私がいなければ財閥はどうなるかしら!?」


「心配には及ばん。これを見ろ」

 ローエングリンは1枚の書類をイヴァンカに見せる。


「そ、それは!」


「あなたの兄である財閥総帥ロナルド・グリマルディは、銀行総裁及び財閥総帥代理の地位をこの私コーネリアス・ビスマルク・ローエングリンに譲る事に同意した。後は株主総会で承認を得れば、私が新たな総裁となる。尤も、株の65%を持つ私の声は事実上の決定事項だがな」


「な、なぜ、兄上が、そのような事を……」

 あまりの衝撃に、イヴァンカは足の力が抜けて両膝を床に着く。


「グリマルディ男爵は利口な男だったよ。病気がちで療養中という話だったが、先を見る目は充分に持っていた。あなたが内に潜めている野心を教えてやったら、あっさり君を見限って、私に銀行を預けてくれたよ」


「くッ! あ、あなたは!」


「それにあなたの協力のおかげで私は財閥を体良く手に入れる事ができた。感謝してるよ。本当はもう少し時間を掛けて、少々強引な手も用いるつもりだったんだが、あなたが私の想像している以上の野心と実力を持っていてくれたおかげだ」


「……」

 イヴァンカは消沈のあまり、もはや言い返す気力すらないらしい。彼女はそのまま親衛隊の隊員達によって連行されていった。


 これ以後、イヴァンカは不正融資問題の責任を追及されて総帥代理と銀行総裁を退き、その後任には銀行の株主総会と財閥総帥ロナルド・グリマルディ男爵の同意を得てローエングリンが就任する。

 グリマルディ男爵は事態収束への助力の功績により子爵へと昇進し、先日のイヴァンカとの交渉通りに財閥への減税措置も実施された。

 しかし、イヴァンカの不正融資問題発覚を口実に、ローエングリンは貴族連合への融資合法化を白紙に戻し、エディンバラ支店を初めとする貴族連合寄りの支店には閉鎖命令が下される。これにより貴族連合はグリマルディ銀行からの融資が受けられなくなり、財政的に追い詰められる事となった。



─────────────



 銀河帝国皇帝の居館・アヴァロン宮殿の“金剛の間”は、この宮殿で最も広く豪華絢爛な広間である。その名の通り、広間の至る所にはダイヤモンドの装飾が施されていた。


 そこには人の姿は無く近衛兵すら1人もいない。しかし、その最奥にある黄金に輝く豪華な玉座には年老いた白髪の老人が腰掛けている。と言っても、玉座の周囲にはオペラカーテンのような真紅のカーテンが光を遮るように掛けられているため、その玉座に座る者の姿を精確に視認する事は難しいが。白髪の老人が座っている事だけは辛うじて分かる。

 その老人の前に今、ローエングリンが姿を見せ、その場で跪いた。


「ローエングリン公、よく来たな」

 玉座から聞こえてきたのは老獪さと尊大さが感じられる声だった。


「勅命通りにグリマルディ財閥を手に入れて参りました」


「手際が良いな。流石は余の見込んだ男よ」


「恐れ入ります」


「この内戦も終わりは近い。計画を次の段階へと移せ」


仰せのままに陛下イエス.ユア・マジェスティ。全ては大帝陛下の望むままに」

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