帝国総統・後篇

 帝国総統が実務を執り行う総統官邸ヴィルヘルム宮は、皇帝地区インペリアル・エリアのアヴァロン宮殿の敷地内に存在する。

 元々は離宮だった建物を改装して総統官邸としていた。帝国政府の行政機関は全てアヴァロン宮殿の周辺に設置されているにも関わらず、総統官邸が宮殿の敷地内に設置されたのは、帝国総統ローエングリン公が皇帝官房長官だった事も関係している。

 皇帝の側近とも言える立場にあったため、庁舎も極力皇帝に近い位置の方が良いだろう、という事から宮殿の敷地内に置かれたのだ。


 総統官邸は、離宮だっただけはあり、非常に広く豪華で優美な造りをしていた。

 そんな宮殿には今、ジュリアスの姿があった。彼は今回の昇進を推薦してくれた総統ローエングリン公にお礼を言うためである。


 総統官邸に勤務する若い下級官吏、と言ってもジュリアスよりは年上であろう青年に案内され、客間へとやって来た。

 この総統官邸の外観に比べると、客間の内装はあまり贅を尽くした作りとはジュリアスには思えなかった。それは元からではなく、後から手を加えられた形跡がある所をみると、ローエングリン公の意向で内装は僅かに簡素化したのだろうか。そんな印象をジュリアスは受けた。

 しかし、その簡素さを補って余りあるほど華麗な青年コーネリアス・B・ローエングリン公爵がジュリアスの前に立つ。


 灰色の軍衣に白いズボンを穿き、左肩から右の脇腹に向けて白いゆったりとした布を付けた軍服に身を包み、その上から白いマントを纏っている。

 若干癖のある銀髪に、赤と青のオッドアイの瞳をしたその姿は、どんな彫刻や絵画をも凌駕する芸術品だった。芸術に疎いジュリアスですらそう思った程である。


 年齢は22歳という事だが、見た目はそれよりも若く、ジュリアスは自分の1つか2つくらい上の印象を受けた。

 彼の美しさに見惚れつつも、すぐに我に返ったジュリアスは慌てて敬礼をする。

 すると、ローエングリン公も優雅な動作で敬礼をして応えた。


 ジュリアスはローエングリンの勧めに従って、彼の手の先にあるソファに腰を下ろす。


「それで今日はどのような用件かな?」


「は。この度は小官の昇進についてご助力頂いたとの事で、そのお礼に思い伺いました」


「ほお。それはご丁寧に。別に礼を言われる筋合いは無い。実力がある者をより高い地位に就けた。ただそれだけだ」


「恐れ入ります」


 見た目はすごい優雅なのに、喋ると何だか素っ気ない感じの人だな。


「とはいえ、貴官としては少々複雑な気分かもしれんがな」


「複雑、というのは?」


「そもそも皇帝騎士団ナイツ・オブ・エンペラーの連中が貴官の昇進を渋っていた最大の理由はな。貴官が準貴族だからでも、未成年だからでもない。貴官がヴァレンティア伯爵の騎士ナイトという立場で帝国軍に入隊しているからだ。主君の令嬢が大佐なのに、家来筋の貴官を准将にするというのでは、ヴァレンティア伯爵への心象が悪かろう」


「そ、そういう理由だったのですか!?」


 ついうっかりしてた。確かに俺とクリスは戦友で、幼馴染だけど、一応は主従関係がある。俺が准将で伯爵の娘であるクリスが大佐ではまるで主従が逆転したようじゃないか。


「そうだ。尤も私にとってそんな事はどうでも良い。軍の外の社会的地位や立場が、軍の内部にまで影響を与えるようでは軍隊は組織として健全に機能しなくなってしまう」


 この人の言う事は正しい。でも、帝国のトップに立つ人とは思えない発言だ。今の帝国軍の人事は、ほぼ全てと言っていいほど身分で大きく左右されている。まさか軍の最高指揮官とも言える人からそんな言葉を聞く日が来ようとは夢にも思わなかった。


「まあ、とはいえ、私も皇帝陛下の御引き立てによって今の地位にある身なので、あまり大声で言えた義理では無いがな」


「は、はぁ」


 こんな話が大貴族の耳に届いたら、身の破滅だ。最悪、俺の後ろにいるヴァレンティア伯爵にも迷惑が掛かるかもしれない。それを思うと、この人の話に賛成もできないし、かと言って否定なんてして機嫌を損ねても大変だ。俺はどうする事もできず、ただ空返事をしてその場から脱する。はぁ~。早く帰りたいなぁ。


「ふふ。すまん。つまらぬ話をしたな。忘れよ。……」


 ローエングリン公は俺の目をじっと見つめてくる。この人の赤と青の瞳は、まるで俺の考えている事や何もかもを見透かしてきそうな、何だか不思議な気分にさせられる。


「あ、あの、総統閣下?」


「貴官の目は、怯えているな。何かを失う事を恐れている」


「はい?」


 一体この人は何を言ってるんだ?変わった人だとは思っていたけど、何だかヤバそうな人だ。権謀術数渦巻く宮廷のトップに3年も君臨し続けるんだから、まともな神経はしてないんだろうか。


「幼い頃に何か大事な物を失ったな。友か? 家族か?」


「ッ!!」


 ここへ来る前、クリスが話していた。総統閣下は人の心を見抜くほどの洞察力があると父上が話していた、って。でも、これは洞察力なんて次元じゃない。本当に心の中を覗かれているようだ。


「貴官の強さは1度失った物を、また失うのを恐れるあまり湧き出ている火事場の馬鹿力のようなものに過ぎん。そんな物に頼っていては、いずれ身を滅ぼすぞ」


「……ご、ご忠告感謝致します。自分が無鉄砲な事は承知しています。ですが、ご心配には及びません。私には私などよりも遥かに優れた友がいます。彼等がいてくれれば何の心配もありません」


 我ながら他力本願だと情けなく思う。でも、これは紛れも無い本音だ。本当に総統閣下が人の心を見抜くというのなら、上手い返しをしようとしても墓穴を掘るだけだろう。

 俺の考えが功を奏したのか、俺の返事を聞いて、さっきまで平然としていた総統閣下の顔に若干だけど笑みが浮かぶ。


「なるほど、友か。それは頼もしい限りだな。……私には生まれており今日まで友と呼べるような者など1人もいなかった。信頼にたる友がいるとは、貴官が羨ましい限りだ」


 う、羨ましいだと?俺より5歳年上ってだけで銀河帝国の最高権力者に上り詰めたようなお人が、一介の騎士ナイトでしかないこの俺を?


「……ですが閣下は、そのお若さで位人臣を極められ、今では銀河中の誰もが羨むような御立場に立たれたではありませんか。私はしょせんただの騎士ナイト階級。貴族の庇護が無ければ何もできないような身です」


「それを言うなら私も同じだ。私も皇帝陛下にお目を掛けて頂き、皇帝陛下の庇護の下で位人臣を極めたに過ぎん。だが、私が陛下にお目を掛けて頂いたのは友情や愛情からではない」


 これもクリスから聞いた話だが、総統閣下は元々皇帝陛下の寵臣だったという。閣下があまりに美形だったので、既に老齢だった陛下も男性相手に男としての本能を活性化させられ、そのまま陛下の愛人になったという噂もあるという。

 寵愛を受けていたというのなら愛情はあったのでは、と思わないでもないが、肉欲を吐き出すためだけの関係であれば愛情などあって無いようなものだろう。でも、皆無なのだとしたら、陛下が総統閣下をここまで引き立てるような真似はしないはずだ。

 俺が勝手に想像を広げていると、総統閣下は途端にクスリと笑い出した。


「貴官は意外と思慮深い男のようだ。だが、顔に出やすいタイプでもあるらしい。人の過去をあれこれ詮索するのは勝手だが、もう少し悟られぬようにしろ。それができぬのなら、人前では止めておけ」


「し、失礼致しました!」


 そりゃ人の目を見てるだけで、断片的にでも相手の過去を見透かすようなお人にしたら、俺の考えてる事なんて丸分かりだろうけど。


「まあ、冗談はこの辺りにしておくとして、貴官の今後についてだ」


「今後、と申されますと?」


「スターリング要塞攻防戦での論功行賞も一段落した後での昇進だ。何か理由付けをするためにも貴官には別の部署へあくまで一時的にだが、転属をしてもらう」


「え?そ、それは、最前線に立てなくなる、という意味でしょうか!?」

 俺は思わずソファから立ち上がり、両手をテーブルに付いて総統閣下に詰め寄った。

 しかし、総統閣下は一切動じる様子は無く俺の問いに淡々と答える。

「落ち着け。あくまで一時的に、と言ったであろう。まあ研修に出るとでも考えよ。当初は軍令部に出向してもらおうかと考えていたが、今日会って気が変わった。貴官には近衛軍団に1ヶ月ほど出向いてもらうとしよう」


「こ、近衛軍団ですか?」

 本当に無礼な態度を取ってしまった。と後で反省するわけだが、この時の俺は物凄い嫌そうな顔をしてしまった。

 近衛軍団は、皇帝陛下と帝都を守護するエリート中のエリートの部隊。そこに所属するというだけで大変名誉な事だ。つまり実戦から遠く離れた後方で、楽に自慢できる部署というわけだ。大貴族にとっては人気部署であり、帝立学院インペリアル・アカデミーの卒業生は少なくとも毎年7割以上がこの近衛軍団への入隊を希望する。

 つまり、いつもクリスが俗物と罵る大貴族達の巣窟と言うわけだ。


「そうだ。貴官にとっても良い勉強になろう。前線とは違う空気を感じるというのも」


 ここで会見は終わった。

 単なるお礼の挨拶に来たつもりだったが、何だかすごい大変な目に会ったような気分だ。



─────────────



 ジュリアスが退出した後、それと入れ替わるように客間に1人の少女が姿を見せた。

 その少女はメイド服を身を包み、桃色のショートヘアをした可愛らしい容姿をしている。そしてその首には奴隷の証である鋼鉄の首輪が嵌められていた。

 彼女の名はエルザ。ローエングリンに仕える14歳の奴隷である。

 エルザは銀製のティーセットを運び込み、ローエングリンの前に香ばしい香りの紅茶を差し出す。


「随分と楽しそうですね」

 ティーカップを手に取って口へと運ぼうとしたローエングリンに対して、エルザはおもむろにそう言った。


「なぜそう思う?」


「ご主人様が初対面の方とあんなに長く話すところを初めて見ました」


「初対面じゃないとしたら、どうだ?」


「え?」


「ふふ。冗談だ」


「……」

 揶揄われた、と思ったエルザは不満に思う。


「シザーランド大佐、いや准将は使えそうだからな。貴族連合を片付け、専横を極める大貴族を一掃するための道具として。賢そうだし、度胸もありそうだ。大貴族の子弟をあやすための玩具となり下がった近衛軍団に放り込んでみたら何が起きるか、面白そうだとは思わんか?」


「ご主人様は性格が悪過ぎます。そんなんだから縁談話が一向に進まないんです。その捻くれた性格を直さないと一生、独り身になってしまいますよ」


「ったく、ごちゃごちゃと煩い奴だな。お前は私の母親か?第一、大貴族の嫁なんて真っ平だ。大した取り柄も無い癖に気位ばかり高い女なんて目障りなだけだ」


「やれやれ。ローエングリン公爵家の跡継ぎがお生まれになるのは当分先になりそうです」


「お前もお節介な奴だな。そんなに言うなら、お前が私の子を孕めばいいだろ」


 ローエングリンの発言に、エルザは一瞬目を見開いて驚いた様子を見せるも、すぐに陽気な笑みを作る。

「それは構いませんが、でしたらまず子種を頂かない事には。・・・時にご主人様、子作りの仕方はご存知ですか?」


 エルザの問いにローエングリンはしばらく沈黙した後、急にそっぽを向く。

「……エルザも随分と口が悪くなったもんだ」


「おかげ様で。いや~奴隷の意思を尊重して下さるお優しいご主人様に巡り合えてエルザは幸せ者です~」


「言ってろ。……そんな事より、近衛軍団内部の動向には目を光らせておけ。何かあれば、すぐに私に報告しろ」


仰せのままにご主人様イエス,マイ・ロード

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