五、「本日は、弊ダンジョンにようこそお越しくださいました」

 討伐隊は静かに、そして速やかに進軍して、いよいよ魔領に入り、ダンジョンまで1㎞の標となる正門にまで至っていた。

 そして、困惑していた。

 両サイドを延々と続く高い壁に挟まれた巨大な門は、夜更けにもかかわらず全開放されていたのだった。見張りさえ見当たらない。

 あまりにも無防備な光景に、討伐隊は逆に怪しんで行軍を止め、斥候を出して調査の手間を取る羽目になった。

 これは完全に無駄な行為だった。彼らはもちろん思い至らない。敵を迎え入れるがごとき門の解放は、討伐隊のオーダーをスムーズに執り行うための、ダンジョン側の配慮だということに。


「よしっ」

 受付カウンターに「本日貸し切り」の札を立てかけたシエラの掛け声が、広間に響いた。しかし一方で、全く「よし」とは思えていない人物が彼女の傍らにいた。

「夜襲を承知していて、門を開け放っているというのはどういうつもりなのだ? しかも、一人の兵も立てていないなどと。正気か?」

 食事を終えて、意気揚々とダンジョンに戻るシエラにおろおろとついていったヴォルケインは、道中で受けた状況説明に仰天して思わず口を出した。しかしシエラは平然と答える。

「門は開けておかないと壊されてしまいそうだという理由もありますが、何よりせっかくのボス単独指名ですから、余計な障害はお邪魔でしょう?」

「悠長なことを……。とにかく逃げた方がよい。砲撃が来ればここは無事では済まないぞ」

「それは確かに。ほとんど外みたいなものですし、ここでの対応は危なそうですね……奥で仕事をしましょう」

 淡々と仕事道具をまとめ始めるシエラを、ヴォルケインはおよそ理解できないと言った顔で見る。

「なぜそんなに平然とできる? 千の兵となれば、これはもう戦だぞ。人間と魔物の」

 ヴォルケインがそう言うと、シエラは目をすっと細め、冷めたような声で言った。

「私は、さほど平和主義でも、人間寄りというわけでもありません。故郷を消した大国も、彼らが固執する古臭い考えも、全部嫌いですから」

 彼女の故郷リブトランの消滅についてはバスクテリアも無縁ではない。心の底を見せたような彼女の言葉に、ヴォルケインの表情はこわばった。だが、次の瞬間シエラは「なーんて」と舌を出した。

「そこまで思っているわけではないですけど。仕事に私情を挟むこともしませんし。ともかく、舐めないでいただきたいです。ここはダンジョンで、私は竜の秘書なんですから。戦いもまた業務の内です」

「むう……」

 動じる様子のないシエラに、ヴォルケインはもう説得する言葉が見つけられなかった。

 そうしてバッグに道具を詰めたシエラはカウンターを出ると、広間の奥へ行く前にヴォルケインへ振り返り、頭を下げた。

「私たちのことを心配して頂いているのに、生意気なことを言ってしまって申し訳ありません」

「あ、いや……」

「それよりも――ヴォルケイン様、この度の『戦い』でお話が」

「ん?」


 魔物側のあまりにも無防備な体制に警戒しつつも兵を進めた討伐隊は、ついにダンジョンの中へと誘う大階段の前にまで至った。

 一息に攻め込むか、ここから砲弾の雨を降らせるかで隊列は大きく変わる。そのため彼らは一旦歩みを止めた。

 その時。隊を見下ろす、岩山を削ってファザードとなしたダンジョンの壁面に、いきなりスーツ姿の女が大写しになった。

「な、なんだ!」

「きょ、巨人か!?」

「いや、絵ではないか?」

「だが動いているぞ……魔法か?」

 ざわめく彼らの前で、巨大なシエラの映像は、丁寧に斜め四十五度の角度で堂に入ったお辞儀をしたのち、

「本日は、弊ダンジョンにようこそお越しくださいました」

 完璧な受付スマイルでそう言った。

「? ? ?」

 シーバ隊長他、千を超える討伐隊の兵たちは当惑した。

「ご依頼の通り、本日は弊ダンジョンのボス・古竜王に挑んでいただきます。他の魔物や障害は用意しておりませんので、どうか思う存分全てのお力をボスにおぶつけください。――それではお待たせしました」

 途端、岩山であるダンジョンごと、大地が揺れだした。

「魔領の覇者の一角にして、弊ダンジョンの主、金の古竜王――グレン=メギドーザの登場です」

 そう告げるとともに映像は消え、ダンジョン内部へ繋がる巨大な開口部から、それが現れた。

 体の内から光を発しているかの如く、黄金に輝く竜。

 実際熱を帯びているのか、微かに周囲の空気が揺らいでいる。

「でっか!!」

 何より驚くべきは、その大きさだった。

「で、でかい……!」

 広間の奥から古竜王が這い出るのを見ていたヴォルケインは、その姿を見上げながらあ然とした。

「昼間に会った時より遥かに大きいではないか!? これは幻術か?」

 昼のグレンが教会ほどならば、今のグレンは、ちょっとした城ならすっぽりと収まるほどの広間のほとんどを埋め尽くすほどに大きい。

 隣のシエラが、まるで自分のことのように誇らしげに答える。

「ボスは、その姿も力もあまりにも強大すぎるので、お側にいる貧弱な私たちのために、普段からも多少の弱体化魔法を施しているんです。今だって、それなりに弱めているんですよ」

「な、なんだと……」

 シエラは今一度外への音声をオンにする。

「齢数千を超える古竜王の力、存分にお味わいください」

 そこからは、一方的な蹂躙だった。

 巨体の半分を外に出すや、グレンは咆哮した。人界までも届きそうなその咆え声だけで、兵の大半は腰が砕けてへたり込んだ。

 咆哮に動じなかった屈強な騎士たちは勇ましくも向かっていった。さらに、後方の砲兵たちも怯むことなく砲撃を始めた。しかし数百の騎士も五十の砲弾のどちらも巨竜に届く前に、広げた翼のひと羽ばたきだけで、ことごとく吹き飛ばされたのだった。

 次いでグレンは口をすぼめ、息を軽くフッと幾度か吹くと、それは小さな火球となって飛び、一つずつ的確に大砲を焼いていった。

「あ……ああ」

 あっという間だった。戯れ程度の攻撃で、千の兵はほぼ無力化された。シーバ隊長などは最初の咆哮で心を折られ、泡を吹きそうになっている。

 怯え、気を失い、ひっくり返っている兵たちを、黄金の巨竜が見下ろす。

「なんと脆弱な。……だがこのまま返しては、禍根を残すやもしれぬ。ぬしらの国ごと焼き尽くしてしまおうか」

 地響きのような声で言い放った。

「あわわわ……」

 シーバたちはこの竜ならば可能であると確信して、ことごとく血の気が失せた。

 それは、背後から見ていたヴォルケインも同様であった。

「――ということで、ヴォルケイン様。ヴォルケイン様?」

 呆然としている彼の肩をシエラは叩いた。

「うわっ」

「話は聞いておられましたか?」

「あ、ああ。わかっている。わかっているが」

「怖じ気ました?」

「ぬ! 何をっ!?」

 わかりやすい挑発に覇気を取り戻した騎士の顔を見て、シエラはにっと笑った。

「では、ご覚悟ができましたら、ご自分のタイミングでお願い致します」

「お、おう」

 言うや、間髪を入れず意を決したヴォルケインは駆けだした。

 そして広間を抜け、大階段駆け降りて、巨竜の横をすり抜けたかと思うと、その前に回り込んで仁王立ちとなった。

「ヴォルケイン殿……?」

「隊長!」

 その姿に気づいた騎士たちが、驚きの声をあげる。

 彼らの視線を感じて、さらに意気を上げたヴォルケインは剣を抜き、切っ先を古竜王へと向けた。

「我はバスクテリア皇国、古龍王討伐隊隊長、ヴォルケイン・バン・クリフォード! 魔領の邪龍、グレン=メギドーザを打ち倒す者なり!」

 高らかに名乗りを上げ、さらに言った。

「古竜王よ、その黄金のウロコの内に、誇りが欠片でもあるならば、我との一騎打ちで全ての決着とせよ!」

 その言葉に、兵たちの呻きとざわめきに満ちていたその場が、静まり返った。

 その静寂を割って、雷のような低いごろごろとした音が空気を揺るがした。

 グレンの笑い声だった。

「……人間よ、お前の命ごときで手打ちにしろと言うのか?」

 その声には嘲りにも似た調子が込められている。だが、ヴォルケインは怯むことなく不敵な笑みを返す。

「お前の命でかもしれんぞ?」

 大胆な言葉に、竜の口がかっと開く。

「フハッ、面白い! ならばあがいて見せよ、人界の騎士」

 グレンが言い終わる前に、ヴォルケインは竜に突っ込んだ。

 グレンはすかさず火球を吹く。大砲を焼いた時よりも数段大きい。

 しかしそれをすばやく避けて、ヴォルケインは懐に入った。

 それを振り払うように巨竜の腕が叩きつけられるが、飛び退いてみせるヴォルケイン。

(これが、バスクテリア騎士団三大難行をクリアし、天地圏武会の最年少王者となって若くして『覇武』の称号を持つ、ヴォルケイン・バン・クリフォードの本領……!)

 古竜王の恐るべき一挙手一投足をしのぎきる前隊長の姿に、騎士たちは目を見張った。

(しかし……)

 ヴォルケインはグレンの攻撃をなんとか捌いてはいるものの、攻撃をしあぐねていた。このままでは一太刀も浴びせぬまま力尽きるのは誰の目にも必定に思えた。

(所詮は人の身。古竜王には敵う目は、万が一にも……)

 騎士たちが絶望の面持ちで見守る中、ついに凶爪の一撃を避け損ねて剣で受けるほかなかったヴォルケインは、そのまま高く吹き飛ばされた。弧を描いた軌道は、そのままダンジョンの壁面に激突するかに見えた。だが。

 ぶち当たる寸前、身をひるがえすや壁を蹴り、衝撃を勢いに変えて古竜王へと跳んだのだった。向かうはその喉元。

 グレンにも想定外に見えたその急反転は、だが片翼の羽ばたきだけで勢いを殺された。そして回避不能な空中のヴォルケインに向かって、これまでで最も強力な火焔の一閃が。

 いかなる武人とて、千の兵の膝を折る巨竜には届かないのかと思われた刹那。ヴォルケインの身を包んだはずの炎は、飛び散った。

「火斬剣!」

 その雄叫びと共に、炎の切れ間からヴォルケインが飛び出す。炎を纏った剣を振りかざして。

 それを迎え撃つグレンもまた咆え、騎士へと牙を剥いた。

 炎とウロコの輝きで見守る者たちの目が眩んだ一瞬、剣と牙がぶつかり合う轟音が鳴り響いた。

「ヴォルケイン隊長!」

 騎士たちが口々叫んで、前隊長の姿を探す。

「あそこだ!」

 騎士の一人が指さす。その先、大階段の手前にヴォルケインが膝をついていた。

「隊長!」

 騎士たちは駆け寄ろうとするが、ヴォルケインは振り返らずに手で制し、ゆっくりと立ち上がった。しかしその足はふらつき、限界を超えているのは明らかだった。

 一方、グレンは。

 衝突した時の態勢のまま微動だにしていなかった。倒れる様子は全くない。それどころかゆっくりと向きを変え、ヴォルケインらを見下ろした。

 見る限り無傷な姿に、騎士たちは絶望した。

 だが。

 カンカンと大階段を何かが転がり落ちた。

 それは、一抱え程もある真白な牙だった。

 見れば、グレンの口から覗いていた凶悪な牙の一本が欠けている。

「……ぬう」

 巨竜が呻いた。

「人間はおろか、どの古竜も魔神も傷付けること能わなかった我が身を……」

 そう言うや、グレンの身を包んでいた熱気が静まっていった。

 翼を閉じ、首をゆっくりと下げる。下げた視線の先にはヴォルケインがあった。

「人界の騎士、ヴォルケイン・バン・クリフォード。その武と勇に免じて、爪と牙を収めよう」

 折れた自身の牙を摘まみ上げ、ヴォルケインに差し出した。

「古竜王を斬りし勇者の証として、これを授けん」

 ヴォルケインが受け取ると、グレンは再び首を上げて、行く末を見守っていた討伐隊を見渡した。

「さあ、約束は違わぬ。これで仕舞だ。人間の兵どもよ、歩ける者は傷ついた者を支えて疾くと去るがいい。一人たりとて残すなよ。気の変わらぬうちに、さあ行け!」

 そう言ってひと咆えすると、兵たちは慌てて立ち上がり、這う這うの体で去っていった。

「あれだけやって、見事に死人を出しませんでしたね。さすがのお手並みです」

 いつの間にかグレンの傍らにシエラが立っていた。

「――まあ、茶番劇ですけど」

「ふん。慣れたものだろう?」

 その身を小さくしながら、グレンは愉快そうに言った。

「私は割と全力を出していたのだが……」

 抱えた牙の重さでよろめきながら、ヴォルケインは苦笑いした。


 全ての兵が正門から出ていく頃には、白々と夜が明け始めていた。

 その報告を聞いたヴォルケインとシエラは、ダンジョンの入り口から日が昇るのを眺めた。

「いろいろ迷惑をかけたな」

「いえいえ。業務の内ですから。残業代も出ますし」

「ざん……? あー、説明はいい」

「そうですか? 大事なことですよ? まあそれだけでなく、メリットも充分ありましたから」

 シエラの言葉にヴォルケインは怪訝な顔をする。

「どういう意味だ?」

「これで手薄だった人界にも伝手が出来ました。しかも勇者様と」

 古竜王を斬って勇者となった騎士は、口をあんぐりとあけて、それから力なく笑った。

「食えぬなあ。シエラ殿の野望の片棒を担がねばならぬということか」

「ええ。今後グレン様のために、人界にも面倒臭い交渉や根回しが必要になって来るので、是非足掛かりにさせてくださいね」

 勇者は肩をすくめて返事に代えた。

 広間の中に日が差し込んでくる。

「いずれにせよ、今度お会いする時は」

「ちゃんとアポを取ってから――だろう?」

 ヴォルケインがそう言うと、シエラは満足そうに笑って「はい、大事なことですからね」と答えた。

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竜の秘書 殻部 @karabe_exuvias

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