第5話:赤龍の恐怖
逆境とは!
「ここがドラゴンマウンテンの麓にある村、ヴィレッジ村か!」
「思ったよりも栄えているのですね」
「赤龍が放つ熱気によって強い地熱が生じて、それが色々となんだかんだと絡み合って、人気の観光スポットになってるんだよ」
「あっ、ドラゴンまんじゅう! あたし、旅商人が持ってくるこれ好きなのよねっ!」
伝説のモンスター、レッドドラゴンの住まうドラゴンマウンテンの麓にあるヴィレッジ村。
そこはキングダム王国とエンパイア帝国の国境沿いにあり、レッドドラゴンが発する魔力が地熱を生み出し、絶好の温泉地帯となっている、もはやヴィレッジ村そのものが一つの温泉宿となっている大人気観光スポットである。
竜の住処にそんなの作って大丈夫なの?と言われているが、レッドドラゴンが活動するのは百年に一度。
それも翼を動かして運動をしたいのか、決まって遠くの街を狙うためにむしろヴィレッジ村自体はひどく安全なのだ。
それを聞いて『じゃあ、王都もヴィレッジ村に作ればいいじゃん』と思われるかもしれないが、それはそれで人の気配が強くなりすぎてレッドドラゴンの癇に障って滅ぼされてしまうのだ。
実際、ヴィレッジ村は三百年ほど前に調子にノッて城塞を築くほどに巨大化してしまい、それがレッドドラゴンの癇に障り、ブチギレた結果のドラゴンブレスで一度滅んでいる。
「いやぁ、やっぱり王家様様だな」
「本当ですよ、ヴィレッジ村への旅行なんて……宿を予約しようと思ったら半年待ちが当然ですもんね」
「ああ、ここに嫁と娘がいればなぁ……まあ、贅沢は言えねえよな」
「王家御用達の宿にも泊まれるんでしょう? どんな料理出るのかな、温泉も期待できるわよね!」
完全に観光気分の勇者パーティーの一方、女官サポトは冷や汗を流しながら眺めていた。
偵察という名目でドラゴンマウンテンへと向かおうとしている勇者パーティー。
サポトとしては、勇者がドラゴンの本当の力を知ることだけは避けたかった。
なにせ、ドラゴンだ。
見ればわかってしまう、勝てる相手などではないことが。
戦う姿を見れば、ではない。
眠る姿を見ただけで、生き物としての『格』の違いを理解してしまう。
その吐息が、鼓動が、熱が、強さというものを魂に脅しかけてくる。
想像ではない、『影』の訓練としてレッドドラゴンの根城へと向かうものがあり、それを実際に体験しているサポトだからはっきりと言えるのだ。
────ドラゴンと向かい合えば、心が折れてしまう。
そして、心が折れてしまえば、当然、戦おうという気力すらもなくなってしまう。
戦わないということは、逃げるということ。
国宝を持って逃げた相手を、国が逃すわけがない。
捕まってしまえば国宝である宝剣が折れたことも知られる。
つまり、監視役のサポトの首が飛ぶ瞬間である。
(そ、それだけは避けなければ……!)
そんなサポトが、なぜドラゴンマウンテンのお膝元であるヴィレッジ村に訪れることを良しとしたのか。
当然、それにも理由がある。
(ようはドラゴンを見なければ良いのです……!
この自制心というものがセミの抜け殻よりも薄っぺらい勇者パーティーが、この誘惑に満ちたヴィレッジ村で遊ばずに居られるわけがない……!)
サポトの狙いは、このバカどもに残された寿命であるパレードまでの七日間を、ヴィレッジ村での観光で終わらせることであった。
ちなみに、本来ならば王都からヴィレッジ村までは辻馬車で半日ほどの距離であるが、サポトはわざとゆったりとした王家に通じる私用馬車を用意した。
わざわざ『道の駅』にも寄ってたっぷりと時間をかけて、途中に宿をとって一日かけてヴィレッジ村にたどり着かせたのだ。
初日に剣を折り、二日目に剣を治そうとするも失敗し、三日目にドラゴンの偵察へ行くことが決定し、四日目は移動で終わった。
残るは六日。
竜退治を激励するためのパレードの前日には王都に戻らなければいけないため、実質的に五日で、そのうちの一日は移動で潰すことが出来る。
つまり、サポトは勇者パーティーをこのヴィレッジ村で四日間遊びに遊ばせれば良いのだ。
出来る自信はある、なぜならばこの勇者パーティーの自制心と来たら財務大臣の髪の毛よりも薄いのだ。
(良い冥土の土産にもなるでしょうしね……)
にぎやかに歩く勇者パーティーの後ろでこっそりと手を組んで安らかな眠りを祈るサポト。
国王から渡された経費の他、こっそりと自分の貯蓄も崩している。
勇者をここで魂まで腑抜けにすると、サポトは決めたのだ。
幸い、ここには王国でも帝国でも大人気の温泉も、遊ぶためのカジノも、美味しい料理と酒も、なんなら選り取り見取りなイケメンが揃ったホストクラブも、色っぽいお姉さんがいるクラブもある。
むしろ、王都に帰る日になっても『もっとここで遊びたい』と愚図るクズどもを諭す方法を考えるほうが難しいぐらいだ。
(出来る……出来る、はずです……!)
「おーい! 大変だー!」
秘めやかにメラメラと燃えているサポトの水を差すように、ヴィレッジ村では慌てん坊で有名なハチ・ベーが大声を出しながら大通りを走っていく。
その叫びは、当然大通りで『どこで遊ぼうかな~』と軒並みを眺めていたガッツたち勇者パーティーの耳にも届いてくる。
「はぁ……はぁ……!
て、帝国の勇者……帝国の、『栄光』の勇者様がレッド・ドラゴンを退治するためにドラゴンマウンテンへと向かっていったぞー!」
「なんだと!?」
「くっ、まずいですよ、ガッツ!
万が一にでも先にドラゴンを倒されてしまったら、僕たちに残されるのはドラゴンと戦ってもないのに何故か折れている宝剣だけです!」
「そんなことになったら揃って打首だぞ!? 邪魔するしかねえ!」
「こっそり帝国の勇者パーティーの足を引っ張りに行くわよ!
竜殺しの栄誉はあたしたちのものなんだから!」
逆境とは!
────抗いようのない大きな壁が己を飲み込まんと迫ってくる状況のことを言う!
~第五話:赤龍の恐怖~
「帝国の勇者たち、進軍の速度が速いな……!」
「モンスターの死骸が転がっていますね……!」
「帝国の勇者パーティー、なるほど、確かに大した腕前みたいだぜ……!」
「だからといって、先を越されるわけにはいかないわよ……!」
ドラゴンマウンテンを息を潜めて登っていく勇者一行。
その道程には、竜が放つ濃厚な魔力に惹かれてやってきた、知性こそないものの強力なモンスターの死骸が転がっている。
全て帝国の勇者パーティーが討伐したものだ。
本来ならばこのモンスターを解体して素材をゲットすることが冒険者の常道であるが、しかし、帝国の勇者パーティーの目的はドラゴン退治だ。
ここで解体のために時間と体力を浪費する理由がないため、死骸を放っておいてどんどんと前へと進んでいるようであった。
「おお、これは良い牙だな!」
「冒険者ギルド相手に高く売れますね……!」
「くぅ、落ちてる金を拾えないなんて死にたくなるぜ……!」
「貧乏くさいこと言ってんじゃないわよ、ほら、さっさと追う!」
本音を言えばハイエナのようにモンスターの死骸を奪っていきたいが、それをすれば帝国の勇者パーティーがドラゴンと対峙する瞬間に立ち会えないだろう。
勇者パーティーは涙をのんでどんどんと前へと進んでいく。
「……………………………」
その姿を死んだ魚のような淀んだ目で見ているのは、他ならぬ女官サポトである。
なぜだ。
なぜ、こうも上手く行かないのだ。
サポトにとって勇者パーティーは動く天中殺、時空を歪めて厄年を持ってくる悪霊。
間違いなく勇者パーティーはサポトの疫病神であった。
「………………………………」
「んっ……? どうした、サポトさん。怖いのか?」
「無理もありません、サポトさんはただの女官ですからね」
「無理についてくる必要なんてないんだぜ?」
「そうそう、あたしみたいに天才的な魔法の腕前があるようにも見えないしね」
そんなサポトの原始の混沌のような昏い心情を全く理解せず、勇者パーティーは見当違いの気遣いをしてくる。
そのことに対して『こいつらも悪い奴らじゃないんだよな』という気持ちなど一切湧いてこない。
なぜならば、こいつらはまさにサポトの一つしかない命を、例え無自覚だとしても奪おうとしている連中なのだから。
いや、それを言ってしまえば勇者パーティーを自覚的に殺そうとしているためによっぽどサポトのほうがたちが悪いのだが。
まあ、『それはそれ、これはこれ』というやつである。
「こいつら殺してやろうか……」
サポトにとって暗殺とは単なる任務の一つである。
決まった日にゴミを出すような、決まったルーチンを守るだけの挙動だ。
そこに自分の感情など生まれるはずがない。
だが、今日この日、サポトは生まれて初めて『殺意』というものを抱いた。
この呑気してる勇者パーティーが憎くてしょうがない。
こいつらのせいで自分は死んでしまうかもしれない。
純粋な殺意というものがどういうものか、サポトは初めて知ったのだ。
もちろん、警戒心ゼロの勇者パーティーなど、『影』の中でも最上位の腕前を誇るサポトならば簡単に皆殺しに出来る。
それをしないのは、今、死なれては困るからだ。
彼らはドラゴン退治のパレードを行った後に、ドラゴンに殺されてもらわなければいけないのだ。
(とにかく、今は祈るしかありません……!
彼ら勇者パーティーのバカさ加減に……!
ドラゴンを目の当たりにしても根拠のない自信を抱ける知能の低さに……!
ああ、偉大なる精霊神よ……!
敬虔なる信徒である貴方の子に、どうか、どうか幸多き道のりを……!)
勇者パーティーと行動をともにするようになってから何度となく精霊への祈りを捧げるサポト。
だが、残念なことにその祈りは全て届かずに、むしろ険しい茨道だけを精霊は用意してくるのだ。
だから、今回も当然用意されているものは茨道である。
それを証明するように。
────オオオォォォォォォォォォッ!!!!!!
けたたましい雄叫びが、ドラゴンマウンテンに走った。
「……っ!?」
その雄叫びを耳にした瞬間。
ガッツの逞しい背中に悪寒が走り。
ヘンリーの敬虔なる魂が震え。
ライアンのどんな暴力にも屈しない膝から力が抜け。
シンシアは思わずその生命よりも大事な杖を落としてしまった。
その正体を知っているサポトですら、思わず顔から血が引く想いであった。
「な、なんだ……?」
「ふ、震えが……?」
頭では理解できずとも、体と心は確かに理解した。
「『ツヨクナール』!」
「お、おう……」
「う、動くわね……これで……」
その意味を理解しないまま、いや、理解したくないために、頭は心の訴えとは正反対の行動を命令する。
ヘンリーの心はここから逃げろと叫んでいるのに、ヘンリーの頭はその意味を理解したくないために、精神攻撃に対して有効である、つまりは恐怖心を薄める精霊術である『ツヨクナール』を唱えた。
震えていた体が収まり、なんとか動けるようになる。
あまりにも大きすぎる恐怖は、頭を麻痺させる。
四人は歩みを進めた。
「ふぅ……ふぅ……!」
そして、たどり着いたのだ。
四人の目にまず映ったのは、帝国の勇者の広い背中であった。
だが、その背中は哀れを誘うほどに震えている。
「っ! て、帝国の勇者だ……!」
「勇者が持っているあの特徴的な模様の盾……あ、あれは『聖女の盾』では!?」
「帝国の国宝じゃねえか!」
「かなり『ガチ』ってわけね……!」
帝国の勇者が震えながら盾を構える。
それはつまり、敵がいるということを意味する。
なのに、四人の目にはその敵の姿が映らなかった。
いいや、違う。
もはや恐怖に侵された心は、その『敵』の姿を捉えることを拒絶しているのだ。
「オオオォォォオォォォオォッ!!!!!!」
「あっ……!」
だが、一つの叫びがその心を完全に破壊する。
ドラゴンのウォー・クライ。
それはあらゆる魂を犯す、この世でもっとも危険な音。
己の心を守るための狂った自衛機構はウォー・クライの前では意味をなさず、『私を見ろ』と命じてくるその叫びに従順に平伏し、四人はついにその姿を見てしまったのだ。
「う、うわぁ……うわああぁぁぁっ!!!!」
隠れていることも忘れて、勇者ガッツは叫んだ。
それは闘志をむき出しにしているドラゴンのウォー・クライとは違う、本物の悲鳴であった。
ただ姿を見ただけで、『不屈』の加護を得ている勇者ガッツはまるで童女のように悲鳴を上げたのだ。
「ひ、ひぃ……」
「こ、これが……ドラゴン……」
「あ、ああ…………」
それは他の三人も同様であった。
ドラゴンは、爪を振るって巨岩を破壊したわけでもない
ドラゴンは、羽ばたいて宙を舞ったわけでもない。
ドラゴンは、牙を剥いて涎を垂らしたわけでもない。
ドラゴンは、鉄をも溶かす炎の吐息を吹き出したわけでもない。
ドラゴンは、ただ、叫んだだけだ。
それだけで、ドラゴンは勇者の心を折ったのだ。
それは、『不屈』の勇者の心だけではなく。
「い、いやだあああああああああ!!!!」
そう、帝国の英雄である『栄光』の勇者の心すら折ったのだ。
国宝である『聖女の盾』を情けなく放り投げて、背中を見せて逃げ出したのだ。
その肩書である『栄光』とは程遠い姿だが、ガッツたちに笑うことなど出来ない。
むしろ、国宝だから捨てられないと、荷物になる『聖女の盾』を持って逃げない辺り、その思い切りの良さに称賛を上げたくなる。
『愚かな……そして、醜い……』
「きゅぷっ!?」
だが、そんな思い切りの良さもなんの意味も持たない。
竜は大きく羽ばたき、逃げ出す栄光の勇者へと襲いかかる。
鋭い牙で栄光の勇者を掴むと、その牙は最上級の鎧をたやすく貫通する。
栄光の勇者、即、絶命。
帝国の栄光は、ドラゴンの前では単なる昼食に過ぎなかった。
いや、それよりも。
「な、なんだ……!?」
「ち、地の底から響くような、先程の声はいったい……!?」
「竜の『声』です」
「さ、サポトさん……?」
「竜の、『声』……?」
「竜が魔力を震わせて、我々に『言葉』を伝えているのです」
一人、冷静なのはサポトであった。
もちろん、恐怖を覚えていないわけではない。
だが、サポトは竜に対して『覚悟』が出来ていた。
そのため、他の三人や帝国の勇者よりもある程度の平静さを装えているのだ。
『我が眠りを妨げた大罪、死して償え……』
一方で、竜の虐殺は止まらない。
なぜならば、勇者は一人ではない。
仲間がいるためだ。
もっとも、それは単なる死体が増えるという意味しか持たないのだが。
「ひ、ひぃぃ……!」
『我が吐息で、溶けよ……』
「ひ、ひ、火ぃぃぃぃぃぃ!!!」
竜が、ドラゴンブレスを吐き出す。
すると、タンクだと思われる戦士は鎧ごと肉も骨も、魂すらも溶かされる。
一瞬のことであった。
防御など、なんの意味もなかった。
「ら、『ライトニング』!」
歴戦の魔法使いと思われる老人が上級魔法である『ライトニング』を唱える。
猛々しい雷はドラゴンの首を狙い、見事に直撃。
『ふむ、心地よき、かな』
「な、なんでぇ……ぎゃぷっ!?」
だが、意味などない。
ただ雷が当たっただけ、鱗一つとして焦がすことも出来ない。
むしろ、電気マッサージのようだと目を細めているほどだ。
そして、竜は爪を振るって魔法使いを生き物から単なる肉片へと変える。
「『シビレール』!!!」
残された神官が唱えた精霊術は『シビレール』であった。
魂を麻痺させて肉体を縛り付ける拘束の精霊術。
ドラゴンの動きを封じて逃げ出そうという魂胆であり、悪くはない作戦である。
だが、それも『通用するのなら』という枕詞が必要となるが。
『………』
「し、『シビレール』!
『シビレール』……!
『シビレール』ッ!
『シビレール』ぅぅぅぅぅぅ!」
『愚かな……軟弱な心が生む精霊術が、この我に届くわけもなし』
「ひぎぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
ドラゴンほどの巨大な存在位級を誇るモンスターの前では、一介の神官の精霊術によるデバフが通るわけもない。
あり得ないことだが、『ドラゴンが動揺をして』『神官がドラゴンに怯えていなければ』通ったかもしれんが、今は逆だ。
ドラゴンは平静そのもので、神官はドラゴンに恐怖をしている。
そんな弱い心で放つ精霊術では、ドラゴンの気高い魂を縛ることなど出来るはずもない。
ドラゴンは、翼をバサリとはためかせる。
その勢いだけで、神官は吹き飛ばされ、岩山に打ち付けられて死んだ。
『くだらぬ……眠気覚ましにもならぬわ……』
魔力を震わせてつまらなそうに呟き、ドラゴンは巣穴へと戻っていった。
ガッツたちのことなど、気づくはずもない。
巨大な象が足元の蟻に気づくことがないことと同じであった。
「「「「……………………」」」」」
(終わった……………)
サポトは泣きそうになった。
これでガッツたちは逃げる。
逃げて、捕まり、国宝の破損がバレ、処刑され、サポトも同じ道を歩む。
不屈の勇者による竜殺しの伝説の誕生の予感は、臆病者の勇者という寓話の誕生で終わることが決まった瞬間だった。
◆
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
勇者ガッツたちは、王都へ戻っていった。
どう戻ったのかも、よく覚えていない。
恐らく、サポトが手配をしてくれたのであろう。
王都に戻った勇者たちは恐怖から逃れるため、昼も夜もなく酒を飲み、それでもあの恐怖を忘れることなど出来なかった。
気づけば太陽は何度も沈み、何度も上っていた。
つまり、ドラゴン退治を大々的に知らしめるパレードを翌日に控えていた、その日のことであった。
「……それじゃ、作戦を立てよっか」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
勇者ガッツの問いかけに、死んだ目で虚空を眺めるのは神官ヘンリーと戦士ライアンと天才美少女魔法使いシンシア。
つまりは勇者パーティー全員であった。
それでも、ガッツはなんとか口を動かす。
やはり、『不屈』の加護のおかげか、他の三人よりも精神力は強いようであった。
「ま、まず……ドラゴンの攻撃の射程は、すごく広い」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「だ、だから、俺たちが相対した時に先手を取ることになるのは、間違いなくドラゴンの方だ。
その攻撃を、ライアン!」
「っ!」
ビクリ、とライアンが震える。
肩だけでなく眼球すら震わせながら、ライアンはゆっくりとガッツへと視線を合わせる。
その目には『それ以上、なにも言うな』と無言で訴えかけていた。
だが、勇者ガッツはそれでも言葉を続けた。
勇猛な振りをしなければ、心が壊れてしまいそうだったからだ。
「恐らく、ドラゴンは『ドラゴンブレス』で一網打尽にしようとするだろう!
自慢の盾と技でそのドラゴンブレスをライアンがなんとか────!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
恐らく、ライアンの脳裏には帝国の勇者パーティーの戦士の姿が蘇ったのだろう。
盾を持っていたのになんの意味もなくドラゴンブレスで溶かされていった、無残な戦士の姿が見えたのだ。
ライアンは、ガッツの言葉を最後まで言わせてたまるものか、と言わんばかりに雄叫びを上げながら、この酒場で一番強い酒を思い切りラッパ飲みする。
アルコール度数50を超えるその酒はライアンの喉を焼き、脳みそを破壊する。
ぐるんと目を回して、ライアンは勢いよく地面へと倒れ込んだ。
戦闘前にして戦闘不能である。
「……ら、ライアンがなんとか防ぐ!
その次は、シンシアだ!」
「ひっ……!」
そんなライアンを見て見ぬ振りをして、ガッツはシンシアへと語りかける。
シンシアはいつもの自信満々の、高慢さすらある様子とは打って変わって、それこそ年頃の乙女らしく震えていた。
その怯えきった姿は、暴漢が十人現れても一網打尽に出来る天才美少女魔法使いの姿とはとても思えないほどであった。
「シンシアは得意の『ライトニング』で攻撃をしてくれ!
『ライトニング』は貫通性にも優れている攻撃力の高い魔法だし、麻痺を付随する効果もあるから、シンシアは────!」
「いやああああああああああああ!!!!!」
恐らく、シンシアの脳裏には帝国の勇者パーティーの魔法使いの姿が蘇ったのだろう。
使えるものはそれほど数えられるほどの人数であるはずの上級魔法『ライトニング』が一切通じず、爪を振るわれて生き物から肉片へと買えられてしまった、無残な魔法使いの姿が見えたのだ。
シンシアは、ガッツの言葉を最後まで言わせてたまるものか、と言わんばかりに絹を裂くような叫び声をあげて、勢いよく酒場から飛び出していった。
そして遠くで、ドポォン、という音が響いた。
現実逃避として、シンシアが川へ飛び込んだようだ。
冬じゃなくてよかったと言わざるを得ない。
「シ、シンシアはライトニングでドラゴンを牽制をする!
そこで怯んだドラゴンを仕留めるために、ヘンリー!」
「あ、ああっ……」
そんな美少女の醜態を忘れようとしているのか、ガッツは言葉を続ける。
そのガッツの言葉にヘンリーはうめき声を上げてなんとか応える。
戦う前からすでに負けている。
「ヘンリーは俺に全力で支援の精霊術をかけてくれ!
『ムキムキニナール』で筋力をバフさせた俺は一撃のチェストにかける!
そして、チェストを確実に極めるために、ドラゴンの動きを封じて欲しいんだ!
だから、ドラゴンへと『シビレール』を使って────」
「ひいいいぃぃぃぃっ!!!!!!」
恐らく、ヘンリーの脳裏には帝国の勇者パーティーの神官の姿が蘇ったのだろう。
精霊に祈りを捧げてその力を変える精霊術、精霊の力を使っているのだから強大な魔獣や格上の戦士にも通じるはずのそれをドラゴンに全く通じず、翼をはためかされるだけで吹き飛ばされて岩山にぶつけて殺された、無残な神官の姿が見えたのだ。
ヘンリーは、ガッツの言葉を最後まで言わせてたまるものか、と言わんばかりに腰の抜けた情けない叫び声をあげる。
そして、ガンガン、と。
勢いよく酒場のテーブルへと頭を打ち付け始めた。
そしてその動きを数十回ほど続けた後、不自然な体勢でテーブルに倒れ伏した。
頭の打ちどころを悪くして気を失ったのだろう。
「……………………」
「……………………」
残されたのは勇者ガッツと、女官サポトだけであった。
無言の空気が広がる。
「ド、ドラゴンへと『シビレール』を使って動きを止めて、そこからは俺の出番だ……もうそこからは言わなくてもわかるな!
俺の攻撃で、ドラゴンを倒す!
どうだ! 俺たちの勝利はこんなにも具体的に見えるぞ!
ハーハッハッハッハッ!」
「…………………」
「ハーハッハッハッハッ!
そら、みんな!
先んじて祝杯をあげようじゃないか!
カンパーイ!
どうした、みんなも飲め!
ハハハハッ! ハハハ……ハハ……ハ……」
「…………………」
勇者ガッツの高笑いは小さくなり、ついにはかき消えてしまう。
そして、ぷるぷると体を震わせる。
「…………………お、俺は、ヘンリーの精霊術で動きを止めたドラゴンに向かって、剣を、剣を────!」
あえて口にしなかった、その言葉。
それを口にしようとして、ガッツは。
「うわああああああああ!!!!」
恐らく、ガッツの脳裏には帝国の勇者パーティーの勇者の姿が蘇ったのだろう。
預けられたはずの国宝を放り投げてみっともなく逃げたというのにドラゴンの前ではなんの意味もなく、俊敏な動きで迫られてその牙で鎧ごと貫かれてしまった、無残な勇者の姿が見えたのだ。
ガッツは、この口から飛び出る言葉を最後まで言わせてたまるものか、と言わんばかりに狂ったような叫び声をあげる。
そして、ガン、と。
勢いよく自分が持った酒瓶を自身の頭に打ち付けさせて、バタンと酒場の床に倒れ込んだ。
額からどくどくと血を流しているが、気にしてはいけない。
ここに無事な勇者パーティーは存在しない。
竜退治を激励するパレード、その前日であったというのに、である。
「…………あっ、やった!」
そのまま気を失った勇者ガッツを見て、サポトは思わずグッと拳を握った。
そして、酒場のマスターからロープを借り、その体をギュウギュウに縛り付けた。
「これで……!」
勇者、これにて確保である。
「私の……!」
勇者、これにて逃走不可である。
「勝ちです!!!!!!!!」
女官サポト、これにて降格は免れずとも命が助かったのである。
◆
「…………………あれ?」
「おはようございますっ、いい朝ですねぇ、勇者殿!」
勇者が目を覚ますと、太陽はすでに上っている。
ガンガンと痛む頭の中で、まるで七五三のように服装を整えられている最中のこおであった。
頭の中に無数のクエスチョンマークが浮かび上がる。
そして、遅れて理解した。
これは、ドラゴン退治のパレードの準備だ、と。
「う、ううっ……!」
「いやぁ、めでたいですね! このサポト、ドラゴンマウンテンまでお供しますからね!
護衛には騎士団長様も含めた数名の精鋭騎士もついてきてくれるとか! これで安心安全にドラゴン退治にいけますね!
あっ、皆さんは一度家に戻られましたよ。少し身だしなみを整えてから来られるとか」
要約すると『もう逃げられないからさっさとドラゴンに殺されてこい』である。
サポトはすでに安全地帯に立っているため、これ以上ないほどに笑顔であった。
対して、ガッツはそうではない。
「ううっ……ううぅっ……!」
泣いているのだろう。
背中を震わせて、大きく埋まっている。
可哀想に、とは思うが何かをしてやるつもりはサポトはない。
何度も繰り返すことになるが、国宝はドラゴンとの決闘によって折られたということにしなければサポトとその一族の命が危ういのだ。
だから、勇者ガッツには死んでもらう。
可哀想だが仕方ないんだ。
「うう……ううっ……!」
「……勇者殿?」
だが、サポトは勇者の様子がおかしいことに気づいた。
勇者に走る震えの正体。
これは────恐怖では、ない?
「ウワーハッハッハッハッハー!!!!!」
勇者の大きな体から、大きな笑い声が飛び出す。
目を丸くする周囲の人々。
ついに狂ってしまったのだろうかと、誰もが思った。
だが、そうではない。
そう、これが。
「ハッハッハッハッハー!」
これが!
「面白いじゃぁないか!!!!」
これが、逆境だ!
「ゆ、勇者殿……?」
「恐怖に押しつぶされて、ろくな作戦も立てられずに迎えた決闘のその日!
対する敵は強大なんて言葉は生ぬるいほどの強敵、ドラゴン!
誰に聞いてもこう応えるだろうな……『不屈の勇者ガッツの最後の日になったな』、と!
恐らく、国王陛下も落ち着いた今となっては俺の竜殺しの大口など出来るわけがないと諦めているだろう!
サポトさんだってそうだろう、俺たちは死ぬと……そう思っているんだろう!?」
ガッツは、もはや震えていなかった。
その目には、燃え盛る炎が存在した。
恐怖という深い沼に侵されたものには湧き上がるはずのない、闘志の炎が!
「だけど、そう思っていない人物が……この国に四人だけいる!」
「四人……?」
「俺……勇者、ガッツ!
神官、ヘンリー!
戦士、ライアン!
魔法使い、シンシア!
俺たち勇者パーティーだけは……ドラゴンを倒せると思っている!」
根拠のない自信である。
だが、その言葉には力があった。
なぜ、こんな誇大妄想としか思えない言葉に、力があるのだろうか。
その意味を、サポトはここに来てやっと理解した。
「この状況こそが、俺たちを強くする……!
そうだ、俺は常にピンチを乗り越えて強くなってきた!
幼い頃、森で迷子になった俺とヘンリーが五匹のゴブリンに囲まれたあの時も!
初めての冒険者ギルドでライアンに叩きのめされた一ヶ月後に、逆襲の決闘で勝利した時も!
シンシアと初めて出会ったオーク退治で危うくオークの花婿にされそうになった時も!
ピンチこそが俺を強くしてくれた!
これは精霊が与える試練なんだ!
俺は……俺たちは、試練に打ち勝てる!
なぜならば、俺たちは勇者だからだ!」
ガッツは、ガッツの言葉を信じているのだ。
だから、ガッツの言葉に嘘は一つもない。
この男は自分が信じた言葉しか口にしないのだ。
ドラゴンを倒せると、ドラゴンを見た後でも、例え1%ほどだとしても本気で信じられているのだ。
「そうだ……俺は、ひとりじゃないんだ!
皆とならどんなピンチでも戦える!」
「勇者様……!」
「……勇者殿!」
「力強い言葉と固い絆、これが勇者パーティーなのか……!」
────逆境とは。
「……おっ、いたいた。ガッツよ、お手紙だぜ」
その言葉に、勇者がパレードの準備をするための準備室に控えていた女官や騎士たちが震えている時であった。
コンコン、と。
扉をあらっぽく叩いて、冒険者ギルドのギルドマスターが現れた。
手には三つの手紙を握っている。
「うん、なんだい、マスター?」
「これ、渡されてたから。読んどいて」
「なんだろ……」
「ファンレターですよ、勇者様!」
「勇者と言えば子どもたちの憧れですからな!」
「勇者様は目立った戦果を上げてはいないけれど、勇者は勇者ですもの!」
「あっ、そういうのか~! いやぁ、照れるなぁ~!」
世話役の女官と警備役の騎士の言葉に乗せられて顔をデレデレに歪める勇者。
そして、三つの手紙を勢いよく開き、同時に手紙を広げる。
そこには。
『お別れです、ガッツ。勇敢なる幼馴染に精霊様のご加護がありますように』
『メアリちゃん(娘)が大人になるのを見届けるまでは死ねない、ごめんな』
『ガッツ、短い付き合いだったわね。七十年後ぐらいに天国で会いましょう』
見慣れた文字で、別れの言葉が短く書かれていた。
「……………………………」
「ゆ、勇者殿が……また倒れられたぞぉ!」
逆境とは!
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