異世界に行ったんだが
―お前はもう、ここにはもどるな―
なんだよ。たかがオッサンの冒険者気取りが、俺の意思を動かせてたまるか。
背後の闇に引きずり込まれながら、「ふざけんな」と叫んだその声も、あっというまに対象を見失った。
現実だ。
乾ききった暖房の空気が前髪をなでる。目を開くといやでも目の前の情報が飛び込んでくる。テーブルの上には食べかけて放置したまんまのコンビニおにぎりと、気の抜けた発泡酒。そうだ、俺は大学から帰って、こんな下部屋の下宿でひとり、ヤケ酒を喰らっていたのだった。背中が床でこわばっている。寝落ちたらしい。
しん、とした冷たい重たさとカーテンから漏れる窓の照明の光が、もう深夜だといっている。
天井の光をぼんやりと眺めると、どこかの”太陽”が重なった。さっきまで青空が広がっていた、世界。そして・・・「夢」が蘇った途端、再び震えるような戦慄におそわれた。
リアル(現実)だった。
なぜそんなものを見てしまったのか。
「もどるな」
あんた、そう言ったか。
最期に見たオッサンの顔、笑ってたな。くしゃくしゃに。
―戦場。血の乾く間もない残酷なまでの世界で―
無性に泣きたくなって腕で目を押さえつける。そんな趣味はない。平和を愛するがゆえに平和に堕ちた。・・・堕ちてしまったから、俺は「地獄」にでも呼ばれたか?意味不明(笑) でもそこにいたのは「普通の」人で、「普通の」感情があって、
愛があって涙もあって 魔王や魔物なんて絶望のなかでも必死に生きようとしていた。
嘲笑、侮蔑、マウントその他快楽。知る限りの世界観のなかで、それらが「幸福」ゆえにアンバランスな死への恐怖と追随しているだと知るのには時間がかかった。夢のせいだ。いつでも不完全だった。知らなかった。だから俺はあの日も、今日も、あの世界を知る前の何でもない日常で、喫茶店で、映画館で、何でもないように友人たちと喋り、上っ面な空気に酔いしれて、道端のホームレスのことなんて、何でもないように無視したのだった。ニュースの報道する事件を見て、何でもない風に過ごしていたのだった。
なんにもないほど退屈だった。
ヤケ酒に走ったのが、よくなかったのか。それとも
俺は、世界を救えなかったのかなあ。
ふざけんなと思った。
――――――――――――――――
「これ、」
行きがけのふりして、男の前にパンを差し出す。大学の講義の帰りだ。用事があるからといって友人の輪を出し抜いてきたのだった。やっぱり、そこにいた。
緑のフードをきた男の顔がゆっくりと持ち上がる、その右頬に長い痣がある。黒く鋭い冷ややかなまなざしがこちらをみた。
一瞬後悔する。無表情、得体のしれなさが相まって、余計な事だったと逃げ出したい。
「どうぞ。」
押し付けるようにしてパンを手元に投げ出し足を向こうに向けた途端、のそり、と動いた。思わず鞄を握りしめる。
「すまないな。」
振り返ると緩んだ表情が、哀しそうに微笑んでいた。
「やめてください。」
咄嗟にそんな言葉が出る。
やめてください、あやまらないでください。
「また、来ます。」
夕暮れの風に押されるままに、足を向ける、道を歩く。日常に色がつき始めていた。
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