第3話
「お待ちしておりました! ようこそ森ノ宮へ!」
月帝の「森ノ宮に絶対入れない」という言葉に反して、森ノ宮に入ることは簡単だった。門前払いも覚悟していたけれど、馬車を下りればすでに門は開かれていた。
こうして廊下だって歩けている。会いたくはないが次に会ったら森ノ宮に入れたことを絶対に言う。
「月ノ宮とは、造り自体異なっているんですね」
私は前を歩く森帝付の男官、アズライに声をかける。月ノ宮では男官が名乗る前に「名前なんて聞く必要ないだろ。寝るだけなんだから」と横槍が入って聞けなかったけれど、やはり名前を知っているほうが声もかけやすい。
「石や木を切り倒し、さらなる補強をさせていただきました。なにせ身体の大きなものばかりですから、衝突などを起こしすぐに壁や柱を壊してしまうもので」
アズライは高らかに笑う。
森ノ宮は、月ノ宮から西に位置しており、華美な月ノ宮と異なり荘厳な佇まいをしていた。もはや砦、要塞と表現したほうが正しい気がする。
男官たちも月ノ宮の役人たちと異なり屈強で、武官と言われても遜色ない。腕や足の太さが人並み外れ、部位という部位すべてが筋肉に覆われていた。
ただ、自らの筋肉に語りかける人間が行きかう廊下は異様で、やや言葉を失う。
「私たちはほかの宮と異なり、力や筋肉に宿る魂こそに美しさがあると思っております。みな森帝のようになりたいと願い、日々鍛えているのですよ!」
アズライは私の沈黙を緊張と捉えたらしく、こちらを安心させるように笑う。
森帝も相当鍛えているのだろうか。思えば森帝は「優しい」しか情報がなかった。筋肉隆々で……など、外見的特徴の説明があってもおかしくないだろうに。不思議だ。
「こちらになります」
廊下を歩く途中で、ふいにアズライが止まった。目の前には、壁にめりこんだそれはそれは大きな岩石がある。 大人の男二人分の身の丈だろうか。後宮に似合わぬ岩は、どんな用途を持つのかすらわからない。
「森帝様です!」
「え……?」
この、岩が? 戸惑いを覚えると、アズライは「違います! この岩は森帝様ではございません! この岩の向こうにいらっしゃるのです」とぶんぶん首を横に振った。
身体が大きいからか、その動作一つで向かい風が吹いているように感じる。
「森帝は人前に出ることを望まず、こうして岩を置いて、人が部屋に立ち入らぬようにしているのです。用があるときは、自らこの岩石をずらす形で……」
「中に武官が待機しているのですか?」
「いえ、森帝おひとりでこの岩をずらし、生活なさっています」
目の前の大岩に、再び私は言葉を失った。
天井に届くほどの大岩だ。武官を二十人以上集めて、ようやく動くかという大きさだ。そんな岩を森帝は一人でずらしている。
それも、日常的に。
夜を過ごす以前に、逆らったら殺されるのではないだろうか。
この大岩を動かす男を虐げ、その機嫌を損ねながら妹は生きてきたのか。もはや妹はこの男に殺されたのでは。この岩の向こうに、妹がばらばらになった死体があるのでは。
森帝が妹にされたであろう仕打ちに同情はするものの、とても人の力と思えぬ所業に恐れおののいていると、アズライは申し訳なさそうに俯いた。
「こうして今は大岩の向こうにいらっしゃいますが……森帝様は心優しきお人なのです。それ故傷つきやすく、こうして自らを守るために、俗世から離れているのです」
傷つきやすい?
こんな力があったのなら、気に入らないものすべてねじ伏せられそうなものなのに。
まるでこれでは森帝じゃなくて、岩帝じゃないか。
私はおそるおそる、「森帝様」と岩へ呼びかけた。
岩に向かって語り掛けるつもりはないけれど、どうしたって扉をふさぐ形で岩があるからやむを得ない。
「……」
しかし、岩の向こうから返事はない。
「返事が聞こえないってことはありませんか」
アズライに問いかけると、彼は首を横に振った。
「いえ。その……入浴のさいに声をかけると返答がございます」
「入浴時は部屋を出るんですか」
「疾風のごとく飛び出てきて、湯あみを済ませるとまた戻られます」
ならば入浴時に会いにくればいいのだろうか。でも、隙を狙ったことが原因で森帝の機嫌を損ね、この大岩を投げられたくはない。心の壁を壊す前に私の頭蓋が砕けるほうが先だ。物理的に私の住む晴宮ごと潰されてもおかしくない。
「なら、入浴のときには来ないようにします。おそらく彼にとって、最も神経質になる時間だと思うので」
「よいのですか?」
「はい」
それに「さっさと済ませようぜ」より、岩を置いて無視をしてくる森帝のほうが、まだ気を遣って真摯に接したいという気持ちがわく。
もう月帝という個の認識ではなく、「さっさと済ませようぜ」という概念的な何かと接している気持ちだし……。
「ただ、話をしないのも問題と思いますので、ここには来ます。では」
ずっとここにいても、ただ不用意に岩向こうの住民へ圧をかけるだけだろう。私は変わらず面をかぶったように表情をそろえた女官を引き連れ、森ノ宮を後にしたのだった。
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