鞭打ち刑
総統官邸の総統執務室。装飾は控え目だが、元々離宮だった事もあり、その部屋は充分華美な内装になっていた。
しかし、今この部屋で最も美しいものは、この部屋の主人コーネリアス・B・ローエングリン公爵かもしれない。
若干癖のある銀髪に、赤と青のオッドアイの瞳に、極めて端麗な容姿をしたこの22歳の為政者は今、無邪気な子供のように楽しそうであった。
「あはははは! それはまた面白い事が起きたものだなぁ」
「笑い事ではありませんよ、ご主人様」
そう言うのは桃色のショートヘアをしたメイド服姿の14歳の奴隷少女エルザである。
「そうだな。平民が子爵に暴行を加えた。これだけでも充分に死刑ものの罪だ。加えて軍規に照らしてもコリンウッドは大佐で、インカーマンは准将。つまり上官への暴行ともなれば重罪だな。何か事を起こすならシザーランドの方かと思っていたが、あの少年も大人しそうに見えて意外に楽しませてくれる」
そう言って笑うローエングリンだが、彼も笑ってばかりもいられない。
そもそも彼等を近衛軍団へ研修に送り込んだのは、ローエングリン本人なのだ。
大貴族の巣窟と成り下がった近衛軍団に新しい風を吹き込むために、と。しかし、その新しい風そのものが不祥事を起こしたとなると、それを斡旋したローエングリンの面目も丸潰れだ。
「この事態をどう対処なさいますか、ご主人様?」
「これは近衛軍団内部のトラブルだ。総統たる私が介入するのは不自然というものだろう。静観するしかあるまい」
近衛軍団がこの事態をどう処理するか。そしてジュリアスがどう動きか。ローエングリンは内心興味を示していたのだ。
─────────────
近衛軍団本部営倉。憲兵に捕らえられたトーマスは、手錠を掛けられたまま営倉に幽閉されていた。
そして今ここには、格子越しに5分だけという条件で面会を許されたジュリアスの姿があった。
「……」
「……」
5分だけの面会だったが、顔を合わせた2人は最初の2分は言葉が出ずにお互いに黙ったままだった。
やがてその沈黙を破ったのはトーマスの方である。
「僕は、死刑になるのかな」
「……馬鹿言うな。今、クリスが軍団長に直談判してくれてるから安心しろって!」
「でも、僕はクリスやヴァレンティア伯爵の顔に泥を塗る真似をしたんだ。その責任は取る」
「馬鹿言うなよ。そもそも元はと言えば、あのインカーマンの野郎がクリスを侮辱したのが発端だろ」
「ああ。どうしても許せなかったんだ。僕のせいでクリスが悪く言われるのが」
「俺だって同じさ。俺もクリスやトムが公然と侮辱されたらぶん殴ってやった。まあ、トムのやった事は決して正しいとは言えないかもしれないけど、主君筋であるクリスの名誉を守るための行動だったって考えれば、正当性も出てくる。情状酌量の余地は充分にあるはずだよ」
ジュリアスが話しているこの内容を、今まさにクリスティーナは軍団長の執務室にて披露していた。
その話を最後まで聞き終えたセイアドリー上級大将は複雑そうな表情を浮かべる。
「貴官の話はよく分かった。下がって構わん」
セイアドリーがそう告げてクリスティーナが退出すると、彼は大きく息を吐いて椅子の背凭れに体重を預ける。
「貴官の助言が些か聞き過ぎたようだな、アイリッシュ大将」
「はぁ。申し訳ありません、閣下」
「コリンウッド大佐が不祥事を起こした。それは好都合だ。だが、発端が彼の主君が侮辱されたとなると話は変わってくるぞ。総統に恥を欠かせるつもりが、寄りにも寄ってコンウォール公爵のご一門に恥を欠かせるとは」
「事態を迅速に処理しなければ、コンウォール公の不興を買いかねません。そうなれば、我等も身の破滅です」
「分かっている!」
インカーマン子爵の余計な一言さえ無ければ。セイアドリー上級大将とアイリッシュ大将はそう考えざるを得なかった。
「仕方がない。今回は軍法会議を開廷する必要を認めない。よって師団内処分とする」
師団内処分にする。それは彼等が所属する第2近衛師団長に処罰を一任するという意味であり、内々に片付けよ、という事を意味していた。
そしてセイアドリーの意を受けて第2近衛師団長が出した処罰は、インカーマンに対しては1週間の謹慎処分、トーマスに対しては鞭打ち刑という内容だった。
これはセイアドリーが裏から指示したものである。コンウォール公の顔を立てるためにインカーマンには軽い処分で済ませ、トーマスには処刑等の厳罰を避けつつ本来下士官以下の者にしか処されない屈辱的な刑をあえて下す事で大貴族達の機嫌を取ろうとしたのだ。
─────────────
翌日。トーマスの鞭打ち刑が近衛軍団本部の中庭にて執行される事となった。
中庭には見物にと多くの近衛兵が集まっている。
営倉から出され刑場へと向かう前にトーマスはジュリアスとクリスと少し会う事を許された。
トーマスは既に上半身は裸の状態で、その幼い雰囲気の容姿には不釣り合いな、鍛え上げられて程よく引き締まった筋肉が露わになっている。
「トム、本当にごめんなさい。あなたの力になってあげられなくて」
「それを言うなら、俺も同じだ。口だけで何もしてやれなかった。すまん」
そう言ってクリスティーナとジュリアスは心底から申し訳なさそうにして頭を下げる。
「2人が気にする事は無いよ。悪いのは僕だから。それにクリスは僕の刑を軽くするように軍団長に直談判までしてくれたんだろ。それにジュリーだってわざわざ会いに来てくれたじゃないか。あの時は本当に心強かったんだよ。だからありがとう」
「トム……」
「ふふ。そんな顔しないでよ。僕の身体が頑丈なのはよく知ってるだろ」
これから下される刑に恐怖心が無いと言えば嘘になる。しかし彼は2人に心配を掛けないようにと懸命に笑みを浮かべて平静を装った。
3人がそんな会話をすると、傍にいる憲兵が恐る恐る口を開く。
「そろそろ時間です。申し訳ありませんが、」
そしてトーマスは憲兵によって刑場へと連行されていった。
刑場へやって来たトーマスは、昨夜の内に突貫で建てられた刑台に立ち、両腕をY字状に上げた状態で縛られて動けなくされる。
その後、第2近衛師団長より刑の執行が宣言されると、トーマスの背後に立つ執行人が右手に握る鞭を大きく振る。風を切る音がしたとトーマスが思った瞬間、彼の背中に激痛が走る。
「うぐッ!」
そしてそれが何度も何度も繰り返された。鞭が振るわれる度に、トーマスの背中の皮膚はいとも容易く裂けて血が流れた。背中から足を伝って血は刑台の床を赤く染めていく。
激痛の度に声を上げてしまいそうになるが、ヴァレンティア伯爵家の従者として迷惑を掛けてしまった自分だが、せめてこれ以上の醜態は晒さぬようにと、歯を食い縛り必死に声が漏れそうになるのを堪える。
多くの兵達はその様を見て、平民にはお似合いの姿だ、と言って嘲笑う者が大半を占めていたが、今のトーマスにはそんな嘲笑は何の苦にも感じなかった。いや、感じている余裕は無かったのだ。
やがて鞭が30回振るわれたところで刑は終わる。
トーマスの両手首を縛る枷をそれぞれ外すと、彼は力なく刑台の上で倒れて気を失った。
するとジュリアスとクリスティーナは周囲の制止も無視してトーマスの下へと駆け寄った。
─────────────
トーマスが意識を取り戻すと、そこはベッドの上だった。
「……ここは?」
「トム、目が覚めたか?」
聞き慣れた声がしたから、そっちに顔を向けるとジュリーが笑顔で僕を見ていた。
「じゅ、ジュリー?」
「おう。軍医が言うには、怪我の手当はもう完了してるから、しばらく安静にしていれば元通りになるらしいってさ」
僕が上半身を起こそうとすると、ジュリーは慌てて僕を再び横にしようとする。
「ちょ! 言ってる傍から! 無理に起きようとするな。もう全部終わったから、今日はこのまま寝てろ」
「う、うん」
「因みにここは医務室で、トムは丸一日寝っぱなしだったんだ。でも無事に目を覚ましてくれて安心したよ」
「心配かけてごめんね。そういえばクリスは?」
「飯を取りに行ってるよ。どっちかはここに残ってた方が良いかと思ってな。俺が残って、クリスが今食堂に行ってる」
「も、もしかして、ずっと看病してくれてたの?」
「当然だろ。俺達親友なんだからさ」
簡単に言ってくれるけど、それでも僕は嬉しかった。
「ありがとう、ジュリー」
「な、何だよ、水臭いな。……じゃあ俺、軍医を呼んでくるから、少し待っててくれ」
ジュリーは恥ずかしそうにしながら一旦その場を離れる。
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