奴隷の少女

 来たるスターリング要塞攻略作戦まで休暇を命じられたジュリアス達は、彼等の故郷にしてクリスティーナのヴァレンティア伯爵家の領地である惑星ケリーランドに帰郷していた。


 銀河帝国において、貴族は皇帝より惑星1つ、大貴族であれば星系を丸ごと私有地として下賜されている。こうした貴族の領地は、帝国政府からの公的支配を免れ、領民は領主に対する納税の義務は負うものの、帝国政府への納税の義務は免除されるなど、ほぼ独立国家として機能していた。


 ケリーランドの都市部にジュリアスの実家であるシザーランド邸はある。

 邸と言っても、貴族が住むような豪邸とは程遠く庶民が住む住宅とほぼ差は無かった。それもそのはずである。元々一般市民が住んでいた家が空き家になったところを、ジュリアスの父ガリオス・シザーランドが買い取って住むようになったのだから。

 両親は既に他界し、兄弟もいないジュリアスだが、今この邸にはジュリアスともう1人住人がいた。


「大佐、もういい加減起きて下さい。このままではお昼になってしまいます!」


「んんん。あと、5分……」


 ショートヘアの明るい茶髪と青い瞳を持ち、愛らしい容姿の幼い少女は、今だソファの上で布団を被って出てこようとしないジュリアスとの格闘に及んでいた。

 彼女の名はネーナ。今年11歳になる彼女はジュリアスに仕えている奴隷だった。その証として彼女の首には、幼い少女には似合わない頑丈そうな分厚い鋼鉄の首輪が嵌められている。



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 銀河帝国では奴隷基本法によって奴隷制度が公認されていた。身分制度に厳格な貴族社会の銀河帝国でも一般臣民には市民権が保障されており、表面上は人権も存在する。しかし、奴隷はその市民権が剥奪され、人権も存在しない階級となる。生殺与奪の一切は主人に一任されており、仮に主人以外の人間が奴隷を殺害した場合、それは殺人罪ではなく器物損壊罪が適用されるのだ。

 全ての奴隷は銀河帝国奴隷管理局に登録され、奴隷の売買も奴隷管理局公認の奴隷商人によってのみ執り行われる。

 奴隷となる者には主に以下のパターンがある。

 1つ、奴隷の子供。

 奴隷の子供は何か特別な理由が無い限り、原則として奴隷となる事が奴隷基本法に明記されている。

 2つ、経済的理由。

 借金を返し切れなくなった等、経済的に困窮した場合には自ら市民権を放棄する事で奴隷となる代わりに借金を全て帳消しにするという制度が存在する。

 3つ、市民権剥奪刑に処される。

 罪を犯した臣民が市民権剥奪刑に処された場合は奴隷となる。近年では貴族連合との戦いで生じた戦争捕虜などがこの刑に処される形で奴隷が大量に発生していた。


 ネーナは父親が借金まみれになった末に市民権を放棄し、奴隷なったために彼女も奴隷となった。

 それが2歳の事で、ネーナはまだ幼過ぎる事から奴隷養成所に入れられ、そこで過酷な奴隷教育を7年間受けて育つ。

 そして9歳の時、奴隷養成所を巣立ったネーナは奴隷市に出品され、彼女を購入したのはクリスティーナの父であるヴァレンティア伯爵だった。

 彼は当時15歳で既に武勲を立てて少佐から中佐に昇進したばかりの、愛娘の友人ジュリアスへの昇進祝いとしてネーナを贈ったのだ。


 ジュリアスの下に来た当初、ネーナは掃除・洗濯・料理などの家事を精一杯頑張った。

 主人に役に立たないと判断された奴隷は、奴隷市に返品される事がある。そして幾人かの主人と奴隷市を行き来した奴隷はやがて問題有りと判断されて買い手が付かなくなる。そうなった奴隷は、最も過酷な環境の鉱山か売春宿に売り飛ばされるのが常だった。奴隷養成所では、鉱山奴隷や精奴隷が如何に過酷な環境かを教えて恐怖心を植え付ける事で質の良い奴隷を育成していたのだ。

 ネーナもまた鉱山や売春宿に行くを避けたい一心で、少しでもご主人様に気に入られようと働き続けた。

 元々ジュリアスは家事をめんどくさがって、それ等の事はたまに掃除・洗濯を手伝いに来てくれるトーマスに任せっきりだったため、働き者の子に来てもらえた事をジュリアスは素直に喜んだ。


 だが、そんなある日、ネーナは働き過ぎが原因で体調を崩してしまう。

 それでもネーナは彼から見捨てられるのを怯えるあまり、その事を言えずにいつも通り家事をこなした。

 しかし、無理が祟って遂にネーナは倒れ込んでしまった。

 ジュリアスは慌てて彼女をベッドに寝かし、付きっ切りで看病をする。そしてネーナが目を覚ますと、心底申し訳なさそうに謝罪した。

「本当にすまなかった。ネーナはすごく頑張ってくれるものだから、俺はネーナに完全に甘えてた。無理をしてるって気付いてやれなくて悪かったな」


「と、とんでもないです、ご主人様。ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。すぐにお食事の用意をしますので」

 そう言ってネーナは鉛のように重くなった身体を必死に起こそうとする。


「ちょ! 今日はもう良いから。ゆっくり安静してろって」

 ジュリアスは慌ててネーナを再びベッドに寝かせる。


「で、ですが、ご主人様、」


「ああ、それと。そのご主人様って言うのは止めてもらえないかな?俺はまともな貴族でもないし、そんな風に呼ばれるのはやっぱり違和感がしてさ」


「……分かりました。では、これからはどのようにお呼びすればいいでしょうか?」


「堅苦しくなくて、ネーナが呼びやすい奴なら何でも良いぞ」


「……それでは、ジュリアス様、というのはどうでしょう?」


「さ、様付けか。もうちょっと気軽な感じで。何ならジュリアスでも良いぞ」


「い、いいえ! ご主人様を呼び捨てにするなんて、そんな無礼な事を」

 奴隷養成所でネーナは、主人に対して従順であるように叩き込まれており、主人と気軽な関係を築くなど想像するだけでも恐れ多い事だったのだ。


「そ、そうなのか」


「……あ、では、中佐、とお呼びするのはどうですか?」


「中佐? 中佐か。うん。まあ良い落し所かもな。よし! じゃあ、これからは中佐で宜しく頼むよ、ネーナ」


「承知致しました、中佐」


「よし。じゃあ、今日はゆっくり休んでくれ。いつも頑張ってくれてるから、今日は俺が美味い物を作ってやるぞ!何か食べたい物は無いか? ……と言っても俺、料理はからっきしだから、できるものなんてたかが知れてるし、味の保障はできないんだけどな」

 そう言ってジュリアスはアハハと無邪気に笑う。

 それに吊られるようにネーナもクスリと笑った。


 この日より2人の仲は一気に深まった。というよりネーナがジュリアスに対して取っていた主人と奴隷という微妙な距離感を縮めるようになったのだ。

 2人の様子を見たトーマスからは「2人って主人と奴隷っていうより兄妹みたいだよね」と言うほどだった。



─────────────



 朝。ネーナによって叩き起こされたジュリアスは、今だ眠たそうにしながらネーナが用意してくれた朝食を終える。


「大佐、今回はどのくらいこちらに滞在できるんですか?」


 食後のコーヒーを俺が飲んでいると、ネーナがそんな事を聞いてきた。

「次の作戦までにはキャメロットに戻らないといけないから、3日間かな」


「では、3日間は大佐と一緒にいられるんですね!」

 ネーナはニコッと嬉しそうに笑みを浮かべる。


 名目上ネーナは俺の奴隷になるわけだが、俺はネーナを妹に思っているし、妹のように接しようと心掛けてきた。正直、兄弟のいなかった俺には、兄と妹の距離感がよく分からなかったけど、トムやクリスとのこれまでの日々を思い出しながら、ネーナに極力不自由を掛けないようにしてきたつもりだ。

 でも、軍務で家を空ける時、ネーナはいつも1人でこの家にいる事になる。

 奴隷が1人で外を出歩くわけにもいかず、基本的に家に1人きりにして寂しい思いをさせてしまって申し訳なく思っているわけだが仕事である以上は仕方がない。

 貴族には、身の回りの世話をさせるために戦場に奴隷を連れてくる者も大勢いるが、ネーナを危険な戦場に連れ出したくはない。


「ネーナは今日は何をしたい? もうすぐトムとクリスが来るだろうから、皆でどこか行こうか?」


 休日でも俺はたいていトムとクリスと行動を共にしていた。今日も特に事前に予定していたわけではないのだが、いつもの習慣でそろそろ来るだろう。


「私は大佐と一緒にいられるのでしたら何でも構いません」


 嬉しい事を言ってくれる。そう思う反面、俺は1つ不安に思う。

 ネーナは出会った当初に比べると、とても明るくしなったし、感情表現も豊かになった。でも、それはあくまで奴隷という立場で考えればという事だ。

 ネーナは常に俺を中心に物事を考えている節がある。どんな事でも俺がお願いすればほとんど嫌とは言わない。己の意思を捨てて主人に尽くすようにと奴隷養成所で教え込まれてきた影響が今まだネーナの中に残っているのだろう。


「まあ、それは2人が来てから決めても遅くはないか。……ところでネーナは、俺の所に来てからどれくらいになるっけ?」


「え?ええと、そろそろ2年になりますね」


「もうそんなになるか。いつも頑張ってくれて本当に感謝してるよ。あと8年経てばネーナを解放奴隷にできる。そうすれば、こんな首輪だって外してあげられる」


 奴隷基本法では、主人には勤続10年の奴隷を奴隷身分から解放して解放奴隷とする権利がある。解放奴隷は市民権が付与が付与され、市民階級への復帰を意味していた。

 しかし、解放するかどうかは主人の一存に委ねられるため、10年勤めれば解放されるとは限らない。むしろ解放される例はほとんどないくらいだ。


 俺は一刻も早くネーナを奴隷から解放してやりたかった。俺の下で縛り付けておくよりも、ネーナにはもっと自由な日々を送らせてあげたかったから。でも、ネーナはこの手の話をすると頬っぺたを膨らませて機嫌を悪くしてしまう。


「大佐は、私を早く追い出したいのですか? それでしたら、どうぞ私を奴隷市に売り飛ばして下さいませ!」

 そう言ってネーナはプイッとそっぽを向いてしまう。


「ち、違うよ! そういうわけじゃないって! ネーナには本当にいつも感謝してるよ。できる事ならずっと傍にいてほしいと思ってるさ!」


 俺は必死に弁明をした。すると、少しは機嫌を直してくれたらしく視線をこちらに移してくれた。でも、まだ腑に落ちない事があるのか、眉毛は今だ吊り上がったままだった。


「では、どうして私を手放したいのですか?」


「て、手放したいって。別にそういうわけじゃないよ。ただ、ネーナには自由になってもらいたいんだ。俺は軍人だ。いつ戦死するかも分からない」


「そ、そんな事を仰らないで下さい!!」

 ネーナは今にも泣きそうな顔になり、激しく声を荒げた。


「あ、あくまで例えばの話だよ。とりあえず最後まで聞いてくれ。……もし俺が死んだりしたら、ネーナは奴隷市に戻される事になるかもしれない。そうなったら、今度はもっと酷い主人の所に行くかもしれないだろ」


「……」


 主人が死亡した場合、奴隷は主人の財産の1つとして相続人に相続されるが、現在ジュリアスは独り身で当然相続人になる人物はいない。

 相続人のいない奴隷は、奴隷市へと戻され、再び奴隷管理局の下で競売に掛けられる事になる。


「まあ、これに関して言えば、俺が遺書を残しておいてトムやクリスにネーナを譲る、と一筆入れておけば問題無いんだけど、俺が言いたいのは、今後どうなるかは誰にも分からないって事だ。ネーナの幸せを考えるなら、奴隷のままでいるより解放奴隷になって市民階級に上がった方が断然良いに決まってる。勿論、解放奴隷になった後ネーナがここを出たいって言うなら俺は全面的にサポートするつもりだ」


「そんな恩知らずな事は致しません! 私は生涯、大佐にお仕えいたします!!」


「……わ、分かった。もし俺の下にいてくれるって言うなら俺は大歓迎だよ」


 俺がそう言うと、ネーナはようやくニコッリと笑ってくれた。やっぱりネーナには笑顔が似合ってる。この笑顔を守るためにも、次の戦いもちゃんと生きて帰ってこないとな。

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