第2話

 城を後にしてすぐ私は後宮入りした。


 本来ならば即位の儀や宴でも開かれるのだろうが、皇帝の意志は立派な次期皇帝を即位させるのではなく、血を繋げること。どうやら後回しにするようだった。


 城を訪れる前も王家は殆ど事情を話すことなく私を攫い、身なりを整え謁見の間に転がしたくらいだから、焦りがあるのだろう。


 そんな思惑のもと、私は妹の住んでいた晴宮はれみやという宮へ案内され、身支度をしてすぐ婿参りをすることとなった。


 婿参りというのは、要するに挨拶をしてまわることだ。


 現在後宮に住まい、皇帝と夜を共にする為集められているのは、何千人といる男たちから選ばれた、血筋、気品、容姿、知略すべてを兼ね備えた男たち五人。


 彼らは、星、海、雪、月、森と儚く美しきものに纏わる名を与えられた宮に住み、その名を与えられている。


 星帝は繊細な見目に反して腕が立ち、礼儀を重んじる。


 海帝ははつらつとした人柄で、笑顔をもたらす。


 雪帝は静かであるが、慈悲深い。


 月帝は派手好きで、曲がったことを嫌う豪傑。


 森帝は、清く気高く、心優しい。


 国の民は見目麗しい五帝に対して、一夜限りでもいいと心奪われ彼らを意のままにできる皇女を羨むと聞くけれど、私は契る気なんて一切ないし興味もない。


 しかし興味はないながらも、女官から五帝について馬車の中で説明を受けながら、一筋縄ではいかないだろうと覚悟はしていた。


 なぜなら自分の好きにしてもいい人間に対して、妹がどんな態度をとってきたかなんて想像に容易い。


 しかし──、


「ふん、あの女の妹と聞いてどんな奴が来るかと思ったが、随分とぱっとしないだな」


 月ノ宮へ向かうと、月帝ロノウェは、なんともふてぶてしい態度で私を迎え入れてきた。


 亜麻髪を後ろでたばね、毛先をはねさせている彼は、雰囲気だけでいえば盗賊の頭領という言葉が似合う。歳は私と同じくらいだろうか。


 金色の瞳は鋭く、首から肩にかけて毛皮が組み込まれた黒の羽織には、瞳の色と同じ色をした刺繍が施されていた。ところどころ着崩され、裾や袖は本人の動きと連動してひらひらとはためいている。


 通された客間は彼の派手な装いと反し、質素で落ち着いた風合いだった。異国の竜彫りがされた木机に繊細な硝子細工は、目の前の粗暴な青年が気に入ってるとは思えない。


「まぁいい、面倒くさいことは嫌いなんだ。さっさと済ませようぜ」


 あごで二階の寝所をさし、片眉をあげる姿はとても皇女に愛を乞う帝とも思えず、ただただ呆れた。敵意を向けられるならまだしも、何なんだこの男は。


「今日はその為の来訪ではございませんので」


「は? お前後宮がどういう場所かわかってんのか?」


 月帝は、「ちゃんとこいつに説明してんのか?」と、私の背後に立つ晴宮筆頭女官に声をかけた。


「はい。ご説明いたしました」


 女官が頷いたのを見て、彼は私をいぶかしげに見つめる。


「家柄も顔もいい。他の男を選ぶ必要も文句もねえだろ。俺が抱いてやるって言ってんだ。手叩いて喜ぶところだろ。泣いたっていいんだぜ」


「今日は婿参り、顔合わせと挨拶だけだ。それ以外にすることなどない」


 私はきっぱりと断る。そもそも、物理的な理由であまり長居をしたくないのだ。後宮内はその環境から閉塞感を感じさせないため、それはそれは広いつくりをしている。人の手で流れを作った川が広がり、ちょっとした森まであるのだ。


 そして脱走や皇帝がさらわれないよう、敷地内を高い壁で覆っている。


 大きな箱庭のようなこの場所は、端から端へ向かうにも時間を要するのだ。


「では」

「そんな簡単に帰すわけねえだろうが!」


 踵を返そうとすると、手首を掴まれた。月帝は思い切り腕を引いてきて、私の顎をつかむと無理やり顔を近づけてきた。


「ふん、こんなことされたことねえだろ」


 勝気な笑みに、返答に迷う。何が正解なのだろう。顔を赤らめ純情ぶることや、やめてと涙目で乞うことが不正解なのはわかる。


「子供のする恋愛劇でも見ませんね」


 淡々と言い返せば、月帝は顔を真っ赤にした。恥ずかしがるならやらなければいいものを。


 それにこれは、皇女への狼藉ではないのか。ちらりと窺っても女官たちは微動だにしない。女官は彼らと私が契ることを望んでいる。夜伽は絶対したくないけど、こうした戯れとなれば表立って拒絶も出来ない。


 唇くらいは仕方ないと諦めたその瞬間、腕につけていたブレスレットが輝き、豪風が吹き荒れ窓硝子が砕け散った。


 その破片はこちらに向かうことなく、吸い寄せられるように月帝へと向かっていく。彼は俊敏に飛びのいて破片を躱していった。


「お怪我はございませんか、シオン様、月帝様!」


 女官や武官が慌て顔で近づいてきて、私と月帝が怪我をしていないか確認し始めた。「突風で割れるなんて」と驚いていた様子で破片を集める者たちを眺め、私はブレスレットに触れながら月帝に視線を移した。


「なんだいまの……」


 彼は怪訝そうに私を見ている。


 先ほどの突風について違和感を覚えているのは月帝だけらしい。彼はそのまま「萎えた」と呟いて、ため息を吐く。


「お前、俺から近づいてやってんのに、顔色ひとつ変えねえのか。つまんねえ女」

「ご期待に沿えず申し訳ございません」

「ふん」


 月帝はもうこちらに近づく気はないらしい。


 安堵していれば、女官が素知らぬ顔で近づいてくる。それどころか「次は森ノ宮に向かわれますか」と、淡々と指示を仰いできた。


「行っても意味なんかねえよ。あいつ、こいつの妹のせいで外にも出れねえんだから」


 月帝が馬鹿にするように口をはさんできた。妹のせいで外に出れない帝がいる? そんな説明はされていない。


「妹の、せいで?」

「知らねえのか? お前の妹がやれ暗い、気持ち悪いだの苛め抜いたせいで、武官が総出で引っ張っても皇帝の呼び出しすら応じなくなったんだよ。会いに行っても意味がねえよ。生きてるのかすら怪しいんだぜ」


 皇帝の命にすら応じない。ともすれば後宮からだされるはずでは……?


 皇帝に対して有利をとれるなにかを持っているのかと考えていれば、月帝は頭をかきながら窓の外を見た。


「中々見れねえメラストマも咲いてることだし縁起がいいかと思ってたが、このまま帝が四人になっちまったら、縁起が悪くていけねえな」

「縁起?」


「俺の育ったところはな、四は悪名高い数字なんだよ。一人減らすか増やすかしとかねえと。お前からも言っとけよ。皇女がいなくなったのはせいせいしたが、気味悪い」


 そう言って、「寝る気がねえならさっさと帰れ。まぁ森ノ宮には絶対入れねえだろうけどな」と、塵を払うように月帝は袖を振るう。


 私は彼の言葉に違和感を覚えたまま、月ノ宮を後にしたのだった。

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