7 停滞する想い

「それじゃ、部長、行って来ます~」

「遊びじゃないんだから、しっかり現地の取材をするんだぞ」

「はいはい、解ってますよ。それじゃね~行ってきま~す」


 とある事務所の中で会話がなされていた。これから出掛け様としている女性に、事務所内の奥の椅子にふんぞり返る様に座って話し掛けている男がいる。


 彼の名は、北林浩二きたばやしこうじ。難病治療における、ボランティア活動を行っている支援法人団体の部長だ。法人団体と云っても、数年前に立ち上げたばかりで、難病に苦しむ人々の日常を支援しながら、メディアに訴えかける仕事を行っている。


 社名は【Be-Smilig笑顔になる】。二人の妻を亡くした創業者の想いが強く込められている。


 その北林と話している女性の名は、山倉美穂やまくらみほだ。各地に飛び回りレポーターの仕事を行っている。今回の彼女の仕事は、アメリカで移植手術を行っている現地の声を取材する事だった。遥か異国の地で、慣れない生活をしながら、移植を待ち続ける人々の生の声を取材する。


 アメリカに留学経験のある美穂は、英語が堪能だ。だからこそ、今回のアメリカ行きが決定したのだった。


 美穂の勤める法人団体の代表は、各医療機関に顔が利くらしい。島原海士しまばらかいとと云う患者の情報と、他にも生体肝移植の患者の情報も入手している。


  2021年では考えられない。個人情報ダダ漏れである。有り得ない話である。まあ募金を募っていたから、その情報源に辿り着いたのかも知れない。


 そして美穂は会社の情報を得て飛行機に乗り、アメリカへと向かっていった。


 ロサンゼルスに着くと、比較的治安の良い安いホテルを予約して、海士の入院している病院へ一目散に向かっていった。

 病院の受け付けで、日本からの入院患者の部屋を確認する。


「あの~少しお尋ねしたいのですが、こちらで、松岡さんって方が生体肝移植で入院していると聞いたのですが、部屋はどちらでしょうか?」

「ああ、その方なら朝一番で退院されましたよ。術後の状態の回復が早くて、早く日本へ帰りたい~って言ってましたから。ドクターから、日本の病院宛てにカルテを渡されて、笑顔で退院しましたよ」

「エエッーもう退院しちゃったんですか?」


 何だ、話が全然違うじゃない? まだ入院してると思ったのに……。


 美穂がロスに着いたのは夕方だ。まさに時間差で入れ違ってしまった。


「本当ですか? それは良かったですね。じゃあ、島原さんって方はどちらの部屋なんですか?」

「ああ、その方なら小児病棟の505号ですよ」

「ありがとうございます」


 美穂は受け付けスタッフにお礼を言って、小児病棟の505号室を目指して、長い廊下を歩いて行った。数分後、目指す病室が見えた。

 

「あった、505号【KAITO・SIMABARA】と書いてある」


 美穂は、海士の入院している病室の前にいた。


「コンコン……失礼します……あれ? 誰も居ない? どうしたのかな?」


 一応ノックはするが返事が無い。恐る恐る海士の病室のドアを開けて美穂は中に入ってみるが、病室のベッドに幼児が一人眠っているだけだ。一旦出直そう、と思いながら部屋のドアを閉めた時、背後に気配を感じた。振り返ると怪訝な表情の女性がいた。


「——誰なんですか? あなた?…」


 由香里の表情が曇る。自分の息子の病室に、見知らぬ女が居れば驚くのは当たり前だ。まして此処はアメリカだ。先日、自宅に空き巣が入り、大金を盗まれたのだから警戒してしまう。


「突然にごめんなさい。私、日本の支援法人団体【Be-Smilig笑顔になる】の山倉美穂やまくらみほと云う者です。不意にお邪魔して申し訳有りませんでした」


 見知らぬ女は慌ててかばんから名詞を差し出した。山倉美穂と名乗った女に悪意は感じられなかった。むしろアメリカで、日本人に出会った事で由香里は親近感を覚えた。でも信用は出来ない。ここはアメリカなのだから。


「それで、一体何の御用ですか?」

「私、日本で難病患者のボランティアをしている者です。今回、島原さんがアメリカで、心臓の移植手術を行ったと伺って、取材に来た次第なんです。日本にはまだ多く、色んな難病と戦っておられる方々がいます。今回、渡米され、移植手術を終わらせた島原さんのご意見などを伺いたいのですが……よろしいでしょうか?」


 丁重に話す美穂には善意が見受けられる。確かに今回、由香里の息子は難病になってしまい、渡米までして移植手術を行った。海士同様に、同じ病気で苦しんでいる者も実際の所、大勢いるのだ。由香里自身の経験や、思いを伝える事が出来れば、同じような難病患者達にも励ましにもなるかもしれない。


「私でよければ……」


 由香里は力なく答えた。一応ではあるが、息子の心臓移植は無事に終わった。感染症や臓器の拒絶反応は未だ出ていない。安堵はある。しかしながら、先日空き巣に大金を盗まれてしまったので、気力が沈んでいる。手術代を補う為に、己の命を三十年短くしてしまったのだ。だから、覇気は皆無になってしまう。


 疲れ切った由香里の表情を読んで、美穂は日を改める事にした。このまま取材を続けても駄目だ。良い情報は得られない。そう美穂は思った。


「ありがとうございます。今日は遅くなりましたので、又、明日出直して来ます。よろしくお願いします。あっ、それからお大事にして下さい」


 病室のドアを出ても、何度もお辞儀をして帰る美穂の後姿を、由香里は力無く見続けていた。 


 一体なんなの……。


 昨日、自分自身の寿命を削り、愛息子である海士の治療代を払った。“いつ、自分は死ぬんだろう? 生きたい。生きて、海士の成長を見守りたい……” その思いが頭の中を駆け巡ると胸が苦しくなってしまう。


 取材には受ける旨を伝えたが、自分の死がカウント・ダウンを始めていると思うと、何もする気がしなくなってしまう。これがゼルに言われた試練なのだろうか。これからどう、残り少ない寿命をまっとうして生きて行けば良いのか、由香里は解らないでいた。



 翌朝、昨日会った美穂が花束を持って海士の病室へやって来た。


「——コンコン……失礼します。昨日は失礼いたしました。これ、よろしければ花瓶へ活けて下さい。」


 美穂は由香里にそっと花束を渡した。


「ありがとうございます……」


 由香里は美穂から花束を受け取り花瓶へ活けた。ベッドで眠っている我が息子の寝顔を一度見て、安堵の表情を美穂に向ける。


「どうぞ、椅子が有りますから座って下さい」

「ああ、有り難う御座います」


 由香里は病室内にある椅子を美穂へ勧め、お互い向かい合うように座り、話始めた。戸惑いはある。取材とはいえ、見知らぬ誰かさんに今の身の上話をするのはためらってしまう。


「あの、何から話しましょうか?」

「何でもいいんです。渡米にあたり苦労した点や、こちらでの生活などで、苦労した事などを、お聞かせ願えれば……」

「……はい、解りました……」


 

 初めて知った我が子の病名【拘束型心筋症】と云う難病。治す薬が無く、心臓の移植手術に頼らなくては成らない事実。遠く離れた異国の地・アメリカで生活するにあたり、言葉の壁や生活習慣など。そして一番の大きな問題。治療費が実費で大金が掛かると云う事を。そして、先日手術費用のお金を盗まれた事を話した。


 美穂は由香里の話を聞いて絶句した。確かに外国で治療するにあたり、医療費が高いと云う事は知っていたが、まさか此処まで高いとは思わなかった。幾ら留学していたとは云え、美穂は外国で病院に掛かった事が無かった。実際の金額に驚いてしまった。これでは、普通の人ならとても手術は出来ない。


 又、言葉の壁で苦労した事は、美穂自身・留学経験で解っている。それと、治療代を盗まれた事も美穂に衝撃を与えた。我が子を助けたい一心で、渡米までして来た親子に、治療代を盗むなんて。なんて酷い仕打ちだ!と美穂は思った。聞いている美穂の頬に涙が一筋落ちて行く。


「由香里さん、私日本へ連絡をして、海士君の為に募金を募るように働きかけます。いくら集まるか解りませんが、やってみます」

「美穂さん、ありがとうございます」


 由香里はうれしかった。異国の地アメリカで、見知らぬ人から後ろ盾になろうとしてくれる美穂に、感謝の気持でいっぱいになった。


「じゃあ、急いで日本へ連絡をしてきます。あっ、それから海士君の写真を数枚取らしてもらってもいいですか?」

「それは構いませんが……」


 美穂は持参したカメラで、海士と由香里の写真を数枚取り終えると、海士の病室を後にした。


 美穂は一旦、自分の宿泊しているホテルに戻り、日本の事務所へ国際電話を掛けた。上司である北林に由香里の現状を話し、募金活動を依頼した。北林は快くその話を承諾し、すぐ他の部下に命じて募金活動を行う様に手配してくれた。


 美穂は由香里の話を報告書にまとめながら、手が空くごとに海士の病室へ足を運ぶ日々が続いた。美穂からみて由香里の表情は暗い。疲れ果てている。今の由香里の事を思えば、助けたくなる気持ちが大きく働くのだった。ガンバレ由香里さんと。


「由香里さん、微力ですが募金活動の手配をしてもらっています。いくら集まるか、解りませんが、治療費の足しにして下さい」

「ありがとうございます……私たちの為に、本当にありがとうございます」


 由香里同様に、勇樹も美穂に感謝していた。見ず知らずの自分達に心遣いをしてくれる。誰も知り合いの居ない異国の地・アメリカでの美穂の出会いは、本当に心休まるものだった。


 幸いな事に、海士の手術後の次の月の入院費用は、勇樹の親が勇樹の通帳へ振り込んでくれた。遙か遠くまで遠征したミナミマグロが大漁だったのだろう。


 勇樹と由香里は振り込まれた銀行の通帳の残高をみて涙した。







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