7 惨劇

 ——そして一ヶ月が過ぎた。


「やったよ、由香里さん……。ついに、ついに完成だーやった——」

「そう、良かった。……やっぱり光太郎さんって凄い。絶対に完成すると思ってたの。良かった、本当に良かった……」


 光太郎が創っていたソフトが、遂に完成した。些細な入力ミスが原因でバグが生じていたが、今回の事で完全な物となった。光太郎は歓喜した。今までの事は、決して無駄では無かった。今までの苦労が消し飛ぶぐらい嬉しかった。


「ちょ、ちょっと、由香里さん……。試してみてくれないか?」

「ええっーいいの? 私で?」

「是非とも、一番初めは由香里さんに試して欲しいんだ」

「解かったわ。で、どうするの? 私、器械オンチだよ」

「大丈夫。いいかい、これをこうして、これをこうやって……」


 光太郎は由香里に説明をしている。当時のパソコンはモニター画面に英語で表示をしている。これでは、英語が読めなければ一般には使えない。英語を日本語へ変換し、表計算の出来るソフトを創ったのだ。数枚のFDをインストールすると、モニター画面の暗い画面に文字が浮き上がる。暗い画面に緑のドット文字が浮き上がった。 

     

 Enterキーを叩き、自信タップリに光太郎は由香里にささやいた。


 その説明に由香里の顔が驚きと尊敬の表情に変わっていく。やがて緑のドット文字が英語から一気に日本語へ変わっていく。


「——どうだい?……」

「な、何、何これ?……。凄~い……。表示が日本語になっちゃった。これなら私にも使えるかも? 光太郎さん、アナタって天才だわ」

「由香里さんにそう言ってもらえるだけで、嬉しいよ。ありがとう、由香里さん……由香里さんの御蔭だよ。由香里さんが側に居てくれ無かったら……俺、くじけていたかも知れないんだ。本当にありがとう……」

「そんな事無い。私も、うれしい……」


 二人はいつの間にか抱き合い、キスを交わしていた。自然の流れと云う言葉が不思議と似合っている。暫らくの抱擁の後、由香里が光太郎の耳元でささやいた。


「じゃあ、早速、祝杯をあげなくっちゃネ?」

「ありがとう、由香里さん」


 もう一度キスをすると二人は腕を組んで、部屋から出て行った。


 路上を歩きながら由香里が聞いた。


「ねぇ、何が食べたい? 遠慮なんかしないでね……」

「じゃあ、ラーメンを大盛りで、チャーシュー麺で……」

「エエッーホントに?  本当にラーメンで良いの?」

「俺、ラーメン大好きなんだ」

「解かったわ。じゃあ~餃子とチャーハンも付けちゃおうかな? フフフッ……♡」

「ありがとうございます。やったー……。ハハハッ……」


 にこやかな会話の中、笑顔がこぼれる。この二人は今現在、幸せの絶頂にいた。明るい未来を信じて、これからの未来が約束された事と信じていた。そんな二人は、小さな幸せをかみしめて、ラーメン屋を目指して歩いて行った。








 

「——チクショーあの野郎……。今度会ったら、ぶっ殺してやる」

「亮ちゃん、もう止めよう。アイツは普通じゃないんだ……俺等の方が殺されるよ」

「茂~テメェいつから臆病になったんだ? 悔しくねぇのか?」

「だって、俺~これじゃあ何にも出来やしないんだぜ……どうやって、アイツに仕返しをするんだょ……。顔も名前も解からないんだぜ……」


 両手の掌に包帯を巻かれている茂に、右腕をギブスで固めた亮がいきり立っている。確かに相手の顔も名前も解からない。あの時は暗闇だったので、お互いの顔がよく見えていなかったのだ。亮は茂に言われ、何かを考えていた。


「——そうだ、女だ! あの女の顔は覚えている。あんな美形はその辺にはいねぇからな? あのコンビニで張ってれば、女の居場所と、男の名前と住所は解かるだろ……女も、あの男の名前と住所ぐらい聞いてるだろうしなぁ? どうだ、茂?」

「亮ちゃん、すげぇよ。頭良いじゃ~ん」

「だろっ?」


 亮の考えは当たっている。光太郎と由香里は、あのコンビニの前を通って会いに行っている。彼等に会うのは時間の問題だ。


 亮と茂は連れ立って、あのコンビニへと歩いて行った。


 数分歩くと一組のカップルが亮と茂の前を横切った。腕を組んで仲良さそうだ。


「お、おい、茂! ……あの女じゃないか?」

「ホントだ。あの女だ。亮ちゃん、あの側の男。……右腕に包帯を巻いてある。確か、俺が右腕にナイフを刺したから……多分、あの男だ。あの男に間違いない」

「チャンスだ、茂。後ろから襲おう」

「どうやって?」

「人ごみに紛れて、後ろから刺すか?」

「俺、もうやだよ~アイツにもう関わり合いになりたくないよー。亮ちゃん、勘弁してよ……」

「この野郎、俺がテメェをぶっ殺すぞ?」

「……」


 亮は復讐に燃えていた。茂の目の前で、無様な醜態をさらしたからだ。しかも瞬殺。面目丸つぶれだ。だから相手を見つけた喜びで、内心打ち震えていた。一刻も早く名誉挽回したいと……。

 例え、それが後ろから襲う、卑怯なやり方だとしても。


 一方、茂はやる気が無かった。もう二度とあんな痛い目には会いたくない。しかし、亮には逆らえない。しかし、今度しくじったらただでは済まない。茂は前回の件で光太郎に恐怖を植え付けられていた。 

 駄目だ、だめだ、ダメだ! あいつに関わったらタダでは済まされない。茂の本能が囁く。体が硬直してしまう。


「いいか、茂。あいつ等だって俺達の顔は知らないんだ。だからチャンスを待つんだ。チャンスが来たら、後ろからナイフで殺る。茂、お前ナイフ持ってるか?」

「……」

「オイ、聞いているのか?茂?」

「——ひぇ……な、何っ……」

「ナイフ持ってんのかよ、って聞いてんだろ。ボケが……」

「あ、あるよ……一本なら、でも俺はナイフ持てないよ」

「いいんだよ、構えているだけで……よし、行こう……」


 こうして亮と茂は光太郎と由香里の後を付け出した。


 十分ぐらい歩くと由香里と光太郎は、銀行の前で立ち止まった。横断歩道を渡ったすぐ側にある。


「ごめん、光太郎さん。お金降ろして来るから、チョット待ってて……」

「ああ、いいよ。それより、いつも由香里さん奢ってもらってゴメンね」

「大丈夫、大丈夫。気にしない、気にしない。フフッ、チョっと待っててネ」


 光太郎を残し、由香里は銀行の中へ入って行った。残された光太郎は由香里の後姿を目で追っていた。


「おい、茂、チャンスだ。横断歩道の信号が青に変わったら、人ごみの後ろからヤツを襲うぞ」

「……亮ちゃん、嫌だよ~もう止めようよ……」

「ウルセェ、ぶっ飛ばすぞ——!」

「……」


 数十秒の後、横断歩道に人が集まった。亮と茂はそっと最後尾に並び、身構えた。


 やがて信号が青に変わった。人の群れが光太郎を飲み込んでいく。光太郎は人の邪魔にならない様に端へ寄った。


 銀行のドアが開くと、貯金を降ろした由香里が満面の笑顔で出てきた。


「光太郎さ~ん——♡」


 由香里は、人ごみの中の光太郎に向かって笑顔で手を振った。光太郎も由香里に気付き、左手で手を振る。やがて最後尾の人の群れが光太郎を追い越そうとしている時、光太郎に二人の男がぶつかった。


 ドンッ。……グサッ、グサッ——。


 光太郎の腰と背中に痛みが走る。ゆっくりと痛みの場所に手を当てると、ナイフが二本刺さっている。そして後ろを振り返った。


 振り向いた光太郎の目の前には、どこかで見た様な男が二人立っていた。赤い髪の男は、半分泣きそうな顔をしているが、金髪の男は笑っている。


「……だ、誰だ……お、お前等?……」

「おい、色男? この前の礼は返すぜ……。ヒャヒャヒャッ……」


 この前の礼だって? こいつ等、あの時、由香里さんを襲った暴漢か? 昼間から俺をナイフで襲ったのか? 狂ってる、こいつ等、狂ってる……殺される。こいつ等、本気で俺を殺そうとしている。殺される前に、何とかしないと……由香里さんが、危ない……。


 瞬時に光太郎はそう思った。右手は一ヶ月前に茂にナイフで刺されて使えない。腰に刺さっているナイフを左手で一本ゆっくり引き抜くと、躊躇ちゅうちょしている赤い髪の男に切りつけた。


 茂の思考は素早く反応したが、光太郎の怒りの顔を見て体は固まってしまった。


 駄目だ、しくじった……殺される。早く、この場を逃げないと……。


 茂の本能が警告を鳴らすが、時すでに遅しだった。


「ウギャ————!」

 

 躊躇ちゅうちょの無い光太郎のナイフが茂の喉に触れる。瞬間喉が切れ、赤い血がほとばしる。茂は首を押さえて地面を転げ回っている。


「痛いよ……。痛い……。ち、血が、血が止まんないよ……た、た、助けて……チクショ————。やっぱ、やらなきゃよかった……。いたい……い……た……い……」


 首筋から噴水の様に吹き出だす血潮。茂は自身の血を浴びて痙攣けいれんが始まった。


「この野郎ー! よくも茂を……」


 茂がやられた後、亮は左手でもう一本のナイフを出し、光太郎にぶつかっていった。光太郎は背中を二ヶ所刺されている為、動きに冴えが無い。避ける余裕も無い。普段なら、アッサリ避けれるはずなのに。背中の痛みで体の自由が利かないのだ。


 グサッ——。


「ウッ……」


 言葉にならない鈍い音と声がした。亮のナイフは光太郎の腹を刺した。


った——! これでこの前の借りは返したぞー。ヒャヒャヒャ……。痛いか?」


 亮は光太郎の腹に刺したナイフを動かしている。腹が裂け内臓が出てくる様だ。わき腹が見る間に赤く赤く染まっていく。


「クッソー……。殺られてたまるか……」


 最後の力を振り絞るかの様に、光太郎の握ったナイフに力が入る。つい先ほど茂を切ったそのナイフを、金髪の男の首筋に降ろした。


「グワッー……。ヒ、ヒイー……。い、いた、痛い……イタイ……」


 亮の首筋からも血が激しくほとばしる。亮も首を押さえて地面を転げ回っている。


 光太郎も立っているのが限界だ。左手に握っていたナイフを落とし、背中のナイフを抜き取りわき腹のナイフを抜こうとした時、光太郎の膝が落ちた。


「——な、何で、こうなる訳? ……俺の人生これからだっていうのに……。ゆ、由香里さん……。俺は、お……おれは……」


 光太郎の呟きは誰にも届かない。横断歩道の信号機から流れるメロディーが何もなかった様に静かに鳴り響く。


「キャー誰か————! 誰か、お願いー救急車を呼んでーお願い————!」


 由香里の目の前で、映画の中のワン・シーンの様な出来事が起こった。光太郎は背中2箇所、腹1箇所から血を流している。そして、ゆっくりと倒れた。


 由香里は駆け寄って光太郎を抱き起こした。光太郎は苦しそうな顔を見せている。


「光太郎さん、光太郎さん……」

「ゆ、由香里さん……。これからだって言うのに残念だ。……今まで、ありがとう……」


 光太郎はそう言い終えると、由香里の膝の上でゆっくり目を閉じた。力つき動かなくなってしまった。つい数分前、いや数秒前まで共に笑って過ごしていたのに。ゼンマイの切れた人形のように動かなくなってしまった。


「イヤッ——————!」


 由香里の声が昼間の横断歩道に響いていった。真昼間の惨事。横断歩道が血で真っ赤に染まり、赤い絨毯を引いた様になっていく。人々が混乱の中、押し寄せる。


 一人、又一人と三人の男達が、やがて人形の様に動かなくなってしまった。









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